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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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旅立ちに向けて

ヒルデガルトが、アルテンシュタットの魔導学院長であるローレンツから魔術の手ほどきを受け始めて一月。ヒルデガルトは一通りの水属性の魔法と治癒や回復などの光属性の魔法をほぼ一人前と言える程度に操れるようになっていた。


「私が教えられるのは、ここまでです。私の属性は火であって、水属性や光属性の魔法については中級でも簡単な物は教えられますが、高度な物については理論上の説明はできても実践的な指導ができなくなります。王都の周辺を散策するのであれば、初歩的な魔法で十分でしょうが、もし本当に北の霊峰を目指すのであれば、水属性の魔導師や聖堂の神官により高度な魔法を習うことをお勧めします。」

ローレンツは普段の指導の際の厳しさを感じさせない穏やかな口調でヒルデガルトに語りかけた。限られた期間で初歩的な魔法を使いこなせるようになったヒルデガルトはやはり素質があったのだろう。アルテンシュタットの魔導学院に来ることができれば、中級以上の指導ができる教官もいるのだが、王都に住むことを余儀なくされている辺境伯の娘に、それは望むべくもないことであった。


「このような短期間でここまで御指導くださって、心から感謝申し上げます、学院長様。」ヒルデガルトは感謝に堪えない面持ちでローレンツにお辞儀をする。


「まだまだぎこちないところもあるから、日々の修練を怠らず、磨きをかけなさい。初歩的な魔法といえど、上手に使えばそこら辺のごろつきに絡まれたときに自分の身を守るのには十分でしょう。それから ・・・」そう言いながらローレンツは一冊の書物を取り出した。

「これは、王国内と隣国の簡単な地理と旅の心得をまとめたものです。私が修行中の身だった頃に旅をしてまとめたものなので、少し情報が古いですが、参考にはなると思います。」

白銀の古龍な肉体を探す旅に出ようと目論んでいるヒルデガルトにとって、何よりもありがたい知識が詰まった書物をローレンツは差し出した。

「ありがとうございます、学院長様。旅行そのものの経験がほとんどありませんので、本当に助かりますわ。」ヒルデガルトは両手で押し戴くように書物を受け取り、胸の前で抱き締めた。


さらに、ローレンツは壁に立て掛けていた少し大きめの古びた背負い鞄をヒルデガルトの前に置く。

「これはかつて私が使っていた旅行用の鞄です。小さく見えますが、『収納』の魔法が賦与されていて、一月分くらいの着替えや保存食、毛布などを持ち運べます。幸い、あなたは『水生成』や『水浄化』の魔法が使えるので水を持ち運ぶのは最小限で済みますし、これがあればかなり身軽に旅することができるでしょう。」

「まあ、そのような貴重な魔法具を頂いてもよろしいのでしょうか?」

「今は使わなくなったので、差し上げますよ。辺境伯のお嬢様にお下がりの鞄は似合わないかもしれませんがね。」

「いいえ。素晴らしい贈り物ですわ。学院長様の旅を支えてきた鞄ですもの、きっと私のことも支えてくださいますわ。」

満面の笑みでそう応えるヒルデガルトを見て、ローレンツは頭を掻いた。

(こんなに喜んでくれるなら、新品の鞄にもっと大容量の魔法を賦与したら良かったかな。まあ、旅に出るなら何だかんだ言って子煩悩の辺境伯がしっかりとお供をつけるから、そこまで気を回さなくても良いか。)


「一月よく頑張りましたね。ヒルデガルト、あなたが自身の願いを叶え、自らの運命を自らの手で切り拓くことを応援していますよ。」

「ありがとうございます、学院長様。この先、私がアルテンシュタットに足を踏み入れることは無いかも知れませんが、いずれ成長した私をお目にかけることができますことを願っておりますわ。」

そう言うとヒルデガルトは右足を下げ、膝を折りながらスカートの裾を摘まみ、丁寧に淑女の礼をした。魔導学院長とはいえ、父の部下であり、平民であるローレンツに対しては過大とも言えるものだが、それが師に対するヒルデガルトの心尽くしの礼であった。


**********


ヒルデガルトは、城壁の中の商店が立ち並ぶ街区にある薬師デルマの店を訪れていた。以前のような巡礼者のような変装ではなく、ごくシンプルな若草色のワンピースだ。春も盛りの好い気候だが、襟元のしっかりした長袖で、スカート部分もくるぶしまで丈があり、肌の露出が極端に少ないところが彼女らしいといえば彼女らしいかもしれない。


