のっぺらぼうの恋2
◆話しかけるのは今
「うちの学年って可愛い子多いよなー」
部活の休憩中に唐突に将希が話しかけてきた。ルイスと将希は小学校からバスケ部に入っていたので、中学校でも迷わずバスケ部に入部した。体育館を半分に分け、ステージ側を男子バスケ部、出入り口側を女子バスケ部が使用している。ちょうど女子の方も休憩に入ったようで、各々汗を拭ったり水分補給をしたりしている。
「ルイルイはさ、いいなって思う子いねえの?」
なんだ、その「ルイルイ」ってのは。変に流行ったらどうするんだ、やめてくれ。
中学に入ってから一ヶ月が経過し、これまでに告白されること5回。今の所「部活と勉強に集中したいから」という理由(嘘はついていない)で全て断っている。そのたびに「可愛い子だったのに」と、なぜか将希が残念そうに言うのだ。
そしてそういう話題を衆人環視の中で振らないでほしい。そこらじゅうで聞き耳を立てられており、固有名詞を言おうものなら明日には学校中の噂になってしまう。
「突然だな。なんで?」
当たり障りなく応答する。
「オレさ、ちょっといいなって思ってる子いるんだけど、ルイルイとかぶったら嫌だなと」
絶対勝ち目ないもん。
将希は隣のルイスをちらりと見上げる。現在はルイスの方が十センチほど背が高い。もしかすると、夏が終わる頃には差が開いているかもしれない。父も母も長身な上、ルイスは日々成長痛に悩まされている。
「へえ、誰?」
さほど興味はないが、そこまで聞いておいて無言なのも失礼かと思い、尋ねてみる。
将希はうっすら頰を赤らめ、周囲に聞こえないように小さな声でボソリと言った。
「・・・麻生」
麻生由香。同じクラスで女子バスケ部、今現在は首にタオル掛けながらチームメイトと談笑している。ルイスたちの視線を気にしているのか、チラチラこっちを見ている、ような気がする。
将希の好きになるタイプがだいぶ見えてきた。小学校の頃も、好きになるのは同じクラスでちょっと気の強いハツラツとした感じの子が多かった。そして大体がルイスに気があり、よく一緒にいる将希をダシに話しかけてきた。
将希はいい奴だ。女子に見る目がないんだな。麻生に男を見る目があることを願う。そしてあらぬ心配をしている友に、
「中学で誰かと付き合う気はないよ」
ルイスは本心からそう言った。ここ大事。聞き耳立ててる奴ら、みんな聞いたか?
「マジで?」
将希が目を丸くして問う。そんなに驚くことだろうか。
「マジで」
「本当にいないの?」
「いないよ」
将希は「ほえー」とよくわからないため息(?)をついてスポドリをごくごく飲んだ。
その日の帰り、部活自転車置き場でばったり麻生に会った。噂をすれば、だ。
将希は持ち前のコミュニケーション能力を発揮し、
「麻生、お疲れー」
と声をかけた。麻生はちらりとルイスを見てから将希に向き直り、
「本当にお疲れだよー。でも明日は休みで嬉しい」
と笑った。男バスも女バスも水曜日は休みなのだ。
「部活が休みの時って何してんの?」
将希がさりげなく聞く。
「うーん、友達と遊んだり、家でぼーっとしたり?あと勉強もたまにするよ」
「へえー。オレはゲームばっかだなー」
将希が自嘲気味に笑うと、麻生が「そうなんだー」と適当に答えている。あまりゲームに興味はないらしい。
「柴田くんは休みの日何してるの?」
突然話しかけられ、内心たじろぐ。ルイスは将希と違いコミュ障なのだ。周囲には「ヘラヘラしなくてクールだ」とか誤解されているが。
「・・・おれも、まあ、ゲームとか、かな」
「へえ!どんなゲームするの?」
将希の時と反応が違うじゃないか!
適当に答えたから次が出てこない。
「ルイスは落ちゲーとか好きだよな!」
将希が助け舟を出してくれる。お前、本当にいい奴だな!
ルイスが内心感動していると、麻生がまた「そうなんだー」と言いながら笑顔を向けてきた。結構自分に自信があるタイプと見た。将希、頑張れよ!
出身小学校が違う麻生とは帰る方向が異なるので、すぐに別れた。ルイスはさっきのやりとりで思っていたことを口にした。
「将希、お前すごいな」
「は?何が」
将希が心底わからないという顔をする。
「気になる相手にさ、よく気安く話しかけられるな」
もし自分だったら・・・。考えただけで無理だ。そんな相手いないけれど。
「だってさ、自分から行かないと気にかけてもらえねえじゃん。話しかけられるチャンスがあったら行くよ、そりゃ」
みんながお前みたいに一目見てすぐ覚えてもらえるわけじゃないんだぞ、イケメンが!
