古龍 その2
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
これからも楽しんでいただけたら嬉しいです。
「お心遣いありがとうございます。でも、司書の方がせっかく選んでくださった書物ですので、これだけは拝見して帰りますわ。」心配げなエレオノーラに向かって、ヒルデガルトは微笑んでみせた。
「くれぐれも無理はしないのよ。私もしばらく書庫にいるから、気分が悪くなったりしたら、すぐに声を掛けるのよ。」エレオノーラはそう念を押しながらヒルデガルトの席が見通せる閲覧机に席を取った。
(あの子、本当に大丈夫かしら?祝祭でずいぶん怖い目に遭ったから参っているのかもしれないわね。)エレオノーラは自身の勉強そっちのけで、書物に目を落とすヒルデガルトに目を向けた。
窓際の席に座るヒルデガルトの白金のきれいな髪が陽光を受けて輝いている。
(はぁ。女の私が見てもきれいだわ。溜め息が出そう。辺境伯がお披露目を渋っているという噂だけど、きっと舞踏会に出たら求婚者が殺到するわね。)
ヒルデガルトの父ヨーゼフが聞けば、「とんでもない!」と即座に却下しそうな想像をしながら、エレオノーラはヒルデガルトを眺めていた。
エレオノーラ自身は昨秋にお披露目を済ませ、その豪奢で華やかな容姿と侯爵令嬢という地位から、既に独身の貴族女性の中で確固たる地位を築きつつあった。
他方、自身と同じく容姿、出自ともに申し分ないヒルデガルトが未だにお披露目を行わず、一緒に舞踏会やお茶会に出られないのが残念でならない。
(それにしてもヒルダが古代スラヴァ語を読めるなんて。私なんて現代スラヴァ語でさえ苦労しているのに。アルテンシュタットではスラヴァ王国との交易は行っていなかったはずだけれど。)ヒルデガルトが古代スラヴァ語の書物を辞書も無しに読んでいるのを見て、エレオノーラは嘆息した。外交官を目指しているとはいえ、何も大陸の全ての国の言葉に通じている必要は無いのだが、やはり基本的なところは押さえておきたい。それぞれの国の古典の知識も社交、外交の場では必要だ。
(でも、まずは外交官にならないことには、何も始まらないわよね。)そう気を取り直して、エレオノーラも自らの勉強を始めたのであった。
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一方で、ヒルデガルトに話しかける機会を伺っていた司書のコンラートは、エレオノーラの登場で完全にタイミングを逸してしまっていた。侯爵令嬢のエレオノーラがずいぶん親しげに話をしていた上、今もヒルデガルトを視野に入れながら読書をしているのに、呼ばれてもいないのに、ことさらにヒルデガルト一人に話しかけるのも気が引ける。
(うーん、お近づきになるせっかくの機会だと思ったけれど、間が悪かったかな。でも、古代スラヴァ語が読めるみたいだし、次はそちらの話題から話しかけてみよう。書物を棚に戻す時には呼んでもらえるだろうし。)コンラートはちらちらと横目でヒルデガルトの様子を伺いながら、書棚の整理に勤しむことにした。
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古龍についての書物の3冊目は、隣国グラーツ王国の言葉で書かれた書物のである。といっても、地続きの隣国であり、交流も盛んであることから、言葉の上でも共通する単語も多く、読むのに支障はない。その内容は1冊目の観察記録の翻訳がほとんどであったが、目新しいものとして龍の血についての記述があった。
『龍、特に古龍の血はその魔力の強さゆえ、時に人にとっては毒となり得る。しかし、適切に用いれば素晴らしい回復の霊薬となり、体力と魔力の回復、怪我の治癒、病気の治療に効果がある。』その記述を目にした時、もしかしたらひどく挫いた足が治っていたのは、白銀の古龍の血を口にしたからであり、あれは夢ではなかったのだ、とヒルデガルトは直感した。
「クスクスクス。」また笑い声が聞こえてきた。
「白銀のアデルハイト、いえ、エオストレ。」ヒルデガルトはそっと白銀の古龍の名を呟いた。
「ようやく名前を呼んでくれたわね。ヒルデガルトったら、私に名前をくれて、血の契約まで交わした仲なのに、『夢だったかも?』なんて。」聖フリューゲルの日に林の中の不思議な穴の中で出会った古龍の声がはっきりと聞こえてきた。
「エオストレ、近くにいるのですか?」ヒルデガルトがそっと囁くと突然耳許に息を吹きかけられた。
「きゃっ!」ヒルデガルトがそれこそ背中に氷を入れられたかのような声を上げたので、エレオノーラは反射的にヒルデガルトの方を見た。
何かに驚いたのか、ヒルデガルトが左右に頭を振っていて、白金色の絹糸のような髪が風に揺れている。そして、長い髪が揺れるのに合わせて、白銀のきらめく鱗粉のようなごく小さな小さな粒々が陽光を受けてきらきらと輝きながら舞っているのをみて、エレオノーラは目をしばたたかせた。
(ヒルダ、どうしたのかしら?それにあのきらめく粉は髪粉でもつけているのかしら?)
「ヒルダ、大丈夫?」エレオノーラが辺りをきょろきょろと見回しているヒルデガルトに近づいて、肩にそっと手を置くと、ヒルデガルトはびくっと身体を震わせた。
「はぁ。エレオノーラ、驚かさないでくださいな。」半分泣き出しそうになりながら振り返ったヒルデガルトがあまりに可愛いかったので、思わずエレオノーラは後ろからヒルデガルトを抱き締めた。
「本当に大丈夫?疲れているのではなくって?」エレオノーラは、ヒルデガルトが先日、酔っ払いに絡まれて怖い思いをしたせいで少し情緒不安定になっているのではないかと心配していた。
きょろきょろと周りを何度も気にしたり、突然声を上げたりしているのだから無理もない。
「ありがとうございます、エレオノーラ。大丈夫、ほんの少し驚いただけですから。」
「いいえ、ヒルダ。今のあなたは誰が見ても心配だと思うわ。お屋敷までお送りするから、今日は帰りましょう。」庇護欲にかられたエレオノーラは有無を言わせないしっかりした口調で言いきると、チリンと鈴を鳴らして司書を呼んだ。
「シャウマンさん、申し訳ないのだけれど、こちらの書物を棚に返しておいてくださいません?アルテンシュタット嬢が気分がすぐれないとのことなので、私がお屋敷までお送りします。」
「は、はい。かしこまりました。大丈夫ですか?」コンラートは慌てて二人の所に駆けつけた。
「大切な書物なのに、申し訳ありませんわね。よろしくお願いしますね。」エレオノーラはコンラートの問いかけには答えず、それだけ言い残して、ヒルデガルトの手を引いて図書室を後にした。
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