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のっぺらぼうの恋3



◆おばけと青いカミサマ



 真白空は変わった子供だった。

 0歳児から保育園に通い、特に発育に異常もなくすくすくと育ったが、三歳を過ぎ、おしゃべりがますます達者になった頃、おかしなことを言うようになった。

「ほいくえんのみんな、おかおがないんだよ」

 空の母はなんのことだかわからなかった。子供特有の言い回しなのだろうか?

「お顔がないの?どうして?」

「わかんない」

「ちょっと、お母さんのお顔、描いてくれる?」

「いいよ」

 空に紙とクレヨンを渡すと、迷いなく描き始める。大きな丸を描いて目のあるあたりに小さな丸を二つ、鼻は縦に一本、口は大きく「あ」の形で開いていた。

「おかあさん、できた」

 三歳児の画力はこんなものだろう。ちゃんと顔になっている。

「お母さん、お顔あるじゃない」

「おかあさんはあるよ。あのね、ほいくえんのこのおかおがないの」

 どういうことだろう?

「じゃあ、保育園のお友達のお顔、描いてみて」

「いいよ」

 空は新しい紙にクレヨンを走らせた。やはり大きな丸を描いて、今度は口の位置に横長の丸を描いて、頭の上の方の左右にリボンを二つつけて、そこから髪の毛が生えていた。

「できた」

 まるでのっぺらぼうのようだった。

「これは誰を描いたの?」

「まみちゃん」

「じゃあ、他の子も描いてくれる?」

「いいよ」

 今度も同じのっぺらぼうだった。ただ、髪の毛は一つ結びだ。

「これは誰?」

「ゆいちゃん」

「お顔がなくても誰だかわかるの?」

「うん。こえとか、かみのけとか、おようふくとか。でもかわっちゃうとわかんなくなっちゃう」

 空の母親は、翌日保育園の先生にこのことを話した。先生は、今のところ大きな問題は起きていないが、何かあったらすぐに連絡をくれること、園の方でも注意深く見守ることを約束してくれた。

 母親の心配をよそに、空は保育園で問題なく過ごしているようだった。時々お友達の名前を間違える、ちょっとうっかりした子と思われるくらいだった。

 一度病院でも相談してみたが、家族の顔は認識できているようなので、精神的なものかもしれない、様子を見るしかない、とのことだった。

 小学校に上がっても、空の周りはのっぺらぼうだらけだった。

 空は、保育園の間で身につけた人を見分ける(髪型やしゃべり方、服装から個人を推理する)能力を使い、クラスの人間の特徴と名前をなるべく覚える努力をした。口の動きだけはなんとなくわかるので、笑っている、怒っているといった感情はそこから読み取った。しかし仲の良い友達ができると、名前を間違えた時に不審に思われてしまい、自然と人との距離が離れていった。

 三年生の時、図工の時間で嫌な課題が出た。人の顔を描かなければならなくなったのだ。学校には空の親から事情を話していたはずだが、この図工教師には伝わっていないのだろうか?

 空は絶望的な気持ちになりながらも、画材を手に取り、描き始めた。周りが騒いでいるのは聞こえていた。空が描かなければならない相手は、女子に人気のある柴田ルイスだった。「かっこいい」と有名だったが、空はその顔を知らない。適当に顔を描いてしまおうかとも考えたが、それはそれで批判を受けるような気がしてできなかった。せめてもと、髪型や服装を重点的に細かく描いた。

 結果、やはり女子たちから叩かれた。男子も「ルイスが嫌いなんじゃね?」とか適当な憶測を柴田ルイス本人に吹き込んだりしていた。

 空は張り出された顔の数々を眺めた。紙に描かれた顔は認識できる。

 色々な顔があるんだな。

 自分の世界とは随分違う。


 柴田ルイスの顔をのっぺらぼうにしてしまった後、空は女子を中心に無視されるようになった。必要最低限で話してくれる子もいたが、基本はみんな空が「見えない」設定のようだった。その頃から、空は人と距離を置くことが最善と考えるようになった。できるだけ一人でいる。自分でなんでもできるようになる。