「あら、今日はこの間のローブではないのね。」デルマはそう言いながらヒルデガルトを店内に迎え入れた。

「ふふっ。あの白いローブは変装したつもりかもしれないけれど、本当に目立っていたから。」

デルマがそう思い出し笑いをするのに、ヒルデガルトは赤面した。確かにあの格好は街の中であまりに目立ちすぎて、もし他の人が同じ格好で歩いているのに出会ったら、自分もまじまじと見てしまうかもしれない。


「それで、今日はどんな御用?」

「少しお伺いしたいことがありますの。デルマ先生は、霊薬の素材をお探しになるために遠くへ旅されることは多いのでしょうか?」

「そうねえ。一般的な素材は卸から仕入れるし、少し珍しい物は冒険者ギルドに依頼することもあるけれど、判別が難しい物は冒険者の人に護衛をしてもらいながら自分で探しに行くわ。季節ごとに行くので年に4回くらいだけど。」

ヒルデガルトの質問に、デルマは少し考えるように顎に指を当てながら答えた。


「まさかと思うけど、龍の素材を自分の手で探すことにしたのかしら?」

「デルマ先生や冒険者ギルドの副長様のお話を伺って、何でも人を頼っていてはいけないと思いましたの。」

「でも、貴族の人は旅行するのに色々と制約があるんでしょ?遠くと言っても限界があるんじゃないかしら?」


「それはそうなのですが・・・」眉を曇らせながらヒルデガルトは言い淀んだ。世間知らずの自分が、王都に住まなければならないという辺境伯の娘としての制約を脱して旅をするのは無謀なのだろうか。

「幸い、まだ社交界でのお披露目も済ませておらず、私のことを実際に知っている人はほとんどおりませんので、身代わりを立てて外に出られないかと。」


(あらら。お嬢様は冒険者の物語の読み過ぎじゃないかしら。影武者なんて、そもそも父親の辺境伯が許さないでしょう?)半ば呆れながらもデルマは口さら出てきたのは別の言葉だった。

「それで、外に出られたとして、ヒルダはどこに行くつもりなのかしら?」

「北の霊峰シュピッツェですわ。」

「シュピッツェ!」

目の前の可憐な少女の口から、白銀の古龍が棲むという伝説を持つ雪と氷河の霊峰の名が告げられ、デルマは驚いて山の名前を繰り返した。


「ヒルダ、あなた、白銀の古龍を探しているの?」

「はい。エオ・・・ではなくて、アデルハイドを探しています。」

「白銀の古龍は伝説上の存在であって、少なくともこの3百年はその姿を見た者はいないと言われているわ。手っ取り早く古龍を探すなら火の山の赤き古龍の方が手がかりが色々とありそうだけど、そちらじゃダメなの?」

「親友が力と記憶を取り戻すためには、どうしても白銀の古龍の素材が必要なのです。」


「で、わざわざここに来たのは、遠征に出る際に持っていく霊薬を買いに来た・・・訳ではなさそうね。」そう言ってデルマはヒルデガルトの瞳を覗き込んだ。まるで心の奥底まで見通そうとでもするかのように。


「あ、あの。もし霊薬の素材を探しに北にいらっしゃるのでしたら、途中まででもご一緒させていただけないでしょうか?」

唐突という単語がぴったりと当てはまるかのように、少し声を上ずらせながらヒルデガルトはデルマに対して切り出した。

「これから夏に向かう季節ですし、もしかしたら北の山脈の雪解けに合わせて素材を採りにいらっしゃるのではないかと・・・」

そこで言葉を切って、ヒルデガルトは少し上目使いになりながらデルマの返答を待った。


(ヒルダ、この子、ほかに旅に出そうな知り合いがいないからと言って、あまりに唐突過ぎるわね。目の付け所は悪くないけど、人を信用し過ぎ。私とはまだ2度しか会っていないのに、何で簡単に旅のお供に選ぶかなぁ。)

半ば呆れながらデルマはヒルデガルトを見つめ返し、二人の間に微妙な沈黙が流れる。


「あぁ、もう!」先に沈黙を破ったのはデルマだった。

「そんな迷子になった子犬みたいな瞳でこっちを見ないで。分かった。分かったから。」

「デルマ先生のお供に加えていただけるのですか?」

「いつもなら、行商人にお願いして、山の民から決まった薬草を買ってきてもらうだけだけど、今回は特別にほかに面白い素材がないか調べにいくわよ。」

「ありがとうございます!」

「でも、行くのはシュピッツェの麓の町までだからね。あの山はよそ者の立ち入りを厳しく制限しているから。」

「足を引っ張らないように頑張りますので、よろしくお願いいたします。」


こうして、どたばたとデルマとヒルデガルトの霊峰へと向かう旅が行われることになった。



今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。

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