挑戦
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アルテンシュタットの街中を歩いていたヒルデガルトは視線を感じて、ふと振り返った。
義姉妹である白銀の古龍の見守るような、あるいはからかうような視線ではなく、冷たく監視するような視線だ。
ここ最近、質こそ異なれ、観察するような視線を感じることが多くなった気がする。
特に奇妙な動きをする者も見えず、気のせいだったかと思い直して、ヒルデガルトは町外れの孤児院へと足を運ぶ。先の大地震で家族を失った子供たちを養うため、ヒルデガルトが父であるアルテンシュタット侯に願い出て、従来からある孤児院を拡張し、新たに寄宿学校としての機能を付加してもらったものだ。
子どもとはいえ、領内の農耕主体の村々にとっては貴重な労働力であり、各村々で養親を探せば良いのではないかと父ヨーゼフは最初、難色を示した。しかし、ヒルデガルトはこれからの教育の試みとして、幼い頃から文字の読み書きや算術を学べる環境を創りたいと熱心に説得し、この孤児たちが成人するまでの期間限定で許可をもらったのである。
父とは真逆の発想で、孤児であればこそ、家族を助けるための労働力を提供する必要もなく、気兼ね無く教育を受けさせることができると考えたのだ。
10歳までは文字の読み書きと四則演算などの基礎的な算術、植物や動物の観察、簡単な楽器の演奏や絵画を学ばせ、11歳から15歳まではそれぞれの向き不向きや興味関心に合わせて、歴史や他国の言語、本格的な絵画や音楽、魔術なども学べるようにするつもりだ。
シュタイン王国では厳然たる身分制度が確立されているが、だからと言って、平民の中の有為の人材を埋もれさせて良い訳ではない。
父アルテンシュタット侯も才能ある平民の人材を登用しているが、それは既に才能を発揮した平民に留まっており、ヒルデガルトとしてはまず才能を発揮できる環境を創る必要があるのではないかと思っている。それは溢れんばかりの魔術の才能がありながら、父の方針で魔術を学ぶことなく過ごしてきた自身の体験も影響している。
「算術の教材と5日分の食材をお持ちしました。」
そう言いながら、ヒルデガルトは古びた鞄の中からこの世界では貴重な紙の束に算数の練習問題がたくさん書き込まれた教材と、野菜や干し肉、黒パンなどの大量の食材を取り出した。
孤児院の責任者を任されているバウツェンは、小さな鞄のどこにそれだけの物が入るのかと驚きの表情で見守っている。
ヒルデガルトが30人の孤児の5日分の食材を出し終えると、バウツェンは深々と頭を下げ、賄いを担当している職員と二人で厨房へと運んでいった。
それを見送るとヒルデガルトは、子供たちが学ぶ教室へと足を向けた。
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ヒルデガルトは、国王から城を持つことを許され、父のアルテンシュタット侯爵が持つ砦の一つを譲られたが、実質的な領地は持たず、アルテンシュタット領の北部地域の代官として父から俸禄を与えられるに過ぎないという意味では独自の領地を持たない法衣貴族と変わらない。
その俸禄は領地持ちの平均的な子爵に比べるとかなり低く抑えられているが、何かあればアルテンシュタットとリンツの二つの広大な領地を持つ父から最大限の援助を与えられることを考えれば、かなり恵まれているだろう。
ヒルデガルトはその俸禄のほぼ3割を孤児院の建設と運営に充て、7割をノルトキルヒェン城の維持に、残りの1パーセントほどを自らの生活費に充てている。城の増改築の費用は父に出してもらっていることから助かっているが、もしそれが無ければ孤児院の運営はままならなかったかもしれない。
居城に滞在する際の日々の食事はごく簡素で、城の守備隊とほぼ同じ物を食べ、社交の場もないことから衣装や宝飾品も最低限でしか調えていないため、ヒルデガルト付きの武官であるフィーネや守備隊長のロルフからは、城主がもう少し贅沢をしないと部下たちがたまの贅沢もできないと苦言を呈されるほどだ。
父のヨーゼフも戦地や訓練にあっては兵たちと同じ食事をしているが、普段は当然その地位に見合った生活をしていることに比べると、ヒルデガルトの質素倹約ぶりは少し度が過ぎているかもしれない。