 休み時間に教室にいると、何かしらの悪口が聞こえてくるので図書室に行くようにした。元々本を読むのは好きだったのでちょうど良かった。

 図書委員になり、放課後も図書室で本の整理やラベル貼りの仕事をした。散らばっているものが整頓されていくのは気持ちが良かった。

 その日もいつものように図書室にいた。元の場所に返されなかった本たちを集め、図書準備室で分類別に仕分け、元の棚に戻していく。半分ほど作業が終わったところで手元にあった『鉱物の図鑑』が気になり、パラパラとめくってみた。石英、オパール、ラピスラズリ・・・、色々な色や形があって綺麗だなと思った。

 一人静かな時間を過ごしていると、前触れもなく準備室のドアが開いた。

 いつもは自分一人しかいない場所に突然人が現れたら、さすがの空でもびっくりする。

 忍び込んできた人物は、すぐに空の存在に気がづいた。短い亜麻色の髪、スポーツブランドのロゴが入ったトレーナー、小柄な空より十センチほど高い身長。おそらく柴田ルイスだ。

 廊下の方で数人の女子たちの話し声が聞こえる。ルイスを探しているようだ。そして当の本人はその子たちから逃げてきたというわけか。

 ルイスは沈黙に耐えきれなかったようで、空に当たり障りなく話しかけてきた。そういえば、小学校に入ってから、人とこんなに喋ったのは初めてかもしれない。ルイスの喋り方は、暖かな陽だまりのようで心地良かった。自分の目の色はトパーズに似ている、と言っていた。

 その目を見てみたいと思った。


 六年生になったとき、小中一貫教育の行事で学区内の中学校へ見学に行った。空はそこで気がついた。みんな同じ制服、髪の長い女子は後ろで一つ結び、男子の髪は耳と襟足にかからない程度の長さに切り揃えられていた。校則上は「中学生らしい清潔な髪型」となっているそうだ。

 みんな同じに見える。小学校の比ではない。この環境下ではとても生活できないと思った。

 空はその日に、制服がなく、校則があまり厳しくない学校に行きたいと両親に相談した。父も母も、空の気持ちを尊重してくれた。

 空が進学した中学校は、最寄り駅からスクールバスが出ていた。駅まで自転車で行けばあとはバスに乗れば三十分ほど着く。学校の周りは自然が豊かで静かな環境だった。一番近くのコンビニまで歩いて二十分はかかる。

 入学式の時は少し驚いた。百人ほどの新入生の半分くらいが黒髪ではなかった。茶色系が多かったが、中には金髪や赤髪の人もいた。ピアスをいくつもつけている人もいた。だからといって式が荒れることはなかった。不良、というより自己表現が個性的な人が多いのだろうと思った。

 入学してから一週間ほど経ったある日。昼食を学食で済ませ、次の授業までの時間をどこか暖かいところで過ごそうと日向を探した。グラウンドへと降りる階段が良さそうだったのでそこにする。

 目的の場所に行ってみると先客がいた。

 まず目に入ってきたのは、綺麗な青色の頭。肩につくかつかないかの長さで、根元の方が濃いブルーで、毛先七〜八センチほどはスカイブルーのような透明感のある薄い色のグラデーションカラーだった。

 その人物は階段に腰掛け、何か描いているようだった。折り曲げた脚がすらりと長く、スタイルの良さを物語っている。何を描いているのか気になり、背後からそっと近づいてみた。青頭の目線の先には、日向で昼寝中の猫がいた。

 猫を描いていた。それもとても上手い。茶トラのふわふわとした毛の手触りや、暖かな日差しすら感じるようだった。猫も描かれることに慣れているのか、一メートルほどの距離感の中、警戒する様子もなく気持ち良さそうにしている。青頭は空の気配に気づいているのかいないのか、特に気にする素振りもなく黙々と描いている。黙って見学するもの悪いかと思い、空はその人物に声をかけた。

「あの、見てもいいですか?」

 小さな声しか出なかったが、相手には聞こえたようだ。

「いいよ」

 青頭が振り向いて答えた。色白だが意外とハスキーな声だ。勝手に女性だと思っていたが、男性なのかもしれない。

「上手ですね」

 率直な意見を述べると、

「ありがと。でもまだまだだよ」

 そっけないが特に気分を害したふうでもない。これでまだまだだというのだから、意識の高い人だと感じる。青頭がまた描く作業に戻った。サッサッサッと右手が素早く動き、みるみるうちに猫が本物に近づいていく。

