ある子爵家の祝宴にて
「ようこそお出でくださいました。」にこやかな、しかしどこか緊張した笑みを浮かべながら祝宴への招待客に挨拶をしているのは、ファーレンハイト子爵家の当主ベルナルトとその妻アガーテである。
領地には有名な陶磁器の産地があり、貴族としては裕福な部類に入るが、やはり子爵家ということで招待客も子爵や男爵が中心で、あとは役付きの官僚や軍の将校クラスの顔がちらほらと見えるくらいだ。
「お招きに与り光栄に存じます、ファーレンハイト子爵、子爵夫人。」そう挨拶して子爵夫妻に淑女の礼を執ったのは、今年の叙爵式で子爵に列せられたヒルデガルトである。
「これはノルトキルヒェン子爵、ようこそお出でくださった。本日は楽しんでいってください。」
同格の子爵同士ということもあり、気さくな雰囲気を出そうとするファーレンハイト子爵だが、どこかぎこちない。今日の主賓である王太后の孫であり、大貴族アルテンシュタット侯爵の令嬢かと思うと、やはり遠慮が先に立ってしまう。
「ありがとうございます。こうした席にお招きいただくのは初めてのことですので、至らぬ点も多いかと存じますが、ご容赦くださいませ。」
高位貴族の令嬢にありがちな高慢さとは縁の無い、ヒルデガルト穏やかな声と柔らかな物腰にファーレンハイト夫妻の緊張も少し和らいだ。
父親であるアルテンシュタット侯爵の他を圧倒する威圧感も、母親であるクリスティーネの王族として生まれ持った威厳も無いが、ヒルデガルトには周りを温かく包み込み、ほっとさせる何かがあった。
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「ノルトキルヒェン子爵、先日のお披露目の白いドレスも素敵でしたが、今日の青いドレスもまたお美しい。」
「子爵の居城の場所は決まりましたかな?」
「近々、我が家の祝宴にもお越しください。」
大広間では、招待された貴族たちが思い思いに歓談しており、ヒルデガルトにも声を掛けてくる。
それら一つ一つに丁寧に笑顔で応えるヒルデガルトを、年嵩の貴族は自身の娘を見るような温かい視線を、独身の貴族は将来の伴侶とできないかと熱い視線を送る。
今日のヒルデガルトは濃い青色のロングドレスで左肩を見せているワンショルダーで、艶やかな絹の光沢とあいまって時に艶かしくさえある。髪には白銀の髪留め、胸元には透明な珠5つとその両側に白銀に輝く牙状の飾りを連ねた首飾りという、お披露目の時と同じ装飾品を身に着けており、話し掛けてくる貴族たちの方を振り返るたびにきらりと光を反射する。
「お披露目の折にもその首飾りを着けておいでだったが、何か思い入れのある物ですかな?」10本の指それぞれに様々な色の宝石の指環を着け、首にも大きな紅玉の首飾りを着けた貴族がヒルデガルトに話し掛けてきた。
「オルテン、男爵、でいらっしゃいましたか?」ヒルデガルトがお披露目の際に挨拶をした貴族たちの記憶を手繰り寄せながら応えると、男は苦笑しながら言葉を継いだ。
「まだ二度目ですので覚えていただけてませんでしたか。オイティン男爵でございますよ。宝石商を営んでおりまして。」
見るからに裕福な商人といった風情のオイティン男爵は愛想笑いを浮かべながら訂正する。王都でも指折りの宝石商である彼は10年ほど前に城壁の修復のために多額の寄附をしたことで男爵に叙された一代貴族である。
「これは申し訳ありません、オイティン男爵。失礼をお許しいただければ幸いですわ。」名前を間違えるという痛恨のミスにヒルデガルトは申し訳なさで眉が下がって困り顔になっている。
「いえいえ、これで名前を覚えていただけたと思えば、こちらこそありがたいことで。以後お見知りおきを。」男爵は腹の前に腕を当てて頭を下げる。慇懃だが、嫌味には見えないところが、これまでの商人としての経験を感じさせる。
「この首飾りは、私が初めて自分の力で手に入れた物ですの。若輩の身に過ぎた物で身を飾るよりも初心を忘れぬようにとこちらを選びましたの。」
「ほう、お若いのにしっかりなさっておられますな。」さも感心したといった感じで男爵は頷いた。