将希が笑った。
あっという間に中学最初の定期考査がやってきて、ルイスは撃沈していた。勉強は元々得意ではないが、これはひどい。天はルイスに三物は与えてくれなかった。因みに、二物は容姿と運動能力だ。
この見た目で英語ができないなんて、と教師からは驚かれた。ルイスの母親はフランス人だが日本語が堪能で、家でも日本語で話している。ただ、将来のことを考え、ルイスは母から英語とフランス語を教えてもらっていた。どちらも簡単な日常会話ならできる程度のレベルだ。しかしテストとなるとまるで別物だった。「これ何語?」と言いたくなる。
テストの結果を受け、早速親が塾を探してきた。今回特にひどかった数学の講義を水曜日に入れることにした。その甲斐あってか、夏休み前の定期考査では、数学だけは平均点に届いた。
いよいよ明日から夏休みという日、ルイスは三人の女子から呼び出しを受けていた。二人は将希経由、残りの一人は古風にも靴箱の中に手紙が入っていた。
将希経由の二人は同じクラスの女子で、友達同士のようだった。呼び出し場所も時間も同じ体育館裏の倉庫前(過去に何度か呼び出されたことがある。人気がないので告白といえばここ、みたいな場所だ)で、指定通りに行ってみると、「どっちが選ばれても恨みっこなしね」みたいな空気感が漂っている。どっちも選ばないが。
いつものように部活と勉強を理由に断ると、片方が泣き始めた。目の前で女の子に泣かれて、なんとも思わないほど鬼ではないが、想いには応えられないので仕方がない。「ごめんなさい」ともう一度丁寧に頭を下げ、その場を去った。
古風な手紙の子は、学校の通学路から少し外れた公園を指定してきた。間違っても人には見られたくない、という気持ちが現れている。今日が水曜日なのも計算のうちなのかもしれない。
名前に心当たりはなかったが、実際に会っても知らない顔だった。話を聞くと二年生だった。もし運動部なら、体育館や校庭で見かけたことがあるかもと思ったが、相手は運動部でもないと言った。今まで自分に告白してくるタイプは、どちらかというと自分に自信のある、クラスでも中心的な存在の子が多かったが、この先輩は少し違った。大人しめな印象で、終始俯きながら、ルイスのことを知った経緯や想いを語り、最後に小さな声で「好きです」と言った。いつものように「ごめんなさい」と言うと、小さな肩をピクッと震わせた後、「話を聞いてくれてありがとう」とお礼を言われた。
先輩の小さな背中を見送った時、ふと真白のことを思い出した。
塾が終わると辺りはすっかり暗くなっていた。塾の自転車置き場はキャパシティが小さく、特に水曜日は利用者が多いのでまず停められない。ルイスは少し遠いが駅の駐輪場に停めていた。
自分の自転車はどこかと見渡すと、自転車を取り出そうと四苦八苦している女の子がいた。この自転車置き場には昼間は係のおじさんがいて、自転車をより多く停めるために詰め詰めに寄せてしまうので、帰る際に取り出しにくくなっている時がよくあるのだ。
よく見れば、隣で引っかかっている自転車が自分のだった。
「すみません、それおれの自転車なんで手伝います」
慌てて助けに入る。自分の自転車を極限まで反対側に寄せ、女の子の自転車が取り出しやすいようにする。ガシャガシャと自転車同士が擦れる音がしたが、壊れるほどではない。ほどなくして二人とも自転車救出に成功した。そこで初めて相手の顔を見て、ルイスは固まった。昼間思い出したばかりの人物だった。
「・・・真白?」
猫柄の白いTシャツに細身のデニム、背中にはやや大きめのリュックを背負った真白空だった。最後に見た卒業式の時より前髪が短くなっていて、顔がはっきり見えた。
辺りが暗いせいか、真白にはルイスが誰だかわからないようだった。
「おれ、柴田だよ。小学校の時同じクラスだった柴田ルイス」
しかも将希と同じで、実は六年間ずっと同じクラスだったんだ。
真白は一瞬思案顔になり、
「ああ、トパーズの・・・」
と小さく言った。
うわっ。そんな覚えられ方か。あれはおれの黒歴史なんだ。
真白が自転車に乗って「じゃあ」と帰ろうとする。このまま別れるのはなんだか嫌だった。この先ずっと「トパーズの人」と思われたくない。
----話しかけられるチャンスがあったら行くよ。そりゃ。
将希の声が聞こえた。
「真白! 遅いし、送って行くよ」
とっさに出た言葉だったが、そもそもなんでこんな時間にこんなところに真白がいるのか気になった。真白が「大丈夫」と言おうとしたのがわかったが、ルイスはさっさと隣に並んで自転車を押し始めた。
「どうせ同じ方角だし、行こう」
必死さが隠しきれているといいけど。
真白は特に不審に思う素振りもなく、ルイスと同じように自転車を引きながら隣をゆっくりと歩いていた。
ルイスは自分でも不思議なほど積極的に話しかけた。
「ずいぶん遅いね。いつもこんなに遅いの?塾?」
「学校の帰り。今日はたまたま遅くなっただけ」
「へえ。学校私服なの?」
「うん。うちの学校制服ないの」
「そうなんだ。楽しい?」
真白は少し黙った。あまりいい話題ではなかったか?
