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8.

 俺には趣味がある。ジャズのレコード盤の収集だ。カップや皿が入った棚の並びのレコードキャビネットに、隙間なく収納している。レオナもジャズが好きだった。中でもお気に入りだったのは”セロニアス・モンク”のソロピアノ。店内に流すなら少しくらいの活気はあったほうがいいはずで、実際、「トリオのほうが明るくていいだろう」と物申したのだが、「モンクは特別」と悪戯っぽい笑みを向けられたのだった。俺はまだ、ソロピアノの良さがわからないでいる。レオナは孤独なモンクになにを見ていたのだろう。


 同僚が訪れた。伊織と朔夜である。二人は並んでカウンター席に陣取った。客が一人、また一人とはけてゆく。夕方になるといよいよ『治安会』の貸し切りになった。


「伊織。ここ二、三日、おまえはなにをしていた?」

「小悪党どもをとっちめてた。大悪党相手のほうが張り合いがあるんだけど」

「誰を向こうに回しても、負ける気はしないか?」

「そりゃあね」

「だが、負ける気はしなくても、負けることはある」

「そう?」

「ああ」

「弱気じゃない」

「可能性の問題だ」

「サンキューって、言っとくね?」

「どうしてだ?」

「ライアンは色々と教えてくれるから」

「経験則を基づいた知識ならいくらでもしゃべってやる。で、朔夜」

「ああん?」

「神崎英雄」

「そいつがどうした?」

「改めて意思確認だ」

「確認されるまでもねーよ、オッサン。誰にも花を持たせるような真似はしねー。必ず俺が殺してやる」

「決意か?」

「ああ。俺の中での決め事だ」

「誰のための決め事だ?」

「みなまで言わせんな」

「カッコいいじゃん、朔夜。抱きついていい?」

「やめとけ」

「どうして? ウザいから?」

「それもあっけど、おまえの体からは、どうやったって神崎の匂いが消えねーんだ。ぷんぷん匂うんだよ」

「いきなりなにを言い出すの」

「俺にとっちゃあ、いきなりでもねーよ」

「神崎さんの匂いをアンタが知ってるわけがない」

「気持ちの問題だっつってんだよ、馬鹿。つーか、さん付けすんな。頭にくっから」

「死ぬほど激しくしてるじゃない」

「セックスか?」

「そう」

「実はおまえにとって、俺って奴は、やっぱ神崎の代わりでしかねーんじゃねーのか?」

「それはやめてよ。そういう言い方はやめて?」

「愛ってのは永遠に続く場合もあるだろ?」


 伊織が、「あーもう、あーもうっ!」と不機嫌そうに発した。「だったらねぇ朔夜、私はどうしたら信じてもらえるわけ? そのへん、きっちり教えてよ!」と一気にまくしたてる。あっという間に一触即発。二人とも喧嘩っ早いのだ。


「俺が神崎のことを仕留めたら、その時、初めて本気になれるのかもな」

「神崎さん、じゃなかった。神崎が死んだら、私は初めてアンタの女になれるってこと?」

「そうだよ、クソ女」


 伊織がカウンターに突っ伏した。綺麗な黒髪をくしゃくしゃにしながら、そして鼻をすすったようにも聞こえた。


「おまえは正直すぎるな、朔夜。そんな注文をつけておいて、伊織の相棒が務まるのか?」


 すると、朔夜は後頭部を掻いて、肩をすくめた。それからため息をつくと、やれやれとでも言わんばかりにかぶりを振って見せた。わずかながらの自虐的な笑みを浮かべる。らしくない表情だ。


「オッサン、俺自身、正直、な?」

「伊織のことが、やっぱり信用できんのか?」

「多分だぜ? そこにあるのって、単なる嫉妬だと思うんだ」

「その通りだ。その通りでしかない」

「こんなことで迷うくらいなら、所轄の刑事に留まっていりゃあ良かったのかなあ」

「偶然の出会いまで否定するのか?」

「いいや。出会いなんざ、いつだって突然だ。問題は全部、俺にあんだろうさ。俺っていう石は、どうしたって丸くなれねーんだよ。どれだけ転がっても、尖ったままなんだ。そんなんだから、基本的には誰のことも受けつけねーんだ」

