霊峰シュピッツェ その1
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山岳案内の組合で案内人を雇い、ついでに外套も借りたヒルデガルトとデルマは、麓の街シュネーベルクを後にし、霊峰シュピッツェへと足を踏み出した。
結局、組合の案内人で二人の山登りの案内を買って出たのは、山の民出身の若い駆け出しの案内人だけだった。
「今回、案内をするニコと言います。案内人としては駆け出しですが、シュピッツェは物心ついたときから庭として遊んできたので安心してついてきてください。」
そばかすの目立つ、まだ幼さを残した顔をしたニコは指で鼻の下をこすりながら、自己紹介をした。
「私はデルマ、こちらはヒルダ。山登りは素人なので、ゆっくり登ってくださいね。」デルマ自身は霊薬の素材となる薬草を探して各地のやまを登った経験があるが、ヒルデガルトは全くの素人なので、ニコにゆっくり登るようお願いする。
「分かりました。できるだけゆっくり登るけど、しんどくなったら言ってください。すぐに休憩を取りますんで。」そう言って、ニコはへへっと微笑んだ。
「ヒルダと申します。頑張ってついて参りますので、よろしくお願いいたします。」ヒルデガルトがそう言ってにっこりと微笑むと、ニコは少し照れたように任せとけと拳で自分の胸を軽く叩いた。
霊峰シュピッツェは標高約1,600クラフテル(3千メートル)、王国3番目の高さを誇り、標高1,000クラフテル(約1,900メートル)付近から万年雪が見られるようになる。
長年、観光客が登ってきたこともあり、楽に登れるルートが整備されているが、逆に言えばそのルートを外れて登ることを山の民は非常に嫌う。
特に万年雪が始まる標高1,000クラフテルよりも上の部分は滑落事故も多く、山の民は部外者がそこを越えて登ることを禁じている。
山の民に古くから伝わる言い伝えでは、山頂には太古の昔にできた噴火口があり、その奥に白銀の古龍アデルハイトが棲んでいるとされている。ただ、その中を覗き見ることは古龍の怒りに触れる禁忌とされ、山の民は「見るなかれ、語るなかれ」と厳しく戒めている。
今回、デルマは万年雪が見たいと組合に伝えており、建前としては標高1,000クラフテル付近まで整備されたルートを登ることになっている。
本当の目的は白銀の古龍が住まうと言われる山頂の噴火口を目指しているのだが、それを今の段階で明かす必要もないし、ニコには1,000クラフテル付近で眠ってもらうことになるだろうと、デルマは考えている。
気がかりなのは、昨日、山岳案内人に大怪我を負わせた「魔物」である。冒険者ギルドは殊更に「赤羆」であると強調していたが、デルマの見立てでは赤羆よりも長い爪と牙を持った魔物であろう。
山に棲む魔物でそのような爪牙を持つものの心当たりは無いが、この際、「山に棲む」という先入観は取り払った方が良いかもしれない。
「ヒルダ、エオストレ。いつ魔物あるいは魔物のふりをした人間に襲われるかもしれないから気を抜かないでね。」デルマは先頭を歩くニコには聞こえないように小声でヒルデガルトに耳打ちする。エオストレにも呼び掛けたのは、テルミッツの街でヒルデガルトを誘拐しようとする輩が近づいていることをエオストレが警告してくれたように、今回も警告してくれることを期待してのことだ。
それにしても、とデルマは思う。山に魔物が出たかもしれないというのに、経験の浅いニコを案内人として紹介してきた組合は何を考えているのだろうか。もしかして、よそ者の女二人を生け贄にでも差し出すつもりなのかしら?
そんな不信感を持ちながら、デルマは前を歩くニコの背中を見つめていた。
**********
山の中腹辺りになると、高く鬱蒼とした森ではなくなり、木々の背丈も人間の倍程度まで低くなってきた。
少し平らになって開けた所まで辿り着くと、山岳案内のニコがそろそろ休憩しましょうと声を掛けてきた。
ニコに従って、ヒルデガルトとデルマは歩みを止めると、切り株に腰を掛けて背負っていた荷物を下ろした。
「さすがに歩き詰めで少し疲れましたわ。」そう言ってヒルデガルトは自身の背負い鞄の中から水袋と木をくり貫いた器を取り出し、水を注いだ。
デルマも荷物袋から水袋と木の器を取り出し、器に水を注いだ後、さらに黄色い液体の入った小瓶を取り出し、器に入った水にその液体を5滴ほどたらした。
「デルマ先生が、そのきれいな色の霊薬は何ですの?」
ヒルデガルトが興味深そうに尋ねるとデルマは小瓶を振って見せながら、これは霊薬ではなく、単に栄養素を溶かし込んだ液体だと説明した。
「栄養素、ですか?」
「そう。ご飯を食べると、それが私たちの血となり、肉となるでしょ?それは食べ物に私たちの体に必要な栄養素が含まれているからなの。この液体はその栄養素の一部を抽出して、濃縮した物よ。」
「食べ物はパンやお肉みたいに固体の物が多いように思いますが、そのような液体にできるのですか?」
