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龍宿りし乙女  作者: 村井喜久
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蠢動

「ほう、今、アルテンシュタットは侯爵の娘と息子が治めていると?」

豪華な安楽椅子に体を深く沈めた老齢の貴族が、部下の報告にその鋭い目を細めた。


「御意。侯爵は新たに得たリンツの領地を掌握するのに手間取っている様子。娘のノルトキルヒェン子爵と息子のレオンハルトがアルテンシュタットに滞在し、家令フォン・キルヒドルフとの三頭体制になっているようです。」


「先の災害で侯爵は王都からアルテンシュタットの領地に戻ったと聞いていたが・・・」

「災害の直後に領地入りしましたが、しばらくしてリンツに移り、支援物資をアルテンシュタットへと送り込んでいるようです。」


「ふむ。急に領地が増えて苦労しているようだな。リンツは王太后が先の侯爵家を取り潰して娘婿であるアルテンシュタット侯に与えたもの。反発も大きかろう。」

「御意。広大な侯爵領を治めるには子飼いの部下が足りぬ様子。国境の守りを固める騎士団を動かすことは許されませぬゆえ。」

「それで身内に辺境伯領に任せるか・・・しかし、息子のレオンハルトはまだ子ども。せいぜい騎士団とともに剣を振るうくらいしかできまい。問題は成人したばかりとはいえ、爵位持ちの娘。そんな娘がいては家令もやりにくかろうて。」

手にしたグラスを顔の前に捧げ、立ち昇る古酒の芳香を楽しみながら、この部屋の主人は笑みを浮かべた。


「御意。王都暮らしが長く、世間知らずの女子爵が色々と政の真似事をやっているようで、そこに付け入る隙があると愚考します。」


「よかろう。少し引っ掻き回してやれ。ただし、くれぐれも我らが糸を引いていること感付かれぬようにな。」

「御意のままに。」

そう返事をした男は、頭を上げることなく、低い姿勢のまま、扉の前まで後ずさり、するりと退出した。


「くっくっ。箱入り娘の女子爵とやらに会ってみたいものだ。お披露目に顔を出してやれば良かったか?」

老齢の貴族はグラスに入った古酒を口に流し込むと、アルテンシュタットの方角に視線を向けて、小肥りの体を揺するようにして笑い声を立てた。


**********


「キルヒドルフ殿、邪魔をする。」

「これはヒューデ団長、浮かぬ顔をしていかがなされた?」

家令室でアンテンシュタット領内の村々からの徴税額が記された書類を整理していたフリッツ・フォン・キルヒドルフに声を掛けながら部屋に入ってきたのは、第一騎士団長のカール・フォン・ヒューデだった。


「家臣団の中の空気が変わってきているようだ。キルヒドルフ殿は何も感じぬか?」

「いつの世も多少の不協和音はあるもの。しかし、確かにヒューデ殿のおっしゃるとおり、最近の体制を面白く思っていない者がいるようですな。」

ヒューデの問い掛けに、キルヒドルフは淡々と応える。


「我が領は辺境伯爵領ということもあり、御領主の奥方様や令嬢は常に王都に住まわれ、領地にお迎えしたことがない。それで戸惑っているだけと思いたいが・・・」

「ふむ。確かにこれまで奥方や令嬢と接したことの無い、頭の固い者もいるでしょうな。女性から命令を出されることに反感を持つ者も。しかし、ヒルデガルト様も爵位の継承権を持たれた、歴とした後継者候補のお一人。家臣団の皆にも慣れてもらわねば困る。」

「それはそうだが、まだ成人したばかりで能力も未知数なこむ・・・失礼、御令嬢に従うことに抵抗があるのはやむを得なかろう?」

「今のは聞かなかったことにするが、子爵はノルトキルヒェン城への翼竜の襲撃を退け、先の噴火でも活躍された。今も積極的に領民の中に入られて、奉仕活動をなさっている。経験は浅いが、侯爵閣下の令嬢としてよくやっていると思う。」

「下の者はそうは思っていない。翼竜の件はロルフをはじめとする守備隊の活躍、火山も幸い被害が小さくて済んだに過ぎず、子爵は領民に混じって炊き出しなどをするだけの非力な存在だと思っている者も多い。」

