ノルトキルヒェン子爵
ノルトキルヒェン城の前に現れた巨大な白銀の古龍の姿は煙のように消え去り、後には城の主である可憐な少女と、その少女には似つかわしくない翼竜の死骸の山が残された。
肉が焼けた匂いと血生臭い空気が漂う中に凛と立つヒルデガルトはしかしその凄惨とも言える空気とは隔絶した雰囲気を身にまとい、神々しくすらあった。
「うおー!」詰所から出てきた兵士たち、倉庫から出てきた石工や人夫たちが轟くような歓声を上げる。
「アルテンシュタット万歳!」
「ノルトキルヒェンに栄光あれ!」
1頭を倒すのでさえ、多大な犠牲を払いかねない翼竜の大群があっという間に屠られ、山と積み上がっているのだ。
助かったという安堵、強敵を退けたという高揚感、それを成し遂げた城主への畏怖が混ざり合って、異様な興奮に包まれていた。
我に返ったヒルデガルトが翼竜の山を一顧だにせず、兵士たちのいる城壁の方にゆっくりと戻ってくると徐々に歓声は止み、自然と兵士たちは直立不動の姿勢で整列し、石工や人夫たちはその後ろに跪いた。
「子爵閣下。閣下の御力に家臣一同、畏れ入るばかりでございます。」ロルフが右拳を左肩に当て、深々と頭を下げる。後ろに控える部下の兵士たちと異なるのは、白銀の古龍の姿を目の当たりにした故だろうか。畏敬の後ろに少し怯えが透けて見える。
「翼竜の死骸はいかが致しましょうか?」
至極慇懃にそう問い掛けてくるロルフにヒルデガルトはハッと気付いたように振り返り、少し戸惑いながらも指示を出す。
「どれくらいの価値があるかは存じませんが、翼竜の革や牙など素材として売れる物は売り捌き、今回亡くなられた方のご家族に弔慰金を差し上げたいと思います。また、怪我をされた方には治療費を支給し、さらに余るようでしたら、城壁を造ってくださっている石工や人夫の皆さんのお給金の足しにしてくださいませ。」
「かしこまりました。」そう返事をしてロルフは再び深く頭を下げた。
(白銀の龍は幻だったのか?いや、あんな大きな生き物を見間違うはずがない。何よりあの咆哮で翼竜が砕け散った。あの血の痕が何よりの証拠だ。)
この数百年、姿を見せていないと言われる古龍を本当に見たのか、目の錯覚か。自身の目が見てはならないものを見てしまったかのような感覚に襲われながら、ロルフはヒルデガルトの方へちらりと視線を送った。
(あの龍は子爵のすぐそばにいた。子爵もあの姿を見て、咆哮を耳にしているのに、なぜこんなにも落ち着いていられるのか?やはり幻だったのか・・・)
武名高きアルテンシュタット侯爵の娘であり、翼竜を倒すほどの魔術の使い手だとしても、まだうら若い少女に過ぎず、古龍を前にすれば卒倒してもおかしくない。強大な力の前には歴戦の軍人である自分でさえ足がすくんだのだ。
ただ翼竜の死骸の山にさえ頓着していなかったので、少し鈍いのかもしれないなどと若干無礼な考えが頭をよぎったが、翼竜の素材を売り払って弔慰金や治療費、給金に廻すという指示は的確だったので、何も分かっていないということはないのだろう。
少し困ったような笑みを浮かべながら、立ち並ぶ兵士たちや跪く人夫たちの前を通り過ぎ、城内へと戻ったヒルデガルトは少し疲れたからと告げて、そそくさと自室として用意された部屋に戻った。
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「はぁ。」部屋に入り、扉を閉めた瞬間、ヒルデガルトは大きく息を吐き、そのまま床にへたりこんだ。
「大丈夫、ヒルダ?魔力を使い果たした訳じゃないと思うけど、今になって怖くなった?」
「いえ、あの、確かにあの翼竜の大群は恐ろしかったですわ。でも、エオストレもいてくださいましたし・・・」
力無く部屋の扉にもたれかかりながら、ヒルデガルトは自身の両掌に視線を落とした。
「私は、私があのような魔法を使えたことが驚きでもあり、恐ろしくもあるのです。」小さく呟くような声で応えると、ヒルデガルトは視線を上げ、目の前に顔を出した白銀の古龍を見た。
「昨年までろくに魔法を使えなかった私がどうして翼竜を倒せるような魔法を使えるのでしょうか。しかも習ったことはもちろん、見たことさえありませんのに。」
「だって、ヒルダは私の使える魔法は使えるようになってるのよ。もちろん、あまりに強力な魔法はまだヒルダ自身の肉体と精神が耐えられないから使いこなせないけど。前にその話はしたでしょ?」
「確かにあなたの記憶を引き出せるようになると伺いましたが、でも、だからと言ってあんな魔法を使えるなんて・・・」
「あれはまだ初歩の初歩だから。早く成長して、もっと私が持ってる色々な知識や魔法を使いこなしてね。」
戸惑うヒルデガルトを面白がるようにエオストレは長い首をヒルデガルトの二の腕に擦り付ける。滑らかな鱗がスベスベと心地好い。
(まるで猫みたいですわね。)飼い主に体を擦り付ける猫を一瞬思い出し、頬が緩んだヒルデガルトだが、白銀の古龍の言葉を思い返し、愕然とする。
