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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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一夜の宿

夜も更け、冷え込みが厳しくなってきた中、半刻ほど歩いて、ヒルデガルトたち三人は五軒の民家が立ち並ぶ集落へと辿り着いた。一軒一軒戸を叩き、一晩の宿を請うたが、四軒の家には断られ、結局、泊めてくれたのは集落で一番小さな家だった。


「夜更けに突然押し掛けてしまい、申し訳ありません。馬車が壊れてしまい、身動きが取れなくなってしまい難渋しております。玄関で構いませんので一夜の宿をお借りできませんか。冷え込みも厳しく、夜露を避けられるだけでもありがたく存じます。」

そう宿を請う声に戸を細く開けた農家の主人は、目の前の可憐な美少女に驚きが隠せなかった。

昼間でも道行く人が稀な農村、それも寒い夜に如何にも貴族の令嬢といった風情の少女が立っていたのだから無理もない。


「それはそれは。さぞお困りでしょう。屋根があるだけの狭い家ですが、まずは中へ。」

農家の主人は大きく戸を開いてヒルデガルトたちを家の中に招き入れる。

中は物も少なく、ごく質素な造りではあったが、こざっぱりときれいに掃除されている。暖炉に火はなく、室内は冷え冷えとしていた。

「あいにく薪を買う余裕も無く、寒い家で済まぬことです。」脂の入った小さな小皿に火を灯す主人は寒さではなく、恥じ入って身を縮こまらせた。脂に火が点くと部屋の中に少し生臭い、肉の焼けるような臭いがした。食事の際に肉の脂を集めて、蝋燭代わりに使っているのだろう。

家の奥では主人の妻が枯れ枝を小さな竈にくべながら湯を沸かし始めた。


「何のおもてなしもできませんが、せめて体を温めてもらえれば。」農家の妻が粗末な木の椀に白湯を注いでヒルデガルトたちに手渡す。

使い込まれて、決してきれいとは言えない古びた椀にただの湯が入っているのを見て、フィーネと御者は思わず顔を見合わせた。

平民とはいえ、侯爵家に仕える二人とって、粗末な椀にお茶ではなくただの湯が入っているものを出されたのは初めてだ。

お嬢様も驚いているのではないか、そう思ったフィーネがヒルデガルトに目を向けると、ヒルデガルトはにこにこと笑みを浮かべながら湯の入った椀を両の掌で包むように持っていた。


「はあ、温かい。」

ほっとした様子でしみじみと呟きながら、湯気に当たって微笑むヒルデガルトにフィーネの表情も少し緩んだが、ヒルデガルトが椀をそのまま捧げ持つようにして口許に運ぶのを見て、フィーネはハッとした。

「お、お嬢様!」古びた椀に入ったただの湯を侯爵令嬢であり、子爵でもあるヒルデガルトに飲ませては申し訳が立たない。箱入り娘のヒルデガルトがこんな貧しい農家で出された湯を口にしてお腹を壊しでもしたら大変だとの思いもあって、フィーネはヒルデガルトを止めようと焦る。

「なあに、フィーネ?」ヒルデガルトが一瞬手を止めて、焦った様子のフィーネに不思議そうな視線を投げ掛けた。

一夜の宿を請うた相手のことを悪くいうのも憚られ、フィーネが躊躇っているうちに、ヒルデガルトが椀に入った白湯をこくりと飲む。

「体も温まって美味しい。あなたたちも頂くと良いわ。」心配げなフィーネにヒルデガルトは満面の笑みで応えた。

「は、はぁ。」主君の令嬢が飲んだ物を臣下である自分が拒絶できるはずもなく、フィーネは仕方なく椀に入った白湯を一口飲んだ。とはいえ、所詮白湯は白湯。温かくはあるものの、味も素っ気もなく、少なくとも「美味しい」物ではない。しかし、ヒルデガルトの手前、フィーネは温まりますねとぎこちなく微笑んだ。


