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22.

 トレンチコートをいよいよ着古した。十二月だ。今しばらく冬は続く。そこで買い替えることにした。近所の街で、大きいサイズを扱っている紳士服店に入り、時間もかけずに新しいものを選んだ。


 今日は電車。愛車のハマーは日帰りのメンテナンス中だ。代車を手配してもらっても良かったのだが、その必要性は感じなかった。あるいは愛車しか運転したくないのかもしれない。そんなことを明かしたら、特に朔夜の奴なんかには、「いい年なんだから、丸くなれよ」と指摘されてしまう気がする。とがった石を地で行く朔夜に生き方についてどうこう言われたくはない。


 スクランブル交差点。人通りはそれなりにある。そして信号待ちのなか、それは起きた。突然、背後から小さな男のコが姿を現した。とことこと車道に出ていこうとするではないか。母親だろうか。女の声で「待ちなさいっ!」と呼び止められたにも関わらず、その歩みは止まらない。ただ突っ立って見ているわけにもいかない。対応するしかない。けたたましくクラクションを鳴らして突っ込んでくる車。轢かれる。それより早く、前に飛び込みながら対象を回収。立ち上がって男のコを小脇に抱え、元いた場所に戻った。すると、女が近づいてきた。信号が青になり、無関心なニンゲンばかりが行き交う中、深々と頭を下げて見せる。そして、女が顔を上げたその時になって、初めて気がついた。


 レオナに似ている……。


 いや、生前のレオナと比べると、少々年をとっているように見える。ただ、顔立ちが似ていることは間違いなく、漂う雰囲気までが似通っている。親戚ではと疑ってもいいくらいだ。


 尚も女は頭を下げる。


「ごめんなさい。い、いえ。違いますね。ありがとうございました」

「たまたま居合わせただけだ。礼には及ばんさ」


 危ない目に遭ったことに自覚的ではないらしく、四つ五つに見える子供は女の左腕に絡まりつつ、きゃっきゃと声を発する。


「じゃあ、俺はこれで」

「待ってください!」


 声が少し大きかったので、多少驚いた。


「お茶を、ご馳走させていただけませんでしょうか……?」


 そう言われた瞬間、また気づきがあった。レオナに、特に目が似ている。奔放さ、天真爛漫さを感じさせる目だ。


「見知らぬ男を茶に誘うとは、ちょっと無防備すぎやしないか?」

「あの、でも、その、悪い方には見えないので……」

「いいのか?」

「はい。ぜひ」

「なら、付き合わせてもらおうか」


 レオナ似の女は、心底ほっとしたような笑みを浮かべたのだった。





 県に何店舗も展開しているチェーン店のカフェに入った。木製の椅子に腰掛け、テーブルを挟んで女を前にしている。女の隣では、子がクリームソーダを口にして「おいしいっ」と声を弾ませ、嬉しそうに笑う。


 俺はブレンドコーヒーを口へと運んだ。ダメだな、まずいなと思う。自分が出すもののほうがずっとうまい。女はグラスに両手を添えて、ストローでアイスコーヒーを飲む。俺の視線に気づいたらしく、恥ずかしそうに頬を桃色に染めた。レオナと比較すると十歳くらいは上だろうというのが当初の見立てだったが、実はもっと若いのかもしれない。作る表情、それに仕草にもみずみずしさを感じる。