ヒューデは、特に武門の子弟や腕に覚えがある者が多い騎士団の中で囁かれる声に敏感になっていた。美しく、しかし線が細く、可憐なヒルデガルトは、騎士団の団員からすれば、守る対象でこそあれ、自分達を指揮する者とは到底思えないのだろう。


「そもそも。ヒルデガルト様は今や侯爵令嬢ではなく、子爵家の当主。いくら孫とはいえ、あの王太后がただのか弱い娘に爵位を与えるわけがなかろう。」

「確かに。権謀術数に親しむとはいえ、王太后は貴族社会の秩序には厳格と聞く。ヒルデガルト様を子爵にするというからには、それなりの実績というか根拠があるのだろう。たとえそれが侯爵閣下から譲られた実績だったとしても・・・」


**********


「フォン・キルヒドルフ殿には御機嫌麗しく。ウプサラ王国のビョルン・トールと申します。本日は我が主ステンボック伯の名代としてまかり越しました。」

青地に銀糸で蔦の刺繍を施した礼服に身を包んだ壮年の男が右の拳を左肩に当てる貴族の礼を取った。


「丁寧な御口上痛み入ります。アルテンシュタット侯爵家の家令キルヒドルフにございます。トール殿にはお初にお目にかかります。遠路ようこそお出でくださいました。」

うっすらと社交用の微笑を浮かべながら、キルヒドルフはトールに右手を差し出した。トールは貴族の礼を解き、差し出された手をがっちりと握る。


「ところで、このたびの急な御来訪について、御用の向きをお伺いしてもよろしいですかな?」

「我が主ステンボック伯は先頃の大災害の報に心を痛め、不肖このトールめに食料や薬を持たせ、御領地に遣わされた次第にございます。日頃から御友誼深いアルテンシュタット侯爵閣下にお役立ていただければ、これに勝る喜びは無いと我が主は申しております。」

晴れやかな、という形容がぴったりの満面の笑みを浮かべて、トールがそう切り出すと、キルヒドルフもそれに負けない笑みを浮かべた。

「それはそれは、ありがたいことです。侯爵閣下もステンボック伯の御厚誼に深く感謝されることでしょう。」


(支援を口実に探りを入れてきたか。これまで何年にもわたって国境を脅かしてきたステンボック伯が友誼とは、侯爵閣下がお聞きになれば一笑に付されよう。ふふっ、少し"手土産"を持たせてやろうか。)


「しかしながら、少しばかり困りましたな。」満面の笑みを消し、思案するような表情でキルヒドルフは切り出した。


「お困りになるとは?」

「このキルヒドルフ、侯爵閣下から御領地のことを任されているとはいえ、あくまで内向きのこと。ウプサラ王国からの外交使節を応接する役目は許されておりませぬ。」

「何とおっしゃられる?一番の御家臣であるキルヒドルフ殿とも思えぬお言葉。それにこれは外交使節といった固いものではなく、あくまでも我が主ステンボック伯とアルテンシュタット侯の御友誼に基づくもの。それに国は違えどお互い国境防備の役割を担う家に仕える者同士、他国の使者の接遇はその役割でございましょう?」

「ありがたいお言葉なれど、我が領には侯爵閣下の御息女であるノルトキルヒェン子爵閣下が代官としておわしますれば、外向けの事は子爵閣下が取り仕切られますゆえ。」

さも申し訳なさそうにキルヒドルフが頭を下げると、トールは驚きを隠せないといった表情でキルヒドルフの顔を見つめた。


「他国にもその名の聞こえたキルヒドルフ殿がそのような扱いを受けられるとは! このトール、いささか驚きました。」

同じく貴族家に仕える者としての少しの義憤と、国境を争う隣国の使者として相手の弱みを掴もうという使命感から、トールは若干芝居がかった声を上げる。


「失礼ながら、いかに侯爵閣下の御令嬢で、爵位をお持ちといえど、キルヒドルフ殿のご経験と識見には到底及びますまい。」

「いやいや、侯爵閣下は御息女を溺愛されておられますし、何より子爵閣下は国王陛下の御従姉にあらせられる。一介の家令に過ぎぬ小生と比べることさえおこがましいと申すもの。」