「あ、あの魔法が、翼竜の大群を一瞬で撃ち落とした魔法が初歩、ですって?」
「そりゃそうよ。だって、ヒルダはまだ幼い子どもだもの。」
「子ども・・・一応、お披露目は終わって、結婚もできますわよ?」
子ども扱いされて、ヒルデガルトは少しムッとしたように反論する。
「あー、人間の『制度』としての話ではなくて、肉体や精神そのものの成熟度のことね。戦闘の訓練も魔法の修練もまだまだ未熟でしょ。」
「それは、そうですけど・・・でも、もう立派な淑女ですわよ?」自身が未熟だという自覚はあるが、ヒルデガルトは釈然としない。エオストレはまだこの世に生を受けて一年しか経っていないのだ。
「まあ、それはさておき良いお城ね。まだ単に軍隊が駐屯する砦に過ぎないけど、今日、ヒルダが力を示したから城造りにも力が入るでしょうよ。」
「逆に私がいるからお城はそんなに堅固なものでなくても良いとは思ったりはしませんか?」
「ないない。人間の性として、主が住むに相応しい城を造るわよ。」
「あまり華美なものにはしたくないのですけど・・・」
「希望は早めに伝えといた方がいいわよ~。石工とか人夫はみんな張り切ってたから。」
からかうようなエオストレの言葉にヒルデガルトは困ったような表情になる。
「お父様が命じて造られているお城ですけれど、私が口を出しても良いのでしょうか。」
「何言ってるの?ここは『あなた』のお城でしょ。しっかり指示しないと、みんな勝手に進めちゃうわよ。」
「はぁ、・・・あまり歳上の男性とお話しするのは得意ではないんですけれど・・・」
あきらかに気乗りしていないヒルデガルトの肩を、エオストレは慰めるようにしなやかな尻尾でトントンと叩く。
「ま、頑張ってね、子爵さま!」
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「子爵閣下、このたびのことは侯爵閣下にいかにご報告申し上げましょうか。」城主の執務室で守備隊長のロルフが緊張した面持ちでヒルデガルトの判断を仰いでいた。
「アルテンシュタットのお城へは、今回襲ってきた翼竜の数、翼竜が現れた方角、被害の状況、退治して得られた翼竜の素材の量などを報告してください。それから翼竜の素材についてはアルテンシュタットのお城で買い取っていただけないかも打診してください。」
「かしこまりました。それで翼竜が退治された経緯はどのように?」
「守備隊による応戦と魔法で倒されたと報告すれば良いのではないでしょうか?」
「あの、古龍は・・・」少しこわばった声でロルフが質問した。
「古龍、ですか?」右頬にそっと手を当て、軽く首をかしげてヒルデガルトが問い返すと、ロルフはそれ以上言葉を続けることもできず、何でもありませんと言葉を濁して引き下がるしかなかった。
「ほかに何かありますか?」ゆったりとした口調でヒルデガルトが促すと、ロルフは相談事は以上だと頭を下げた。
「では、私からお願いがあります。このお城の増改築は侯爵閣下が指示されていることは承知していますが、華美にならないよう、また、住む人たちが便利なように造ってください。」
「しかし、石工たちは子爵閣下のお力とお美しさに相応しい城にしたいと張り切っておりますが。」
予想もしなかったヒルデガルトの指示にロルフは戸惑った様子で応えた。
「このお城は、北の山脈から襲ってくる魔物や猛獣から領民を守るためのもの。壮麗な造りや華美な装飾は必要ありません。」
「そうはおっしゃいますが、貴族の格に相応しい豪華さがなければ他の貴族に侮られます。」
「辺境の領地のさらに辺鄙な山の麓の城にどんな貴族が訪れるというのでしょう?装飾に費用を使う余裕があるのでしたら、そのお金を傷病者や孤児を助けたり、領民の子どもたちに教育を受けさせるために使ってください。」
おっとり、ふわふわした雰囲気だったヒルデガルトがきっぱりとそう告げると、ロルフは再び頭を下げ、かしこまりましたと一言だけ応え、部屋を退出した。
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ロルフが部屋を出ていき、扉が閉まるとヒルデガルトはゆっくりと息を吐き出した。
やはり、年上の男性から報告を受けたり、指示を出すのは緊張する。
(エオストレが翼竜を叩き落としたり、咆哮で砕け散らせたところをやはり見られてしまったのかしら?ずいぶんと緊張されていらしたわ。それにこんな年下の小娘から色々と命令されて、ご気分を害されていないかしら?)
柔らかなクッションを抱き締めながら椅子に深く腰を沈め、ヒルデガルトは視線を虚空に漂わせた。
これまで未成年だったこともあり、父のアルテンシュタット侯爵に全面的に庇護され、特に兵士に命令することなど想像すらしなかったヒルデガルトは、これから城主としてやっていけるのか、不安でいっぱいだった。




