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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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魔術の修練 その5

王都の東の森に魔術の修練に来ているヒルデガルトとローレンツは、まだ魔法を使わないと倒せないような獣にも出くわすことなく、少し早めの昼食を終えたところだった。


「食後のお茶はいかがですか?」そう言いながら、ヒルデガルトは背中に担いで持ってきた鞄の中から小さめの木のカップを2つ取り出して並べ、さらにティーポットに茶葉と皮袋の水を入れる。

そして、ティーポットを両手で包むように持ち、そっと『加熱』と呟くとしばらくして辺りに薬草茶の薫りが漂い始めた。


ヒルデガルトはポットからカップにお茶を注ぎ終えると、そのうちの1つをローレンツの前に差し出した。

「略式でお淹れしたので、お口に合うとよろしいのですけれど。」はにかむようなヒルデガルトの笑顔に自然とローレンツも笑顔になる。

(いやいや。略式も何も俺はいつももっと適当に淹れてるよ。というか、こんな所で食後の茶を楽しんでいるとは、本当にピクニックだな。)


「えーっと。ヒルデガルト、あなたは森に魔術の修練に来るのに何を持ってきたんですか?」

「今敷いている敷布ですとか、このティーセットですとか、皮の水袋ですとか、あとはお昼のパンですわ。」

にこやかに答えるヒルデガルトにローレンツは脱力しそうになった。


「食べることは旅や冒険の基本です。それは否定しません。しかし、魔物退治というほどのものではありませんが、森に魔術の修練に来ているのに、怪我をしたときのための霊薬や雨具、料理などに使うナイフなどは持ってきていないのですか?」

「まぁ。確かに学院長様のおっしゃるとおりですわね。日帰りで、馬車も近くにいてくれますので、つい野遊びに来るときの物しか持ってきておりませんでしたわ。」ヒルデガルトは右手を頬に当てて、小首をかしげ、困ったような表情になる。

(ああ、もう。本当に基本の『き』から教えないといけなさそうだな。)

「今回は急に森に連れ出した私も悪かった。今度はきちんと準備の段階から指導しよう。」頭を掻きながら、そう言ったローレンツは少し疲れたように見えた。


**********


昼食とその後のお茶まで堪能した二人は、獲物を求めてさらに森の中へと進んでいった。

春になったばかりで、木々の葉が新たに芽吹き、爽やかな緑の薫りと葉を通して届く柔らかな陽光が心地よい。下草はまだそれほど伸びておらず、歩を進めると冬に落ちた葉がパリパリと軽い音を立てる。


(これだけ暖かくなったら灰色熊が冬眠から覚めていると思ったんだがなあ。どこか開けた所で高位の魔法を使う練習をして帰るかなぁ。)目論見が外れたローレンツはどうしたものかと頭を捻っていると、森の奥から大きな獣が吠えるような声と野太い人間の掛け声、そして武器を打ち付けるような鈍い音が聞こえてきた。音の大きさからまだ少し距離がありそうだ。


「森の奥で猟師が灰色熊でも狩っているのかな?」そう呟きながらローレンツは黒光りする木を磨いて作られた短い杖を握りながら右手を森の奥に向ける。目を半眼にして、精神を集中させ、『探知』と呟くと黒い杖の先端にはめられた紅玉がきらめいた。


(ほう。かなりの魔力を持った大きな魔物に人間が5人か。)

ローレンツは『探知』の魔法の網に引っ掛かってきた生き物の放つ力 ーそれは魔力であったり、生命力であるのだがー を感じ取った。

魔物から感じられる魔力は縦横無尽に動いていることから、おそらく空を飛べる魔物だろう。対する人間の方からは魔法を放つような魔力の流れを感じられない。聞こえてくる音からしても剣などの武器で戦っているのだろう。


「少し離れた所で魔物と人間が戦っているようです。」ローレンツはヒルデガルトの方に振り返りながら、そう告げた。

「ま、魔物が現れたのですか?」少し怯えたようにヒルデガルトが聞き返す。

「ええ。森の猟師が魔物に襲われているのかもしれません。」ローレンツがそう答えた時、森の奥から大きな叫び声が聞こえてきた。誰かが魔物の攻撃を喰らったらしく、「大丈夫か?」といった声もしている。


