魔術の修練 その4
ヒルデガルトがアルテンシュタットの魔導学院長ローレンツの下で魔術の修練を始めて10日が経った頃、王都にある辺境伯の屋敷の庭に造られた急ごしらえの練習場では、ローレンツが彼の弟子を叱咤する声が響いていた。
「では、次は『水流』、『氷球』、『氷の矢』を向こうの的に向けて撃ち込み、こちらの桶の水を『浄化』して、最後に私に『治癒』をかけなさい。」
ローレンツは、ヒルデガルトに立て続けに5つの魔法を発動させるよう命じた。
ヒルデガルトは指示に従い、自身から30歩ほど離れた的に右の掌を向けて、そこから細い水の流れを噴き出させ、続けて左の掌から氷の球を飛び出させ、さらに胸の前に両手で丸い輪の形をつくってそこから5本の氷の矢を放つ。
水流は的の真ん中に当たったが、氷球は大きく逸れて的の後ろの塀に当たり、5本の矢は2本が的をかすめたものの3本は的に届く前に落ちてしまった。
それから桶の水に手をかざすと、中に入っていた濁り水は澄んだきれいな水となり、胸の前で両手を祈るように組んで目を瞑り、集中するとローレンツが白い光に包まれた。
「はぁ、はぁ。」命じられた魔法を放ったヒルデガルトが少し息を切らせながらローレンツを見ると、ローレンツは眉根を寄せて、少し厳しい表情を見せた。
「この短期間で立て続けに魔法を放てるようになったのは大したものです。しかし、動作が大きく無駄な動きが多いし、何より命中率が悪い。これは魔術以前の問題です。」
厳しい言葉にヒルデガルトは一瞬涙がこぼれそうになるが、ぐっと堪えて呼吸を整える。
「もう一度やらせてくださいませ。」
「あなたが何度でも魔法を放てるくらい魔力に恵まれているのはこの数日でよく分かりました。あなたに今足りていないのは集中力と心の中の想いを正確に像として結び描く力です。」
「心の中の想いを像として描く力、ですか?」
「そうです。向こうにある的を正確に心に写しとり、そこに自らの魔力で創り出した球や矢が正確に吸い込まれていく像を描けていますか?そこが歪んでいると球も矢も逸れていってしまいます。いや、逸れていくというよりもあなたが描いた歪んだ的に向かって「まっすぐ」飛んでいっていると言った方が正しいかもしれません。」
「正確な像・・・」そう呟くとヒルデガルトは目を瞑り、精神を集中する。
一呼吸おいて、うっすらと目を開き、先ほどと同じ動作で右手から水流を、左手から氷球を、両手でつくった輪から矢を放つ。
それらの水や氷は、さすがにど真ん中とはいかなかったが、いずれも的に当たり、大きな音を立てて、的が壊れてしまった。
「おお、やりますね。破壊力もなかなかのものだ。」ローレンツはヒルデガルトが全弾を的に当てたのを見て感嘆の声を上げた。
「しっかり集中すれば、的に当てられるのだから、それをとっさにできるように練習に励んでください。襲ってくる敵は的のようにじっと待ってはくれないし、動いていますからね。では、今日はこれくらいにしておきましょう。」
「ご指導、ありがとうございました。」ヒルデガルトは丁寧にお辞儀をしながら礼を述べた。
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「今日は城壁の外に出て、より実践的な状況で魔法を使ってみましょう。」
朝、ローレンツから突然告げられ、ヒルデガルトは慌てて動きやすい服装に着替えて出掛ける準備をする。長袖の白いブラウスとくるぶしまで丈のある若草色のサロペットスカートを合わせ、背中に背負うことができる鞄に水袋などを詰めてローレンツの前に出ると、彼は苦笑した。
「まるでピクニックに行くみたいですね。もし、本気で霊峰シュピッツェに行くつもりなら、もっとしっかりとした旅の装備が必要ですよ。」
世間知らずの自分の甘さを指摘されたヒルデガルトは頬を赤らめた。