「しかし、子爵もいまや立派な貴族家のご当主。周りの貴族家の方々に見劣りせぬよう、相応の物をお召しになることも重要ですぞ。何でしたら、私の方でいくつか宝石などお持ちいたしましょう。」にこやかな笑みを浮かべ、揉み手をしながら話す男爵の姿はまさに商人だった。
年若く、駆け引きに慣れていなさそうなヒルデガルトは、こうした商人にとってはカモに見えるのだろう。同じように声を掛けてくる者が何人もいたが、ヒルデガルトは相手の話を感心しながら聞くばかりで、遣り手の商人上がりの一代貴族たちも何も収穫を得られないまま引き下がるしかなかった。
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祝宴の開始時刻から半刻ほど経ち、招待客同士が一通り挨拶を交わした頃、ファーレンハイト子爵が王太后の到着を告げた。
「王太后陛下がご到着あそばされました。皆様、静粛に願います。」
その声に招待客たちは一斉に入口の扉に注目する。
子爵邸の使用人が両開きの扉を大きく開くと金銀細工に彩られた豪奢な馬車が止まっていた。
子爵がその馬車の前に近づくと馬車の前に控えていた供の者が馬車の扉を開き、王太后の姿が見えた。
「王太后陛下、ようこそお運びくださいました。」片膝を突き、右の拳を左肩に当てる貴族の礼を執りながらファーレンハイト子爵が頭を垂れる。
「ファーレンハイト子爵、大儀である。」馬車の中から王太后が声を掛けると、子爵は立ち上がり、馬車の中の王太后に向けて右手を差し伸べた。そうして初めて王太后は体を動かし、子爵の手を取って馬車から降りてきた。
中央に大きな金剛石、その横に左右対称に紅玉、碧玉、黄玉を贅沢にちりばめた宝冠を頭に戴き、首元には大粒の緑玉を中心に小粒の金剛石を数十粒繋ぎ合わせた豪華絢爛な首飾りを着けた王太后であるが、決してその宝石に負けることなく、逆に煌めく宝石を光の眷属のように従えている。
王太后が大広間に向かって歩を進める間、広間の中の男性は右拳を左肩に当てながら深々と頭を垂れ、女性は片足を大きく後ろに引き、深く膝を曲げながら頭を垂れる。王太后が上座の定位置に着くまで微動だにせず、広間の中には王太后と王太后をエスコートするファーレンハイト子爵の衣擦れの音だけが響く。
「皆の者、楽にせよ。」王太后の一声にその場にいる者が一斉に顔を上げて姿勢を戻した。貴族といえど子爵や男爵では滅多にその尊顔を拝することも叶わない相手を前に、招待客や子爵邸の使用人たちの緊張が解けることはない。
「まず、ファーレンハイト子爵には大儀である。今宵招待してくれたことに礼を言う。また、ここにいる皆とは日頃、なかなか言葉を交わす機会も無い故、今宵は色々と話をできれば良いと思うておる。遠慮は無用じゃ。」
王太后の言葉が終わると給仕の使用人たちが一斉に招待客らに赤葡萄酒を注いだ小さなグラスを配って回る。
しばらくしてグラスが行き渡ったのを見計らい、ファーレンハイト子爵が乾杯の音頭を取った。
「王国の益々の繁栄と国王陛下・王太后陛下のご健康に、乾杯!」
その声に合わせて、招待客らは王太后に向いてグラスを高く掲げた後、赤葡萄酒を飲み干す。こうした一連の儀礼が終わって、ようやく歓談が再開された。
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「ようこそお越しくださいました、ノルトキルヒェン子爵様。シャルロッテ・フォン・ファーレンハイトと申します。」そう挨拶してきたのは、ヒルデガルトと同年代の子爵令嬢だった。
「初めまして、ファーレンハイト子爵令嬢様。わざわざのご挨拶ありがとうございます。子爵とはいえ、まだお披露目を済ませたばかりの身。せっかくお知り合いになれたのですから、どうぞヒルデガルトとお呼びください。」
「ありがとうございます。子爵家のご当主をお名前でお呼びするのは恐縮ですけれど、お名前で呼ばせていただきますわ。ヒルデガルト様も私のことをぜひシャルロッテとお呼びください。」
「ええ、喜んでそうさせていただきますわ、シャルロッテ様。」