「なかなか強力な空を飛べる魔物のようで、人間の方は苦戦しているようです。どうされますか?このまま知らぬふりで逃げても良いですよ。何しろ恐ろしい魔物が現れたんですから。」軽い口調でローレンツはヒルデガルトに尋ねた。

(ここで怯えて逃げるような弱虫なら、これに懲りて霊峰シュピッツェに行きたいなどと言うこともなくなって、辺境伯も安心だろうな。勇猛をもって鳴る辺境伯の娘が他人を見捨てて逃げ出すようなら、それはそれで幻滅だが。)ローレンツは覗き込むような視線でヒルデガルトの顔を見つめている。


「先ほど大きな叫び声が聞こえきましたわ。もしかすると怪我をされたのかもしれません。幸い私は『回復』や『治癒』の魔法を教えていただきましたので、戦えないまでも怪我をされた方をお助けすることができると思います。」

「ふむ。では、助けに行くと?」

「はい。学院長様も私に実戦で魔法を使わせるためにこの森にお連れくださったのでしょう?今使わずにいつ使えばよいのでしょうか?」強い意思を感じさせるヒルデガルトの声にローレンツは思わず彼女の顔を見直した。

「なるほど。思った以上の答えです。よろしい。いざというときは私が助けますから、あなたはこれまでに覚えた魔法で魔物と戦い、怪我人を治療してみてください。」晴れやかな声でそう宣言するとローレンツはヒルデガルトの前に立って森の奥へと進んでいった。


**********


「はぁ、はぁ。」軽装の革鎧を身に付けた騎士が長剣を両手で構えて、獅子の体に鷲の頭と翼を持つ大きな魔獣と対峙していた。

「まさか東の森で鷲獅子に出くわすとはな!」威嚇するように大きな声で騎士は叫び、鷲獅子を牽制するように剣を振るった。


その騎士の周りで3人の騎士が同じように長剣を構えているが、その剣先が微かに震えている。身に付けている革鎧がまだ新品なので、今年、騎士団に入った騎士見習いのようだ。

彼らの後ろには、新品の革鎧が左肩から胸にかけて無惨に切り裂かれ、血に染まった騎士見習いが横たわっている。鷲獅子の鋭い爪で薙ぎ払われたようだ。年の頃は15歳になったばかりだろうか。幼さを残した顔が血の気を失って蒼白になっている。


