21.
午前十時。情報はなにも伝えられないまま、ホワイトドラムに召喚された。後藤の居室。ソファについている伊織の隣に、俺は腰を下ろした。ハジメは赤い絨毯の上であぐらをかいていて、朔夜と悠は立ったまま腕を組んでいる。漂っているのは重苦しい空気。後藤は無言。だからまずは年長者たる俺が代表して、「なんのための招集ですか?」と訊いた。すると後藤は小さく「うん」と、うなずいた。「みんな揃ったんだ。きちんと話をした上で、きちんと対応してもらわないとね」と続けた。
「なにがあったっていうんです」
「曜子さんがね、背後から腰のあたりを刺されたんだ」
「曜子が?」
「出勤するところを狙われた。自宅の最寄りの駅、そのホームでの一件だ。本人からその旨、電話連絡があった。話せるんだ。だから命に別状はない」
「犯人は? 捕まったんですか?」
「いや。誰の仕業かすら、わかっていない。だけど、本人はストーカー被害に遭っているようなことはないと言っていた。となると、彼女を攻撃する可能性があるのは、どういった輩なのか」
「あるいは『OF』か『UC』が絡んでいるかもしれないと?」
「そうだ。僕はじゅうぶんに考えられることだと思う。これはウチのメンバー全員に言えることだけど、たとえば、ライアンさんの居所が先方に知られているのは当前のことだろう。それでも副業を続けていられるのは、現状、君を切り口にして僕達と事を構えようという気が、彼らにはないからだ」
「店を畳んだほうがいいであろうことは承知しています」
「その判断は任せるよ。畳みたくない気持ちはわかるからね」
「ボス」
「どうぞ、伊織さん」
「この件は、ちょっとゆるせない。仲間をやられちゃ黙ってられないよ」
「そうだね。僕だって憤ってる」
「相手が『OF』だろうと『UC』だろうと、ぎゃふんと言わせてやんないといけないですよね?」
「ハジメ君の言い方はかわいげがあっていいね」
「誰であろうと殺してやるのが当たり前じゃないッスか」
「朔夜君、君の物々しさは相変わらずだ。だけどね、お二人さん。今回は君達の出番じゃないように思うんだ」
「どうしてですか? 俺っちメチャクチャやる気ですよ?」
「俺だってそうスよ」
「でもさ、ほら。こんなふうにあれこれ言い合っていても、まったく会話に入ってこない人物がいる」
後藤がそう述べると、誰もがおしゃべりをやめた。みなの視線の先、そこに立っているのは悠だ。尚も腕を組んだまま、静かに目を閉じている。
悠はうっすらと目を開けると、なにも言わずに身を翻し、部屋から姿を消した。伊織はかぶりを振り、ハジメは「悔しいぜ……」とつぶやき、朔夜に至っては床をガンと踏みつけた。
俺は悠のあとを追うことにした。緩やかに左へと湾曲している通路を進みながら名前を呼ぶと、悠は振り返った。並んだところで、二人してゆっくり歩く。エレベーターで三階におり、俺の奢りで自販機で缶コーヒーを買ってからテラスに出た。木製のフェンスのてっぺんに上半身を預けた悠は、やはりぼーっとした目をする。
俺は無言で微糖の缶コーヒーを差し出した。悠は「ありがとうございます」と言って受け取った。プルトップを開けて一口飲むと、「まずいですね」と馬鹿正直に答えた。
「缶コーヒーというのは、総じてそういうものだ」
「ミウラさんが淹れてくださるコーヒーの味を知らなければ、もう少しおいしく感じられたかもしれません」
「恐縮至極だな」
「定期的にでもいいし、不規則にでもいいから、住まいを変えるよう、以前から言っていたんですよ」
「曜子に、か?」
「はい。仕事が仕事なんだからって」
「曜子がおまえの助言を聞かないとは思えんな。そろそろどこかに移ろうとは考えていたんじゃないか?」
「だと思います。あまりまごついたりするヒトじゃありませんから」
「それにしても、おまえが感情に左右されるとは、思わなかったよ」
「そんなふうに見えますか?」
「俺にはそう見える」
「さすがの観察眼、なのかもしれませんね」
「いや。単なる年の功だろう。困った時は俺に言え。必ず力を貸してやる」
「じゃあ、早速、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
「これから、黒峰さんのお見舞いに行こうと考えているんですけれど」
「一人で行けばいいだろう?」
「二人きりより、他に一人いてくれたほうが、話しやすいように思うんです」
「俺が邪魔をしてもいいのか?」
「邪魔してやってください」
警察病院というのは総じて愛想がない施設だが、小奇麗な個室も備えていたりするらしい。ベッドの上で体を起こしていた曜子は俺達を見るなり申し訳なさそうな顔をして、「忍足さん、ミウラさん。わざわざお越しいただいて、すみません……」と言ったのだった。
「曜子、一つ、間違いを正してやろう」
「間違い?」
「こういう場合は、すみませんじゃなくて、ありがとうと言うんだよ」
曜子は目をぱちくりさせると「そうですね」と言い、口元を緩めて見せた。
「まだ痛むか?」
「平気です。すぐにでも復帰できます」
「刺されたばかりなんだ。そんなわけないだろう?」
「でも……」
「でも、なんだ?」
「いえ。私は下っ端なので、休みをとってしまうと、もっともっとみなさんに置いていかれるような気がして……」
「それでも休養は必要だ」