 どのくらいの時間眺めていたのだろう。時間を見ると十分ほど経過していた。

「見てて楽しい?」 

 ハスキーボイスが空に話しかけてきた。

「はい。私は絵が下手なので、すごいなって思います」

「新入生?」

「あ、はい」

「あたしは二年なんだ」

 女性だったようだ(一人称が女性的な男性もいるかもしれないが)。

 青頭が続ける。

「休み時間とか、あとたまに授業サボったりして、色んなところで絵を描いてるの。勉強嫌いでさ」

「いいですね、やりたいことがあって」

「まあ、楽しいよ」

 素敵だな、と思った。楽しいと言えることがあるのは少し羨ましかった。

 そろそろ次の授業が始まる時間だ。この学校には授業開始や終了のチャイムがないので、各自で確認して行動しなければならない。青頭さんはこの後もここにいるつもりなのだろうか。尋ねようとした時、校舎の方から声が聞こえた。

「おーい、アオちゃーん、時間だよー」

 青頭さんの友達が呼びに来てくれたようだ。

「へーい、今行くー」

 アオちゃん、と呼ばれた青頭さんは、のんびり返して散らばっていた荷物を無造作にバッグに詰め始めた。

「新入生、名前なんていうの?」

 アオさんは立ち上がるとかなりの長身だった。空より頭一つ分ほど高い。そしてやはり手足が長く、とてもスタイルが良かった。

「真白空です」

「へえ、いい名前だね。覚えやすい」

 そんなことを言われたのは初めてだった。

「あたしは蒼真琴っていうんだけど、」

 「青い」頭で「アオイ」さんとは、なんて覚えやすい。そのまま髪の色を変えないでほしい。蒼が続ける。

「今度君のこと描かせてくれない?」

 思ってもみない話だった。自分を描きたい?こんな私を?

 小さい頃から、自分の顔はうっすらなんとなくわかっていたが、のっぺりとしていて至って平凡な作りだ。芸術家の創作意欲をそそるような顔ではない。

「ダメかな?不細工には描かないよ」

 冗談めかして蒼が言う。不細工でもなんでもいい。これはもしかすると、自分の顔を客観的に見ることができるチャンスなのかもしれない。

「いいですよ」

 空が答えると、蒼が「やった!じゃまた今度ね」と言って去っていく。

 五メートルほど離れたところで、蒼が振り返った。

「あたしの絵、美術室に展示してあるから良かったら見てねー」

 大きく手を振り、今度こそ背を向けて校舎へと向かって行った。空も次の授業のために歩き始めた。

 放課後、美術室を訪れた。独特の絵の具の匂いと少し木の匂いがする。壁にはいくつもの絵が展示されていた。植物や風景の絵だったり、何か架空の世界を描いたものだったり、色々な世界観があって興味深かった。奥の方へ進むと、一面に自画像が展示された壁があった。作者の名前が右下に貼ってある。順番に見ていくと「一年 蒼真琴」と書かれた絵を見つけた。一年生の時の作品だった。

 ちょうど目の高さにあったそれを見て、空は胸の高鳴りを感じた。

 なんて綺麗なんだろう。

 自画像の中の蒼は、今より少し短い髪をしていた。青色のグラデーションカラーは変わらずで、鏡を見ながら描いたのか、正面から切れ長の瞳で空を見つめているような錯覚を覚えた。鼻筋が通っていて、薄めの唇がキュッと引き結ばれている。やはり声の印象通り、とても中性的な容姿だった。

 ふと思った。この人に自分を描いてもらえる時になったら話してみようか。自分の周りに存在する、のっぺらぼうのことを。



 週明けに再びあの階段に行ってみたが、蒼はいなかった。連絡先を聞いておけば良かったか、少し後悔したが仕方がないと諦めた。一学年三クラス、全校で約三〇〇人なので何かの折に会えるだろう。しかも青い髪の人は他に見かけたことがない。

 金曜日、美術の授業があった。なんとなく、また美術室に行けることが嬉しかった。少し早めに教室に向かうと、前の授業の人たちがぞろぞろと出てくるところだった。その中に、あの青い頭が見えた。

