荒野を越えて その2
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横転した馬車から抜け出した途端、狼に飛びかかられたもの何とか難を逃れたヒルデガルトとデルマだったが、まだ、目の前では2頭の狼が威嚇の唸り声を上げている。
狼たちはヒルデガルトとデルマの方にじりじりと近づこうとするが、そのたびにデルマが目潰しの赤い霊薬の入った小瓶を振りかざして牽制し、にらみ合いが続く。
ヒルデガルトとデルマが2頭の灰色狼に足止めされる格好になっている中、冒険者の男が2頭目の狼を叩き斬ったが、疲労の色が濃く、大剣を振るう速度が落ちてきているのが、デルマたちにも見て取れた。
「まずいわね。ヒルダ、向こうの狼の群を何とかできない?」
「何とかとおっしゃいましても・・・」
デルマの言葉にヒルデガルトは首をかしげて一瞬考えると、すぐに呪文の詠唱を始める。
「万物の理を司る魔力よ、柔らかな霧となりて安らかな眠りをもたらせ!」
軽く目を瞑り、精神を集中しながら、ヒルデガルトは白い『眠りの霧』が冒険者と周りの狼たちを包み込む姿を想い描き、冒険者たちの方に向かって右手を大きく横に薙いだ。
その刹那、冒険者の男を中心に周りの狼たちも包み込む形で乳白色の濃い霧が立ち込め、それまで響いていた狼たちの威嚇の唸り声がぱたりと止んだ。
(うわ、ずいぶんと無茶な魔法の使い方を・・・)
味方である冒険者の男まで巻き込むような形で魔法を発動させたヒルデガルトにデルマは呆れるしかなかった。もし、男だけが眠って、狼が眠らなかったら笑えない喜劇以外の何物でもない。
幸い、冒険者の男を取り囲んでいた狼たちは全て眠ったようだが、おまけで冒険者の男も眠ってしまったのかもしれない。とどめを差す音も聞こえず、霧の中は静まり返っている。
ヒルデガルトが魔法に集中し、デルマがそちらに気を取られた隙を逃さずに2頭の狼が吠えながら、2人に向かって走り出した。
「うわ、来るな、来るな!」デルマは慌てて赤い液体を振り撒き、1頭を無力化したがヒルデガルトに向かった1頭まで止めることはできなかった。
狼がヒルデガルトに飛びかかり、その華奢な首筋に牙を立てようとした瞬間、突然、狼が地面に叩きつけられた。
(な、何が起こったの?)
その様子を見ていたデルマは目を疑った。
(あの子の影から白い鞭のような物が伸びた気がしたけど、見間違いかしら?)
魔法を使うために集中していたヒルデガルト自身も狼の悲鳴で我に返り、目の前に狼がひっくり返っているのを見て、びっくりして飛び上がるように後ずさる。
「え?え?何で狼が?お、襲ってこないかしら?」
倒れて動かなくなった狼から目を放さないようにしながら、ヒルデガルトはデルマのそばまで後退してきた。
「デ、デルマ先生。この後はいかがすればよろしいのでしょうか?」恐る恐るヒルデガルトが尋ねる声で、デルマは我に返った。
「そ、そうね。まずは、この治療用の霊薬であの若い子を治してあげて。」そう言ってデルマは左手に持っていた霊薬の瓶をヒルデガルトに手渡した。
「血や汚れを洗い流すように霊薬をかけて。」
呻き声を上げながら横たわっている若い男の方に歩いていくヒルデガルトの後ろからデルマが指示を出す。
「私の方は狼を何とかしないとね。」そう独りごちながら、デルマはひっくり返っている狼に向かい、とどめとばかりに狼の目と鼻に赤い液体をかける。
その痛みで目が覚めた狼は、キャンキャンと鳴きながら尻尾を巻いて逃げていった。
ヒルデガルトは倒れて呻いているテオの横に膝を突くと、デルマの指示に従って、その腕とふくらはぎの咬み傷に霊薬を注いだ。
ふくらはぎの傷がかなり深そうで、なかなか血が止まらない。
