アルテンシュタット その4
それは突然だった。北の空に沢山の黒い影が現れ、それが一つ、二つと増えていく。
ギャッ、ギャッ、という耳障りな鳴き声がノルトキルヒェン城の周りで働く石工たちにも聞こえるようになった頃には空に20頭ほどの翼竜の姿があった。
「おい!どうなってるんだ!メルツィヒではこれまでこんな強力な魔物なんか出たことねえだろう?」
石工や人夫たちは逃げ惑い、あるいは石の欠片を翼竜に投げつけて牽制したり、さらには手にした石を割るための鎚を振り回して翼竜を追い払おうとした。
「だめだ!こいつらでかすぎる。こんな鎚じゃどうにもならねえ。」
「とりあえず、頑丈な建物の中に逃げ込め!」
石工の親方は弟子や人夫たちに逃げるように指示を出し、自身も鎚を振りながら後退した。
翼竜に恐れおののいた人夫の中には、走って森の方に逃げる者もいたが、上空から襲いかかる翼竜の牙を避けきれず、大きな口に腕を食いちぎられたり、翼に叩かれて倒れ伏す者も出始めた。
「固まらずに、ばらばらに逃げるんだ!」
親方の声に人夫たちは散り散りに逃げるが、空を飛ぶ翼竜の速度に敵うわけもなく、また一人、翼竜の餌食となった。
「捕まった奴に構わず逃げろ!」親方は悲痛な声で叫ぶ。犠牲者を囮に少しでも逃げきれる人夫を増やすための苦渋の決断だった。
「早く砦に入れ!」
騒ぎを聞き付けた砦の守備隊が飛び出してきた。翼竜が相手ということで身軽な革鎧に長い槍を持っている。
守備隊の兵士たちは槍を頭上で振り回して翼竜を牽制しながら石工たちを庇うように前に出る。
「くそ!なんで翼竜が群れているんだ?」
「メルツィヒといえばせいぜい鷲獅子が年に一匹出るか出ないかだっただろう。」
長らく強力な魔物が出たことがなかったこともあり、古傷を負った兵士や訓練が終わったばかりの新兵も多い守備隊は襲い掛かってくる翼竜を躱すのが精一杯だ。
「弓隊、前へ!」その号令に隊列を組んだ弓兵が矢をつがえた。
「射て!」
その声とともに一斉に矢が放たれ、翼竜の一頭に次々と矢が突き刺さると、痛みによる悲鳴とも怒りともつかない鋭い叫び声を上げて翼竜が墜ちてくる。致命傷ではないものの、飛行能力を奪うことはできたようだ。地上に墜ちてもがく翼竜に槍兵がとどめを刺すが、その際にばたつかせる羽に数人の兵士がはね飛ばされる。
「こりゃ大変だ。」槍兵の一人が溜め息をつく。一頭倒すのに何れくらい手間がかかるのか。
しかも弓矢を見た翼竜たちは警戒して、上空で距離を取って旋回を始めた。隙を見せたが最後、上空から襲い掛かられ、その牙や爪の餌食になってしまうだろう。
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「子爵閣下、お下がりください。」守備隊の隊長ロルフが砦の中から出てきたヒルデガルトの前に片膝を突き、外に出ないよう進言する。
「なぜ止めるのですか。外では石工や人夫、守備隊の皆さんが翼竜の群に襲われているのでしょう?」
「なればこそ。外は危険です。砦の中でお待ちください。」
「私はこの城の主です。一人隠れていては臆病者と謗られましょう。」
「それは・・・いえ、それは違います。城主であられるからこそどっしりと構え、我ら守備隊からの吉報をお待ちいただきたく。」
ロルフがさらに頭を下げ、ヒルデガルトの翻意を乞う。
「ロルフ隊長、お気持ちはありがたく頂きます。ですが、私もアルテンシュタット侯爵ヨーゼフの娘であり、この城の主ノルトキルヒェン子爵。父から、貴族が領地を持ち、権力を持っているのは、国王陛下と王国をお守りし、領民を安んずるために命を懸ける故だと言われて育ちました。」
穏やかだが、揺らぐことの無い凛とした口調でそう告げるヒルデガルトを、ロルフは思わず顔を上げて見上げた。
「されど、子爵閣下はまだ成人されたばかりの女性の身。あまりに危険過ぎます。」
「ロルフ隊長から見れば、私は未熟な小娘に過ぎないかもしれませんが、戦う術を持ち、翼竜と戦った経験もあります。それでなお砦に籠っていたのでは、私は私自身に言い訳ができないでしょう。」
「何と、翼竜と戦ったことがあると?」
ロルフの目に戸惑いと疑問の色が浮かぶ。王都から外に出ることを許されぬ辺境伯令嬢であり、ついこの間まで未成年だったヒルデガルトが翼竜と戦う機会など本当にあったのか?
