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13.

 夜のとばりがすっかりおりて、我が喫茶店のシリンダー錠を閉めようと出入り口に近寄った段になって、外に小さな背中が見えることに気づいた。悠だ。忍足悠。階段の最上段、すなわちウッドデッキに腰掛けている。片開きのドアを開け、「どうした?」と訊いたところ、悠は立ち上がり、こちらを向いて「失礼してもいいですか?」と問い返してきた。「かまわんよ」と答えてやると、ぺこりと頭を下げて見せる。今日もお馴染みの大きなヘッドホンを首に提げている。


 悠は丸椅子につき、まだエプロン姿の俺はカウンターを挟んで正面に立った。コーヒーをドリップするべく準備に取り掛かろうとする。だが、「お気遣い、ありがとうございます。でも、コーヒーはいいです」との言葉があった。悠はいつも眠たげな目、顔をしていても、言いたいことは直球で伝えてくる。そこに他意はない。本人がそういう性質を有しているというだけだ。


「いったい、なんの用だ? 今日は曜子もいないようだが」

「あくまでも私事だからです。黒峰さんは必要ない」

「必要ない、か。聞きようによってはキツいセリフだな」

「それはさておき、まず意見してもいいですか?」

「なんだ?」

「駐車場を拡張してもいいんじゃないかなって思います。三台分だけだと不足しているように映ります」

「あまり商売を広げるつもりはない」

「その点は知っているつもりです」

「だったら、意見するのはよせ」

「すみません」

「嘘だ、冗談だ。どうしたって、おまえにはジョークが通じんな」

「思考回路が柔軟性に欠けている証左かもしれません」

「そうじゃない。おまえは真面目な奴だと俺は買っている」

「ありがとうございます」

「ほら、そう言うだろう? そんなところに惹かれるんだ」

「本題に移ります」

「ああ。話してみろ」


 悠はテーブルに左の肘を置き、頬杖をついた。


「厚生省の担当者から『マトリ』に誘われました。『特別強行班』です」

「ほぅ。古巣から話を持ち掛けられたのか」

「実は以前からアプローチはあったんですよ。一度、後藤さんに相談したこともあります」

「揺らいでいるのか?」

「心が、ですか?」

「そうだ」

「それはありません」

「だったら、なにが言いたい?」

「一応の情報展開です」

「どういうことだ?」

「ミウラさんも一緒にスカウトしたいそうなんですよ」

「俺を?」

「『治安会』の精神的支柱、すなわち、組織の父親のような存在であるミウラさんが折れたら、あるいは僕もなびくんじゃないか。先方はそう考えているのかもしれない」

「知らなかった。俺は有名人なんだな」

「今の『マトリ』はとにかく人材難みたいなんです」

「給料についてはなにか言っているのか?」

「言い値を払うそうです」

「事務屋の発想だな。俺がどうして『治安会』に身を置いているのか、まるでわかっていないらしい」

「やっぱり、転職はナシですか?」

「当然だ」

「一応の情報展開だと言いました。最初から返事はわかっていたんです」

「だろうな。ところで、おまえ自身、まったく未練はないのか?」

「未練と言うより、申し訳なさは多少あります。僕に案件対応の手法を叩き込んでくれた組織を、とっとと抜けてしまったわけですから」

「だが、やむを得ん話だ」

「ええ。後藤さんの魅力、カリスマ性には逆らえなかった。会った時点で、断るすべなんてなかったんです」

「俺もそうだ」

「ですけど、『治安会』の主人公は、僕やミウラさんじゃない」

「前にもそんなことを言っていたな。主役はあくまでも伊織と朔夜だと」

「僕自身は、特に本庄君だと考えています。恐らく彼は、今後、最も悩み、最も苦しむことになる。それでも最も前に立って、最も戦うはずです。僕はそんな彼をサポートしたい」

「それもまた、わかる話だ」

「この国は爆弾を抱えている。それが大きなものか小さなものなのかは、現状、わからない。だけど、本庄君なら、生身の殺意を持って、彼らに突っ掛かることができる」

「あまり賢い考え方だとは言えんのだが」

「気に入りませんか?」

「そんなことはない」

「ともすれば、大きな賭けになるかもしれない」

「そうだな」

「あるいは負け戦になるかもしれない」

「その通りだ」

「だけど、男にはやらなきゃいけない時がある」

「驚きだ。悠が男を語るとは」

「今度、男性陣だけで旅行にでも出掛けましょうか」

「それもいいかもしれんな。で、だ。悠」

「なんですか?」

「伊織と朔夜。おまえはどっちが好きなんだ?」

「くどいですね、ミウラさんも。そんなの、決まっています」

「そうか。だけどな、悠。俺にとって、伊織は娘みたいなものなんだよ」

「でしたら、彼女を正しくディレクションしてあげてください」

「やれるだけのことはやるさ」

「ハッピーエンドを迎えられるといいですね」


 悠が丸椅子から腰を上げ、出入り口へと向かう。漆黒のコートの裾が少し長く映る。あくまでも仮にの話だが、俺を敵に回した場合、悠は容赦なく殺してくれるだろう。それなりにキャリアは積んできたつもりだ。それでも、悠に敵う気はしない。戦闘の天才というのは、奴のためにある言葉だ。


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