霊峰の主 その5
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うっすらと輝く結界を身に纏い、ヒルデガルト、デルマ、エオストレの二人と一頭は霊峰シュピッツェの頂にある洞窟を進んでいった。
大陸の北部にある火山特有の黒く固い岩でできた洞窟の壁は、しかし人の手で削られたかのように滑らかだ。
洞窟を満たす黒い靄のような瘴気がヒルデガルトたちの纏った結界に触れると音も無く消滅し、ヒルデガルトたちの形をした通路のようになっていく。
「古龍のすみかだったとは思えない、この瘴気!難儀な輩が入り込んでいるみたいね。」エオストレは充満した瘴気に憤懣やる方ない様子でヒルデガルトたちを振り返った。
(また過去形・・・)デルマはエオストレの言葉に違和感を覚えた。
「エオストレ、この黒い靄のような瘴気は古龍にとっても障りがあるのでしょうか?」
「この程度なら不快なだけで害は無いわ。だけど、かつて古龍が棲んでいた場所が瘴気に侵されているというのは不愉快ね。」
(千年を遥かに越えると伝わる古龍のことを過去形で語る・・・既にここを捨てて余所へ移ったのなら、敢えてこの瘴気に満たされた洞窟に入る意味も無いはずだし・・・)
そんなことを考えながらデルマはヒルデガルトにちらっと視線を送るが、ヒルデガルトは何の疑いもなくエオストレと言葉を交わしている。
**********
二人と一頭が洞窟の中に入って、半刻ばかり時間が経った頃だろうか。エオストレが何かを払い除けるように翼を羽ばたかせると、翼から白銀に煌めく光の粒が舞い散った。
「鬱陶しいわねえ。骸骨の次は幻霊?」
煩わしげなエオストレの声に、ぴくりとデルマが反応する。
「れ、霊?」
「そんなに怯えなくても、ヒルダが張ってくれた結界があるから、そう簡単に悪さはできないわよ。」
心配そうなデルマの声にエオストレが応えた。
「初めて使った魔法ですけれど、大丈夫でしょうか?」今度はヒルデガルトが不安そうに尋ねる。
記憶の奔流に呑まれて、本当に自分がかけたのかどうかも曖昧な聖結界にどれだけの力があるか分からないのだから無理もない。
「心配ない、心配ない。今時の簡略化した魔法と違って、きちんとした術式にヒルダの高い魔力が合わさっているから。」
「なら良いのですが・・・」
ヒルデガルトは、エオストレの説明に納得がいかないというよりも、自身の能力そのものが疑わしいということで不安が拭えないようだ。
「しっ!」突然エオストレが前方に注意を向けた。
エオストレにつられて、ヒルデガルトとデルマもそちらに視線を向けると暗闇の中から何者かが近づいてくる気配がする。
それらは「歩く」というよりも「足を引きずる」といった方が正しいかもしれない。
「あーっと。デルマは見ない方が良いかも。」困ったようなエオストレの言葉にデルマの顔がひきつる。
「まさか?」
「その想像は、たぶん当たらずとも遠からず。雪山で遭難した人間たちの木乃伊よ。」
「ひっ!」
息を飲んで顔面が蒼白になったデルマを見て、ヒルデガルトが庇うように前に立つと、デルマの方を振り返った。
「デルマ先生。私が守って差し上げます。」
ヒルデガルトは暗闇に目を凝らしながら魔力を練り上げていく。
闇に蠢く木乃伊の気配は5体。それがゆっくりと近づいてくる。感じられるのは生者に対する強烈な妬みと渇望だ。
雪の中で倒れ、誰にも知られずに凍りついたまま木乃伊となった遭難者の眠りを破り、使役する何者かに対して怒りを覚えながらヒルデガルトは魔力を高めていく。
「万物を遍く照らす光よ。迷える死者に安らかな眠りをもたらしたまえ。」死者への憐れみと祈りを乗せて言葉を紡ぎ、胸の前で両の掌で包み込むように柔らかな金色に輝く光の珠を膨らませていく。
「さあ。安らかに眠りなさい。『永遠の安息』」
闇の奥から歩いてきた木乃伊たちを視野に捉えると、ヒルデガルトは抱え込むくらいの大きさにまで膨らんだ光の珠をそちらに向かって押しやるように解き放った。
その光に包まれた木乃伊が一体、また一体と崩れ落ち、土に還っていく。
「ヒルダのおかげで、彼らも天に昇って行けたようね。」虚空を見上げながら、エオストレがそう告げた。人ならぬ身のエオストレには昇天する魂が見えたのかもしれない。
ヒルデガルトを後ろから見守っていたデルマも感嘆の溜め息をつく。
「ヒルダ、あなた・・・とても優しくて温かな光だったわね・・・」
そんなデルマとエオストレの言葉に対して、ヒルデガルトが返してきたのは、普段の謙遜や照れとは全く異なる言葉だった。
