新たなる、赤・改 1
初めに、土下座があった。一日目の事である。
突然のことだが、この国にも土下座文化が存在する。日本と同じく、最大限の謝罪の意を表す行動だ。
それは2学期が始まった1日目の早朝、始業式もまだと言う時間だった。
夏休みを共に過ごした3人と女子寮で落ちあい、共に教室へと入った直後のこと。俺が椅子に腰かける時間すら惜しいと、レオニス・フォン・ガーヒリテアに土下座をされていた。
レオニスは俺の婚約者、第一王子であるリギア・リントヴルムの取り巻きの一人だ。王国の騎士団長、ガーヒリテア侯爵を父に持つ侯爵子息であり、この世界の元となった乙女ゲーム『騎乗士の胸で抱きしめて』における攻略対象の一人である。
そして、そんなレオニスが俺こと原作ゲームにおける悪役令嬢、マリア・フォン・ゴルディナーに何故土下座をしているのか、思い当たる理由が全く見つからなかった。
「あの、レオニス様、お顔を上げていただけませんか? わたくし、そのようなことをされる理由が全く思い当たらないのですけれど」
「スマン! 家の、親父の協力が得られなかった!!」
はぁ。
協力、協力……?
……何の?
《補足:量産試作機の開発の件ではありませんか? 各家からも技術者を集め、技術発達に協力すると約束させたでしょう》
……あ。あーあー。あった、あったねそんなこと。
夏休みが楽しすぎて忘れてたわ。
《感想:かなり重要なことなのに忘れないでください》
俺の頭の中で会話してきているこいつはドライコイン。俺の故郷、地球で契約させられた妙な人型ロボットのAIだ。
謎の遺跡で強制的に契約させられたロボット! と聞けば、地球を守るための戦闘マシーンだと誰もが思うだろう。俺だってそう思う。ところがだ、ドライコインはこの世界の戦闘ロボット、騎乗士よりも圧倒的に弱いのである。
俺の頭の中でサポートすることしか出来ることがなくなった、哀れな奴だった。
……よく考えると、こいつよりも俺が作った乙女ゲーの悪役令嬢に転生した俺の方が可哀そうなのでは?
―――いえ、常識的に考えて一番の被害者は、貴方に肉体を奪われたわたくしですわよ。
そして俺の頭の中で話しかけてきたもう1人が、俺の操る肉体の本来の持主、マリア悪役令嬢ご本人の魂だ。何故か消滅することもなく、俺の魂と融合することもなく、頭の中で生き残って会話できる状態になっている。
ともあれマリアが一番不幸というのは一番あり得ない。本来ならば必ずリギアに婚約破棄をされる運命であったのが、俺の介入によって逆に再度の婚約を申請され、夏休みにはリギアに、マリアの両親との挨拶までも交わさせることが出来た。マリアが最も幸運を享受していると思う。
ともあれ、今はそんなことはどうだっていいんだ。重要なことじゃない。
「お顔をお上げください、レオニス様。家の事情もありますし、そのことは可能であれば、という内容だったはずです」
「いや、それだけじゃない。というかもっと悪いことが起きてるらしい」
と、レオニスは頭を上げずに言葉を返した。
「その、親父が公爵家出の技術なんて使えるか、って言いだして、俺の家と、王国騎士団での技術使用は全面禁止になっちまって」
さもありなん。レオニスの父親、ガーヒリテア侯爵は大の公爵嫌いで有名だ。
正しくは、ガーヒリテア家は陞爵、つまり爵位を上げて公爵になるのを長年の悲願としており、それが転じて現公爵家に対し、強烈な反感を抱いてしまっているのだ。
なので、騎士団長がそうするだろうことは予想が出来ていた。
「そしたら王宮の連中が、実は親父とマリア様は裏で手を組んでいて、親父が騎士団を強化させないのは、クーデターの時に障害になるからって噂を広め始めちまって」
……まるで意味が分からない。
「あの、クーデターも何も、わたくし、当の王族と婚約しておりますわよ?」
このまま何も問題を起こさなければ、王族入りは安泰だ。
「そうなんだけど、殿下との不仲も前々から噂されていたらしくて、燃える材料になってるんだと思う……ってヴァイトから聞いた」
ヴァイトというのはレオニスと同じく、原作ゲームにおける攻略対象の一人だ。王国宰相であるイーリッヒ侯爵子息であり、やはり俺の婚約者、リギアの取り巻きの一人である。
