大地の息吹
「だ、大地が揺れている!」
深夜、ノルトキルヒェン城を含めたアルテンシュタット領内の北部一帯で巨大な地震が発生した。
「『大地の獣』が怒っているのか!」
「この世の終わりが来るのか?」
「ああ、神様!」
寝静まったところを襲った急な揺れにノルトキルヒェンの城内や近隣の村々では領民や兵士たちが大混乱に陥っていた。木造の家の多くが倒壊し、石造りの建物も所々崩れており、逃げ遅れた者の多くが下敷きになっている。
建物の外に飛び出した者も、暗闇の中、地面に散乱した瓦礫に足を取られたり、屋根から落ちてくる瓦礫で怪我をしていく。
激しい揺れが断続的に続く中、薄い夜着に膝まである長い上衣を羽織った姿でヒルデガルトが居室から飛び出してきた。
「子爵閣下、お怪我はごさいませんか?」部屋の外に控えていた護衛のフィーネがヒルデガルトに駆け寄ってくる。
「私は大丈夫です。フィーネは怪我はありませんか?」
「はい、武神のご加護で無事です。ただ、地震の影響で灯りが消え、城内が混乱しております。」
「城内でさえ混乱しているのでしたら、周辺の村々の混乱はいかほどでしょう。守備隊長のロルフ様を呼んでくださいませ。」
「かしこまりました。」
フィーネは軽く頭を下げ、暗闇の中で怒号が飛び交う城内へと駆けていった。
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「お召しにより参上しました。」ロルフはヒルデガルトの前に膝を突き、頭を下げる。
「ロルフ隊長、城内の倉庫を開けて、蓄えている食料や治療のための霊薬、それから暗闇で混乱していますから明かりを灯す魔道具を周辺の村々に供出してください。城内の兵たちも各村に派遣して、被災者の救出に当たらせてください。急ぎ領民の救出をお願いします。」
普段のおっとりとした雰囲気よりも幾分緊張した口調で命じるヒルデガルトの言葉にロルフが顔を上げた。
「子爵閣下、お言葉ですが、全ての物資を供出し、兵も出払ってしまいますと不測の事態に備えられません。」
「ロルフ隊長のおっしゃる不測の事態とは何を指すのですか。この大地震こそが不測の事態です。今出さずにいつ出すと言うのですか!」
ヒルデガルトの瞳の鋭い煌めきと、先ほどと打って変わった力強い口調に、ロルフは雷に打たれたようにハッとした表情で頭を下げた。
「か、かしこまりました。直ちに手配いたします。」
「フィーネ、アルテンシュタットのお城に伝令を!被災者を救出するための兵と支援物資を送ってくださるよう、急ぎ伝えてください。」
「はっ、直ちに。」
ロルフとフィーネが暗い城内に姿を消すと、ヒルデガルトは自室の方を振り返った。
「エオストレ、いらっしゃいますか?」
「もちろん。それにしても、ヒルダも立派な城主様ねぇ。」
姿は見せず、ヒルデガルトの耳許でからかうような声で白銀の古龍が囁くが、ヒルデガルトはそれには応えず、言葉を続けた。
「エオストレには、この地震の原因が分かりますか?」
「そうねぇ・・・地脈が乱れ、大地の精霊が騒いでいるわ。」
「場所は?大地の精霊が騒いでいる場所は分かりますか?」
「北の山脈から領内に伸びている何本もの地脈が乱れているけれど、そもそもの原因は山脈の地の底にあるみたい。」
「山脈の地の底・・・学院長様がおっしゃっていた溶けた岩でしょうか?」
「そうよ。普段、大地の精霊の力が優位な場所なのに何らかの原因で均衡が崩れてしまっているわ。その影響が地割れに沿ってこっちの方まで及んでいるの。まあ、外に出てみれば、ヒルダなら分かるんじゃない?」
外に出れば分かる、そのエオストレの言葉にヒルデガルトは弾かれたように城の外に飛び出した。
果たして、そこで見えたのは、うっすらと光りながら北の空から放射状に何本も伸びる不気味な雲だった。
「こんな雲、見たことがありませんわ・・・」空を見上げたヒルデガルトは長く伸びる雲に言葉を失う。
それらの雲がほんのりと輝きを増した時、再び大地が鳴動した。
「エオストレ、あの雲は・・・」
「ヒルダにも見えるのね。あれは大地の中に留まっていた水や風、光や闇の精霊たちよ。少し勘の鋭い人間ならその存在を感じられると思うけど、ヒルダならはっきりと見えるでしょ?」
「ええ、色々な魔力を帯びた小さな粒のようなものがたくさん集まって見えますわ。どうして精霊が集まっているのですか?」
「元々、精霊はそれぞれが卓越している場所があるの。海や湖なら水の精霊、大空なら風の精霊、地の底なら土の精霊。だけど、普通ならそこから他の属性の精霊が全くいなくなる訳じゃない。」
「そうなのですね?」
「ただ、その調和が失われた時、弱い精霊はその場所にいられなくなるの。火山は火と土の精霊が争い、その力が強くなり過ぎるために他の精霊は追い払われて・・・」
「追い払われて・・・」
「ああいう姿になるようね。」
そう言ってエオストレは長い首をもたげ、空に伸びる雲を見上げた。
「あの雲が北から伸びてきているということは、もうすぐ北の山脈が火を噴くということでしょうか?」
「ヒルダたちは、それを調べてきたんでしょ?」
「・・・はい・・・」
エオストレの指摘をヒルデガルトはためらいがちに肯定する。火山が噴火する可能性を知ったとはいえ、そのような大災害が起きることを信じたくないという気持ちが強いのだ。
その時、精霊の雲が強い光を放ったかと思うと、何かが爆発するような大きな音が響き、空気が大きく震えた。
「きゃあ!な、なんですの?」両手で耳を塞ぎながらヒルデガルトはその場にうずくまる。
恐る恐る顔を上げると、精霊の雲が明滅しており、ひときわ強い地震が起きる。
あまりの揺れにヒルデガルトは地面に手を着きながら体を支えるが、大きく揺さぶられ、身動きが取れない。
「始まったみたいよ。」そう言ってエオストレが北の空を見上げる方向に視線を移すと、朝焼けのように山の上空が紅く染まっていた。
「エオストレ!山が、山が火を噴いたのですか?」四つん這いになりながら、ヒルデガルトは白銀の古龍に呼び掛ける。
「麓の村の領民を早く避難させないと!」ヒルデガルトは何とか立ち上がろうとするが、よたよたと大きく揺さぶられる。
「エオストレ、あなたの背に乗せて、噴火した山まで連れていってもらえませんか?」
「どうするつもり?」
「麓の村を助けたいのです。」
「ふう、人の力の及ばない災害よ。逃げても誰も文句は言わないわ。」
「たとえ力及ばずとも、領民が逃げる時間を稼ぐくらいはできるはずです。エオストレ、あなたの力を貸してください。」
決意を秘めたヒルデガルトの瞳にまっすぐ見つめられ、エオストレは呆れたように溜め息をついた。
「やれやれ、精霊の喧嘩に首を突っ込むなんて、物好きね。まあ、良いわ。ヒルダには継承の儀式の借りもあるし、手伝ってあげる。」
そう言いながらエオストレは伏せをするように首を地面に着け、ヒルデガルトに背に乗るように促した。
「いざ、火の山へ!」ヒルデガルトを乗せた白銀の古龍は大きく翼を広げるとふわりと宙に浮き、北の空へと飛び立った。




