霊峰シュピッツェ その2
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休憩を終え、再び霊峰の頂を目指して歩き始めたヒルデガルトたち。
山岳案内のニコは、ヒルデガルトとデルマがまだ万年雪を見に来た観光客だと思っているが、同時に霊峰にしか生えていない珍しい霊薬の素材を取りに来たのではないかと想像していた。
デルマが兄貴分のザックを助けてくれたこともあり、少しくらいなら薬草などを摘ませても良いと思いつつ、山の民の重要な収入源でもある霊峰の薬草をよそ者に摘ませることは山の民の年寄りたちの怒りに触れないか少し心配でもあった。
整備された登山道は時折傾斜が急な場所もあるが、普通の山道に比べればはるかに歩きやすい。
それでも上り坂を長時間歩き続ければ疲れも出てくるだろう。
「ヒルダ、あなた、疲れないの?王都からほとんど出たことがなければ、こんな山道は初めてだと思うんだけど。」少し息を切らしながら、デルマはヒルデガルトに尋ねた。
当のヒルデガルトは疲れた素振りさえ見せず、涼しい顔でデルマを振り返った。
「ありがとうございます、デルマ先生。清々しい木々の緑に囲まれて、活力を頂けたのか、まだまだ元気ですわ。」
輝くような、という形容詞がぴったりくるような笑顔のヒルデガルトを見て、デルマは小さく「これが若さかなあ」と呟く。
「ニコさん、この山には、岩鏡や稚児車、駒草なんかは生えてないの?」気を紛れさせようとデルマはニコに高い山に生える草花が見られないか聞いてみた。
「そうですねえ。もう少し高い所まで行けば見られると思いますよ。ちょっと登山道から離れた岩場に行かないとダメだけど。」
「そう、あるにはあるのね。」
「そりゃ、ありますよ。霊峰シュピッツェは王国の中でも自然が豊かな所だから。その豊かな自然を守ってるのが、俺たち山の民だ。薬草なんかを考えなしに摘んでいく不届きな奴らから山を守っているんだ。」
鼻の下をこすりながら、へへっ、と自慢げに笑うニコ。爵位こそ持たないが山の民の族長は領主として君臨し、王家はそれを黙認しているのだろう。
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太陽が中天を過ぎた頃に一行は万年雪が見られる高さまで辿り着いた。
「わぁ、本当に夏でも雪が残っているのですね!」明るい陽光に輝く万年雪を前にして、感嘆の声を上げるヒルデガルトに、デルマは妹を見るかのような温かい眼差しを向ける。
(王都に閉じ込められていたら、こんな景色を見ることもなかったんだろうなあ。)箱入り娘のヒルデガルトを王都から連れ出したことに少し後ろめたさのあったデルマも、今のヒルデガルトの笑顔を見ると、連れ出して良かったと思えるようになった。
(さて、ここから山頂に行くために、ニコ君をどう丸め込むか・・・)デルマは雪を触って「冷たい」とはしゃぐヒルデガルトと、その近くで休憩しているニコを眺めながら思案する。
慣れない雪山を登るのに、山の民のニコの案内は欲しい。一方で山を神聖視する山の民が部外者を山頂に招き入れることを良しとしないことは容易に想像できる。
ヒルデガルトの『親友』である白銀の龍にお出まし願うか。
伝説に聞く白銀の古龍アデルハイトの子どもどころか曾孫のような幼い龍だが、龍は龍。しかもアデルハイトと同じ白銀に輝くその姿に山の民も跪くのではないか?
デルマが想いを巡らせていると、ニコが声を掛けてきた。
「デルマさんはせっかくの万年雪を楽しまないんですか?」
「そうね、せっかくだし、雪割草でも探そうかしら。」
ニコに軽く応えながら、デルマはヒルデガルトの方に歩いていった。
「ヒルダ、伝説ではこの雪山を登った山の頂にある洞窟が白銀の古龍アデルハイトのすみかだと言われているわ。そこまで行くべきなのかどうか、お友達に聞いてもらえないかしら?」デルマはニコに聞こえないよう、囁くような声でヒルデガルトにそう頼んだ。
「かしこまりました、先生。」そう応えるとヒルデガルトは雪を触っていた手を引っ込めて軽く目を瞑り、心の中でエオストレに呼び掛けた。
(エオストレ、霊峰シュピッツェに登ってまいりましたが、頂上まで登る必要はありますか?)
(うふふ。この山には初めて来たけど、懐かしい感じがするわ。)
エオストレの第一声は嬉しげな調子だった。
(山の頂にこちらの世界と龍の世界を繋ぐ入り口があるはずよ。向こうの世界で感じなかった波動をこちらでは感じるから、何かあるとしたらこちら側の世界だと思うけど。)
(そうなのですね。では、少なくとも山頂までは行かなければならないのですね?)
(ええ、ヒルダも一緒に来てくれるわよね?)
(もちろん、私はご一緒させていただきますわ。でも、デルマ先生やニコ様をお連れしてもよろしいのでしょうか?)