《補足:恐らく、情報を一部隠蔽しておりますね。クーデターを行う場合、マリアの新たな婚約者が誰になるのかを考えれば、それはレオニス・フォン・ガーヒリテア以外にいません。ヴァイト・フォン・イーリッヒは恐らく彼にわざと伝えなかったのでしょうが》
レオニスは隠し事が出来るようなキャラじゃないからなぁ。
「……そのヴァイト様のお姿が見えませんが」
「あいつは今、王宮で宰相サマと一緒になって噂の否定に走り回ってる」
「……まぁ、既に対処なされておられるようですし、人の目も気になりますので、そろそろ立ってくださいませんこと?」
「スマン、マリア様!」
「いいから。許しますからお立ちになって!」
許しを得られたレオニスは謝礼の言葉を上げながらようやく顔を上げ、
「あり―――ガッ!」
顔が上がる直前に、知らぬ間に俺の隣にいたリギアがその顔を蹴り飛ばし、レオニスは背中からひっくり返った。
「えっ、あの、リギア様……?」
「おはよう、マリア。……レオニス、そんな場所で顔を上げるな。マリアの下着を覗く気か?」
ちょっと引いた。婚約者の下着を見せないためだけに友人の顔面を蹴るか普通?
―――八つ当たりも入っていると思いますわ。婚約者を簒奪される話が自分の家で噂になっていると知れば、それも、噂の簒奪者が目の前にいるとなれば腹を立てずにはいられないでしょう。
レオニスは仰向けのままで片手を上げ、「あーうん、今のはオレがわりーわ……」と鼻声で言葉を返す。
「すまない。大丈夫だったか」
「ヘーキヘーキ。親父のシゴキの方が100倍きちーわ」
そう言いながらリギアが伸ばした手を取り、残りの手で鼻血を抑えながらレオニスは立ち上がった。
ええ……、なんでこいつら顔面を蹴って蹴られてそんな仲良くしてんの……?
俺の知る少女漫画とかだと、確かにこういう場面はあったりするけど。というかこの程度ならまだ序の口だし。
けどこれ、漫画ではなくリアルで見たら、ちょっとを通り越して普通にドン引きものだよ?
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早朝から流血沙汰に遭遇してしまったが、気を取り直して2学期で発生する1回目の戦闘イベントについて説明しようと思う。
正確に表現するなら、2学期で発生するはずだった、だ。
《感想:夏休みの件もありますし、話半分に聞いておくことにします》
いや今回は大丈夫だって! ていうか夏休みの戦闘イベントはノーカン! ノーカンだから!
えー、本来であれば、ゲーム主人公の思いついた騎乗士の改造プランを、攻略対象達は夏休みを使って研究し、その成果をお披露目することになる。
ちなみにこの時、対戦相手に選ばれるのはリギアの親衛隊たちだ。学園の訓練機相手では、1学期の時点で相手にならなくなっている。なので相手も相当に強くなければ確認のしようがないので。
そして、改造プランが施された騎乗士たちで、第一王子の親衛隊という強敵相手にすら勝利をおさめ、ゲーム主人公のアイディアがどれだけ有用かを国中に知らしめることになる、という内容だった。
もちろん、この世界ではそんなイベントは発生しない。
ゲーム主人公に当たるアリス・アレスは騎乗士の改造に熱を上げておらず、そもそも王子一派ではなく悪役令嬢たる俺、マリア一派の一員となっている。さらには、
「それで、進捗はどうなっておりますの?」
「オレの見立てだと、一年以内ってところかなぁ。」
と、まぁ、この通りだ。
来年に完成するというのに、これからお披露目もなにもあるまい。
というわけで、しばらくは戦闘イベントが発生しない。
そして、件の量産試作機の開発だが、これにもデッドラインが存在する。2年時1回目の戦闘イベントまでだ。
時期は9月末。発生するのは修学旅行の帰り道。隣国であるグリプス王国に、俺たちが襲撃される。
だから、それまでに完成させておく必要がある。というか完成していないと攻略対象たちの機体が無い状態なので、大変厳しい状態で戦うことになってしまう。
ま、それまでに準備はできそうだし、これ以上は心配しなくてよさそうだ。
―――あの、決闘の時に使っていた騎乗士がありますわよね? いざとなればアレを使われては?
