ヒルデガルト その2
読んでくださって、ありがとうございます。
不定期ですが、頑張って物語を紡いでいきますので、引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
「彼女」は、温かな「何か」の中をまどろみながら漂っていた。周りに光は無い。しかし、闇にもし硬さがあるとすれば、それは柔らかな闇であったろう。
夢でも見ているのだろうか、「彼女」は時折、微笑みを見せながら静かに浮かんでいた・・・
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「はーい、ヒルダ!」
外から自分を呼ぶ声にヒルデガルトは窓辺に向かい、庭を見下ろした。窓にはこの国では珍しいガラスがはまっているが、その製造技術は高くないようで、外の景色は少し屈折して歪んで見える。きれいに刈り込まれた木々やつぼみを付け始めた花壇の苗に囲まれながら、朝日にきらめく金髪に花飾りを着けて、裾に白いレースをあしらった薄紅色の長いチュニックに身を包んだ15、6歳くらいの少女が窓を見上げながら手を振っている。
「ごきげんよう、エレオノーラ。今日もお日様が眩しいですわね。」ヒルデガルトは窓を上げながら、おっとりとした口調で外から窓を見上げている少女に声をかけた。
「ヒルダ、まだ着替えてないの?のんびりしていてはダメよ。今日は今年最初の聖人の日。春を迎える祝祭なんだから。」 エレオノーラと呼ばれた少女は、ヒルデガルトがのんびり構えているのに少しあきれたように首をすくめた。
「私たちが自由に城壁の外に出られるのは今日みたいなお祭りの時だけなんだから。さあ、早く準備をして。出掛けるわよ!」もう待ちきれないといった感じでウキウキした声でエレオノーラはまくし立てた。
「エレオノーラは本当に賑やかな所が好きなのね。すぐに行くから、少し待っていてくださいな。」おっとりとした口調でヒルデガルトが応え、部屋の奥に戻ろうとすると、後ろからエレオノーラがさらに声をかける。
「かわいく、ちょっと豪華に。でも城壁の外に行くのだから、ドレスはダメよ。あくまでも"普通の"女の子として遊びに行くんだからね。」
半刻後、ゴルトベルク城の城壁のすぐ外で広げられている青空市場の通りにヒルデガルトとエレオノーラの姿があった。
青空市場は、春最初のお祭りということもあって、商人や職人だけでなく、城壁の外で農業を営んでいる農家も野菜や果物、それらを加工した菓子や惣菜を所狭しと並べており、城壁の中の住人も外の住人も冷やかしたり、菓子を買ったりしながら、賑やかに楽しんでいるようだ。
好奇心に目を輝かせながらエレオノーラは立ち並ぶ店先に並べられたお菓子や装飾品を覗き込みながら、時折、木工細工で作られた動物の起き上がり小法師などをつついたりしている。
その斜め後ろからついていくヒルデガルトは、白いブラウスに深い青色のロングスカートというシンプルな服装だ。しかし、近くに寄ってブラウスを見ると花の模様が織り込まれた布で手の込んだ物であることが分かる。
「そちらの娘さん方、焼き立てのクッキーはいらんかね。赤木苺が入っているのが5枚で小銅貨1枚だよ。」エプロンをした、いかにも農家のおかみさんといった雰囲気の恰幅の良い大柄な女性が声をかけてきた。
「あら、美味しそうね。でも、赤木苺の時期には少し早いと思うけど。」エレオノーラがにっこりと笑いながら露店の机に並べられたクッキーを覗きこんだ。
「去年の秋に摘んだのを干して、保存の術がかかった箱に蓄えておいたのさ。干しただけでも日保ちはするけど、香りがなくなっちまうからねぇ。」庶民にはまだまだ普及していない、保存の術がかかった箱を使っているのが彼女の自慢なのだろう。露天の店主はにっこりと笑いながら香り高い干し果実を使っていることを強調してきた。
「保存庫があれば、生の木苺でも保ちそうですけれど、干した物の方が甘味も強くなって美味しいですよね。」エレオノーラの横からヒルデガルトも話に混じってきた。
「赤木苺のほかにも果物を使ったお菓子を置いていらっしゃらないのですか?」
「残念ながら、あたしの割り当て分は小さくて、この春のお祭りで使う分くらいしか保存できないんだよ。それにしても、生のまま4月以上も保存ができるなんて、えらく良い箱を持ってるんだねえ。うちの村でみんなで使っているのは、生の物は2月くらいしか保たないよ。」店主は少し驚いたような目でヒルデガルトを見つめた。
「このクッキー、頂くわ。小銅貨1枚でしたわね。」エレオノーラは、ヒルデガルトが何か答えようとしたのを遮るように、店主に話しかけた。
「おや、買ってくれるのかい。口に合うといいんだけど。」そう言いながら店主は小さな紙袋にクッキーを5枚入れて差し出してきた。
エレオノーラは、小さな手提げポーチから光沢のある絹の小袋を取り出し、その中から小銅貨を取り出して店主に手渡すと紙袋を受け取った。
「ありがとうねぇ。次の聖人の日には取れ立ての果物を使ったお菓子を持ってくるから、また来ておくれよ。二人に聖フリューゲルの祝福を!」
「ありがとう。おばさまにも聖フリューゲルの祝福を!」
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「ヒルダ、私たちはここでは"普通の"女の子だから、あまり高価な道具の話や魔法の話をしてはダメよ。」エレオノーラは、庶民には普及していない高度な保存庫の話をうっかりしてしまったヒルデガルトに釘を刺すように話しかけた。
「せっかくのお祭りを気兼ねなく楽しむためには、みんなに溶け込まなくちゃ。」
「ごめんなさいね、エレオノーラ。お屋敷の外に独りで出たことがあまりなくて、どこを気を付ければ良いのか、理解できていなくて。」形の良い眉の端が下がり、申し訳なさそうな表情でヒルデガルトは応えた。
「大丈夫。さっきは上手くごまかせたから。次からはこちらの話はあまりせずに、相手の話に相づちを打つようにすればいいわ。そのうち、分かるようになるから。ねっ。」気分が盛り下がらないように明るい声で告げながら、エレオノーラはヒルデガルトの手を取って、また露店の並ぶ中に歩いていった。
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