「誰も傷つけたくないということか?」

「そんな綺麗事を抜かすつもりはねーけど。もう行くぜ。精々、伊織のこと、慰めてやってくれ」

「おまえがそうしてやるべきだ」

「だから、苦手なんだよ、そういうの。じゃあな」


 朔夜はドアベルを鳴らし、一人で退店した。少々傷心したであろう伊織が「じゃあね、ライアン。また世話になるかも、だけど……」と力なく言い、店をあとにしたのは約一時間後。朔夜との付き合いについてなにか気の利いた言葉をくれてやれればと考えたのだが、なにも浮かんでこなかった。レオナがよく言っていた。「ライアン君って不器用だし口下手だよね」って。俺自身、それなりに器用に立ち回っているつもりだし、結構スムーズに意見を述べているつもりなのだが。




 伊織が去ってから十分ほどが経過したところで、『実行部隊』のメンバーである、忍足悠、それに黒峰曜子が姿を現した。悠は白いRX-8所有している。だから、郊外にあるこの喫茶店を訪れるのも、そう大儀ではないというわけだ。「どこよりも美味いコーヒーを出してもらえますから」と褒められた記憶もある。


 曜子は「ブラックをいただけますか」とオーダーした。悠はぼーっとした顔をしながら、「僕もそれで」と右に倣った。


「ミウラさん」

「なんだ、悠」

「香水の匂いが残ってる。酸っぱさより甘みのほうが強い柑橘系ですね。泉さんがいらしたんですか?」

「おまえは本当に鼻が利く。そうだ。さっきまで伊織がいた」

「お一人で、というわけではありませんよね?」

「ああ。朔夜の奴と一緒だった」

「だけど、本庄君は先に帰ったんじゃないですか?」

「そこまでわかるのか?」

「時々、喧嘩をするように見えるんですよ」

「それはどんなカップルにでも言えることだろう?」

「そうですね。失礼しました」

「謝ることはないが」

「黒峰さん」

「なんですか?」

「泉さんも本庄君も、君には魅力的に映るかい?」

「勿論です。外見も内面も美しいと思います」

「美しい、か」

「ふさわしくない表現ですか?」

「そんなことはないよ。ただ、黒峰さんが言うと、ドライに聞こえるなと思って」

「ドライだとか、忍足さんにだけは言われたくありません」

「二人は二人で仲がいいみたいだな」


 悠は「否定はしません」と言い、曜子は「同じくです」と答えた。恋人関係にあるとは思い難いが、良好な関係であることは間違いなさそうだ。


「さて。では、どうすれば伊織と朔夜は幸せになれるかね」

「ミウラさん、その話を続けるんですか?」

「俺には、二人のことを誰よりも案じているという自負がある」

「だけど、二人をくっつける、言わば接着剤にはなり得ない?」

「さすが、悠はよくわかっているな」

「誰よりも神崎とケリをつけたがっているのは、泉さん自身だとは思います。でも」

「ああ。言葉で表すのは簡単だが、それが成せるかどうかはまた別の話だ。本当に、事はどうランディングするんだかな」

「二人の生き様が、『治安会』という物語の中心です」

「その物語に俺達はどう関わればいい?」

「そこは個人の自由がゆるされるところです」

「おまえの心は決まっているのか?」

「勿論です」


 俺は口元を緩めつつ、「頼もしいな、おまえは」と言った。すると悠は、「僕にも心くらいはありますから」という言葉を謙遜するようにして吐いた。


「悠。おまえのことをまた少し理解できた気がする」

「プラスティックみたいなものなんですよね。ヒトも、ヒトとヒトとの繋がりも。案外、硬質にできているけれど、意外と壊れやすい」

「言い得て妙だな」

「こうやって腹を割って話すのは心地がいい。だけど、それはたまにでいいです」

「まったく、その通りだ」

「失礼します。コーヒー、ごちそうさまでした」


 悠は立ち上がった。身を翻し、出入り口のほうへと向かう。それに曜子が続く。悠が折れれば、二人はつきあうのではないか。だけど、やはりそういう関係にもならないようにも思える。


「物語の中心、か……」


 俺はそう呟き、カップを拭く手を動かし始めた。


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