「山頂の骸や先ほどの木乃伊のように死者の尊厳を踏みにじる者は誰であれ許せません。これは死を約束された生きとし生けるものへの冒涜です。」
決然とした口調でそう告げたヒルデガルトは、強い意志の光を宿した瞳でデルマとエオストレを見つめる。
「デルマ先生、エオストレ。早く奥へ参りましょう。」
(あらあら。何だか火が着いちゃったみたいね。でも、おっとりふんわりのままよりは古龍の相棒としては、それくらいでなくっちゃね。)エオストレは、出会った頃の頼りなげな少女から少し成長したヒルデガルトに温かな眼差しを投げ掛ける。
デルマはデルマで、木乃伊のことも忘れたかのようにヒルデガルトが使ったに興味津々だ。
「今の魔法は私がこれまで学んできた魔導書では見たことが無いんだけど、これもさっきの夢の中で見つけてきたの?」
そんなデルマの問いにヒルデガルトは少し躊躇いがちに応える。
「それがよく分からないのです。ただ、死者を冒涜する行為を許せないと思ったら、頭の中に光の珠の絵が浮かびましたの。」
(うんうん。良い感じ。細いながらも記憶の糸が繋がったみたいね。)ヒルデガルトの言葉を横で聞きながら、エオストレは満足げに頷いていた。
**********
二人と一頭が奥へと進むと洞窟内の瘴気が一段とその濃さを増してきた。
警告するように飛び交う幻霊の数も増えてきて、デルマに見えなくて本当に良かったとエオストレは思う。もし、見えていたらデルマはパニックになるか気を失っていたかもしれない。
しかし、それらの幻霊もヒルデガルトか張った聖結界の光に触れると陽光に照らされた霧のように消えていく。力の強い幻霊は一度ぶつかったくらいで消えはしなかったが、それでもかなりの弱っているようだ。
「何者だ!」
洞窟の奥の大きく開けた場所に足を踏み入れた途端、鋭い誰何の声が飛んできた。
その声の残響が消える前に、裾を引き摺るような黒い長衣に身を包んだ魔導師とおぼしき集団がヒルデガルトたちの行く手を阻むように取り囲んだ。
その肩越しにこれまで歩いてきた洞窟の岩肌とは異質な白く滑らかな光沢のある「壁」が見える。
「怪しげな術で死者の眠りを妨げ、冒涜するあなた方こそ何者ですか?翼竜に観光客を襲わせたのもあなた方ですか?」
普段のおっとりした風情とは打って変わって、貴族らしい威厳を伴ってヒルデガルトが黒ずくめの集団に尋ね返した。
「ほぅ。死霊術を知っているのか。」黒ずくめの集団の中で一人後ろに構えていた男が感心したように声を上げた。頭目だろうか、他の黒ずくめが単なる黒い長衣の中、一人だけ長衣の胸の辺りに複雑な魔法円が刺繍されている。
「骸骨も木乃伊も幻霊を退けて、ここまで辿り着くとはなかなかやるな。」
「あなたがこの者たちの指導者ですか?」
「指導者?否、我は支配者。こいつらは下僕よ。」
ヒルデガルトの問いかけに、頭目は蔑むような声音で応えると黒ずくめたちに命じた。
「そやつらを我が儀式の生け贄に捧げよ。それだけの力を持っておれば、良い贄となろう。」
頭目の命令を受け、黒ずくめたちは怪しげな紋様が刻まれた短剣を抜き、じりじりとヒルデガルトたちとの間合いを詰めてきた。
「これ以上悪事を重ねないでください。今、悔い改めれば見逃して差し上げます。」
柔らかな口調の中にも威厳を秘めたヒルデガルトに一瞬黒ずくめたちの足が止まるが、所詮は丸腰の華奢な少女の言葉。黒ずくめたちは短剣を構え直して近づいてきた。
「ヒルダ、話して分かる相手じゃないわ。」デルマがヒルデガルトの隣に立って横薙ぎに杖を振り、黒ずくめたちを牽制する。
「そうよ、ヒルダ。そんな雑魚どもは放っておいて、あっちの頭目を何とかしないと。アデルハイトを使って何かする気よ!」エオストレが切羽詰まった様子で翼をバタつかせる。
白く滑らかな「壁」に見たこともない模様を書き込んでいた頭目がエオストレの言葉に振り返る。
「これがアデルハイトとよく分かったな。その子龍を捕らえよ。我が死霊術の依り代にしてくれよう。」
(え?え?アデルハイト?白銀の古龍?)突拍子もないエオストレと頭目の会話にデルマは戸惑いを隠せない。どこに白銀の古龍がいるのかと周りをキョロキョロと見回した。
「その白い『壁』がアデルハイト。その男が何か描いているところが左腕の辺りよ。」
エオストレがそう言いながらしなやかな尾を振るい、飛びかかってきた黒ずくめたちを薙ぎ倒した。
「これがアデルハイトの、伝説の白銀の古龍の体・・・」全く事態が飲み込めていないデルマは戸惑いながらも杖を構え、精神を集中させる。
「万物の理を司る魔力よ。炎の矢となりて、敵を貫け!『炎の矢』」
呪文の詠唱とともにデルマの杖の先から10本の炎の矢が飛び出し、5本が黒ずくめたちの方に、2本が頭目の方に飛んでいった。