「ロルフ隊長、あなたの主として命じます。私と共に翼竜と戦いなさい。」
そう告げたヒルデガルトは、箱入りの貴族令嬢ではなく、確かに貴族家の当主としての誇りと輝きに満ちていた。
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石工の親方が弟子や人夫たちを逃がしつつ、飛竜に向かって鎚を振るっていたが、羽ばたいた飛竜の羽にはね飛ばされ、地面に転がる。
そこに別の飛竜が襲いかかり、長い顎で親方に喰らいつこうとした刹那、ギャッという悲鳴にも似た鳴き声を上げて、その飛竜が上空へと逃げた。
両手で頭を庇っていた親方が恐る恐る顔を上げると、数本の白い矢のような物が刺さった飛竜がぎこちなく羽をばたつかせながら頭の上を旋回していた。
「そちらの方、早くこちらへ!」戦いの場に似つかわしくない、若い女性の声が響く。
「お、お嬢!」
親方がその声の方に視線を向けると、そこには以前視察しているところを見かけたヒルデガルトの姿があった。
(それにしてもすごい数の飛竜。北の霊峰の時よりも多いのではないかしら。)そんなことを思いながら、ヒルデガルトは再び氷の矢を放つ。
今度は10本の矢が手負いの翼竜に突き刺さり、上空から墜ちてきた。
「墜ちた奴にはかまうな。弓隊は次の翼竜を狙え!」ヒルデガルトの横に立つロルフが号令をかける。
「おお!城主様と隊長が来たぞ!」
それまで守備隊の指揮を執っていた副隊長が味方を鼓舞するように大声で叫んだ。
ヒルデガルトの魔法と弓隊の矢で5頭目の翼竜を撃ち落とした時、地面でもがく翼竜たちが一斉に鳴き出した。
キシャーという高い声にヒルデガルトははっとした表情でロルフの方を振り返る。
「いけませんわ。翼竜が仲間を呼んでいます!」
焦りを含んだヒルデガルトの声に反応してロルフが反応した。
「守備隊は怪我人を収容しつつ、隊列を組み直せ!弓隊は矢を射って怪我人の収容を援護しろ!」
そのロルフの号令に守備隊が機敏に動く。
「子爵閣下、翼竜は本当に仲間を呼んでいるのでしょうか?」
「北の霊峰では、翼竜のあの声の後に新たな群が現れました。おそらく今回も同じかと思いますわ。」
ヒルデガルトとロルフがそんな会話を交わしていると、北の空に次々と黒い影が現れ、数を増していった。
空を覆うかのような翼竜の群が向かってくるのを見て、守備隊の兵士たちだけでなく、ロルフも絶望的な思いに囚われる。
「何なんだ、あの数は。いったい何頭いるんだ。」隊列を組んだ兵士たちが不安の声を上げる。
「子爵閣下、これは敵いません。一旦、砦の中に退いて、翼竜の群をやり過ごしましょう。」
そう言うとロルフはさっと手を挙げて、頭の上で大きく回した。退却の合図だ。
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城壁のそばにある石造りの詰所に退避した兵士たちは不安げだが、少しホッとした感じで、兜を脱いだ。
翼竜を初めて見た兵士も多く、口々にその姿の異様さや弓で射った手応え、槍でとどめを刺したときの感触などを言い合っていた。何か喋っていないと不安になるのだろう。
「いつまでこのように退避するのですか?」
ヒルデガルトが誰とは無しに尋ねると、白髪交じりの50歳近い兵士がそれに答えた。
「そうですなあ。まずはこの砦の周りから魔物がいなくなるまで。包囲されてしまったら、領都や近くの砦から援軍が来るまで立て籠るしかないでしょうなあ。」
「しかし、それではその間に辺りの村々が襲われてしまいますわ。」
「村々にしても家の中に籠っていれば、あるいは助かるかもしれません。今、ここで我々守備隊が全滅したら、これから先、誰がその村々を守るのですか?」
兵士たちにしてみれば、魔物の襲来はこの一回だけではなく、これからも起こることであり、周辺の村々に多少の犠牲が出たとしても守備隊を温存するのが当然の判断だろう。
しかし、ヒルデガルトにとって、それは到底受け入れられるものではなかった。貴族とは領民の安寧を守る者。父のその教えは深くヒルデガルトの精神に刻み込まれていた。
「領民を守ってこその守備隊ではありませんか?ここに立て籠ってやり過ごしても、守るべき領民がいなくなれば守備隊は何のためにいるのですか?」
「では、無謀な戦いで俺達に全滅しろと?」
「それは・・」
兵士の反論にヒルデガルトが口ごもる。
「・・・分かりました。守備隊はこのまま待機して兵力を温存してください。ここから先は私が一人で参ります。」
「いけません。いくら魔法が使えたとしても、あの数を相手にするのは無謀です。」
ヒルデガルトの無謀とも言える提案にロルフが止めに入る。
「子爵閣下の身に何かあれば、侯爵閣下に顔向けできません。」
「私なら大丈夫です。隊長は翼竜の数が減ったら、近隣の村々に救援に向かってください。」
そう言って扉へと向かうヒルデガルトの前にロルフは立ちはだかったが、突然何かに足を取られたように転ぶ。
「いけません、子爵閣下!」
転びながらもヒルデガルトを止めようと伸ばしたロルフの手が虚しく空を切り、ヒルデガルトは翼竜が待つ城壁の外へと飛び出していった。