**********


早朝、冬の遅い日の出までまだかなり時間がある時刻にフィーネは目を覚ました。というか寒さでほとんど眠れなかったといった方が正しいかもしれない。

(寒いし、体も痛い・・・)干した藁を板張りの床に敷いただけの寝床から体を起こしたフィーネは凝った体をほぐすようにさすった。


(お嬢様、この寒さと堅さでよく眠れますね・・・)

隣で静かに寝息を立てているヒルデガルトにフィーネは驚いた。兵士として何度も野営の経験がある自分でさえ辛かったのに、深窓の令嬢であるはずのヒルデガルトがすやすやと眠っているのだ。

昨夜、寝台で寝るよう農家の主人と妻が強く勧めたのを頑なに固辞したヒルデガルトに、風邪でもひかれたらどうしよう、眠れずに疲労の色が濃いままお屋敷に帰ったら侯爵の怒りを買うのではないかなど気を揉んでいたのが馬鹿らしくさえなる。


ヒルデガルトを起こさないよう、フィーネは静かに毛布代わりの防寒着をヒルデガルトに掛けて、自身は少し離れた所に座って手足をこすりながら暖を取り、夜が明けるのを待った。


**********


まだ夜が明ける前、農家の夫妻が目を覚まし、静かに寝台から出ると、夫は外へ出ていき、妻の方は台所で枯れ枝に火を点けて料理を始めた。

時折、静かに燃える小枝が時折はぜる音を響く中、農家の妻は床下の保存庫から干した野菜を取り出し、火に掛けた鍋に入れていく。


少し空が白んできた頃、ヒルデガルトも目を覚ます。周りがみんな起きている中、一人だけゆっくり寝ていたことに恐縮しながら、衣服の乱れを直していると、農家の主人が朝の作業から帰ってきて、朝食となった。


(まさか、これだけじゃないわよね?)目の前に置かれた干し野菜入りのスープを前にフィーネは不安になる。


「わずかばかりの朝食で済みません。お口に合えば良いのですが。」

その農家の妻の言葉にフィーネは落胆を隠せなかった。体が資本の兵士にとって肉も穀物も無い食事は考えられない。これではいざというときに力が出ないではないか、そう言いたい気持ちをぐっと抑える。


「ありがたく頂きますわ。」そう言って目を瞑り、手を合わせてからヒルデガルトは木の匙を手に取ってスープに口をつけた。それに合わせてフィーネたちも食事を始める。


(見るからに深窓の令嬢なのに、寒い中、堅い床の上に平気で寝て、こんな味気の無いスープを喜んで食べるなんて信じられない。線の細い、根っからの箱入りじゃなかったの?)

塩だけで味付けされた味気無いスープをヒルデガルトがニコニコしながら口に運んでいるのを見て、フィーネは驚きを隠せない。

アルテンシュタットの領地から王都に呼ばれ、ヒルデガルトの護衛を命じられて間が無いフィーネにとって、その警護対象はまだまだ謎の塊だった。


*********


「大変お世話になりました。おかげさまで寒さも夜露もしのげました。」そう礼を述べるヒルデガルトに農家の夫妻は逆に恐縮する。

「とんでもありません!貴族のお嬢様を藁を敷いただけの床に寝かせるようなご無礼、平にご容赦を。」

昨夜、薄明かりの中ではっきりとは分からなかったが、日が昇り、明らかに高位貴族の令嬢と分かるヒルデガルトとその護衛として帯剣しているフィーネを前に、夫妻は深々と頭を下げる。

貴族を藁を敷いただけの床に寝かせ、自分たちが寝台に寝たことは、いくらヒルデガルトが固辞したためとはいえ、身分差を無視した無礼として手討ちにされてもおかしくはない。身分差の厳しいこの国では、貴族が平民を無礼討ちにした例に事欠かず、そこまでいかなくとも投獄されたり、鞭打たれたりするのが当たり前であった。


「どうか頭を上げてくださいませ。夜更けに突然押し掛けたのは私たちの方です。夜露もしのげ、朝食までご馳走になって、心から感謝しておりますわ。」そう言ってヒルデガルトは二人の手を取って、頭を上げさせる。