 女は「本当にありがとうございました」と、また礼を述べた。「だから、いいんだ、そんなことは」と俺は答えた。


「大きいんですね。ビックリしています」

「まあ、そうだろうな」

「軍人さん、なんですか?」

「ほぅ。またどうしてそんなふうに思う?」

「いえ、その。少し言いにくいんですけれど、テレビに出てくる軍人さんは、こんなヒトだなって」

「元軍人だ」

「軍人さんって、やっぱり、みなさん、勇敢なんでしょうか」

「というと?」

「自らの危険も顧みず、車道に飛び出されましたから」

「少々自慢するような格好になってしまうが、気骨のあるニンゲンなら軍人でなかろうと、ああ動く」

「そうですか。あっ。お話を伺ってばかりになってしまいましたね」

「そうだな」


 女はどことなく楽しげに、ふふと笑って見せる。


「奥様は? いらっしゃるんですか?」

「この歳でいないほうが珍しいように考える。だが、俺のは死んでしまった」

「ご病気で、ですか?」

「いや。強盗に遭った。その果ての殺人だ」

「それは、なんだかごめんなさい……」

「いいさ」

「割り切れているんですか?」

「まさか。でも、そうするしかないケースというのは確かにある」

「私の話をさせていただいてもいいですか?」

「子供のいる時に親が深い話をするのは、あまりよくないように思う」

「言われてみると、そうですね。ごめんなさい」

「謝ってばかりだな」

「そうですね」

「どうしてもなにか話したいというのであれば、改めてここに連絡をくれ」


 そう言って、簡単に名刺を渡してしまったのはなぜだろう。


 名刺を大事そうに両手で受け取り、それを胸に抱くようにした女。彼女は「必ず連絡します。お手すきの時間を教えてください」と言い、俺は「電話をもらえれば出るだろう。多分、大丈夫だ」と答えたのだった。




 翌日。ホワイトドラムにて。後藤の居室で聞かされた。ニッポンにクスリ、コカインを持ち込んでいるとされる暴力団を捜査、場合によっては関係者をしょっぴけとのお達しだ。


「そういうのは警察に任せておけばいいじゃないッスか」


 朔夜がそう意見した。


「その通りだけど、君達は今、暇を持て余しているだろう? そこでだ。言わば、町内会のどぶさらいのような案件を請け負ってもいいと僕は考えた」

「どぶさらいッスか」

「いい例えじゃないかな」

「伊織。おまえはどう思うよ」

「意外といいんじゃない? 社会に奉仕するのが基本的な業務なんだし」

「被疑者はことごとく死亡。そんな結果になっても知らないッスよ?」

「そこはまあ、伊織さんのハンドリングに期待するってことで」

「任せといて」

「俺のことを簡単にコントロールできると思ってんじゃねーぞ」

「はいはい。かわいいかわいい」


 伊織が右手を伸ばして、くしゃくしゃと朔夜の頭を撫でた。深い深い恋仲であるのだが、今は姉と弟のように見える。二人が見せてくれる関係性は、時に色彩豊かだ。


 着信音。プライベートのほうだ。「失礼」と断りソファから腰を上げる。三者に背中を向け、コートのポケットからスマホを取り出し、特に画面を確認することもなく「もしもし」と応じた。すると、「あのぅ……もしもし?」という手探りのような返答があった。聞き覚えのない女の声だと思ったのも束の間のこと、すぐに「あっ」と声が漏れた。通話の相手は前日に交差点で助けてやった子の母親だった。まさか昨日の今日で電話を寄越してくるとは思っていなかった。


「あ、あの、お忙しいようでしたら、かけ直しますけれど……」

「特段、忙しいということはない。ちょっと待て」


 俺は後藤の居室をすたすたとあとにした。通路で話をすることにする。


「なにかあったのか?」

「いえ。なにもないんですけれど……」

「なにもないけど、なんだ?」

「また……お茶をご一緒していただけませんか?」

「それはかまわんが」

「本当ですか!」

「あ、ああ」

「じゃあ、昨日の喫茶店でお待ちしています」

「まず間違いないんだろうが聞いておく。旦那はいないんだな?」

「率直におっしゃるんですね。でも、そうです。いません」

「すぐに行ってやる」

「はいっ」


 通話を切る。背後に気配。伊織と朔夜が二人して腕を組みながら立っていた。伊織は口元だけ緩めている。朔夜に至っては歯を見せ、にかっと笑って見せた。


「んだよ、オッサン。デートか?」

「い、いや、そうじゃない」

「おっ、オッサンがどもりやがったぞ?」


 伊織が朔夜の左耳を掴んだ。「いだだだだ」と痛がる朔夜。


「ライアンにはライアンの人付き合いがあるの。それを邪魔しちゃいけないの」

「伊織、朔夜もだ。別にやましいことはしていないとだけは言っておくぞ」

「わかってるよ。行っておいで。相手のためにも、自分のためにも」

「すまんな。感謝する」




 喫茶店を訪れた。席は昨日と同じ。女の後方には窓があり、大粒の雪がひらひらと舞っているのが見える。今日は子はいないようだ。その点について尋ねると、「両親に預けてきました」とのことだった。


