7.
日はとっぷりと暮れた。助手席に朔夜を乗せて黒いハマーを運転中。換気をしようと窓を開けると冬の空気が静かに流れ込んできた。今宵は特に冷えるという。海沿いの高速をおり、内陸部に向けて数キロ走ったところで、我らが根城、ホワイトドラムに到着した。
用事があるのは四階である。その部屋の前に立つと、自動式である曇りガラスの引き戸がほぼ無音で開いた。どういう用件なのか。普段から明るい顔を見せるのが後藤なのだが、今夜はおちゃらけ雰囲気がない。朔夜が真剣な表情であることからして、なにか重要な議題があるのだろうとは察する。
ソファに先に座ったのは俺だ。続いて朔夜が隣に腰を下ろした。正面の後藤は少し肩を落とすとともに、小さなため息をついてみせた。
「先日の大臣邸襲撃事件について、ライアンさんはどう思う?」
「大臣が無事でよかったとしか言いようがありませんな。当然、手を下したニンゲンを野放しにしておくわけにはいきませんが」
「そうだね。君の言うことは逐一正しいね」
「当たり前の解釈だ考えますがな」
「そうとも言える」
「とはいえ、大臣のすげ替えが簡単にできてしまうのも、この国の現状なんでしょう」
「その事実は嘆かわしいことこの上ない。政治家だってヒトなんだから。さて、ここで質問だ。殺れるかい?」
「ですから、情報さえ得られれば」
「当然、そうなるよね」
「『アンノウン・クローラー』。連中は事後、速やかに声明を出しましたね」
「『OF』にも言えることだけれど、彼らは体制に対してえらく反抗的かつ挑戦的だ」
朔夜が「んなこた、今さら確認し合うまでもなく、わかりきってることじゃないッスか」とイラついたような口調でこちらの会話に割り込んできた。「一にも二にも、とにかく情報ッスよ、情報。そいつがないと動きようがないし、そいつがあればいくらでも動きようがあるッスよ」と続ける。いちいち粗野な物の言い方をする男だが、朔夜は馬鹿ではない。なにせ元は本庁勤めの刑事だったのだから。頭も回れば嗅覚も優れている。『治安会』において朔夜を軽んじるニンゲンなんていやしない。
「ネタ、欲しいかい?」
「握れるネタならシモでも握れって言うッスよ」
「なら、とっとと展開してしまおう」
「そうしてくださいッス」
「ウチの『情報部』が二十四時間の行確に入っているんだ」
「なにかを見つけたんスか?」
「ああ、首魁らしき人物を捕捉した」
「現在地は? あるんスよね?」
「いわゆるキャバクラだよ」
「キャバクラぁ?」
「大きな繁華街だ。人込みであふれている。当然、対象は用心深いだろうから裏口から出てくると想定して、そこを押さえられれば御の字だね」
「裏をかかれたら、どうすんスか?」
「ハジメ君をアサインするよ」
「いざという時、それだけじゃあ意味ないって思うッスけど?」
「なにも手を打たないよりはマシさ」
「そういうもんッスかねぇ」
「いちゃもんは勘弁してよ」
「やれと言われりゃやるッスよ。所詮、俺達は駒っスからね」
「嫌味を言ってる?」
「んなわきゃないッス」
「とりあえず、試行するしかありませんな」
「そうだよ、ライアンさん。朔夜君が示唆している通り、不利な状況にあることも、また事実なんだ。殺れたらで殺れたでいい。とにかくこっちの本気度を示すことで向こうにダメージを与えたい。アプローチしてみてほしい。しくじった時はしくじった時だ」
「連中からしたら、もうとっくにショータイムなんスかね」
「それはもはや言わずもがなだよ、朔夜君。ダンス・ウィズ・ミーといったところだろう」
「せいぜい、派手に踊ってやるッスよ。さ、行こうぜ、オッサン」
朔夜が腰を上げ、俺もそれに続いた。
目的地に向かう車中において、続報はなかった。『UC』の首魁ことルーファスは変わらずキャバクラにいるということだ。移動されたらされたで、また違った手の打ちようがあったわけだけれど、もはやそのケースを考慮する必要はなくなった。
現場。ルーファスを押さえる、あるいは殺すには、彼にはやはり裏口から出てきてもらうしかない。そうなれば、朔夜と二人で挟撃できる。たとえば『SAT』が全方位を取り囲めば事は成せるのかもしれないが、かもしれないというだけであって、達成できるという保証はない。だいいち、連中に出動を依頼した場合、人払いを含めた包囲の完了までには結構な時間を要するだろう。重きを置くべきはフットワークだ。それが軽い分、こちらだけで対応したほうがスピード感があっていい。手柄をみすみす他にくれてやることもないとも考える。ウチで処理したほうがなにかとお得だ。有能さが売れることになるし、予算もつく。いよいよのっぴきならない流れにならない限り、後藤は『治安会』単独での強行を貫くはずだ。警察については顎で使ってやるくらいの思いでいるに違いない。
インカム越しにハジメの声が聞こえてきた。