堅苦しい挨拶を交わした後、ヒルデガルトとシャルロッテはお互いに顔を見合わせて、くすりと微笑んだ。同年代の貴族令嬢が少ない中、共通の話題を持てる相手は貴重なのだ。
祝宴に参加している数少ない少女同士、王都で流行っているお菓子や音楽、好きな物語の話で盛り上がっていた最中、ハッとしたようにヒルデガルトが淑女の礼を執り、それに釣られるようにシャルロッテが背後を振り返ると、そこに王太后の姿があった。
慌てて淑女の礼を執るシャルロッテに王太后が声を掛ける。
「シャルロッテ嬢、先の茶会は楽しんでもらえたかえ?」
「は、はい。王太后陛下。王宮でのお茶会は初めてでしたので緊張致しましたが、とても楽しゅうございました。」頭を下げたまま、シャルロッテが応えるが、緊張で少し声が震えている。
「それは何よりじゃ。私もシャルロッテ嬢やほかの皆からそれぞれの領地の話なども聞けて楽しかった。今宵も良き祝宴に来られて嬉しいこと。」
「勿体無いお言葉にございます。」
「ノルトキルヒェン子爵は残念ながら代理の者が出席しておったがの。」からかうような口調ではあったが、王太后から茶会の替え玉出席の話を持ち出され、ヒルデガルトは身を小さくする。
「その節は大変なご無礼を働き、申し開きもございません。如何なるお咎めを受けても当然のところ、ご寛恕を賜りました御恩、深く胸に刻み込んでおります。」
「そこまでして得た宝を見せて欲しいものじゃ。」
そう言いながら羽扇を軽く揺らす王太后に、シャルロッテは顔を青くして、ヒルデガルトの様子を伺う。
周りの招待客たちも三人を遠巻きにして、固唾を飲みながら成り行きを見守っていた。
「かしこまりました。」王太后の言葉を受け、ヒルデガルトは摘まんでいたドレスの裾を落とし、片膝を突くと首飾りに手を回した。
「こちらにございます。お目汚しではございますが、ご台覧くださいませ。」
するりと首飾りを外すとヒルデガルトは片膝を突いたまま、両手で首飾りを捧げ持ち、王太后に差し出した。
「これが・・・」
羽扇をしまい、両手で首飾りを持ち上げた王太后が息を飲む。五つ連なった透明な珠は光の角度によっては虹色に煌めき、両脇の白銀の牙が鋭く光を反射する。
「これは一体?」
「おそれながら、瞳と牙の欠片にございます。」
「何と!生きているうちにこれほどの物を見ることが叶うとは・・・」
驚きのあまり王太后の声が上擦った。鱗や爪であれば、戦いの中で得られることもあるだろう。牙にしても運が良ければ折ることができるかもしれない。しかし、瞳は古龍を倒すか、あるいは千年を超えると言われるその寿命が尽きる場に居合わさない限り手に入らない。「貴重」という言葉ではとても言い表せない物が今目の前にあるのだ。動揺するなと言う方がおかしいだろう。
「よもやヒルデガルトに、我が孫にこれを見せてもらえるとは。私の茶会などこれを手に入れる旅に比べれば何と小さいこと。」言外に、先の茶会の替え玉事件は不問とすることを滲ませながら、もう一度ヒルデガルトの首飾りを光にかざし、そこから放たれる光を見て陶然とする。
「眼福じゃ。素晴らしい宝を見せてもらった。」
王太后は感激に震える声を抑えながら、ヒルデガルトに首飾りを返した。
「我が孫ながら天晴れじゃ。これからも励みなさい。」
「ありがたきお言葉、胸に刻みます。」
首飾りを受け取り、深く頭を下げたヒルデガルトに王太后が言葉を掛けると、周りで固唾を飲んで見守っていた招待客もほっと胸を撫で下ろした。
このやり取りは翌日には王宮内に瞬く間に広まり、王太后が孫娘のためにわざわざ子爵家の祝宴に足を運び、茶会欠席の無礼を許した上にお誉めの言葉を賜ったとして、孫娘であるヒルデガルトは元より、その父であるアルテンシュタット侯への信頼を示すものと受け止められた。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
宮廷関係の場面はどうも冗長になってしまい、恐縮です。
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