(どうしましょう。このままでは危ないですわね。)大量の血を前にヒルデガルトは動転してしまい、おろおろと目の前の若者とデルマの方に視線を泳がせた。
「ヒルダ、そっちは大丈夫?」ヒルデガルトの視線に気付いたデルマが声を掛ける。
「先生、血が止まりません。お薬が効かないくらい酷い怪我なのかもしれませんわ。」震える声で答えるヒルデガルト。
「すぐ行くわ。」そう言ってデルマは荷物袋を拾い上げて、ヒルデガルトの方に駆け寄った。
「確かに酷い傷ね。肉が半分喰い千切られてる・・・」痛々しく、目を背けたくなるような大怪我だ。慣れていないヒルデガルトが動転するのも当たり前だろう。デルマでさえ直視するのがつらい。
「霊薬では限界があるわね。このままだと後遺症が残ってしまうかも。」デルマは荷物袋の中の霊薬を見繕いながら呟いた。
「こ、後遺症!歩けなくなったりするのですか?」想像するだけでも恐ろしい現実にヒルデガルトは泣きそうな表情でデルマを見た。
「歩けなくなることは無いと思うけど、今みたいに戦うのは無理かも。」
「そんな。私たちを守ってくださった方が、そんな。」ヒルデガルトの声が湿り気を帯びる。
『ヒルデガルト、あなた回復魔法が使えるのではなくって?』
突然ヒルデガルトの頭の中に白銀の古龍の声が響く。
『!』
『動転しているのは分かるけど、あなたにできることをしなさい。』白銀のエオストレは優しく諭すように続けた。
『魔術の修練で森に行った時に騎士見習いを助けたのを思い出して。』
「そうですわね。」そう呟くと、それまで泣きそうだったヒルデガルトの表情が引き締まった。
ヒルデガルトは呼吸を整え、精神を集中させるながら、若者のふくらはぎの傷に右の掌をかざす。
『清浄』そう唱えた瞬間、ヒルデガルトの掌から金色がかった白い光が溢れ出し、牙の痕に入り込んだ狼の唾液まで浄めていく。
続けて、かろうじて繋がっているふくらはぎの筋肉を両手で傷口に張り合わせるように押さえながら、『治癒』と唱えると金色がかった白い光によって傷口が塞がってゆく。
「た、助かったぁ。」テオは深く溜め息をつくような声を漏らした。
「あんた、大したもんだな。おかげで命拾いしたよ。」テオはまだ横たわりながらも穏やかな声でそう言うと、自分の胸の上に置かれているヒルデガルトの手を握った。
「あ、あの。」突然手を握られて、ヒルデガルトは戸惑って手を引っ込めようとしたが、しっかりと握られて離れられない。
「あの、手を離してくださいますか?」困った顔をしてヒルデガルトがお願いするが、テオは手を握ったまま、ヒルデガルトを見つめる。
「はいはい、まだ終わってないわよ。あっちの狼を始末しないと、また襲ってくるわよ。」
困惑するヒルデガルトを見かねたデルマがわざと大きな声を出しながら、ヒルデガルトの腕を取って立ち上がらせようとした。
「坊やは邪魔をしないで休んでなさい。」デルマはキッと鋭い視線を向け、テオの口に霊薬の入った小瓶を突っ込んだ。
「うげ、苦いな、これ。」テオは霊薬の苦さに顔をしかめながら、ヒルデガルトの手を離した。
「良薬は口に苦し!我慢して飲みなさい。」
そう言いながら、デルマはヒルデガルトを立ち上がらせ、二人で霧の方に歩いていく。
最初は霧が濃くて何も見えなかったが、今はかなり薄れてきていて、ぼんやりと中が見える。
そこには膝を突き、剣を支えにしながら眠っている冒険者の男を中心に狼たちがひっくり返っている姿があった。
「一度にこれだけ眠らせるなんて。そこの冒険者もなかなかの手練れみたいだけど、それさえも眠らせてしまってるし。」
感心半分、呆れ半分といった調子でデルマはヒルデガルトを振り返った。
「申し訳ありません、デルマ先生。必死でしたので、加減がよく分かりませんでしたの。」考え無しに魔法を使ったのを呆れられたと思い、ヒルデガルトは少ししょんぼりしている。