「固体でも酸で処理して水に溶けるようにしたり、油やお酒で必要な栄養素を抽出するの。食べ物を食べるのに比べると一部分しか摂取できないけど、必要な物を選んで取ることができるのよ。」
「そうなのですね。魔力を籠めた霊薬と違って、錬金術みたいですね。」
「ああ、確かに。錬金術に近いかもしれないわね。ヒルダも試してみる?」
「そのような貴重な物を頂いてもよろしいのでしょうか?」
「王都に帰れば、すぐに作れるから構わないわよ。これからまだ道程は長いし、ヒルダも栄養をつけなさい。」
そう言うとデルマはヒルデガルトの器にも黄色い液体を5滴たらす。
「さあ、味見してみて。」
そうデルマに促され、ヒルデガルトは目を瞑って、器の水を半分くらい喉に流し込んだ。
「あら。何だか爽やかな香りがして美味しいですわ。」
「でしょ。これは柑橘類や植物の種から抽出した物で疲労の回復に役立つ栄養素が入っているの。」
二人がそんな話をしているのをニコが見つめているのに気が付いたデルマは、手招きをした。
「あなたも飲んでみる?」
その声にニコの顔が明るい笑顔に変わる。
「ありがとうございます!」大きな声で礼を述べながらそそくさと器を差し出すニコ。
「原液はかなり濃いから水で薄めて飲んでね。」そう言いながらデルマはニコが差し出した器に黄色い液体を5滴たらした。
ニコはその液体を薄めないまま指につけて舐めてみる。
「うげっ!苦くて、酸っぱい!」思い切り顔をしかめたニコが、ぺっぺっと唾を吐いているのを見て、デルマは呆れたように肩をすくめた。
「だから言ったでしょ。薄めないと濃すぎるのよ。」
「ほんとですね。でも、いかにも効きそう。」半分、涙目になりながらニコは器に水を注いで黄色い液体を薄めた。
「あ、うまいな、これ。これならいくらでも飲めそうだ。」
「だめだめ、飲みすぎると逆に体に負担がかかるから。過ぎたるは及ばざるが如しってね。」
そう言うとデルマは黄色い液体が入った小瓶を荷物袋にしまい込んだ。
「ところでニコさん。昨日、山で魔物騒ぎがあったのは当然知ってるわよね?」デルマは切り株に腰を掛けながら満面の笑みを湛えて山岳案内の少年に質問した。いや、有無を言わせぬデルマの雰囲気からは疑問形をした断定かもしれない。
「あっ、えーっと。」突然の質問にニコは言葉を詰まらせる。
「魔物、魔物・・・」
「昨日の昼下がりに山で大怪我をした山岳案内の男の人が『見たことの無い魔物が出た』と騒いでいたわよね?組合でも対応に追われたんじゃない?」
「あ、いや、怪我は大したことなくて・・・」完全に惚けきれないところがニコの未熟さだろう。そこにデルマが畳み掛ける。
「そう?大したことがないと言えるくらい回復していて良かったわ。大きく切り裂かれていた背中の傷を治療したのは私だもの。」
「あ、あんたがザックの怪我を治してくれたのか!」躊躇うような素振りだったニコがデルマの言葉に破顔した。
「シュネーベルクにこんな腕の良い医者はいないって、組合のみんなで言っていたんだ。」
「それは良かったわ。でも私は医者ではなくて薬師だけどね。」さりげなく「薬師」を強調するのがデルマらしいと言えばデルマらしい。
「それで、本題に戻るけど、この山には魔物が出るのね。」デルマが真面目な顔で改めて尋ねると、ニコは苦しげに息を吐き出した。
「去年まで山の低い所には一番大きくても赤羆しか出なかったんだ。」そう答えるニコの顔はつらそうだ。
「でも、今年の雪解けから角が生えた大きな蜥蜴の化け物とか首が三つもある大蛇が出るようになって・・・」
「うーん、蜥蜴に大蛇ねぇ。昨日のザックさんだっけ、の傷は蜥蜴や大蛇のものではなさそうだったけど。」ニコの答えにデルマは首を傾げた。
「デルマ先生、もしかして鷲獅子ではありませんか?昨日、お怪我をされた方の傷は以前に魔術の先生に連れていっていただいた森でお見かけした騎士様の傷によく似ていた気がいたします。その騎士様は鷲獅子に襲われて大怪我をなさっていたのです。」おそるおそるといった風情でヒルデガルトが口を挟んだ。
「鷲獅子・・・確かに鷲獅子の前足の爪であればあれくらい深い傷を与えられそうね。ニコさん、ザックさんは魔物について何か言ってませんでした?」
「鷲獅子って、どんな化け物なんだい?ザックは見たこともない魔物と言っていたけど・・・そう言えば空を飛ぶって言ってた!」
「そう。ならヒルダが言うとおり鷲獅子の可能性もあるわね。ああ、こんなことなら昨日、きっちり裏を取っておくんだった。厄介ごとに巻き込まれたくないからって、治療だけしてあの場を離れるんじゃなかったわ。」ぶつくさ言いながら、デルマは考えを巡らせた。
「それにしても、角蜥蜴や三つ首大蛇に鷲獅子。シュピッツェがこんなに危ない場所になってるなんて、想像もしなかったわ。」デルマは、ヒルデガルト、正確にはヒルデガルトから伸びる影に視線を落としながら、愚痴のように呟いた。
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