「あ!また、やっちゃった!」デルマが悔しそうに呟いたのは、10本のうち3本があらぬ方向に飛んでいってしまったからだ。コントロールの悪さはこういうところにも出てしまうらしい。
矢は頭目や黒ずくめを射抜くことこそできなかったが、長衣に火が燃え移った黒ずくめたちが慌てて地面に倒れて転がり、火を消そうともがいた。
他方、頭目は煩わしげに手をヒラヒラと振ると炎の矢は急速に勢いを失い地面に落ちてしまう。見える者が見れば、幻霊が炎の矢にしがみつき、自ら燃え尽きながら炎の矢と一緒に落ちていったのが見えただろう。
「この程度であったか。これでよく骸骨や木乃伊を仕留めることができたものよ。」
頭目は馬鹿にしたような口ぶりでそう言うと、懐から取り出した短杖を頭上にかざした。
すると突然、洞窟の中に突風が吹き、デルマの杖をへし折りながらエオストレに風が巻き付いた。
「幼き龍よ、死霊の依り代となって我が下僕になれ。」くくっと笑いながら頭目が円を描くように短杖を大きく振る。
「何、これ?大蛇の霊?」苦しげにエオストレが身悶えする。
しばらくするとぼんやりとエオストレの体に巻き付いた大蛇の姿が浮かび上がってきた。
所々、腐り落ち、骨が露になった無残な大蛇の姿に、デルマは思わず目を背ける。
「素質のある子龍が手に入って、我は嬉しいぞ。」そう言うと頭目は短杖を左右に動かし、大蛇の霊でエオストレを絞め上げる。
「あなた、人間にしてはなかなかやるじゃない。」エオストレは苦しそうな声ではあるものの、まだ強がりを言ってみせる。
「人間?我はそんな脆弱で下等な生き物ではない。」嘲笑うかのように頭巾を脱ぎ、さらされた頭目の顔は髑髏のそれである。茶色く変色した皮膚が貼り付き、眼窩と鼻腔は光を宿さない全き闇であった。
「不死僧!」デルマが頬をひきつらせながら呻いた。
不死僧は修行を積んだ魔導師や高位の聖職者が永遠の命を求め、自らの肉体に邪術をかけて不死の肉体を得た魔物である。
強大な魔力と高い知能を持ち、熟練の冒険者や上級騎士でさえ返り討ちにされることも多い。
(よもやこんなのがいるなんて。ついてないなあ。)
デルマはもう笑うしかなかった。中途半端な魔術しか操れない自分とまだまだ未熟なヒルデガルト、大蛇の霊に絡め捕られて身動きできない子供の龍とでどうやってこの恐ろしい魔物と戦うのか。
(ヒルダもさぞ怯えているんじゃないかしら?)
諦観にも似た思いに囚われながら、デルマはヒルデガルトに目を向けると、そこには軽く目を閉じ、精神を集中させているヒルデガルトの姿があった。
「万物の理を司る魔力よ、柔らかな霧となりて、安らかな眠りをもたらせ。」ヒルデガルトの呪文の詠唱が終わると頭目とその手下を『眠りの霧』が包み込んだ。
ヒルデガルトの魔力が高まっているのか、荒野で灰色狼を眠らせた時よりも霧が濃い。
「小賢しい小娘め。このような子供騙しで、我は眠りはせぬ。」手下を眠らされた不死僧は忌々しげにそう吐き捨てると、眠りをもたらす霧の中から歩み出る。
何も映さず、光さえ吸い込んでしまうような黒い虚空のような眼窩をヒルデガルトに向け、不死僧は短杖を構えた。
「結界に守られているようだが、我が力の前には無益なことよ。」ニヤリと笑ったかのように骸骨の口を開け、不死僧が短杖を振ると黒い靄のような瘴気が二人と一頭を包む。
ヒルデガルトが張った聖結界に触れた瘴気は霧散していくが、薄まることの無い瘴気に次第に聖結界が侵され、輝きに綻びが生じ始めた。
「かっかっかっ。瘴気の渦に取り込まれ、我が下僕として生まれ変わるが良い。」不死僧がカタカタと歯を鳴らすように笑いを漏らした。己の勝利を信じているのだろう。
「万物を遍く照らす光よ。闇を退け、邪を破らん。」ヒルデガルトは呪文を詠唱しながら胸の前で祈るように両手を組むと、全身から金色の光が溢れ出し、不死僧が操る瘴気を圧倒していく。
「むぅ。この小娘が木乃伊たちを倒したのか!」驚きの声を上げ、不死僧が後ずさった。あれだけの瘴気をいとも容易く祓った光をまともに浴びれば、倒されないまでもしばらくは行動不能になるだろう。
「おのれぇ。斯くなる上は・・・」不死僧はぎりぎりと歯軋りしながら身を翻し、白く滑らかな「壁」に描きかけていた模様の続きを描ききった。
「このような力の使い方は不本意だが、貴様らを贄として贖わせてくれよう。」
不死僧は白い「壁」に描き出された模様に手を添え、魔力を流し込む。
「屍龍よ。我が僕よ。贄を喰らい、更なる力を我に与えよ。」
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