「教官殿!」見習いの一人が鷲獅子に対峙している騎士に声をかける。

「クルトが、クルトが。」慌てふためく声で倒れている同僚の名前を連呼するが、動転しているのか、全く用を得ない。

「クルトがどうした!」教官と呼ばれた騎士は振り向かずに怒鳴った。

「し、出血がひどくて、顔が真っ青です!」怒鳴られた騎士見習いは気を取り直して、同僚の様子を大声で報告した。

「・・・まずいな。」教官と呼ばれた騎士はそう呟いて、剣を鷲獅子に向けたまま、辺りに視線を配った。


「ニック、クルトを運んで木々の陰に撤退できるか?鷲獅子は俺が引き付けておく。鷲獅子が羽ばたけないくらい木が繁った所まで退け!」

「し、しかし教官殿、騎士たる者が敵に背を向けて逃げる訳にはまいりません!」

「ばかもん!逃げるのではない。負傷した同僚を救出するんだ。ここは俺に任せて、クルトを助けろ!」教官はニックを怒鳴り付け、早く撤退するよう促した。


「分かりました!ペーター、ヴァル、手を貸してくれ!」

「おう!」他の騎士見習いも我に返り、二人で横たわっているクルトを引きずっていく。

「ニック、クルトを運んでいる間、あいつがこっちに来ないように援護してくれ。」

ペーターはクルトを両脇から持ち上げ、ヴァルがクルトの脚を抱えこんだ。

無理に持ち上げたせいか、クルトの傷口から新たな血が溢れたのを見て、ペーターが涙声で叫ぶ。

「何で鷲獅子なんかがいるんだよ。今日は灰色熊を狩りにきたんだろう?」


そんな声を背中で聞きながら、教官は少しずつ鷲獅子との間合いを詰めていく。

そんな教官を威嚇するように鷲獅子は一声鳴くと、大きく羽ばたき、高度を上げた。次の瞬間、鷲獅子は鋭い爪を持った前足を伸ばしながら教官めがけて急降下してきた。


「ぐはっ!」鷲獅子の体重が乗った一撃を受け止めきれず、教官は弾き飛ばされ、地面に叩きつけられてしまった。

鷲獅子は再び上空に舞い上がり、第二撃を加えようと羽ばたいている。


(もはやこれまでか。)教官が諦めかけたその時、鷲獅子に向かって氷の矢がら3本飛んでいった。

そのうちの2本は鷲獅子の体の横を通り過ぎてしまったが、1本が左の翼に刺さる。

ギッ、と鋭い鳴き声を放ち、鷲獅子は氷の矢が飛んできた方向を威嚇し、教官も同じ方向に目を向けた。


がさがさと音がして、木々の間から姿を現したのは30歳くらいのごく軽装の青年とこの血生臭い場に似つかわしくない、ピクニックにでも来たかのような服装の少女だった。


「万物の理を司る魔力よ。氷の刃となりて敵を切り裂け!『氷刃!』」少女が呪文を詠唱し、右手の指をまっすぐ揃えて手刀をつくり、横に薙ぐと、三日月の形をした氷の刃が現れ、鷲獅子に向かって飛んでいく。

鷲獅子は氷の刃をかわそうと羽ばたいて左に避けたが、氷の刃はそれを追うように軌道を変えて、鷲獅子の胴体を切り裂いた。鷲獅子の傷から血が滴り、地面を濡らす。


「ヒルデガルト、まだ浅い。もう一度!」ローレンツが叱咤すると、ヒルデガルトは両手の掌を鷲獅子に向けて、『氷の矢』と唱えた。すると、何もない空間から矢の形をした氷が5本現れ、勢いよく鷲獅子に向かって飛んでいった。

今度は外すことなく、2本が鷲獅子の左右の翼に、3本が胴体に突き刺さった。


「ギャッ、ギャッ」と鷲獅子は叫び、怒りに満ちた目をヒルデガルトに向ける。魔法の威力が足りておらず、鷲獅子に致命傷を与えるにはほど遠いようだ。


「うーん。初めての実戦にしてはよくやれていると思いますが、まだまだですね。仕方がない、手本を見せますよ。」ローレンツはそう言って黒光りする杖を鷲獅子に向けた。

「炎の槍」ローレンツが短く唱えると燃え盛る炎が槍の形を取って飛び出し、鷲獅子の首を貫く。


「グギャ」首を内側から焼かれ、鷲獅子は断末魔の叫びを上げて墜落し、地面に叩き付けられた。


「まあ、こんなところでしょう。」ローレンツは杖を下ろし、にっこり笑いながらヒルデガルトを振り返ったが、ヒルデガルトはローレンツの魔法の威力に言葉を失っていた。


「あなたも早くこれくらいはできるようになってくださいね。それから、驚いている暇があったら、怪我人の治療です。怪我の程度によっては一刻を争いますからね。はい、さっさとやってください。」

そのローレンツの言葉にヒルデガルトは我に返り、教官と呼ばれていた騎士に声をかける

「お怪我をなさった方がいらっしゃるとお見受けいたしますが、どちらにいらっしゃいますか?」


「あ、あぁ。そちらの木の陰に。」あまりに一瞬の出来事に呆気に取られていた教官は、慌ててヒルデガルトを3人の見習いが退避した木々の方に案内した。


「!」肩から胸を大きく切り裂かれ、血塗れになっている騎士見習いを目の前にして、ヒルデガルトは立ちすくんだ。それはそうだろう、これまでの人生の中で大怪我をした人間を見たこともなければ、こんな大量の出血も見たこともないのだから。


「鎧を脱がせて傷の状態を確認する。」後ろからローレンツの指示が飛ぶ。

とはいえ、ヒルデガルトが鎧の脱がせ方など知るはずもなく、オロオロしていると、騎士見習いの一人であるニックが弾かれたようにクルトに駆け寄り、慌てて鎧の留め具を外し、鎧を脱がせた。その時、傷が痛んだのか、クルトが苦しげに呻き声を上げる。

