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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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母娘三代

アルテンシュタット辺境伯爵夫人クリスティーネに王宮から迎えが来たのは、彼女の母であるヴィンター王太后に書状を送った日の夕刻であった。


大きく陽が傾き、街の家々に明かりが灯り始めた頃、クリスティーネとヒルデガルトを乗せた馬車が王宮へと向かう。

装飾を抑え、落ち着いた外装の馬車であったが、中の座席には柔らかいクッションが敷き詰められ、クリスティーネが好きな香がほんのりと焚かれているのは王太后の心遣いだろうか。


貴族の邸宅が建ち並ぶ街区の真ん中の通りは走らず、周縁部を人目を避けるように王宮へと向かう馬車の中でクリスティーネはこれからのことに想いを巡らせた。


王太后は孫であるヒルデガルトが王都を脱け出したことを知りながら茶会に彼女を招き、病に臥せっているとの言い訳を一蹴して参加させた。

茶会に同席していた貴族の娘たちから聞こえてくる噂では、王太后は「誤魔化しきれたら不問に付していた」と言っていたらしい。

考えられるのは二つ。

一つは禁を犯して、王都を脱け出したことヒルデガルトを断罪するために呼び出した。

もう一つは、ヒルデガルトの不在に気付いた他の貴族が騒ぎ立てる前に、彼女が王都に残っていると王太后自らが保証するために他の貴族の娘たちと同席させた。

もし、後者であったなら、替え玉のハンナがボロを出してしまったために辺境伯爵家を罪に問わねばならない立場に立たせてしまった、こちら側の失態だ。


高位貴族の足の引っ張り合いは女性王族であったクリスティーネには想像もつかなかったくらい陰湿で厳しかった。辺境伯爵家に嫁いできて初めて王族以外の貴族の本当の姿を知ったと言っても過言ではない。

夫のヨーゼフはそんな権力闘争を巧みに乗り切ってきていたと思っていたが、今回は明らかに自ら失地に落ちたと言わざるを得ない。なぜこんなことになったのか、クリスティーネには不思議であったが、ヒルデガルトが持ち帰った物を見て、ようやく腑に落ちた。

白銀の古龍の素材は、沈着冷静な夫の判断を狂わせても何ら不思議はない。それだけの価値を持つものだった。


**********


ヒルデガルトとクリスティーネを乗せた馬車は、王城の正門ではなく、王族が日常に使う西側の小さな門をくぐって中に入っていく。


馬車が止まったのは、王城の中でも王族の生活する区画のさらに奥まった場所にある厨房の勝手口の前だった。


(お母様は私とヒルデガルトが王城に入ったことを徹底的に隠すつもりなのね。)

それが自分達への配慮なのか、それとも何か別の思惑があってのことなのか、想像もつかないが従うより仕方がない。

元王族、いや今の貴族としてもあり得ないが、母と娘は勝手口から王城の中に入っていった。


厨房には、クリスティーネがヨーゼフの許に降嫁する前から王族の日常の食事を作っていた料理人たちが夕食の後片付けをしているところであり、クリスティーネに気が付くと、皆が手を止め、姿勢を正して一礼した。

クリスティーネは軽く頷き、その間をゆっくりと歩き、その後ろにヒルデガルトが続く。


厨房を出た所に待っていた侍女頭に連れていかれた先は、王族でも立ち入りを厳しく制限される王太后の私室であった。


部屋の奥に置かれたソファに腰を掛けた王太后の前でクリスティーネとヒルデガルトは右足を大きく下げて膝を折り、深々と淑女の礼を執った。


「クリスティーネ、そしてヒルデガルト、よく来ましたね。」

「王太后陛下にはご機嫌麗しく。謹慎中の身に王家の馬車をお遣わしくださり、深く感謝申し上げます。」

「クリスティーネは相変わらず他人行儀なこと。ここには私たち以外いないのだから、家族として話しておくれ。」

親子とはいえ、臣下である辺境伯爵家に降嫁した身であることを弁え、きっちりと臣下の礼を執る娘に王太后は苦笑したが、クリスティーネとしては夫である辺境伯が禁を破ったとして王宮に軟禁されている以上、付け入る隙を与えないためにも君臣の別をゆるがせにするわけにはいかない。