「ベスポジだ。完璧なスポットを押さえたぜ。カウンターがいないことも確認済みだ。だけど。いくらなんでも表はヒトが多すぎる。どれだけ俺っちが達者でも、殺れる可能性は五分五分ってところだ」
「それでいい。通行人に当たりでもしたらシャレにならん」
「ライアンの旦那よぅ」
「なんだ?」
「いや、なんていうか、ライアンさんがやれって言うんだったら、俺は従うんだぜ?」
「おまえは同僚だ。俺は上司というわけじゃあない」
「そうは言ってもよ」
「俺の考え方は後藤さんの考え方だ。そのへん、見失うな」
「怖い声を出すなよぅ……」
「やるぞ。本番だ。パーフェクトワークが望ましい」
「あいよっ。そのへんは心得ているんだぜっ」
「頼んだぞ」
「あいよっ」
そんな会話をしている最中のことだった。裏口から真っ赤な髪をリーゼントに固めた男が姿を現した。黒い革のジャケットに黒い革のパンツ。加えてティアドロップのサングラス。俺は「裏だ」とハジメに伝えた。再び「あいよっ」という短い返事あった。
「情報通りかよ。のんきなのか? 馬鹿なのか? ま、どうあれ食わせもらうぜ」
そんな言葉をインカム越しに寄越したかと思うと、その当人である朔夜は向こうの建物の陰から飛び出した。消音器付きの九ミリを連射する。あっという間のヘッドショットで取り巻きの三人を蹴散らし、ルーファスに銃を向けた。はなまるの仕事ぶりだ。俺もゆっくりと路地に出た。変わらず人気はまるでない。
「速やかに身分をうたってくれねーかな。こちとら極度に短気なんでな」
「ま、待ってくれ。俺はアンタらの目当てのニンゲンじゃない」
「あぁ?」
「本庄君、ライアンさん、聞こえるか?」
「よぉっく聞こえるッスけど、なんスか?」
「裏口の様子を視認できたんだぜ。ああ、繰り返しになるけれど、よく見えるところまで移動したんだぜ、ベイベ」
「メチャ早いッスね」
「だから、隣のビルの屋上に飛び移っただけなのさ」
「んで?」
「そいつは恐らく偽者なのさ」
「あ、やっぱそうッスか?」
「君にもわかるかい?」
「ええ、まあ。小悪党の匂いしかしないッスから」
「その通り。背格好が似てる男におめかしさせただけさ。極度な悪人特有のオーラがまるでないんだぜ」
「つーことは悲しいかな、俺達は遊ばれちまったってことッスか」
「そういうことになるんだぜ」
「俺はムカついてるわけで、だからひどくエグく殺してやりたいわけで」
「やめておいたほうがいいんだぜ、本庄君」
「どうしてッスか? 任務にゃ含まれてないからッスか?」
「任務うんぬん以前に、倫理に反するからさ」
「そんなものくそくらえッスよ。ダミー? デコイ? どっちでもいいや。のろまのアホ野郎は心の底から殺したくて、実際、そうしてやるッスから」
「待ってくれ、頼むから待ってくれ。俺っちには役割はあるけれど、でも、それだけなんだ。っていうか、四方八方に敵を抱えていちゃあ、本庄君の命がいくらあっても足りないじゃないか」
「まあ、それはそッスね」
それでも朔夜は男の額に銃を突きつけて。
「ひぃぃっ! 殺すのだけは勘弁してくれぇっ!」
「最期に一つだけ聞かせろ。ミスター犯罪者」
「ささ、最期とか言わないでくれっ!」
「るせーよ、馬鹿。俺の問いにだけ答えろ、馬鹿」
「は、はいっ!」
「おまえに接触してきたのは、『アンノウン・クローラー』、『UC』の野郎で間違いねーか?」
「ま、間違いないはずです!」
「はず?」
「だって、そうとしか言いようが……」
「そうだわな。了解。死ね。ごくろうさん」
本庄は偽者の後頭部を右手で掴み上げて、その顔面を自身の左の膝をぶつけた。偽者は当然、鼻血を噴き出しながら大の字に倒れて気絶した。
「なんでかね」
「なにがだい? 本庄君」」
「いやね、ハジメ先輩。現状、俺達を呼び込むだけの作戦でしかなかったと思うんスよ」
「朔夜」
「おぉ。インカム使ってオッサンが話し掛けてくるなんて珍しいな」
「絶体絶命の立場にいるニンゲンを、おまえは責めることができるのか?」
「なんの話だよ」
「そのへん、おまえはわかっているはずだ」
「ま、そりゃそうだわな。アンタが言いたいことについて、意義はねーよ」
「だったらだ」
「相手がつまんねー奴だってだけの話だよ。絶望して立ちすくむことでもねーんだ」
「反社会組織は、いずれは殲滅しなければならん」
「それがわかってんなら、それでいいさ。根こそぎぶっちめてやりたいもんだねぇ」
「長い道のりになる」
「勘か?」
「当然の予測だ」
「ゴキブリの駆除と一緒だな。一匹見たら百匹だ」
「侮るんじゃないぞ、朔夜」
「わあってるよ。あー、くそっ。やっぱ胸糞わりーわ」
「バーにでも寄って帰るか」
「おっ、付き合ってくれんのか?」
「朝までは無理だぞ?」
「いいよ、それで。あんがとな」
たまに素直に礼なんて寄越すものだから、本庄朔夜という男は憎めないのだ。