 ブレンドコーヒーを二つオーダーした。「昨日はアイスコーヒーを頼んで失敗しました。そのあと体が冷えちゃって」と女は微笑む。


「離婚したのか」

「はい。十五年連れ添っての離婚です。子供はじゅうの手前で産みました」

「若々しく映る」

「ありがとうございます。あの、それで……」

「しゃべりたいことを無理に探すことはない。しゃべる理由がない時は、しゃべらなくてもいいんだ」

「そうですか?」

「そういうものだ」





 近くのコインパーキングにとめてあったハマーに女を乗せた。女は「スゴいスゴいっ。世の中にはこんなに大きな車があるんですねっ!」と声を弾ませた。


「俺みたいにでかい男が、そのへんにあるファミリーカーに乗っていたら、それはそれで変だろう?」

「そうですね。本当に、この車はライアンさんにお似合いです。……あっ」

「どうした?」

「名前で……ファーストネームでお呼びしてしまいました……」

「かまわんよ」

「そうですか?」

「ああ」

「嬉しいです」

「家の住所を教えてくれ」


 俺がそう言うと、女はナビのタッチパネルを操作した。「ここです」と言って、画面を指差す。それだけの作業なのに、なぜだろう、とても嬉しそうだ。


 巨躯の車を走らせる。「あっ、そういえば……」と女が発し、こちらを向いた。


「私、まだ名前をお教えしていませんよね?」

「そうだな。だが、別に言わなくていい」

「シミズ・アカリといいます」

「言わなくていいと言ったぞ」

「これはデートでしょうか?」

「見ようによってはな」

「だとすると、やっぱりやっぱり嬉しいです」

「そうか?」

「はいっ」




 三日後のことだ。喫茶店を開けていると、プライベートのスマホに、シミズ・アカリから連絡があった。またお茶の誘いだろうかと思いつつ、通話に応じた。


「ライアンさん!」


 切羽詰まったような声だった。


「どうした?」

「いきなりヒトが押し入ってきて!」

「今、おまえはどこにいる?」

「二階です。部屋の鍵をしめました!」

「状況は?」

「こじ開けられようとはされていません!」

「すぐに向かう」


 客は強制退去。手早く閉店作業を完了させ、コートに袖を通して現場へと急いだ。




 家に踏み込んだ。「俺だ! アカリ!」と玄関で大声を発した。すると、「ライアンさん!」という声が二階から聞こえた。なにがあっても即座に対応できるよう土足のまま上がり込み、階段をのぼりながら、もう一度、「アカリ!」と叫ぶ。「こっちです!」と聞こえた。その一室の戸をノックする。「開けろ!」と伝えた。恐る恐ると言った感じで戸が開かれた。こちらのの顔を見た瞬間、アカリは口元を両手で押さえ、ぽろぽろと涙をこぼした。「おじちゃん、おじちゃああんっ!」という声が響く。室内の真ん中では子供がへたり込んで大声で泣いていた。


「大丈夫だ。もう心配ないぞ」

「ありがとうございます、ありがとうございます……っ」


 単なる強盗の仕業だろうか。ヒトを殺すつもりはなかった? そういう可能性はありうる。金品を奪うことだけが目的だから、住人は捨て置いたということだ。実際、戸を壊そうとした形跡はない。


 脚が震えるらしい。アカリが抱きついてきた。「ごめんなさい、ごめんなさい……」と泣きながら謝罪する。わーんと声を上げながら子もくっついてきた。アカリの背は左手で抱き、子については右手で頭を撫でてやる。


「アカリ、事が起きた時、おまえは偶然、二階にいたのか?」

「はい。ベランダで洗濯物を干し終えたところでした」

「どうやって犯人の存在を知った?」

「いきなりガラスがやぶられる音がして……。一階の庭から入ったんだと思います」

「なるほどな」


 やがて二人は落ち着いたようで、アカリは胸に手をやり息をつき、子は泣きやんだ。俺は一階へと下りる。短い廊下を進む。この時になって妙だと気づいた。どの部屋の戸も開いていないからだ。強盗犯がいちいち戸を閉めるだろうか。


 アカリが下りてきた。「主人の置き土産なんです」とのこと。住まいがそうだということなのだろう。「家はくれてやるから別れてくれ」とでも言われたのではないか。


 一つドアを選んでリビングに入る。広い。やはり、二人で住むには大きすぎる家だと思う。しかし、そんなことはどうでもよかった。注目すべきは白い壁に赤いスプレーで、でかでかと『UC』と書かれている点だ。