「ヒルデガルトは少し会わないうちに、すっかり大人びてきましたね。聞いたところでは北の霊峰シュピッツェに出向いていたとか。」

娘の頑なさに呆れながらも、王太后はクリスティーネの後ろに控えるヒルデガルトに微笑みかけたが、その瞳は決して笑ってはいなかった。


「王太后陛下にはご機嫌麗しく。ご賢察痛み入ります。」

「はぁ。ヒルデガルトまで・・・王太后とは寂しいものですね。」

母親のクリスティーネと同様に折り目正しく臣下としての返答をするヒルデガルトに、王太后は聞こえるように溜め息をついた。


「まあ、良いでしょう。それでヒルデガルトは我が孫とはいえ、辺境伯爵家の娘。王都を脱け出すことは禁に触れると承知の上で脱け出したのでしょうね?」

「存じ上げた上での愚かな行い、申し開きもございません、王太后陛下。」

ヒルデガルトは深々と頭を下げる。実際、禁を犯した事実は事実であり、それを自ら否定することはできない。


「王太后陛下。」そう呼び掛けて、クリスティーネも深々と頭を下げる。

「クリスティーネは何か申したいことがありそうですね。」

「我が愚かなる娘は確かに禁を犯しました。しかし、その罪を贖わせていただきたく、こちらを献上いたします。」

クリスティーネは滑らかな黒絹を両手で差し出した。


「ほう。これが王国の禁を犯す価値があると。」

そう呟きながら王太后は何か薄い物を包んでいる黒絹を受け取ると、その折り目を開いていった。


「こ、これは!」

黒絹の中から現れた白銀に輝く龍鱗に王太后は言葉を詰まらせ、クリスティーネとヒルデガルトを交互に見た。


「こちらはヒルデガルトが禁を犯して王都を脱け出してまで手に入れて参った古龍の鱗にございます。」

頭を下げたままクリスティーネが言上するが、そのような説明を受けずとも王太后にはそれが王国の至宝の一つとされる龍鱗の盾に使われているのと同じ龍鱗であることが分かっていた。


「見事な龍鱗ですね。しかし、この1枚だけでは他の貴族を抑えるには足りぬかもしれません。」

王太后は少し眉を曇らせながら言葉を続けた。

「辺境伯が禁を犯して、娘を王都から脱け出させたことを問題視している貴族たちがいるのです。古龍の鱗が1枚しかなければ、私が孫娘可愛さに王家の至宝である盾から龍鱗を1枚剥がして、それを孫娘が旅先で見つけたことにして皆の目を誤魔化そうとしているとの批判を受けるでしょう。」


「まさか、そんなことが。」

「力のある貴族の中には、アルテンシュタット家を面白く思わない者もいれば、私を恐れ、力を弱めたいと企む者もいるのです。」

王家の力を弱めたいと画策しているであろう貴族たちの顔を思い浮かべながら、王太后は天を仰いだ。


「王太后。龍鱗は1枚だけではなく、こちらに5枚ございます。」そう言ってヒルデガルトは黒絹に包んだ龍鱗を差し出した。


「ほう、5枚とは大したものですね。」

「さらに古龍の爪もございます。」


「お、王国の至宝がもう一組作ることができると申すのか。」

ヒルデガルトの言葉に絶句する王太后の前に、クリスティーネは長く鋭い白銀の古龍の爪を差し出した。


「これだけの物を王室に献上してもなお罪に問われますか。」

クリスティーネは少し顔を上げ、少し挑戦的な目付きで王太后の顔を覗き込んだ。

「いや、これだけあれば誰も文句は言えまい。古の御世に白銀の古龍アデルハイトから至宝を授かって以来、かかる見事な物を手に入れることは王家、貴族家ともに叶わなかったのですから。」


そう答えながら、王太后はどうやって娘婿であるヨーゼフと孫であるヒルデガルトの弁明の場を設けようか思案していた。

無論、それは単に辺境伯爵家の名誉を回復するためだけの生易しいものではないが・・・


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