魔術の修練 その1
聖堂で大神官によるヒルデガルトの魔力の鑑定が行われた日の夜、家族で夕食を囲んだ後にヨーゼフとヒルデガルトは再び書斎で向かい合っていた。
「ヒルデガルト、聖堂での鑑定、疲れただろう。」優しげな眼差しでヨーゼフは娘をねぎらいながら、侍女が運んできてくれた紅茶を勧めた。
「ありがとうございます、お父様。ご公務でお忙しいのに聖堂に連れていってくださって。」ヒルデガルトはそう礼を述べた後、ティーカップを取り上げて、そっと口をつける。
「それにしても、しばらく会っていない間にお前がこんなにも成長していて驚いたよ。」
「私も自分の力がよく分からなくて、大神官様の水晶球を割るような粗相をしてしまい、お父様にもご迷惑をかけてしまいました。」
「いやいや、ユリウス殿もおっしゃっていたように、あの水晶球が割れるほどの魔力など誰も想像できなかったのだから、お前が気にすることではない。ユリウス殿には後日、同じような水晶球を寄進させていただこう。」
申し訳なさそうに謝るヒルデガルトにヨーゼフは努めて明るく応え、自身も紅茶に口をつけ、喉を湿らせた。
「ところで、今日の魔力鑑定でユリウス殿もお前に魔術の修練を積むようにおっしゃっていたが、お前自身、その強大な魔力を封印せず、魔術の修練を積みたいと思っているか?」ヨーゼフは愛娘が己の持つ力に恐れをなして、魔術から遠ざかってくれることに一縷の望みをかけながら、厳かな口調で尋ねた。
「はい。お父様は私が大きな魔力を持つことをお知りになり、その魔力ゆえに私の人生が歪められないよう、お心を砕かれて、あえて魔術から遠ざけてくださったのは、とても感謝しております。」まっすぐに父を見つめ、ヒルデガルトは応える。
「しかし、私は誰かに頼らずに独り立ちできるよう、せめて自身の身を守ることができるくらいの魔法を操れるようになりとうございます。」
少し前までの、のんびり穏やかなヒルデガルトの殻を破って、ほんの少し凛とした強さを身に付けようとしている。
「そうか。ヒルデガルト、お前は辺境伯の娘であり、王族の血を引いている。そのお前が強い魔力を持つことが知られれば、否応無く様々な思惑に巻き込まれ、これまでのような平穏な生活は失われるかもしれない。それでもなお魔術を操りたいと言うのなら、私はそうした思惑から全力でお前を守ろう。」愛娘の固い決意を聞き、ヨーゼフは何か吹っ切れたように、決然とした口調でヒルデガルトを守る誓いの言葉を口にした。
その言葉に、ヒルデガルトは椅子から降り、左の膝を床に突いて頭を垂れた。
「ありがとうございます、お父様。辺境伯の娘として恥ずかしくないよう、また力に溺れず、正しい道を歩むことを誓います。」
「うむ。その言葉を忘れぬように。そして、何よりヒルデガルト自身の幸せを大切にしなさい。」
ヨーゼフはヒルデガルトの頭を軽く撫でながら優しい声でそう言うと、彼女の手を取って自身とともに立ち上がらせた。
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翌日、ヨーゼフは自身の領地であるアルテンシュタットに伝令用の鷹を飛ばした。アルテンシュタットの魔導学院の学院長を務めるローレンツ・ヘクスターを呼び寄せるためである。
ローレンツは今年30歳になる若手の魔導師で、平民の出身でありながら、その優秀さを見込まれ、以前は魔導省の研究所で新しい魔法の研究に携わっていた。
しかし、魔導省を統べるロストック卿が指示する研究が攻撃的な魔法にばかり偏っていることに反発したために冷遇されていたところをヨーゼフが引き抜いて、自領の魔導学院の学院長に据えたのだ。
学院長となったローレンツは部下の魔導師たちを指揮し、簡易な生活魔法の改良、特に指輪などに魔法を賦与することで魔力の弱い庶民でもより簡便に魔法を扱えるようにする研究を強化することで領民の生活を便利にしたり、騎士団の戦闘を補助するための防御や回復系の魔法の指導に力を入れ、アルテンシュタット領の騎士団が出征した際の損害の軽減に貢献しており、領民や騎士たちからの評判も良い。
そんなローレンツが得意とするのは火の属性の魔法だが、それ以外の属性の魔法にも詳しいことから、ヨーゼフは家庭教師としてヒルデガルトの指導に当たらせようと考えたのである。
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その2日後、ヨーゼフからの手紙を受け取ったローレンツは思わず天を仰いだ。
まだ会ったこともなく、素質の程も分からない領主のお嬢様の魔術を短期間で上達させることを求められたのだ。
王都から伝わってくる噂では、領主のお嬢様はこれまでまともに魔術の修練をしたこともないらしく、果たして一ヶ月で何が教えられるだろうか。
アルテンシュタット家に仕えてきて丸3年。これまで無理難題を押し付けられることもなく、平穏に魔術の研究に勤しんできたので油断していたが、今回はこれまでに無くハードルが高そうだ。
「こちらの辺境伯は魔導卿と違って無茶は言わないと思っていたんだけどなぁ。辺境伯自身は魔術が得意でないと聞くから一人前に魔法を操れるようになる大変さは分かっているはずなんだけど・・・」学院長室でぶつぶつと文句を言いながらも王都に向かう準備を進めるため、ローレンツは秘書の魔導師見習いを部屋に呼んだ。
「しばらく王都に滞在して、領主様のご令嬢に魔法を教えることになったので、初歩的な魔力の操作について書かれた書物と水属性と光属性の簡単な魔法書を用意してくれ。」ローレンツはぶつくさ文句を言っていたことをおくびにも出さず、にこやかに秘書に命じた。
せっかく手に入れた居心地の良いポストだ。不満を持っているなどと変に辺境伯に伝わって、機嫌を損ねるのは得策ではない。
もし、クビになっても雇ってくれる所はいくらでもあるだろうが、アルテンシュタット以外に平民の自分に自由に研究させてくれる所はほとんど無いだろう。
「かしこまりました、学院長先生。魔導師見習いが最初に使う書物を用意しておきます。」
「よろしく。」
軽やかなローレンツの声に、学院長室から退出しようとしていた秘書が振り返った。
「学院長自ら初心者のご指導に王都まで出向かれるとはお骨折りなことですね。それにしてもご令嬢様ももうすぐ成人というのにまだ初心者とは、よほど素質に恵まれていないのでしょうか。」明らかに面白がっていると思われるのに、真面目な顔と声で上司を労う秘書にローレンツは苦笑した。
「こらこら、仮にも領主様のご令嬢だぞ。いくら辺境伯が身分にやかましくなくて、分け隔てなく接してくださるとはいえ、滅多なことは口にするんじゃない。」
研究には自由な議論が必要ということで、職員や研究員が話しやすい学院づくりを掲げてきたが、ちょっと自由過ぎる。そう思い、ローレンツは秘書をたしなめたが、実は自分も「令嬢が素質に恵まれていない」という言葉を否定していないことに気付いていない。
「申し訳ありません。口が滑りました。コホン。急ぎ初心者向けの書物を用意します。」秘書は軽く口許を押さえるふりをしながら、学院長室を出ていった。
「やれやれ。ちょっと自由にさせ過ぎかもしれないな。」秘書が出ていった扉を見つめながら、ローレンツはぼそっと呟いた。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
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