相手の方もこちらに気がついて、

「あー、真白空さんだ」

 と声をかけてくれた。

 こんにちは、と挨拶すると手を軽く上げて、

「今日の昼休み暇?」

 と聞いてきた。

「大丈夫です」

「じゃ、この間の階段で待ってるよ」

 じゃあね、と手を振ってすれ違って行った。今日の昼食は購買でパンを買うことに決めた。

 昼休み、少し急いで階段に向かうと、蒼はすでに座ってまた絵を描いていた。猫がいるのだろうか、と周囲を見てみたが見当たらない。今回は別のものを描いているようだ。

「こんにちは」

 声をかけると、蒼は振り向いて軽く手を挙げた。口には一〇秒で栄養が取れるゼリー飲料を咥えていた。あっという間に飲み干すと、パッケージをクシャッと潰してコンビニの袋にポイと入れた。同じ袋から今度はアーモンドチョコレートのお菓子を取り出すと、

「食べる?」

 と空に差し出してきた。とりあえず一つ貰った。

 空は隣に座り、パンを食べ始めた。その間も蒼はチョコレートをつまみながら絵を描いている。今回は、階段から眼下に見えるグラウンドの風景画だった。トラックの周りを囲むように植えてある桜並木は、風が吹くたびに花を散らしている。その散る様を描いていた。着彩されていく桜吹雪とグラウンドの緑が美しかった。

 真白の食事が終わった頃を見計らっていたように、蒼が口を開いた。

「描いていい?」

 空はお茶を一口飲み、ハンカチで口を拭った。

「はい、お願いします」

 かしこまって言うと、「お願いしたのはこっちだよ」と蒼が笑った。

 蒼はスケッチブックをめくって新しいページを開くと、鉛筆でサッとあたりをつけ、顔の輪郭、髪の毛と迷いなく形作っていく。手の動きが早いな、と感心して眺めていると、「ちょっと前向いてくれる?」と注文がきた。言われた通りに顔を上げる。目線をどこにすればいいのか迷ったが、蒼の前髪の生え際あたりを見ることにした。

 ふと、小学校三年生の図工の時間を思い出した。相手をのっぺらぼうにしてしまった事ばかり後悔していたが、あの時、柴田ルイスは自分をどんな風に描いていたのだろう。

 モデルをしている最中に喋っていいものか一瞬迷ったが、今言いたいと思い口にした。

「私、人の顔がわからないんです」

「ん?どういう事?」

 蒼は手を止めずに問いかけた。空は家族以外に初めて告白する緊張で、手先が冷たくなるのを感じた。変に思われただろうか。

「人の顔が、のっぺらぼうみたいに見えるんです」

 そこで蒼は手を止めた。

「のっぺらぼう?顔がないおばけのこと?」

「はい」

「マジで?」

「はい」

 驚いている様子ではあるが、真剣に聞いてくれている空気が伝わってくる。

「あたしの顔もそう見えてるの?」

「はい。口が動いているのはなんとなくわかります」

「へえ、それは・・・」

 蒼は思案するように間を置くと、静かに言った。

「大変だね」

 またスケッチブックに鉛筆を滑らせ始める。スケッチブックの上の顔がだんだん見えてきた。

「どうやって見分けてるの?」

 手は止めずに問いかけてきた。

「声とか、髪型とか、体型とか、服装とかで、ですかね・・・」

「へえ、すごいね。記憶力がいいのかなあ」

 褒められるとは思わなかったので驚いた。蒼は好奇心に火がついたようで、「自分の顔はわかるの?」「家族は?」「写真は?」「動物は?」と次々に聞いてきた。自分と家族はなんとなくわかる、写真は顔だけピンボケのように見える、動物はわかる、と答えると、今度は「どんな動物が好き?」と聞かれたので「猫」と答えた。「あたしも猫好き」と蒼が笑った。

「できたよ」

 時間にして約二十分くらいだろうか。蒼がスケッチブックをひっくり返して見せてくれる。鉛筆で描かれた自分は、少しはにかむように笑っていた。

「結構よく描けたと思うんだ。真白空さんはこんな顔をしています」

 蒼がおどけたように言う。空は目頭が熱くなるのを抑えられなかった。目に水分の膜ができて、瞬き一つでポロリと頰を流れ落ちてしまう。

「・・・私、笑えていますか?」

 水滴をぬぐいながら言うと、

「とっても可愛く笑えてるよ」

 と優しく答えてくれる。「あ、でも」と蒼が続けた。

「前髪はもう少し短い方がいいね」

 今度切ってあげる、と指でチョキチョキと鋏の真似をした。

 


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