ヒルデガルト その3
読んでくださって、ありがとうございます。
引き続き物語を紡いでいきますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。
シュタイン王国に春の訪れを告げる聖フリューゲルの日は、昼と夜の長さが同じになるいわゆる「春分の日」に当たる。
春が始まるこの日、シュタイン王国の人々は明るく着飾って、ゴルトベルク城の城壁の外、東の外れにある聖フリューゲルを祀る祠に集い、明るい陽光を寿ぐとともに緑の芽吹きを喜ぶ祝祭を催す。
また、王宮では貴族をはじめ文武百官が国王に喜びの言葉を述べるとともに、国王が祝福を授けるのが習慣になっている。
王城「北の華」の大広間に立ち並ぶ貴族そして文武百官を前に、子どもには重すぎる赤いガウンの正装と大きすぎる王冠を戴いた国王カール3世は今年ようやく10歳。
「な、長き冬を耐え、緑芽吹く、せ、聖フリューゲルの日を卿らと共に、迎えられたことは、余の、大きな、喜びとするところである。け、卿らの忠誠を、聖フリューゲルと、共に称え、お、王国の繁栄を願わん。」
横に立つ祖母、ヴィンター王太后をちらちらと横目で見ながら、たどたどしく祝福の言葉をかけた。
舌を噛みそうな、幼王が間違えずに祝福の言葉を言い終えたことを本人以上に安心したのは最前列の上級貴族たちだったかも知れない。
ヴィンター王太后は、優しげな微笑みを孫に向けながらも、貴族たちの動きを見逃さぬよう、ちらりと鋭い視線を投げ掛けた。
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聖フリューゲルは、大いなる大地の力を宿した大魔導師であり、千年の昔、大陸を支配し、暴虐の限りを尽くしていた魔王を封印した七聖人の一人とされている。
その強大な魔力により、凍てついた不毛の大地を緑なす沃野に変えたという伝説から、春の訪れを祝う日が聖フリューゲルの日とされた。
ゴルトベルク城の城壁の外では、聖フリューゲルの祠の周りの木々が、領民が長い冬の間に織った色とりどりの布で飾り付けられ、そこから城門までの間には数々の露店が立ち並んでいる。
普段は商人組合が城壁内と街道の商売や流通を取り仕切っているが、七人の聖人の日と王が指定した数日間は誰もが自由に市を立て、誰にも邪魔されずに商売することが許されている。
このため、今日は近隣の都市から集まった商人や職人たちだけでなく、近郊の農村からも農民たちが集まって露店を構え、自分たちで作った菓子や機織りした布、木工細工などを売ったり、店先で鶏を捌いて串焼を焼いて売ったりしている。長い冬の間、こつこつと作ったそれらの品々を売ることで得た収入で、これからの農作業で必要となる農具や普段の生活道具などを買うため、露店商売ができる聖人の日は、農民にとってお祝いであるとともに大切な現金収入を得る機会でもあるのだ。
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「私、七つある聖人の日のうちで、春の聖フリューゲルの日が一番好きだわ。人々の笑顔が弾けて、生き生きとしていて、冬の暗さを吹き飛ばしてくれる気がするから。」エレオノーラはスキップしそうな足取りでスカートを翻しながら人波をすり抜けていった。
「待ってくださいな、エレオノーラ。」ヒルデガルトは人波を掻き分けられず、エレオノーラとの距離が開きつつあることに少し不安を感じ始めた。華やかなエレオノーラは祝祭に集う人波の中でも目立っているものの、彼女も自分もそれほど背が高いわけでもなく、あまり離れてしまうと人波の中でお互いに見えなくなってしまう。
聖フリューゲルの祠に近づくにつれて、混雑も激しくなり、朝から麦酒や果実酒を飲んで機嫌良く放吟している農民や職人が千鳥足でふらふらしていたりするので、なかなか前に進めない。
「きゃっ!」酔っ払った農民だろうか、がっしりとした体格の良い男がよろめいて、ヒルデガルトにぶつかってきた。ヒルデガルトは人波から弾き出されるようにして転んでしまう。
(いたーい!)地面に手をついてしまい、ヒルデガルトは思わず声が出そうになるのをなんとか飲み込んで、立ち上がろうとした。
「嬢ちゃん、大丈夫かい?」ヒルデガルトにぶつかってきた男の連れだろうか、赤ら顔のでっぷりとした男が酒臭い息を吐きながら、ヒルデガルトに手を差し伸べてきた。
「ありがとうございます。」警戒心も無く、ヒルデガルトは差し出された手につかまって立ち上がろうとしたが、足を挫いたのか痛くてうまく立ち上がれない。
「足を挫いちまったのかい?そいつはいけねえな。」そう言うと男はヒルデガルトの手をつかみながら軽々と引っ張り上げて立ち上がらせた。
ヒルデガルトは何とか立ち上がったものの、よろめいてしまい、男の肩に手をかけて体を支えると、男はヒルデガルトを支えるふりをして、腰に手を回してきた。
「足を挫いたなら、無理しちゃいけねえ。」男はヒルデガルトに下卑た目を向けてきた。
「それにしても、別嬪さんだな。連れの粗相のお詫びに一杯おごるから、あっちで飲まねえか?」有無を言わせぬ口調で男はヒルデガルトを少し離れたところにある露店の酒場に連れていこうとする。
「嬢ちゃん、ぶつかって悪かったな、俺も一杯おごるよ。」もう一人の男もヒルデガルトの逃げ道をふさぐように横をついてきた。
「お心遣いありがとうございます。もう大丈夫ですわ。それよりもお友だちとはぐれてしまいましたので、探さなくなりませんの。」ヒルデガルトは少し戸惑いながら、酔っ払った男の手を振りほどこうと身をよじるが、がっしりとした男の手はびくともしない。
「嬢ちゃん、友だちと来てるのかい?その子も一緒に一杯飲もうや。俺が探してきてやるよ。」ヒルデガルトの横を歩いているもう一人の男が酒で赤い目をしながらにやついた。
「いえ、本当に大丈夫ですから、離してくださいな。早く聖人様の祠に行かないと心配をかけてしまいますから。」
「せっかくの聖フリューゲルの日の祝祭だ。みんなで聖人様に乾杯しようや。」
「ヒルダ、何をしているの!」ヒルデガルトと二人の酔っ払いの後ろからエレオノーラが鋭い声をかけた。
「あなたたち、酒に酔って女の子に絡むなんて、格好悪いわよ!」まだ少女と言って良いエレオノーラが両手を腰に当てながら、酔っ払い二人を睨み付けた。
「おうおう、大した騎士様の登場だ。」
「固いこと言わねえで、嬢ちゃんも一緒に飲もうや。」
「残念だけど、酔っ払いに構っている暇は無いのよ。二人でその辺で飲んでなさい!」そう啖呵を切って、エレオノーラは酔っ払いの手をヒルデガルトから振りほどき、ヒルデガルトの手を引っ張って、その場を離れようとした。
「おいおい、そんなつれないこと言うなよ。」そう言って男の一人がヒルデガルトとエレオノーラの前に立ちはだかろうとすると、エレオノーラは思い切りその脛を蹴りつけた。
「そこをおどきなさい、この無礼者!」そう言い捨てて、エレオノーラはヒルデガルトの手を引いて駆け出した。
「いてて、こ、この!」男はよろめいて尻餅をついてしまった。その顔が真っ赤なのは怒りなのか、それとも酔いが回ったのか。
「待て!待たないと痛い目に遭わすぞ!」もう一人の男が二人の少女に怒声をぶつけたが、二人は構わずに走って逃げた。
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