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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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襲撃

夜の帳が降り、肌寒さが冬の訪れを感じさせる王都ゴルトベルクの城壁の外を一台の馬車が進む。それほど大きくはないが、優美な装飾が施されているところを見ると、乗り合いではなく、貴族家が所有する馬車なのだろう。

これまでに何台かの馬車が同じ道を通過していたが、既にその姿は見えず、ただ一台で走っていた。


(すっかり遅くなってしまいましたわ。早く抜け出せれば良かったのだけれど・・・)少し眠そうな目をして欠伸を噛み殺しながらヒルデガルトは馬車の窓から外を見た。

下弦の月明かりの下、農民たちの家の影が見えるが、どの家も既に寝静まっている。明かりを灯す油も決して安いものではなく、農家にとっては贅沢品だ。わざわざ火を灯して夜なべをする者もいないのだろう。


社交シーズンも佳境を迎え、今夜は王都の郊外に広大な屋敷を構えるロートリンゲン公が主催する大規模な祝宴が開催され、ヒルデガルトもそこに呼ばれた帰り道にあった。

帰りの馬車は爵位の高い者から呼び出されるため、新興の子爵に過ぎないヒルデガルトが屋敷を発ったのはほとんど最後尾だった。普段であれば父のアルテンシュタット侯の馬車に同乗させてもらうのだが、今日は折悪しく、侯爵の方が掛け持ちで祝宴に参加するため、先に帰ることになり、別々の馬車になってしまったのだ。


(それにしても、流石は公爵様の祝宴。お料理も音楽も余興のお芝居も素晴らしいものでしたわ。)

今日の贅を尽くした祝宴を思い返していると急に馬車が速度を上げた。

「きゃっ!」大きく揺れる馬車の中でヒルデガルトが小さく悲鳴を上げる。

「お嬢様、賊です!振り切りますので、掴まっていてください!」御者の横に座っている護衛のフィーネが振り返り、馬車の中のヒルデガルトに告げると、馬車は更に速度を上げる。


ひゅっと矢が風を切る音が数度響いた後、馬車に矢が刺さる乾いた音が響いた。下弦の月明かりしかない中、高速で走る馬車に馬上から矢を射て当ててくる賊に御者と護衛は驚きを隠せない。これだけの手練れが本当に賊なのか。訓練を受けた兵ではないのか。

賊の蹄の音がどんどん近付いてきて、追い付かれるのも時間の問題だと思えたその時、馬車の車輪の輻の間に投槍が巻き込まれ、馬車が左右に大きく傾く。車軸が折れ、投槍が巻き込まれていない方の車輪が大きく浮き上がると御者と護衛のフィーネは御者台から大きく投げ出され、地面に叩きつけられた。


「へへっ。こんな夜更けに貴族のお嬢ちゃんが護衛一人で出歩くたぁ、不用心にも程がある。金目の物と武器を全て渡せば命までは取らねぇから、おとなしく差し出すのが身のためだぜ。」

「けけっ、命までは取らねえけどな。命まではな。」

ヒルデガルトたちの馬車を取り囲んだ黒い覆面の男たちの一人が下卑た声を上げながら馬車に近付いてくる。


「おのれ、ノルトキルヒェン子爵と知っての狼藉か!」

護衛のフィーネが立ち上がりながら威嚇するように叫ぶ。馬車から落ちた時に傷めたのか、左腕を動かした時に顔をしかめた。

しかし、このフィーネの問いはあまり意味を成さないだろう。賊たちは最初から馬車の中にいるのが女性の貴族であることを知って襲撃してきているのだから。


「だったらどうだってんだ?子爵だか男爵だか知らねえが、所詮は金で爵位を買った成金貴族だろ?」賊の一人が抜き身の剣を振り回しながら揶揄する。


「ぶ、無礼な!」賊の言葉に気色ばみながら、フィーネは剣を抜いて構えた。

「それ以上近付いたら容赦はせぬぞ!」


「威勢の良い姉ちゃんだな。」

「俺たちと遊んでほしいんじゃないか?」

「馬車の中の嬢ちゃんの用を済ませたら遊んでやるからよぉ。」

賊たちが下品な声でフィーネを挑発する。冷静さを失わせて優位に立つ作戦だろう。三対五しかも戦えそうなのは護衛のみとはいえ、訓練を受けた兵士を相手に反撃されて被害が出るのを抑えようとするところに狡猾さが出ている。


「お嬢様、出てきてはなりません!」

片方の車輪が壊れて動けなくなった馬車の扉が開いたのに気付いた御者が背中越しに制止するが、構わずヒルデガルトは外に出た。


「へへっ、お嬢ちゃんの登場か!おとなしく身に着けてるもん全部置いていってもらおうか。命までは取らねえよ。」

美しい貴族令嬢を前にして、劣情に満ちた目でヒルデガルトを見る男たち。

「私に御用とのことですが、どちらの御家中の方でしょうか?」ごく穏やかな口調でヒルデガルトが黒装束の男たちに問いかける。

「な、何で俺らが貴族の手下なんだよ!いちゃもん付けるとただじゃおかねえぞ。」

「でも、この馬車に乗っているのが私であることをご存じのようでしたし、私が爵位を頂いた経緯もご存じなのですよね?でしたら、どちらかの御家中の方でなければ知ることは叶わないことですわ。」