新技術のフィードバックが入っていないだろう。というか修理されているかも怪しい。それにあの性能では、人の形をした棺桶と言われても仕方がない状態だ。
ついでに、いろいろな事情で攻略対象たちを死なせるわけにはいかないから使わせるわけにもいかないだろう。
《感想:ニオス・マリウスを殺そうと画策していたマスターと同一人物とは思えませんね》
ニオスの実態は、マリウス教とリギアの橋渡し役でしかないからな。言っちゃ悪いが、ニオスだけはいくらでも変わりが効く人材だ。死んでも新しくマリウス教から別のやつが転入してくるだろう。
「マリア様、ゴルディナー家の技師から協力していただくわけにはいかないのですか?」
レオニスの後に言葉を続けたのは、グレイ・フォン・アトライア。リギアの乳兄弟で、やはりリギアの取り巻きの1人で、やはり攻略対象の1人だ。
「こちらもまだ作るものがありますからね。しばらく手は空きませんわ」
「では、マリアが設計に加わるのはどうだ? 薔薇獅子も、それに使われた技術も、全てマリアの発案だと技術者たちから聞いたぞ」
「わたくしもそれは考えたのですが、どうしてもわたくしが扱える、という基準で考えてしまいますわ。多種多様な方が扱うことが前提となる、量産機の開発には向かないでしょう」
それに、俺は俺で別の機体の設計を進めているからなぁ。
《感想:難航しておりますがね》
―――夏休み、ずっと遊んでおりましたわよね。
はいそこ、うるさいよ。
ちょっと詰まってるってのと、必要になるのがまだまだ先だってことと、現場の開発スケジュールもしばらくは空かないから優先度が低かっただけだ。
「……それだと確かに、マリアは口を挟まないほうがいいな」
「つかオレら、学園に来てる場合?」
レオニスの言葉に、首を横に振ることで答えとする。
「今は平和ですし、周辺国が怪しい動きをしている様子も見られておりませんわ。焦らず着実に進めていきましょう」
「あのぅ、ゴルディナー様。お話し中にすみません」
一段落ついたと思ったのだろう。後ろで俺たちの話を聞いていたアリスが、俺の袖をちょいちょいと引っ張ってきた。
「あら、なんですの。何か分からないことでもあったのかしら?」
「はい。疑問に思ったんですけど、平和なら、騎乗士の開発を進める必要はないんじゃないんですか?」
「ああ、なるほど。確かに平民の感覚だと、そう思ってしまうのも詮無いことですわね。……ところで、アレスさん。『平和』という言葉を、別の言い方でどう表すか、ご存じかしら?」
アリスは少しばかり考える。平和、のどか、ハッピー……と、平和から連想しているのだろう。思いつく候補が口から洩れるが、どれも俺の質問の意図に即していないと分かったのだろう。しばらく唸った後に、「分からないです……」と答えた。
その言葉に頷き、答えを返す。『平和』の別表現。それは、
「『戦争の準備期間』、ですわ」
●
2学期と言えば、学園行事が目白押しの忙しいイメージがある。
まずは運動会、お洒落な言い方だと体育祭なんて言うらしいが。
そして文化祭。俺の故郷では、学校ごとに文化祭に、固有名詞を付けていることも多い。
さらには修学旅行と続き、加えて2回の考査、つまり中間テストと期末テストだ。
ついでに、一部の生徒には生徒会選挙とその引き継ぎもある。
約4ヶ月の間に、5回、あるいは6回ものイベントが予定されていることになる。学生、忙しすぎない?