ヒルデガルトに言わせれば、まだ城というよりも砦のままであり、王都やアルテンシュタットの領都のように流通や店舗も整っていない状況でそれらと同じ生活を営もうと思えば、無駄な経費がかかってしまい申し訳ないというのが一つ、大きな災害の後で復興に力を尽くすべき時に贅沢は許されないというのが一つ、そして何より、実際に平時の兵たちの食事を食べてみて、口に合ったことが大きい。遠征時の保存性一辺倒の固いパンと干し肉と乾燥野菜だけの食事が毎食続くとなれば話は別だが、普段、城内の厨房で調理される食事がヒルデガルトは嫌いではなかった。
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「ヒルダお姉ちゃん、一緒にご飯を食べようよ!」
昼になり、厨房から料理を運ぶ当番の孤児がヒルデガルトに声を掛けてきた。
「エリーちゃん、ありがとう。ご一緒させていただくわ。」
ヒルデガルトは当番の女児に笑顔を向けながら、お誘いを素直に受け入れた。
「一緒に運びましょうね。」そう言いながら、ヒルデガルトはエリーが持つ籠の取手の片方を手に取り、高さを合わせながら一緒に教室へと運んでいく。
「あ、ご飯が来た!」
「お腹空いた~」
教室にいる子どもたちがヒルデガルトとエリーの周りにわらわらと集まってくる。
「そんなに慌てなくて大丈夫ですわ。まず、向こうの桶で手を洗ってきて、順番に並んでくださいね。」
ヒルデガルトがそう言うと、子どもたちは駄々をこねることもなく、手を洗いに行く。まだまだ幼い子もいて、わがままを言うことも多かったのが、ヒルダに素直に指示に従う姿を見て、以前から働いている職員たちは内心驚いていた。
孤児たちは、ヒルデガルトが領主の娘であること、ましてや爵位を持つ貴族であることは知らされておらず、定期的に孤児院を手伝いに来る臨時の職員であると伝えられていた。
彼らが萎縮したり、変な遠慮をしないように、とのヒルデガルトの配慮だったが・・・
「ヒルダ様の言うことは聞かなきゃ駄目だぞ。」
「そうよ。ヒルダ様は領主様のお嬢様よ。」
「でも、院長先生はヒルダお姉ちゃんは臨時のお手伝いさんだって言ってたよ?」
「馬鹿!それはヒルダ様が身分を隠しているからよ。」
「だから、俺たちは気付いてないフリをして、『ヒルダ姉ちゃん』って呼ぶんだぞ。」
「そうそう。間違っても『ヒルデガルト様』とか『お嬢様』とか呼んじゃ駄目だからね。」
教室の外に置かれた桶の周りにしゃがみこんで手を洗いながら子どもたちはひそひそと声を掛け合った。
耳が早い孤児たちは既にヒルデガルトの正体を知っていたけれど、ヒルデガルトの想いを忖度して気付いていない振りをしているのだった。
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「「「日々の糧に感謝を。」」」皆で感謝の祈りを捧げ、ヒルデガルトと子どもたちは、黒パンに干し肉と野菜スープを食べ始めた。
簡素な食事は、ごく平均的な庶民の昼食と変わらず、たまに果物が付くのを子どもたちが楽しみにしている。決して豪華ではないが、出来立ての温かな食事がヒルデガルトと子どもたちを満ち足りた気持ちにしてくれる。
(ヒルダさま、美味しそうに食べるよね?)
(貴族って、こんな庶民の食べ物を口にしないのかとおもってた。)
子どもたちがひそひそ話をしながら、ちらりとヒルダに視線を向ける。
「たくさん召し上がってくださいね。」子どもたちの視線を感じたヒルデガルトがお代わりを勧めながらニッコリと微笑むと子どもたちは少し頬を赤らめて視線を落とし、食事に集中する。
ヒルデガルトが支援しているとはいえ、必要以上に贅沢な食事にしないのは、将来、孤児院を出て独り立ちした後に堅実な生活をさせるための孤児院の方針でもある。そもそも人々の善意の寄付と領主の支援に頼っている孤児院が平均以上の生活をするのは、何にも頼らず頑張っている人たちに対して申し訳ないというのもある。
それでも、食事の心配をせずに勉強ができる環境は、庶民の子どもたちから見れば恵まれているだろう。
ヒルデガルトとしては、この実験的な子どもたちの学校が成功したら、領内の全ての子どもたちが学校に通い、自らの能力を伸ばし、才能を開花させる機会を与えられるようにしたいと考えていた。
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