「ク、クルトを助けてください。」ニックは泣き出しそうになりながら、目の前にいる同い年くらいの少女に懇願する。


「で、でもどうすれば?」初めて見る大怪我を目の前にして為す術がないヒルデガルト。


「ヒルデガルト、何をしている。まず傷口を水で洗いなさい。」

見かねたローレンツが指示を出し、それに従って、ヒルデガルトはクルトの横に膝を突き、背中の鞄から水袋を取り出してクルトの傷口を洗う。

大きく切り裂かれた傷口を見て、ローレンツは右手を顎にやりながら「まずいな」と呟いた。

「よし、傷口に『清浄』、それから傷口を両側から押さえて塞ぎながら『治癒』、最後に『回復』の魔法をかけなさい。急いで。」

「はい!」ヒルデガルトは無我夢中で傷口に右の掌をかざし、精神を集中させる。

『清浄』そう唱えた瞬間、ヒルデガルトの掌から金色がかった白い光が溢れ出し、水では落としきれなかった汚れを浄めていく。

続けて、両手で傷口が塞がるように押さえながら、『治癒』と唱えると金色がかった白い光によって傷口が消えていく。

それまで微かに呻いていたクルトの呼吸が穏やかなものに変わっていく。

『回復』最後に両手の掌をクルトにかざしながらヒルデガルトが唱えるとクルトの全身が光に包まれた。


「ふむ。上出来です。」クルトの脈を測り、傷口があった場所の皮膚を確認していたローレンツがヒルデガルトに告げた。

「良かった~」緊張が解けてヒルデガルトは脱力しながら両手を地面に突いて体を支えながら、ほっと息を付いた。


「ありがとうございます。おかげさまでクルトが一命を取り留め、我々も命拾いしました。」ヒルデガルトたちを見守っていた教官が二人に近づき、頭を下げて礼を述べた。

「私は第三騎士団で訓練を担当しているフォン・ザーレと申します。もし差し支えなければお名前を頂戴できませぬか?」


「これはご丁寧に。私はとある魔導学院で魔術を教えているヘクスター。こちらは生徒のヒルデガルトです。」ローレンツは何を考えているのか読み取らせないような笑顔で応えながら、ヒルデガルトの手を取って立ち上がらせ、自分の左斜め後ろに立たせた。


「今日は新たに騎士団に入団した見習いの訓練でこちらの盛りに来ていたのですが、まさか鷲獅子のような強力な魔獣に出くわすとは夢にも思ってもおらず、油断しました。本当に助かりました。」

「いやいや礼には及びません。確かに。こちらの森は貴族の狩り場にもなっているくらいですからね。ここ数十年、鷲獅子が出没したという記録もなかったと思います。」

「はい。本当に聞いたことがない事態で、急ぎ王宮に戻り報告せねばと思っております。」

「そうですね。異常事態かもしれませんから、早く戻られるがよろしいでしょう。こちらの鷲獅子は持って帰られますか?」

「いやいや、それはあなた方が仕留めたもの。どうぞお持ち帰りください。」

「では、ありがたく頂きましょう。それから今日のことは私の方からはどこにも口外しませんのでご安心を。」

フォン・ザーレと名乗った騎士団の教官とローレンツは言葉を選びながら、互いに腹を探りあっていたが、ローレンツの「口外しない」という一言でザーレの緊張が少し緩んだ。


「お心遣い、痛み入る。では、我々は報告がありますので、これにて帰還させていただきます。おい、クルトは目を覚ましたか?」

「は、はい。クルト訓練生、こちらにおります。」すっかり回復したクルトは他の3人の見習いとともにザーレの後ろに直立しながら返事をした。

「よろしい。では、帰還する。」ザーレがそう命じると4人の騎士見習いは踵を鳴らして姿勢を正した後、帰還準備に入った。


「このお礼はまた後日。」そう言ってザーレは右の拳を左肩に当てる礼をして、4人の騎士見習いたちを引き連れて森の外に向かった。


「ヒルデガルト、私たちもそろそろ帰りましょうか。おっとその前に鷲獅子の素材を回収しなければ。」騎士たちを見送ったローレンツはそう言いながら、鷲獅子のくちばしや爪、風切羽を慣れた手付きで切り分け、『保存』の魔法をかけた後、袋に仕舞い込んだ。


(予想外の展開だったが、良い実戦訓練になったな。『治癒』や『回復』も本当の怪我人に試せた上に、鷲獅子の素材まで手に入って。)

ヒルデガルトの魔法を実戦で試せた上に貴重な素材まで手に入って、思わず顔が緩むローレンツだった。



今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。

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