「家族と少し遠出をしたことがあるくらいで、どのような準備をすれば良いのか存じ上げてなくて・・・」
「まあ、その辺りのことは、追々教えてあげますよ。それよりもまずは、きちんと自分の身を守れる程度の魔法を使えるようになることですね。」
二人は馬車に乗り、王都から東の方に少し離れた所にある森に向かう。この森は貴族が狩猟を行う狩場として使われるくらい野の獣が多く棲んでいる。時には魔獣に分類されるような魔力を持ったものに出くわすこともあるが、概して危険は少なく、見習いの騎士が森の中で寝泊まりしながら訓練を行うことも多い。
昼前に森に着いた二人は馬車を降り、徒歩で森の奥へと進んでいった。
「大きな獣か魔獣に遭遇したら、私が指示を出すので、魔法で攻撃してください。」ローレンツはそう言いながら、ヒルデガルトの前を歩いていく。
「大きな獣といいますと、どのような獣でしょうか?」
「そうですね。この森だと野猪か山鹿あたりですかね。あと稀に灰色熊が出ることがあるようです。」
「まあ、熊が出るのですか。」ヒルデガルトは不安げに繰り返した。
「そうですよ。灰色熊は大きな個体だとあなたの倍近い大きさで性格も荒いから戦闘訓練にはもってこいですよ。どういう魔法で戦うか、今からを頭の中で演習しておいてくださいね。」恐ろしいことをさらりと言うローレンツの背中をヒルデガルトは恨めしそうに見た。
時折、野兎のような小動物や色鮮やかな鳥を見かけるが、灰色熊はおろか野猪にさえ出会わないまま、二人は森のかなり奥の方まで入り込んでいた。
「うーん。ここまで何も出てこないのは不思議だな。山鹿の鳴き声さえ聞こえてこない。」立ち止まって辺りを見回すローレンツ。耳を澄ませても、聞こえてくるのは風が木の葉を揺らす音だけだ。
「仕方がない。まだ何も訓練をしていませんが、とりあえず昼食を取りましょう。」
森の中の少し開けた場所に出たところでローレンツはヒルデガルトにそう声をかけた。
「かしこまりました。では、準備をいたします。」師匠の指示にヒルデガルトは背中の鞄から敷布を取り出して地面に敷き、さらに侍女が持たせてくれた昼食の包みを広げた。
(やれやれ。本当にピクニックになりそうだ。)心の中で苦笑しながらも顔には出さず、ローレンツは敷布の上に腰を下ろした。
ヒルデガルトもその隣に腰を下ろして、燻製にした野猪の薄肉を挟んだパンをローレンツに差し出す。
「どうぞ、お召し上がりください。」パンを乗せた包みを両手で捧げ持つようにして自身に勧めるヒルデガルトを見て、ローレンツは不思議な感じがした。
(彼女は伯爵令嬢で、俺の雇い主の娘だろ?師匠とはいえ、平民に先に食事を勧めるような貴族がいるとはな。)
「では、遠慮なく頂こう。」そう言ってローレンツはパンを受け取り、口に運んだ。
それを見てヒルデガルトも自分のパンを手に取り、少しずつ千切りながら食べ始めた。
「学院長様はこうして森や山に出られて、魔法を実際に使って修練をなさるのですか?」
「そうですね。若い頃は食料の調達も兼ねて、よく森に来ましたよ。自分が食べる分だけでなく、街で売る分も捕まえて、生活費の足しにしていました。」少し懐かしそうな目をしてローレンツは応えた。
「まあ、弓矢も使わなくとも猟師さんになれるのですのね。」ヒルデガルトは素直に感心して、ローレンツに目を向ける。
「魔法の矢を撃ち込むなり、魔法の網で絡めとれば簡単ですよ。あなたも旅に出るなら、そうしたことも覚えないと霊峰までたどり着けませんよ。」
「おっしゃるとおりですわ。旅に出れば、野宿することもありますものね。」以前に読んだ冒険譚を思い出しながら無邪気にはしゃぐヒルデガルトにローレンツは呆れつつも優しい視線を向けた。
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