ノルトキルヒェン子爵 その2
翼竜の大群が飛来してから10日、アルテンシュタットの領都から今回の大発生について調査するための調査団がノルトキルヒェン城を訪れていた。
「お久しぶりです、学院長様。その節は御指導を賜り、本当にありがとうございました。」
調査団の団長として領都の魔導学院のローレンツ・ヘクスター学院長をヒルデガルトは自ら馬車の前まで行って出迎え、馬車から降りてきたローレンツに声を掛けた。
「子爵閣下直々のお出迎え、痛み入ります。また、ありがたきお言葉、この愚生の拙き指導をお役立てくださり、これに勝る喜びはございません。」
貴族家の当主であるヒルデガルト直々の出迎えに、ローレンツはローブの裾を翻しながら膝を突き、頭を下げる。
魔術の師であるローレンツがいきなり跪いたことにヒルデガルトは慌ててしゃがみこみ、彼の手を取った。
「お顔をお上げください、学院長様。私は学院長様の弟子ですわ。」
「いえ、子爵閣下は昨年はまだお披露目前の無位無冠でいらっしゃいましたが、今は貴族家の御当主。愚生とは身分が異なります。このように膝を突かれてはなりません。」
ローレンツはヒルデガルトに手を取らせたまま、一緒に立ち上がる。
「子爵の身分は他人から与えられたもの。しかし、私が学院長様の弟子であることは、私自身が選んだことです。」
穏やかな笑顔と柔らかな物腰の中に確固たる意思を秘め、ヒルデガルトはローレンツの瞳をまっすぐ見つめる。
「分かりました。ノルトキルヒェン子爵、あなたは私の弟子です。しかし、この国において身分は絶対のもの。相応の礼儀は執らせていただきます。」
そう言ってローレンツは右拳を左肩に当てる礼をし、ヒルデガルトも長いスカートの裾を摘まんで膝を折り、淑女の礼を執った。
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「では、先の報告どおり、30頭に及ぶ翼竜の大群は城の守備隊と子爵の魔法により撃退されたのですね?」
「最初のうちは弓と魔法で撃ち落とし、地上に落ちたところで止めを刺していきました。」
「翼竜が新たに仲間を呼び寄せたとの報告がありますが、これは?」
「翼竜は攻撃を受けると高い声で鳴いて、仲間を呼び寄せる習性があるようですわ。」
「これまでそうした例は目撃されていなかったので、貴重な情報です。よく気付かれましたね。」
翼竜が仲間を呼び寄せるとは、これまで記録に残っておらず、ローレンツは驚きを禁じ得なかった。そもそも報告が無かったのは、ただでさえ強力な魔物である翼竜に仲間を呼ばれて生き残れた者が少ないことも理由の一つかもしれない。
「霊峰シュピッツェに参りました際にも翼竜が仲間を呼び寄せるところを見ておりましたので。それにしても学院長様、この地ではこれまで翼竜のような強力な魔物はほとんど見かけなかったと伺っておりますのに、今回のように大群になって押し寄せてくるなんて、何か理由があるのでしょうか?」
不安げに両掌を合わせるようにして、ヒルデガルトはローレンツに視線を向ける。
「それはまだ何とも。これから北の山脈に入って調べます。そのために魔導学院の魔物の専門家にも参加してもらっています。」
「何とかして原因を突き止めてくださいませ。翼竜なような魔物が近隣やその先の村や町を襲ったら大きな被害が出てしまいます。」
「おっしゃるとおりです。侯爵閣下もそれを心配なさっておいでで、原因の究明と対策の検討を厳命されております。」
「私も領民のためにできる限りご協力させていただきますわ。」
「ところで、子爵。子爵が翼竜を撃退した際に用いた魔法はどのようなものだったのですか?報告ではかなり強力な魔法だったようですが。」
「最初は学院長様に教わった『氷の矢』や『氷の刃』を使っておりました。」
「ほう。『氷の刃』で翼竜を倒せるまで上達されましたか。この短い期間で大したものです。」
ローレンツは弟子の説明に満足そうに頷いてみせながら、言葉を継いだ。
「報告書には、天から光の矢が降ってきたとの記載もありましたが、これも子爵の魔法ですか?」
「それが・・・」ヒルデガルトは困ったように眉尻が下がった表情で言葉を濁す。
「それが、あまりにはっきりと覚えておりませんの。空を覆わんばかりの翼竜の群を目の当たりにして、とにかく何とかしなければと必死で・・・」
「今、城の中で光属性の魔術を操れるのは子爵だけですから、天から光の矢を降らせたのは、まず子爵で間違いないでしょう。しかし、天から無数の矢を降らせる魔法とはこれまで寡聞にして存じ上げません。」
「学院長様でもご存じない魔法・・・」
「はい。シュタイン王家の血を引かれている皆様は光属性の魔法を操られますが、光属性の魔法は制御が難しく、全体に光が拡散して一定の範囲に効果を及ぼすものと伺っております。それを矢の形に収束させるにはどれだけ高度な魔力操作が必要か、想像もつきません。」
「そんなに・・・」
ローレンツの言葉にヒルデガルトは驚きを隠せなかった。まだ魔術を学んで1年にも満たない自分がそのような魔法を操れるとは思えない。
あの時、白銀の古龍エオストレに促され、古い古い記憶、ヒルデガルト自身が産まれた時を遥かに遡っていった記憶の中で出会った魔法。でも、その時にぼんやりと見えた光景の中では光はまとまってはいたが明確な矢のような形を取ってはいなかった気がする。
「子爵、この時にお使いになった魔法を再現することはできますか?」
「申し訳ありません、先ほども申し上げたとおり、ほとんど覚えておりませんの。古い古い過去、私自身が生を受けるよりも遥か昔の記憶を遡っていった先に『光』が見えた気がするのですが・・・」
「ほう、過去の記憶。」
ヒルデガルトの言葉にローレンツの瞳が鋭く光る。
「それは子爵の前世の記憶、ということでしょうか?」
「いえ、そうではありませんわ。そうではありませんけれど・・・」
迷い無く即答したヒルデガルトだったが、その後の言葉が続かない。
「ふむ。まあ、分かりました。翼竜を撃退した魔法については、また思い出されたらお聞かせください。」
これ以上聞いても少なくとも今は答えが得られないと感じたローレンツはヒルデガルトに微笑みかけながら、話題を打ち切った。
「明日から北の山脈に入り、翼竜の繁殖状況などを調べようと思います。子爵も同行なさいますか?」
「もし、足手まといでなければ、ご一緒させてくださいませ。お城に大きな被害をもたらしかねなかった翼竜について、私もよく知っておきとうございます。」
「かしこまりました。ただ足場の悪い場所に行ったり、野営をすることもありますが、ご承知おきください。」
「それは大丈夫ですわ。これでも私、シュピッツェの頂上まで参りましたのよ。」
北の霊峰に登頂したことを少し得意気に話す弟子にローレンツは温かな眼差しを送った。




