14.
薄暗い後藤の居室を訪れると、すでに伊織がソファにつき、並びに朔夜が立っていた。先輩たる俺に席を空けておいてくれたのだろう。そう考え、遠慮なく伊織の隣に腰を下ろす。「どっこらせ」と声が漏れた。とりたくなくても、とってしまう。それが年齢というものだ。俺達の向かい、一人掛けの席には後藤が座った。
「ご苦労様。ライアンさんも伊織さんも。ああ、あと朔夜君もだね」
「おまけみたいに俺の名前を呼んだのは、わざとッスか?」
「その通りだ。君はいちいち、こちらが希望する回答を寄越してくれるね。かわいいったらありゃしない」
「かなわないッスね。後藤さんには」
「それじゃあ、本題に移ろう。地下鉄が占拠された」
「地下鉄ジャック、ッスか?」
「ああ。そんな状況だから、他の列車はすべて止めた」
「誰の仕業ッスか? わかってんスか?」
「ほんのついさっきのことだ。音声だけの声明が出された。どうしてかはわからないけれど、彼らは自らに敵対する急先鋒である僕達『治安会』の名前を公にするつもりはないらしい。そのかわりに言っていた」
「なんつったんスか」
「しかるべき組織、しかるべきニンゲンには、”サム”と伝えれば充分だろうってのたまってくれたのさ」
俺は朔夜を見上げた。すでに目の色が変わっている。身を翻して、出入り口に向かおうとする。
後藤が「そんなに急いでどこに行くんだい?」と問い掛けた。すると朔夜は、「とにかく現場に向かうッス」と答えた。
「その現場がどこかも知らないのにかい?」
「『情報部』の奴に訊くッス」
「そうおっしゃらずに、まあ、待ちなさいよ。ムキになって無計画に動いたところで、絶対に満足がいく結果なんて得られないんだから」
「でもッスね」
「朔夜」
「んだよ、オッサン」
「後藤さんの話を聞け。それが終わるまで、おまえはただ突っ立っていればいい」
「サムにリベンジかましてやりてーってだけだ。俺の体に穴あけてくれたんだからな」
「だったらなおさらだ。まずは話を聞け」
「だからなあ、オッサンよぉ」
「朔夜」
「あん? 今度はおまえがなんかほざくのか、伊織さんよ」
「馬鹿」
「はあ? 馬鹿だあ?」
「ブリーフィングは大切だよ」
「つってもだな」
「黙りな」
「ちっ。しゃーねーな。わかった。わかりましたよ」
深々と吐息をついた朔夜が改めて、ソファの上で腕も脚を組んでいる伊織の隣に立った。伊織は俺に流し目をくれると、小さく肩をすくめて見せた。
後藤がガラステーブルの上のノートパソコンをぱぱっと操作する。ディスプレイをこちらに向けた。俺達三人はクローズアップされたその画面を覗き込んだ。斜め上方からのアングルの画像。防犯カメラが撮影したものだろう。短い銀髪。恐らく男だ。ブルーのパーカーのサイドポケットにそれぞれ手を突っ込んでいる。
「朔夜君、どうだい? 本物だと思うかい?」
「カメラ越しだと、ちょっとわかんないッスね。つーか、冷静に考えてみると、偽物っつー可能性も充分にあるッスよ。ちょい前のルーファスの一件がそうでしたッスから」
「やっぱり生身を確かめたい?」
「っていうか」
「なんだい?」
「すでに何人殺されたとか、そういった情報はないんスか?」
「ないよ。続報はない」
「私見を言ってもいいッスか?」
「勿論だ」
「コイツが本物なんだとしたら、積極的に殺るってことはしねーと思うッス」
「じゃあ、なにがしたいんだい?」
「あくまでも、お遊びの一環ッスよ」
「となると、実は火遊びなんだってことを教えてやらないといけないね」
「まったくもって、その通りっス」
「不気味な感は否めないけどね」
「それはもうわかりきってることッス」
「他の画像も確かめたんだけど、多数の人員が投じられているということはないようだ」
「ってことなら、本物かもしれないッスね」
「そうなるのかい?」
「はい。サムって野郎はとにかく肝が太いんス。ちっこいくせしてスケールはでけーんス」
「なるほどね」
後藤が地下鉄の駅の名を言った。近場だ。そう離れてはいない。乗り降りの客が多い路線だ。仕掛けるにあたっては、当然、慎重を期す必要があるだろう。
ハマーで現場に到着。想定した通り、兵隊が配置され、待ち構えられているなんてことはなかった。改札がある階には数名の駅員がいるだけ。伊織は北側から、俺と朔夜は南側からプラットホームへと駆け下りる。長いエスカレーターを下った先には淡いオレンジ色の列車がとまっていた。見たところ、乗客はいない。避難したのだろう。伊織が先頭の車両に飛び込んだ。申し合わせたように朔夜は最後尾の車両に侵入する。俺はそれに続く。挟み込む格好で順繰りに車両を洗おうという算段だ。無論、その時の状況次第ということになるが、できることなら殺すのではなく捕縛したい。サムには訊きたいことが山ほどある。