《補足:当機のライブラリによれば、体育祭は1学期に行う学校もあるとのことです。2学期のスケジュール緩和と、新しい学級でのオリエンテーリングを兼用しているのでしょうね》
ほぉーん、そういうところもあるんだな。俺の母校や周辺校は、どれも9月か10月に運動会だったから知らなかったわ。
話を戻そう。残念ながら、この王立リントヴルム貴族学園には文化祭がない。
いや、当初のプロットでは文化祭が行われる予定ではあった。あったんだが……。
シナリオライターの「いや、貴族だけの文化祭って何やんの?」という一言に、誰からも妙案が出なかったのである。
加えて、「貴族がガチで文化祭やったら普通に権力の代理戦争になるのでは? 平民の主人公じゃ何も出来なくない?」とも言われてしまい、会議の結果、文化祭が無くなった。
一応、設定資料集の方には「昔は文化祭が存在したのだが、敵対貴族間による暗殺や毒殺が横行したため、以降は全面禁止となった」とだけ書かれている。
文化祭の話、終わり。
あ、あと生徒会選挙なんてものもない。というか生徒会自体が存在しない。
王立、つまり王族の権力を知らせるために存在する学園なのに、学園内限定とはいえ、王族以外に権力を持たせる意味があるだろうか。いや、ない。
というわけで、この学園の場合、2学期の行事は4つだけに絞られる。
修学旅行と、運動会と、2回のテスト。
―――終業式の後、クリスマスパーティが行われますわよ。
あ、それは忘れてた。じゃあ5回か。
ともあれ、直近のイベントについて言及することにしようと思う。
つまり、
「修学旅行のお話をいたしましょう」
「また急、というわけでもないか」
俺の話題変更に、リギアが乗ってくれる。
「ええ、今月末ですもの。移動先を決めて、書類を提出しなければなりませんわ」
「移動先って、どういうことですか?」
アリスからの質問に、
「修学旅行では、3つの選択肢から1つを選んで、そこに行くことになりますわ」
「参加者が多いと、申請順優先になりますの」
「学年が上がっても、選択肢の変更はありませんので、3年間で全部を回ることが出来ますよ」
と、俺、リリーナ、カタリナが順に情報を補足していった。
残念ながら、3年生の時には戦争の真っ最中だ。なので最後に残していたものは参加できないという罠があったりする。
だけど、ここはゲーム世界ではなく現実だ。行けなかった最後の一つは、戦争が終わった後にでも、卒業旅行としてゆっくりと向かうことにしようと心の中でスケジュールに入れておく。
「1つはミーン大聖堂。もう1つはモンナクイン。モンナクインは修学旅行の時期、ビール祭りの開催中にお邪魔することになりますわね。最後はクティンミーナ。ここではオーケストラが楽しめますわ」
そして周囲を見渡し、
「皆さまは、何かご希望があられますかしら?」
と聞いてみる。が、貴族の連中は皆、口をそろえて「どこも行ったことがある」と首を横に振った。
「というわけでアレスさん。どこに行きたいか希望がありますかしら?」
「……あれ? これ、あたしが決める流れですか!?」
「わたくしはそれで構いませんわ」
俺がそう言えば、他の皆も首肯したり、同意見で追従してくれる。
ちなみにだが、原作ゲームでも修学旅行の行先を決めるのは主人公だ。それも大体同じような流れで。
「あの、ニオスさんがまだ登園していませんけど。それにヴァイト様も」
「2人のことは気にしなくていい。それに申請は早めに出したほうがいいしな。さっきクリスタリア侯爵令嬢も言っていた通り、これは早い者勝ちだ」
「それで、何かご希望はありますかしら?」
「……うーん」
アリスは少しだけ考え、
「最初の、ミーン大聖堂でしょうか」
と答えた。
「理由を聞いても?」
「あ、はい。それは全然大丈夫です。と言っても消去法なんですけど。あたしたち、ビールはまだ飲めませんので二つ目は除外。最後のオーケストラは、楽しめるような教養があたしにはまだないと思うので、後回しにしたいんです」
「なので、残る一つ、というわけですわね。分かりましたわ。それでは皆様、修学旅行はミーン大聖堂に行くということでよろしいかしら?」
念のために確認を取ったが、誰からも異論は出なかった。