「くそっ!何だこのアマ?もういい、身ぐるみ剥いでふん縛って、売り飛ばしてしまえ!」

痛いところを突かれたのか、腹立たしげに賊の一人が叫ぶと周りの仲間がヒルデガルトたちを取り囲むように散らばる。


「お嬢様、お下がりください。ここは私が。」

馬車を背後にしながら、ヒルデガルトを庇うようにフィーネは剣を、御者は棍棒を構える。


「その護衛の女さえやっつけちまえば、後は赤子の手を捻るようなもんだ。やっちまえ!」賊の頭目らしい一人がそう命じると賊たちは一斉に間合いを詰めてきた。

フィーネは素早く賊の一人の剣を弾いた後、横薙ぎに剣を振るってもう一人を牽制し、御者は力任せに棍棒を振り回して賊を寄せ付けない。


「男の方は所詮素人だ。棍棒ごと叩き斬ってやれ!」頭目はそう言って手下を二人がかりで御者に向かわせ、自分はフィーネに剣を向ける。


(この男、できる。正規の訓練を受けているのか?)フィーネは頭目に対峙しながら、嫌な汗が流れるのを感じた。目の前の男は明らかに軍の訓練を受けた構えをしており、しかもフィーネ自身よりも腕が立ちそうだ。


「あまり人に向けて魔法を撃つのは気が進まないのですが・・・」そう呟きながら、ヒルデガルトが精神を集中させる。


「『氷の矢』」ヒルデガルトの言葉と同時に鋭い氷の矢が頭目に向かって飛んでいった。


「くそ!魔法は使えないんじゃなかったのか?」飛んでくる細長い氷を剣で叩き落としながら、頭目が叫ぶ。貴族の令嬢が魔法を使えるかどうかなど、ただの盗賊が知っているわけもなく、語るに落ちるとはまさにこのことを言うのかもしれない。


「おい、お前ら、一旦退くぞ。」頭目のその一声を合図に賊たちが牽制に剣を振るいながら退却に転じる。


フィーネが一瞬追撃しようとしたが、思いとどまって、ヒルデガルトのそばに身を寄せた。

「お嬢様、お怪我はございませんか?」

「私は大丈夫です。それよりもあなたたちの方こそ馬車から落ちた時にどこか傷めたのではなくって?」

魔法を使って賊を退けたとは思えないような穏やかさで、ヒルデガルトはフィーネの左腕に手を当てる。

「『治癒』」ヒルデガルトの言葉とともにその掌が輝き、光がそのままフィーネの腕へと吸い込まれていった。


「さあ、あなたも。」そう言いながらヒルデガルトは御者の前に片膝を突き、その足首に手を当て、同じような『治癒』の魔法をかける。


「も、申し訳ありません、お嬢様。」

「儂のような平民にまで貴重な魔法を・・・」

魔法による治療など聖堂の神官にしか成し得ず、しかも高額な寄付を求められるのが常識の中、さらりと手当てがなされたことにフィーネも御者も驚きと恐縮の表情を浮かべた。

しかも仕えている主人の令嬢であり、自身も爵位持ちの貴族であるヒルデガルトが平民の御者の前に膝を突いて、手ずから治療を施すなど身分差の厳しい王国にあってほとんどあり得ない光景であった。


「大した怪我でなくて良かったですわ。」二人の恐縮した様子など気にも留めずに、ヒルデガルトが微笑みかける。


「でも、馬車が壊れてしまいましたわね。冷え込みも厳しくなってきましたし、どうやってお屋敷まで帰ろうかしら?」車輪が壊れ、傾いだ馬車を前に、ヒルデガルトが右頬に手を当てながら思案顔になる。


「儂の手綱捌きがまずかったせいで馬車がこんなことになってしもうて、申し訳ありませんです。」ヒルデガルトが呟いた言葉に御者が身を縮こまらせる。

「あなたのせいではありませんわ。それよりもこれからどうするか考えないと。」


王都とロートリンゲン公爵邸のちょうど中間くらいの所で周りには農地しかなく、途方に暮れる三人。

一人が王都のアルテンシュタット侯爵邸か郊外の公爵邸に助けを呼びに行ったとして、その間に賊が戻ってこないとも限らず、分散するのは得策ではなさそうだ。

結局、近くの農家に一晩泊めてもらってはどうかという提案がフィーネから出され、他の二人もそれに賛成したので、馬車はそのままにして、馬だけを連れて、道の途中で見えた農家に向かうことになった。

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