車内を進む。やはり誰もいない。それでも銃を手に気を抜かずに進む。警戒は怠らない。やがて、真ん中の車両に至った。するとだ。小学生の高学年くらいであろう少年が二人いた。揃って白いつなぎをまとっていて、一人はこちらを、もう一人はあちらを向いている。そして、その二人に挟まれている男がいる。短い銀髪の男。青いパーカーの男。
朔夜が「サムッ!」と叫び、銀髪の男に九ミリを向けた。伊織もすでに同様にして銃を構えている。
「お久しぶりです、本庄朔夜。お元気でしたか?」
「ご覧の通り、すこぶる元気だよ」
伊織が「朔夜っ」と声を放った。「間違いないの?」と問うた。
「間違いねーよ。この野郎がサムだ!」
「撃つよ。とっとと」
「まあ、そう急がないでください。泉伊織さん」
「へぇ。私の身元もバレちゃってるわけ?」
「はい。知ることくらい、わけありませんから」
「神崎さんは関わっているの? ねぇ、どうなの?」
「それはまだまだお楽しみにしておいてください」
サムが動いた。車両のドアから外に出ようと一歩踏み出す。
「待て、コラ! こっちのことこんだけ熱くさせといて逃げんのかよ!」
「ですから、楽しみはまだまだ取っておかないと。ちなみに、ですけれど」
「なんだ? なんだってんだよ」
「この二人の男のコはともに十一歳です」
「それがどうした?」
「あなたがたを危険人物だと判断したら、撃つようにと命じてあります」
「それは命令なんかじゃなくって、洗脳なんじゃねーのか?」
「解釈の仕方はどうでもいいんです」
「大人の乱痴気騒ぎに子供を巻き込むんじゃねーよ!」
「まあまあ。では、僕は行きます。精々、お遊びを楽しんでください」
サムはゆっくりと去った。誰か一人が奴を追うのはアリかもしれない。だが、相手は子供だとはいえ、銃を所持しているわけだ。しかもいつでも撃てる態勢でいる。まずは少年らに対応しなければならない。言わずとも、その認識は俺達三人で共有していると断言して間違いない。
朔夜が「なあ、ガキんちょども、やめようぜ?」と声を掛けつつ、両手を広げて少年らに近づく。その瞬間、こちら向きの一人が発砲してきた。瞬間湯沸かし器の朔夜は、「やめろっつってんだろ、クソガキがっ!」と早速キレた。とはいえ、朔夜には撃てない。女子供にはとことん優しくできているからだ。残酷なことを平然と述べるのは伊織のほうで、「朔夜! そこで止まりな! このコ達はもうオシマイだから!」と声を大にした。
「撃つな! 撃つんじゃねーぞ!」
「撃つ以外にどうしろっていうの!」
「だから、やめろって!」
朔夜のうしろで、俺は「違うな」と小声で言った。
「んだよ、オッサン、なんか言ったか?」
「おまえのやり方は間違いだ。伊織の言い分も間違いだ」
「だったら、どうしろってんだよ!」
俺は肩を掴んで朔夜をどけて歩み出る。少年達が俺のほう見た。二人並んでこちらを向く。一人が一発、撃ってきた。頬をかすめただけだ。気にするようなことじゃない。俺は前進を続け、やがてしゃがみ込み、腕を伸ばして二人をいっぺんに抱き締めた。二人は拳銃を手から落とした。泣きもしない。むしろ笑って見せた。あはは、あはは、と。
伊織と朔夜がゆっくりと近づいてきた。伊織はなにも言わない。やれやれくらいに思っていることだろう。朔夜は朔夜で「年の功ってヤツか? 俺はまだまだなんだな……」と殊勝なことを言った。
「なにも心配することはないはずだ」
「オッサンの勘か?」
「考えていることは、おまえと同じだ。外道の子供なんていない。俺はそう信じている」
「ライアンがいなきゃ、私は撃ってたなあ」
「伊織、おまえは子供に対しては、もう少し寛容になれ」
「はーい」
子供の一人が「おじちゃん」と言った。「僕達、悪いことをしたんでしょ?」と、あっけらかんと言った。
「ねぇ、おじちゃん。僕達はどうなるの?」
「安心しろ。ちゃんとフツウに戻れる」
「”そういう施設”に入れられるの?」
「ああ、そうだ」
「僕達がおじちゃんに会いたいって言ったら、会いに来てくれる?」
「もちろんだ。いつだって会ってやる」
少年二人は声を揃えて、「ありがとう」と言った。ちゃんと笑顔を作れる子供だ。俺は安心して、抱き締める腕に力を込めた。
それにしても、サム。あの小男のまとうオーラのなんと禍々しかったことか。奴は間違いなく本物のテロリスト”だ。




