アルテンシュタット その5
石造りの兵士の詰所を後にしたヒルデガルトの目に飛び込んできたのは、30頭近い翼竜が上空を埋め尽くし、旋回する姿だった。
ギャッギャッと何頭もの翼竜が鳴く声は耳障りを通り越して騒音と言っていいだろう。
「まさか、こんなに・・・」あまりの数の多さに息を飲むヒルデガルト。
そんな彼女を目敏く見つけた一頭が一瞬その場で羽ばたいて空中で静止した後、そのまま滑空し、襲いかかる。
突然の攻撃を前に呆然と立ちすくむヒルデガルトを救ったのは、白銀の古龍エオストレだった。
ヒルデガルトと翼竜の間に白銀に輝く巨体を現したエオストレに翼竜は止まることができず、そのまま突っ込み、弾き飛ばされる。
「戦場でぼうっとしては駄目よ、ヒルダ。」白銀のエオストレがヒルデガルトの目の前で尻尾の先をゆらゆらと揺らしながら気取った口調で注意する。
「あ、ありがとうございます、エオストレ。」
「礼には及ばないわ。さてと。また飛び蜥蜴の群なのね。」
軽い口調でヒルデガルトの礼に応えながら、エオストレは上空で輪を広げて旋回する翼竜の群を見回した。
「せっかくヒルダがお父さんからもらったお城を襲うなんて、飛び蜥蜴はほんと無粋な連中ね。それもバッタみたいにうじゃうじゃと。」
「それなのですが、これまでこのメルツィヒ、ノルトキルヒェン城では翼竜などの大型の魔物はほとんど見かけたことが無かったそうなのです。」
「そうなんだ?シュピッツェでも飛び蜥蜴が増えていたし、そっちから流れてきたのかしら。」
「翼竜のような大きな魔物がこんなに増えるなんて、何か異変が起きているのでしょうか?」
そう不安げに眉をひそめるヒルデガルトに、エオストレは笑ってみせる。
「飛び蜥蜴がいくら増えたって、駆除すればいいのよ。ちょっと飛べるだけのでっかい蜥蜴なんだし。」
しかし、古龍であるエオストレにとっては「ちょっと大きな蜥蜴」に過ぎなくても人間にとっては自分達よりもずっと大きい凶暴な魔物だ。そう思うとヒルデガルトは一緒に笑えない。
「エオストレにとっては小さな蜥蜴かもしれませんが、私たち人間にとっては一頭でも危険な生き物です。それがこんな群になったら脅威でしかありません。」
この凶悪な群が人の村を襲ったらどんな惨劇になるか。考えただけでヒルデガルトは足が震えてくる。
「はいはい。じゃあ、ちゃっちゃとやっつけちゃいましょ。」やれやれといった感じでエオストレは伸びをする。
「一応、あまり干渉しない建前だから、まずはヒルデガルトがやっちゃって。」
上空で旋回している翼竜を威嚇するように長い首を回しながらエオストレはヒルデガルトを駆り立てる。
「分かっております。この城は私の城ですもの。エオストレは翼竜を逃さぬよう支援をお願いしますわ。」
普段のおっとりとした雰囲気は鳴りを潜め、凛とした気高き戦乙女の姿がそこにはあった。
(あらあら、ずいぶん気負っちゃって。もうちょっと肩の力を抜かないと・・・)
ヒルデガルトの周りの張り詰めた空気とは裏腹に、エオストレはやれやれといった感じでヒルデガルトを見詰める。
(私だけでなく、ヒルダ自身も本気になれば飛び蜥蜴なんて目じゃないのに。)
「万物の理を司る魔力よ。氷の刃となりて敵を切り裂け!『氷の刃!』」ヒルデガルトが半眼になり、精神を集中させて腕を横薙ぎに振ると大きく薄い氷の刃が出現し、旋回する翼竜の群の向かって飛んでいく。
以前、霊峰シュピッツェで同じ魔法を使った時には氷の刃はまっすぐ飛んでいっただけだったが、今回はその時よりも大きな刃が翼竜の群の中を飛び回る。
刃を躱そうと急旋回する翼竜を的確に追いかけ、その翼を切り落とし、そのまま進路を変えてもう一頭の翼竜へと向かう三日月型の氷の刃。
結局、4頭の翼竜を切り裂いたところで強度が尽きたのか、細かく砕け散った。陽光を反射させてきらきらと煌めきながら飛び散る氷の欠片は魔物との戦いの最中でなければ、見惚れるくらいきれいだった。
「氷の刃に目標を追尾させるなんて、上達したわね、ヒルダ。」
