帰宅
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ヒルデガルトが杖屋と薬屋、冒険者ギルドを訪れているうちに昼を過ぎ、陽射しが柔らかな光に変わってきた。そろそろ帰らなければ、侍女のハンナにも迷惑がかかるかもしれない、そう思ったヒルデガルトは屋敷に戻ることにした。
「デルマ先生、本日は本当にありがとうございました。様々なことを親身に教えてくださっただけでなく、冒険者ギルドにもお連れいただいて、本当に助かりました。」
「もう帰るのね。魔術の勉強、頑張って。もし、霊薬や薬草が必要になったらいつでも来て。安くしておくから。それと・・・」そう言いながらデルマは商品を置いている棚をごそごそと探ると、上部に小さな噴霧器が付いた磁器製の小瓶を取り出した。
「これは顔に一吹きすると痛みで目が開けていられなくなる薬。」
「目、ですか?」
「まだ城壁の外には出ないでしょうけれど、城壁の内側でも風紀の良くない区画はあるから。もし、そういう所に行くときには、用心のためにこれを持っていくと良いですよ。」
「ありがとうございます。大切に使わせていただきますわ。」嬉しそうに笑顔を見せてヒルデガルトは小瓶を受け取った。
「いえ。使う状況にならないのが一番で、使うべきときにはしっかり使うことよ。」ヒルデガルトの笑顔にデルマは苦笑した。何のための物かヒルデガルトはまだ理解していないらしい。
「世の中の人間は良い人ばかりではないわ。人の物を盗もうとする人もいれば、危害を加えようとする人もいるの。特にあなたは男の人につきまとわれることも出てくると思う。身の危険を感じたときは、その薬を相手の顔に吹き付けて逃げなさい。」
「つきまとわれる・・・分かりました。」祝祭の日に酔っぱらいに絡まれたことを思い出し、ヒルデガルトは何となくデルマのいうことを理解したが、まだピンと来ていないようだった。
「それでは、今日はこれで失礼いたします。デルマ先生、ごきげんよう。」ヒルデガルトはローブの裾を摘まみ上げ、膝を折って礼を述べた。
せっかくローブを着て、巡礼者か何かに化けているつもりだろうが、こういうところはやはり抜けているというか、世間知らずですね、と少し呆れながらもデルマは、帰り道気を付けてください、と言いながらヒルデガルトを見送った。
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日が陰り出した時間になって、ヒルデガルトはアルテンシュタット辺境伯邸に戻ってきた。
「コール、通してくださいな。」ローブを脱いで布に包み、侍女のハンナのふりをしながら、ヒルデガルトは屋敷の門番に声を掛けた。
「あ、あぁ、ハンナか。昼を跨いでのお遣い、ご苦労さん。昼ごはんはちゃんと食べたのか?」
「お昼ごはん?え、あぁ、ええ。えーっと。」門番からの思わぬ問いかけに、ヒルデガルトはしどろもどろになってしまった。
「ん?どうしたハンナ?」コールは訝しげに侍女姿のヒルデガルトを見る。
「あの、お、お遣い先が多くて、昼食を頂く時間が取れませんでしたの。後ほど、お茶を頂きますので、だ、大丈夫ですわ。」明らかに普段のハンナの言葉遣いが異なり、しかもずいぶんと慌てふためいた様子を目の前にして、コールは姿勢と言葉を正した。
「失礼ですが、顔を上げてよく見せてもらえますか?」手にした槍をヒルデガルトの前に差し出し、行く手を遮ると、コールはゆっくりとヒルデガルトに近づいてきた。
(あらあら。せっかく姿や声を誤魔化してあげたのに。)ヒルデガルトの影に隠れている白銀のエオストレは、門番に捕まった親友を残念そうに眺めている。
(これ以上、下手に誤魔化すと、ややこしいことになってしまうかもね。)半ば諦めにも似た思いで、エオストレはヒルデガルトを侍女に見せかける幻を解いた。
うつむいて、誤魔化そうとしていたヒルデガルトだが、コールに顔を上げるように言われて、とうとう観念した。
屋敷を出る時には上手く誤魔化せたのに、帰りはどうしてバレてしまったのかしら、と不思議に思いながら、ヒルデガルトは形の良い眉尻を下げて、上目遣いにコールの顔を見た。
「こ、これはお嬢様!た、大変失礼いたしました。」ヒルデガルトが侍女の格好で外から帰ってくるなど想像もしていなかったカールは腰を抜かさんばかりに驚き、直立不動の姿勢になった。
「本当にごめんなさい、コール。」本当に申し訳なさそうにヒルデガルトは謝った。
「いえ、しかし。あの、そのお召し物は?」自らが仕える屋敷の令嬢が侍女の格好をして、外出から帰ってくるという不可解な状況にすっかり困惑したコール。普段なら馬車で出かけるお嬢様が何故に徒歩で、しかも侍女の服で?いや、何よりいつ外に出たのか?
「お父様やお母様には内緒にしておいてくださいね?」背の高いコールを見上げているために自然と上目遣いになって、お願いするヒルデガルトを前に、さすがの厳しい門番も白旗を上げた。
「は、はい。かしこまりました。」頭の中が疑問符でいっぱいになりながらもコールはそう返事をして、ヒルデガルトのために門を開けた。
「早くお着替えになってください。そのお召し物では怪しまれてしまいますよ。」少し声を落としてコールはヒルデガルトに忠告した。
「ありがとう、コール。それだは、ごきげんよう。」柔らかな日差しのような笑顔を門番に投げ掛けて、ヒルデガルトは木の陰に隠れるように忍び足で屋敷の建物に向かう。
(あぁ、お嬢様、丸見えですよ!全然隠れてないですよ!)ヒルデガルトが無事に屋敷の中に入るまで、コールはハラハラしながらその後ろ姿を目で追っていた。
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「お嬢様ぁ。」ヒルデガルトが自室に戻ってくると待っていた侍女のハンナが安心して泣き出しそうな声で出迎えた。
「よくご無事で。旦那様や奥方様に見られませんでしたか?本当にこれっきりにしてくださいませ。心配で心配で。」ハンナは箱入り娘のヒルデガルトを独りで街に行かせてしまった心配7分と、ヒルデガルトを外出させたことを主人から咎められるのではないかという恐れ3分で生きた心地がしない中、じっと待っていたのだ。
「ごめんなさいね、ハンナ。誰か部屋を訪ねてくる方はいらっしゃった?」
「掃除と寝台の準備に入ってこようとした者がおりましたが、私がお世話をするといって中には入らせませんでした。」
「そう!本当にありがとう、ハンナ。助かりましたわ。」
「それでお屋敷の外は如何でございましたか?」
「色々と勉強になりました。私は本当に世間知らずなのだということがよく分かりましたの。」にこにこと嬉しそうに話すヒルデガルトを見て、ハンナもようやく安心できたようだった。
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