そう言って諦めたような表情を見せるキルヒドルフに、トールは同情さえ覚える。自身も貴族家に仕える身であればこそ、主家の家族や一族に辛酸を舐めさせられたこともある。


「そのような訳ですから、子爵閣下をお呼びしてまいりましょう。しばしお待ちを。」キルヒドルフは一礼すると応接室を後にした。


**********


「こちらは、ウプサラ王国のステンボック伯爵家の名代ビョルン・トール殿でございます。」

ヒルデガルトを前に、キルヒドルフが頭を下げながらトールを紹介すると、トールは片膝を突きながら頭を垂れた。


「ノルトキルヒェン子爵閣下の御尊顔を拝し、恐悦にございます。ステンボック伯爵家から参りましたビョルン・トールと申します。」

「トール様、遠路ウプサラ王国からお越しくださり、ありがとうございます。ノルトキルヒェン子爵ヒルデガルトと申します。こちらこそ、お目にかかれて光栄ですわ。さあ、どうぞお楽になさってくださいませ。」

ごく穏やかな声でヒルデガルトは挨拶を返すと、トールに椅子を勧めた。


「すでにキルヒドルフ殿からお聞き及びかと存じますが、このたび、我が主ステンボック伯がこちらの大災害の報に心を痛め、お父上のアルテンシュタット侯爵閣下との御友誼からぜひ御支援致したいということで私めをお遣わしになった次第です。つきましては、些少ではございますが、食料と薬をお持ちいたしましたので、お納めいただければ、これに勝る喜びはございません。」

トールが滔々と口上を述べるのを静かに聞き終えると、ヒルデガルトはにこやかに笑みを浮かべた。


「何とありがたいお申し出でしょう。このたびの地震と噴火はそれはそれは酷い災害で、領民も困窮していたところですの。ステンボック伯爵閣下のお志に、父に成り代わり御礼を申し上げますわ。キルヒドルフ、早速受け入れの準備を。」

そう言って、ヒルデガルトは横に立つキルヒドルフを振り返り、一瞬目をしばたたかせた。


「いや、しかし、ヒルデガルト様。外交は国王陛下の専権。我らは取り次ぐことが役目なれば・・・」

「キルヒドルフ、これは外交使節ではありません。あくまでも貴族家同士の友誼による御助力ですわ。騎士道精神に基づく崇高なお申し出を受けねば失礼というもの。そうですわよね、トール様。」

そうにっこりと微笑むヒルデガルトに、トールも気を良くしたのか、満面の笑みを浮かべた。

「そうですとも。領地を接する両家なればこそ、困った時は相身互い。助け合うことこそ騎士道精神と申すものでございます。」



「いや、それは・・・」

「キルヒドルフ、あなたは家令としてアルテンシュタット家に仕える身。父の名代はこのヒルデガルトです。私が決めたことに何か不満があるのですか?」

にこやかな表情は変わらないが、ほとんど誰も気付かないくらいのトゲのある声がキルヒドルフとトールの耳に刺さる。


「いえ。子爵閣下の御心のままに。」無機質な声でそう応えると、キルヒドルフは表情を隠すように頭を下げた。


**********


(国境を争ったこともある相手国から提供される物資を額面通り受け取るとは何ともおめでたい頭をしている。)

客室に通されたトールは寝台に身を投げ出して、天井を仰ぎながら、先程までのやり取りを思い返した。


(侯爵が溺愛する娘。国王の従姉。わがままが過ぎれば侯爵家の行く末も危なかろう。それにしても、アルテンシュタットにキルヒドルフありとまで言われた家令もわがまま娘が相手では勝手が違うということか・・・)

父の威を借りて、はるか歳上の有能極まりない家令を黙らせた、うら若い子爵の顔を思い浮かべながら、トールは目を閉じる。


(世間知らずの小娘が政の真似事をして、忠臣の諌めも聞かずに国王の専権を忽せにするとは・・・アルテンシュタット侯にも焼きが回ったか?何にせよ、精強をもって鳴るアルテンシュタット侯が弱体化すれば国境紛争でウプサラ王国が有利になるというもの。ステンボック伯もお喜びになるだろう。)



今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。


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