「これくらいでしたら。でも、こちらが倒すよりも呼び寄せられる翼竜の方が多い気がいたしますわ。」
ヒルデガルトがそう呟いたとおり、北の山脈から呼び寄せられる翼竜が空を埋め尽くさんばかりになってきた。
「撃てば当たるけど、一匹ずつ倒してたんじゃ、キリがなさそうね。」エオストレは空を埋め尽くす「飛び蜥蜴」にうんざりした様子で空を見上げた。
「ヒルダ、あなたが使える一番強い魔法をあの群の真ん中に撃ち込んでみて。」
「一番強い魔法、ですか?」
「そ、氷でも水でも光でも、何でも良いから一番強い魔法。」
「・・・そうですわね・・・」
いきなりそう振られて、ヒルデガルトは一瞬小首を傾げて、思案する。翼竜の大群を屠る魔法・・・
ヒルデガルトの意識が翼竜から逸れたことを目敏く感じ取ったのか、上空を旋回していた2頭の翼竜が一直線にヒルデガルトに襲いかかる。翼は滑空姿勢を保つために広げ方を最小限にし、文字通りヒルデガルトに向かって「落下」してくる翼竜は、しかし、鋭く振り抜かれた白銀の古龍のしなやかな尾に叩きのめされ、骨を砕かれながら地面に叩きつけられた。
「ほら、ヒルダ。戦場でぼうっとしていたら、命がいくつあっても足りないわよ。」白銀のしなやかな尾を大きく揺らしながら、エオストレが半分からかうような口調でヒルデガルトに催促する。
「記憶の奥底に沈んだ糸を手繰り寄せるのよ。」
エオストレのその言葉に、ヒルデガルトは半眼になり、精神を集中させる。
それは彼女自身の記憶なのか、エオストレの記憶なのか、それとも遥か昔の古龍の記憶なのか。深いの水底へと沈むかのようにヒルデガルトは記憶の海を深く深く潜っていく。
無防備になったヒルデガルトに襲いかかる翼竜を次々と叩き落とし、その数が8頭を数える頃、ヒルデガルトが静かに目を開いた。
「天翔る日輪よ!降り注ぐ光を矢となし、敵を貫き給え!」
半ば恍惚にも似た表情を浮かべながら空を仰ぎ、太陽に呼び掛けるように呟くヒルデガルトの声に応えるかのように幾条もの光の筋が輝き、翼竜の群に降り注ぐ。
その光が翼竜に触れた瞬間、音もなくその部分に穴が空いて光が消えていく。翼や胴体を光に貫かれた翼竜は叫び声を上げる間も無く絶命し、次々と力無く落ちてくるため、エオストレは長い尾を振るって器用に翼竜を弾き飛ばしていく。
翼竜の骸が積み重なり、小山が築き上げられていく中、ヒルデガルトが撃ち漏らした翼竜に向けて、エオストレは鋭い咆哮を浴びせかけた。
グオッという重く、低い古龍の咆哮は衝撃波となって容赦なく翼竜の体を砕いていく。
「『氷の障壁』!」エオストレの呟きとともにヒルデガルトとエオストレの頭上にうっすらと白銀に輝く透明な薄い壁が広がり、落ちてくる翼竜の肉片や血を受け止めながら凍りつかせていった。
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兵士たちの詰所を飛び出していくヒルデガルトを止めようとしたロルフは、何もないはずの所で急に足を取られ、転んでしまう。
「いけません、子爵閣下!」転んでなおヒルデガルトを止めようと伸ばされたロルフ手は虚しく空を切り、ヒルデガルトは兵士たちの詰所を飛び出していった。
何とか立ち上がり、ヒルデガルトの後を追ったロルフが見たのは、城壁の外で凛と立つ美しい少女とその少女を守るように身を寄せる巨大な白銀の龍の姿であった。
初めて目にする巨大な龍に本能的な畏れを抱いたロルフの体が一瞬硬直し、立ちすくんだ時、ヒルデガルト襲いかかる翼竜たちを白銀の龍の長くしなやかな尾が叩き落としていく光景が目の前に広がった。
「白銀の古龍・・・」茫然と立ち尽くすロルフの前にさらに信じられない光景が広がる。
天から降り注ぐ無数の光の筋に撃ち抜かれ、落ちてくる翼竜の群、その後に大地に響き渡る古龍の咆哮によって砕け散る翼竜たちを前にロルフは力無く崩れ落ち、ひざまづいた。
「あ、あの翼竜の大群が一頭残らず・・・」