「お、お嬢様!」フィーネはヒルデガルトが二人の手を取ったのを見て、慌てて手を伸ばしてそれを止めようとした。侯爵令嬢であり、自らも子爵の称号を持つヒルデガルトが下賎な農夫とその妻の手を取るなど信じられない。

その声に振り返ったヒルデガルトの瞳はとても優しげではあったが、それ以上に抗しがたい力をたたえており、伸ばしかけたフィーネの手が止まる。


「あいにく持ち合わせが無く、お礼もできなくて心苦しいのですが。」ヒルデガルトは申し訳なさそうな表情で頭に手をやり、長く艶やかな髪を纏めていた髪留めを外すと、それを妻の手に握らせた。


「お、お嬢様!それは、こここ古龍の鱗・・・」

「こ、古龍!そんな大それた物を頂くわけには・・・」

「そうですとも!そんな物をもらった日には貴族様だの盗賊が押し寄せてきて、命ごと奪われちまう!」

絶句するフィーネと、ガタガタと震え出す農家の夫妻。

二人が命がいくつあっても足りないとあくまでも拒絶するので、ヒルデガルトは少し悲しそうな顔をしながら、髪留めを渡すことを諦めた。


「分かりました。では、もし、これから先、何か困ったことがありましたら、アルテンシュタット家のお屋敷にこれをお持ちくださいませ。」そう言ってヒルデガルトば、恩を返す旨と自身の名をしたためた手巾を手渡した。

「それをお持ちくださったら、私の力の及ぶ限り、お力添えをさせていただきますわ。」

「あ、ありがたく頂戴します。」おそらく一生使うことは無いだろうと思いつつ、農夫は手巾を受け取り、頭を下げた。


**********


農家を後にしたヒルデガルトたちは街道沿いに歩いているうちに、三人を探していた侯爵家の馬車に拾われた。

昨夜、祝宴を催した公爵家に泊めてもらったのかと思い、朝になって公爵家に使いの者を出したら、途中に壊れた馬車が乗り捨てられているのが見つかり、大騒ぎになっていたのだ。


馬車の中でヒルデガルトの前に座ったフィーネは、思わず尋ねていた。

「お嬢様は、昨夜の白湯や堅い床、今朝のスープは問題ありませんでしたか?」

「どうして、そんなことを聞くのかしら?」不思議そうな表情でフィーネの目を覗き込んだ後、ヒルデガルトはごく穏やかに話し始めた。

「夕べ頂いた白湯は、あの奥様ができる限りのことをしたいとの想いを持って注いでくださり、すっかり冷えきった体と疲れた心に温もりを与えてくださいました。床は確かに堅かったかもしれません。でも、あるだけの藁を敷いてくださった、その思いやりの心に優しく包み込まれました。そして、もちろん、フィーネ、あなたが掛けてくださった防寒着とあなたの優しさもあったからこそ、私は寒さを感じることはありませんでした。今朝のスープも同じです。困っている私たちに向けられた、あの方たちの温かな心それ自体が何物にも代えがたい施しだったのですわ。フィーネが私を大切に思ってくれていることはよく分かります。ですけれど、その思いに囚われ過ぎずに、他の方が私にそしてあなたに向けてくださる温かな心を感じてくれたら嬉しいわ。」


**********


「お父様、ただいま戻りました。ご心配をお掛けして申し訳ありません。」

屋敷に戻ったヒルデガルトは、入口の扉の前で立っていた父ヨーゼフに深々と頭を下げた。

ヨーゼフはヒルデガルトをしっかりと抱き締めると、無事で良かったと何度も言い、横にいた母クリスティーネも安心して何度も頷いていた。


ヒルデガルトたちを襲ったのは単なる物盗りの盗賊ではなく、いずれかの貴族の指示を受けての襲撃と思われるとのフィーネの報告に、ヨーゼフの視線が見る者を射殺せそうなほど鋭く光る。

「分かった。いずれの手の者か必ず突き止め、それ相応の報いをくれてやらねばならんな。あと、城壁の外に出る際には返り討ちにできるよう警護に少し工夫をするか。」

最愛の娘が襲撃された怒りが大きくなればなるほど、冷徹に冴える頭でヨーゼフは考えを巡らせるのだった。

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