「楽しい。いろんな人がいて」
ルイスの心配をよそに、真白はふんわり笑った。
笑った!初めて見たかも。
ルイスはなんだか嬉しくなって、最近の自分のこと、特に勉強がやばくて塾に通わされ、この時間まで勉強していたことを話した。
「真白はさ、勉強好き? おれは超嫌い・・・。塾も本当は嫌なんだよな」
思わずぼやいてしまった。
真白はとにかく頭が良かった。元々地頭が良いのかもしれないが、余った時間を全て読書や勉強につぎ込んでいるような、常に知識を詰め込んでいるような、しかもそれを好きでやっているようにルイスは感じていた。
真白は少し考えてから答えた。
「勉強が好きっていうか、考えることが好き。それでわからないことを調べるのが好き」
「へえ」
そうなんだ、知らなかった。
「あとは?どんなことが好き?」
なんだか次から次へと質問が湧いてくる。
「・・・漫才とか」
漫才!?意外すぎる。
「お笑いが好きなの?なんで?」
「・・・音声を聞いてるだけで面白いから」
これまた意外な楽しみ方だ。
もっともっと話を聞いていたかったが、そろそろ自宅のそばだと真白が教えてくれた。
どうしよう。このまま別れたら、またいつ会えるかわからない。家の場所はわかったけど、自分の性格では、まず用もないのに訪ねたりはしない。そして、学校も違う、ただの元クラスメイトに用ができることも、今後多分ない。
その時、自分のスマホがメッセージの受信を知らせた。「今どこ?」という親からのメッセージだった。いつも塾が終わってすぐにメッセージを送っているが、今日はそれを忘れてしまった。慌てて「もうすぐ帰る」と返したとき、ふと天啓が降りてきた。これだ!
「真白、ラインやってる? 良かったら交換しない?」
真白は突然の話題でちょっと驚いていたが、大きなリュックの中からノートサイズの薄い端末を取り出した。
「そんなデカいの持ち歩いてるの?」
「学校で使うの」
聞くと、授業でも使うし、学校からのお知らせや連絡網、出欠とかもこの端末で行うとのことだった。なるほど。真白の通う学校はかなり先進的なようだ。
ところでラインの交換ってどうやるんだっけ?
ルイスはかなりテンパっていた。「友だち」の数が多くないルイスは、将希と交換した時のことを思い出していた。確か・・・。
「はい」
真白が自分のQRコードを表示させて待っている。そうだ、こうしてああすれば・・・。
無事に連絡先交換が完了した。真白の表示名は「ましろ」となっていてアイコンはなしだった。一応テストでメッセージを送る。ありきたりだが「柴田です。よろしく」と送った。目の前の真白がすぐに「真白です。よろしくお願いします」と送り返してきた。因みにルイスのアイコンもなしなので、なんとも素っ気ない画面だったが、ルイスの心は満ち足りていた。調子に乗ってもう一通「困った時は勉強を教えてください」と送ると、「私でよければ」と控えめなメッセージとともに、ブサイクな猫がサムズアップしているスタンプが送られてきた。スタンプとか使うんだ。しかもこんなブサイクな・・・。
「あははっ」
思わず笑ってしまった。
そろそろ本当に遅くなってしまうので、「じゃあ」と言って帰ろうとすると、今度は真白が「・・・柴田くん」とルイスを呼び止めた。
少し緊張した面持ちをした真白に、なんだろうと思って次の言葉を待っていると、意外な内容の話だった。
「・・・小学校のとき、変な絵描いてごめんね」
あの「のっぺらぼう」のことだとすぐにわかった。小三の時だ。もう四年も前のことだ。ずっと気にしていたのだろうか。そう思うと胸が痛かった。しかもあのことで嫌な思いをしたのはむしろ真白の方だ。
自分は気にしていない、そう伝えたかった。
「全然いいよ、気にしてないし。むしろ気に入ってた服の柄まで細かく描いてくれて嬉しかったし」
正真正銘の本心だ。
真白はルイスの言葉を聞いて一瞬息を詰まらせると、意外と大きくて黒い瞳を少し潤ませて、
「ありがとう」
と言った。
真白とは、それからちょくちょくメッセージを送り合うようになった(もちろん勉強も教えてもらっている)。「ただの元クラスメート」から「ライン友達」には昇格できたと思う。
ルイスは心の中で、将希を「師匠」と呼ぶことにした。