もし、白銀の古龍アデルハイトに関わるものがあった場合に、それを部外者に見せて良いのかどうか、あるいは、エオストレが波動に雑音が混じると言っていたことから、何か障害ががあって、デルマたちを危険な目に遭わせてしまうのではないか。
そんな懸念もあって、ヒルデガルトはエオストレに二人を連れていくべきかを尋ねた。
(デルマは信用できる人間だし、ニコはアデルハイトを崇拝している一族でしょ。万が一、邪な心を起こして、私たちに害を為そうとすれば返り討ちにするだけよ。逆に多少の危険があっても人間二人を守るくらい容易いことよ。)
エオストレは、ヒルデガルトの懸念に軽やかに応える。
(返り討ちにするにせよ、守るにせよ、ヒルダと私にはそれだけの力があるわ。)
「わ、私も、ですか?」白銀の古龍と念話をしていたヒルデガルトだが、自身にも返り討ちにする力があると言われ、思わず声に出してしまった。
突然、声を上げたヒルデガルトに驚いて、デルマだけでなく、ニコもヒルデガルトの方を振り返った。
(当たり前じゃない。あなたは私の、私はあなたの力を使えるもの。)なぜヒルデガルトが驚くのか分からないといった調子でエオストレが応える。
突如、戸惑った様子で独り言(?)を呟くヒルデガルトをニコは不思議そうに眺め、デルマは興味深そうに見守る。
(私も少しは魔法を扱えるようになりましたが、とても人様と争えるとは思えませんわ。エオストレは古龍ですからお強いのは分かりますが・・・)
(だから、あなたは私と繋がっているの。だから、ヒルダは私の力を引き出して、使うことができるのよ。)
(そんな、とても無理ですわ。)
頑なに否定するヒルデガルトに半ば呆れつつ、エオストレはヒルデガルトに万年雪の前に立つように促した。
(さあ、ヒルダ、この万年雪に向かって、右手を掬い上げるように回してみて。)
(こ、こうですか?)
エオストレの言葉に従い、ヒルデガルトは白く輝く雪の前に立つと、右腕を少し後ろに傾けた後、円を描くように下から腕を回した。
その刹那、ヒルデガルトの前方の固く締まった万年雪の下から雪を切り裂くように二筋の光が山頂に向かって伸びていく。
その光に挟まれた氷が砕け散ったかと思うと、形を変えて固まっていき、白く煌めく階段を形作っていった。
一面の雪の上に一段また一段と流れるように階段が伸びていく様は驚きとしか言いようがなく、デルマやニコはもちろん、自ら腕を振って階段を造った格好になったヒルデガルトも唯々息を飲むばかりだった。
(さあ、雪でも歩きやすくなったでしょう?)
無邪気なエオストレの呼び掛けに我を取り戻したヒルデガルトは驚きで大きな声を出しそうになった口を押さえた。
「こ、これを私が?」山頂に向かってまっすぐと続く氷の階段を見て、絶句するヒルデガルト。
(そうよ、あなたがこの階段を造ったのよ。)
(でも、エオストレ、あなたの力があればこそ、造ることができたのであって、私が造ったとは言えないのではないでしょうか?)
(それは違うわ、ヒルダ。私の魔力を使ったかも知れないけど、それは、あなたが私の力を自分の物として引き出すことができたからこそなのよ。)
(これが古龍の力・・・)
(さて、ここからは寒くなってくるから、外套を用意して、山頂まで登っていきましょう!)ヒルデガルトの影の中にいるエオストレは、自分で歩くわけでもないのに明るくヒルデガルトを促した。
「あの、デルマ先生、ニコ様。この階段を昇っていくよう、私のお友達が申しておりますの。」
少し上目遣いになって、少し戸惑った様子で申し出るヒルデガルトに、まず反応したのはニコだった。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待った。」慌てて万年雪の中に伸びた階段の前に立ち塞がるように立ったニコは、ヒルデガルトやデルマを押し止めるように両腕を広げた。
「こ、この階段は何だ?神聖な白銀の古龍様の住まう山頂を騒がすことは許されん。」
「この頂にアデルハイト様がいらっしゃるのですね。私はアデルハイト様にお目もじするためにはるばる王都より参りました。どうかお通しくださいませ。」
祈るようにお願いするヒルデガルトに、ニコは少したじろぐような気配を見せるが、それでもなお立ち塞がっている。
「駄目だ、駄目だ!万年雪は白銀の古龍様の聖域の証。それをこんな風に階段にしてしまうことだけでも許し難いのに、さらにそこに足を踏み入れるなど到底認めることはできない。」
顔を紅潮させながら、ニコは大きな声でヒルデガルトの頼みを拒絶し、腰に下げた角笛を取り上げて、一息で大きな音を響かせた。
「まずいわね・・・」そう呟きながら、デルマは荷物袋から白く濁った霊薬の入った小瓶を取り出しながら、ヒルデガルトの後ろにそっと寄り添った。
「ヒルダ、おそらく大勢の山の民がここに集まってくるわ。その前にここを突破して山頂まで駆け上がらないと何をされるか分からないわよ。」デルマはヒルデガルトの耳許で囁くと、ヒルデガルトの前に出ようとした。
「お待ちください、デルマ先生。白銀の古龍を崇める山の民の方々を傷付けることは、私のお友達も本意ではないと思います。」
左腕を伸ばして、自身の前に踏み出そうとするデルマを制しつつ、ヒルデガルトはニコの目をまっすぐ見据えた。
「ニコ様。そこをお通しくださいませ。私たちは聖域を汚すつもりは毛頭ありません。ただどうしても我が友をアデルハイト様にお引き合わせしなければならないのです。」
「友達?その友達はどこにいるんだ?適当なことを言うんじゃない。」
少し苛立ちを含んだニコの声は、かつてのヒルデガルトであれば立ち竦んだであろう迫力を帯びている。
(育ちは良さそうだが、頭が少し弱いのか?突然独り言を呟いたり、居もしない友達を居ると言ったり、聖域に登りたいと言ったり。)
ニコはヒルデガルトを見極めようと鋭い視線を送る。
「ヒルダ、ニコさんに納得してもらった上に登りたい気持ちは分かるけど、時間が無いの。」
焦れたように囁くデルマにヒルデガルトは一瞬申し訳なさそうに振り向いたが、すぐにニコに視線を戻した。
ヒルデガルトとニコの視線がぶつかり合ったまま、どれくらい時間が経っただろうか。
二人の均衡は思わぬところから破られた。
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