 アカリが「これって、まさか……」と、つぶやくように言い、「イニシャルを見ただけで、わかるのか?」と俺は訊いた。「はい。テレビで見て知っているというだけですけれど……」と返ってきた。


「俺の失態だ」

「どういうことですか?」

「アカリ」

「はい」

「おまえともう会うわけにはいかん」

「えっ?」

「俺は『UC』と敵対する立場にある組織のニンゲンだ。だから、おまえが狙われた。先方の監視役どもからすれば、俺達が仲良くしているように見えたということだ」

「そんな理由で、襲われるんですか……?」

「襲われてしまうんだ」

「そんな……」

「俺のことは忘れろ。いや、忘れてくれ」

「そういう、運命だったということですか……?」

「そういうことだ。土足で失礼した」


 俺は玄関へと向かう。うしろから、「ライアンさん!」、「おじちゃん!」という声が聞こえたが、振り返るわけにはいかない。俺は戦士だ。危うく忘れてしまうところだった。





「まあ、そういうことだ」


 俺は自らの店のカウンターの中で、カップを磨いている。閉店後の店内だ。最低限の灯りしかつけていない。


 コーヒーを飲みながらの朔夜から「なんか話題はねーか?」と振られたので、アカリのことについて手短に話したのだった。話してから、なにもわざわざ話すことではなかったかと思った。でも、なにも考えもせずに、すっと言葉が出てきて、すっと話せるからこそ、心のゆるせる仲間だというわけでもある。


「惚れそうになったのは事実なんだ。俺は自分の弱さを呪いたくなったよ」

「付き合うわけにはいかなくても、惚れるのは別にアリだろ。悪いことじゃねーだろ。亡くした女房に義理立てするのもわからなくはないけどよ」


 ここで伊織が「義理立てとか、そういうんじゃないと思うな」と発言した。


「ああん? どういうこったよ」

「私にもよくわかんないけど、とにかく義理立てって言葉は適当じゃないように思う」

「なんでだよ」

「だから、よくわからないんだってば」

「話、変えるぜ。例えばだ、オッサン、アンタは女を抱きたくなったらどうすんだよ」

「そんなことにはならない」

「言い切れんのか?」

「じゃあ、逆に訊くが、朔夜、おまえは伊織以外の女を抱きたいと考えるのか?」

「それはまあ、考えないわな」

「あら。嬉しいことを言ってくれるじゃない」

「俺はレオナがいれば、それだけでじゅうぶんだった」

「だったら、奥さん殺した収監中のクソどもをぶち殺してやれよ。なんだったら、俺が上手いことナシつけてってやるぜ?」

「前から言い続けていることだ。なにをしてもレオナは帰ってこない」

「そのへんの思考回路が、俺には理解できねーよ」

「おまえはまだまだだということだ」

「うるせー。俺はなにがあっても好きなように行動するぜ。殺したい奴は殺してやる。必ずな」

「ある種、そういった観念が、私達に最も求められるモノなんじゃないかな」

「だろ?」

「うん。私達はどんな価値観でもできるだけ共有しなくちゃいけない。ゆえに敵には容赦しちゃいけない。仮に内側から膿が出てもゆるしちゃいけない」

「おまえがその膿になっちまわないことを祈るぜ」

「朔夜クン? どうしてここで突っ掛かってくるわけ?」

「さあて、どうしてだろうな」

「喧嘩をするほど仲がいいっていうのは真理なのかもしれんな」

「でも、ライアンはレオナさんと喧嘩なんかしなかったでしょ?」

「まあ、それはそうだ」

「私はおだやかーな日々を望んでるんだけどねぇ」

「だったら、仕事を変えやがれ」

「それが本音?」

「いんや。実はおまえのことなんざ、どうだっていい」


 伊織が両手を使って朔夜の首を絞める。すると朔夜は眉間に皺を寄せ、んべっと舌を出して見せたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 22部まで拝読しました。 忍足君と曜子さんの距離感が好きです。 直接的なやりとりは、朔夜と伊織ほど現在ないようですが、事件によってお互いをおもいあっていることが自然に伝わってくる物語の運び…
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