「ううん。責めてる訳じゃないのよ。ただ、味方を巻き込むような魔法の使い方はよほど注意しないとね。」
「・・・はい・・・これからは気を付けます。」
そんな会話をしている内に霧がほぼ晴れたので、デルマは荷物袋から丈夫な縄を取り出し、眠っている狼の後ろ脚を動かせないように束ねて縛っていった。
付け根と足先をそれぞれしっかりと縛るので、いかに力が強い狼といえども力を入れられず、そこから抜け出すのは至難の業だろう。
「デルマ先生は、薬草だけでなく、動物の扱いにも慣れていらっしゃるのですね。」
狼たちの自由を奪っていくデルマの手際の良さにヒルデガルトは感心することしきりだった。
「さあ、その冒険者さんを起こしてあげて。」デルマにそう促され、ヒルデガルトは慌てて眠っている冒険者の肩を揺さぶった。
「目をお覚ましくださいませ。」遠慮がちに声を掛けたところで、冒険者はなかなか目を覚まさない。
「やれやれ、だいぶ深く魔法にかかってしまったみたいね。」男を起こそうと肩を揺さぶりながら声を掛けているヒルデガルトを見ながらデルマは荷物袋から小瓶を一つ取り出した。顔を背けながら小瓶の蓋を開けると、ツンとした刺激臭が辺りに漂う。
「デルマ先生、それは?」刺激臭を避けるために鼻を押さえながらヒルデガルトが質問した。
「気付け薬よ。大抵の人間はこれで目を覚ますわ。」
そう答えながらデルマは男の鼻先に小瓶を当てがった
「ゲホゲホ。」刺激が強すぎたのか、男は激しく咳き込みながら目を覚ました。その目には涙さえ浮かんでいる。
「ひどい臭いだな。おかげで一発で目が覚めたよ。」
「いい気付け薬でしょ。」そう言ってにっこりと笑うデルマに釣られて、男も涙の浮かんだ目で笑う。
「どうせなら美女の口づけか旨い酒で起こして欲しかったな。」
「そんな軽口が叩けるなら、狼に噛まれた傷はそれほど深くなさそうね。」
小瓶の蓋を閉めて荷物袋に仕舞い込んだ後、デルマは男の体の傷を診ながら、いくつかの霊薬を取り出して治療を始めた。
「あんた、薬師だったのか。」霊薬を塗られた傷がみるみるうちに治っていくのを見て、男は目を見張った。
「それもかなりの腕前だ。」
「まあね。冒険者は良いお得意様だから、こういう怪我を治す薬は作り慣れてるの。」 傷口に次々と霊薬を塗り込み、治療していくデルマ。
「こんな腕の良い薬師と一緒の道中だったとは、俺も運が良い。俺はマリウス。良かったらあんたの名前も教えてくれないか?」
「私はデルマ。王都で薬屋を開いているわ。霊薬が必要になったら買いに来て。」
「あの眠りの魔法もあんたの仕業か?」傷の治療を受けながら、マリウスが尋ねると、デルマは顔を上げて、ヒルデガルトの方に振り返った。
「あの魔法はその子よ。」
デルマの視線の先にいる、子供からようやく大人になりかけたといっても良いような可憐な美少女を見て、マリウスは二度驚いた。
「こんな子供が、あれほどの魔法を!不意打ちとはいえ、眠らされるとは思わなかった。」
「申し訳ありませんでした。まだ未熟者ですので魔力の加減が上手くできなくて。」申し訳なさそうに頭を下げるヒルデガルトにマリウスは大きな声で笑った。
「いやいや、いやいや若いのに大したもんだ。俺が寝てしまうくらいの力があれば、灰色狼なんか問題にもならないだろうし、嬢ちゃんの魔法の使い方が一番効率的だ。あとは俺が眠らされないくらい強くなれば万事解決だ。」
味方を巻き込んでの魔法に苦言を呈していたデルマが普通だろうに、この冒険者は自身の力が足りなかったと言う。常にこういう味方ばかりではないだろうから、もう少し魔法の使い方を勉強しなければとヒルデガルトは心を新たにした。
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