悠がパイプ椅子に座り、リンゴを剥き始めた。以前は悠が怪我をして曜子が剥いてやっていた。立場が逆転したというわけだ。悠は器用に、うさぎのかたちに剥いて見せた。曜子は「わあ」とでも言わんばかりに目を輝かせて皿を受け取ったのだった。
「忍足さんも私も無口だから、ミウラさんは私達の潤滑油になろうと考えて来てくださったんですよね?」
「しゃべらなくてもわかることはある。だが、言葉にすることで、相手をより信頼できるようになる場合もある」
「実は忍足さんとは、もっとお話しさせていただきたいと考えているんです」
「雑談から始めるといい」
「ミウラさん」
「なんだ? 悠」
「リンゴ、食べますか?」
「もらおうか。だが、剥かなくていい。丸ごとくれ」
悠が自身の隣に立っている俺に、真っ赤なリンゴを手渡した。一口かじる。すると、「大きな口ですね」と言って、悠は穏やかな表情を浮かべたのだった。
翌日。ケータイが鳴り、その無機質な着信音で俺は目を覚ました。「もしもし」と応じる。「早朝にすみません」との声。悠だった。枕元のデジタル時計で確認すると、まだ三時を過ぎたところ。
「どうした?」
「今、そちらに向かっています。少しだけ時間をちょうだいできませんか?」
「かまわんよ」
「助かります」
悠は十分ほどでやってきた。「ドライブでもしながらでどうですか?」と訊いてきたので「いいな、それも」と答えてやると、俺を白いRX-8へと促した。助手席に乗る。ヘッドライトをつけ、ゆっくりと車を出した悠。なにせ朝の早い時間帯だ。車はほとんど行き交っていない。それにしても悠は運転がうまい。乗っていて心地のいい気分になる。
「話があるんだな?」
「はい」
黒いジャケットの胸ポケットに手を入れ、悠は名刺サイズの白い紙を取り出した。手渡してくる。ポップな蛇のイラストが描かれている。白い肌に黒い斑点が特徴的な蛇だ。とぐろを巻いていて、ちょろりと舌を出している。
「ヨコバイガラガラヘビ」
「そういうのか?」
「はい。別名をサイドワインダー」
「サイドワインダーか」
「聞いたこと、ありませんか?」
「単語としてなら、ある」
「『情報部』に問い合わせて、少し教えてもらいました」
「組織かなにかの名称か?」
「らしいです。専門は殺しだそうです」
「殺し屋の集団か」
「集団と言っても、規模は不明らしいですけれど」
「それほど大きくはないだろう。デカいと動きづらいだろうからな。フットワークの悪いジョブキラーなんて需要がないに決まっている」
「同感です」
「で、この『サイドワインダー』が、どうかしたのか?」
「昨日の夜、それがウチの郵便受けに入っていました。実は黒峰さんのケースにおいても同様だったんですよ」
「そうだったのか」
「はい。これでまた引っ越さないといけないなあ」
「住まいを嗅ぎつけられるなんて、おまえらしくもない」
「反省してます」
「曜子はどうして後藤さんに話さなかったんだ?」
「まずは自分一人で調査するつもりだったみたいです。その上で、場合によっては情報を展開するつもりでいた」
「言っちゃ悪いが」
「馬鹿な話だと思われますか?」
「ああ。だが、責任感が強いとも言える」
「まあ、そうなんですけれど」
「この名刺を受け取った翌日に仕掛けられたということだな?」
「はい」
「殺さなかったのは?」
「そこなんですよ。どう考えますか?」
「殺すつもりはなかったんだろう」
「それはなぜ?」
「組織そのものがそうなのかはわからんが、少なくとも、手を下したニンゲンはサディスティックな性格をしている」
「その点についても同感です。現状、黒峰さんを恐怖させることが目的だと思われます」
「始末が悪いな」
「だから、一つ、警告を発しておこうかと」
「手伝うぞ」
「お気持ちは嬉しいですけれど、僕一人でやります」
「危険だろう?」
「危険だからこそ、一人でやるんです」
「言い出したら聞かん奴だとはわかっているが」
「うまくやります」
「後藤さんには知らせていないんだな?」
「はい。万一にも待機を命じられたら困りますから」
「俺に話しに来たのは?」
「僕がしくじったら、アイツはドジを踏んだんだって後藤さんに伝えていただきたくて」
「不吉なことを言うな」
「ふふ。そうですね」
俺がジャンパーのサイドポケットに名刺をおさめると、「戻ります」と言った悠は大きなヘッドホンを耳に当てた。漏れ出てくる音から、トリオのジャズだとわかった。
その日の夜。警察病院に見舞いに訪れると、曜子の個室には悠がいた。パイプ椅子に座って、何事もなかったような顔をしてリンゴを剥いていた。
俺が「どうだったんだ?」と訊ねると、悠はリンゴののった皿を曜子に寄越してから、俺のほうを向いて、右手の人差し指を唇に当てた。目を細め、微笑んでみせる。きょとんとした顔の曜子に「どうだったんだって、なにがですか?」と問われても、「なんでもないよ」としか答えなかった。
そして、翌日の朝、朝刊。
市内のウィークリーマンションの一室で死体が発見されたという記事が掲載された。目隠しと猿ぐつわをされ、椅子に縛りつけられた状態で、頭には太い釘が何本も刺さっていたらしい。じわじわと殺害されたということだ。被害者の身元は不明。名前すら不明。そうである以上、脛に傷のあるニンゲンとしか考えられない。くだんの組織のニンゲンだったのだろう。曜子に舌を伸ばした蛇が駆除されたということだろう。
あらゆる意味で、忍足悠という男は本当に恐ろしい。




