11.
寒空の日。『治安会』に新人がやってきた。細い銀縁フレームの眼鏡をかけているその男は、「ミズノ・ジュンイチと申します。よろしくお願いいたします」と挨拶の言葉を並べて、慇懃に頭をたれて見せた。年齢は三十一とのこと。後藤の居室に集められたメンバーは一様に申し訳程度の拍手をした。
悠と曜子はすぐに出ていった。伊織もそう。朔夜はめんどくさそうな顔をして握手に応じた。俺が「ライアン・ミウラだ」と名乗って右手を差し出すと、ミズノはその手を両手で握った。営業マンみたいなスマイル。気色悪い男だと感じたことは否定できない。
ハマーに三人を乗せた。伊織は助手席。男どもは後部座席。下の名前で呼ぶほど親しくなるつもりはない。だから、バックミラー越しに、「ミズノ」と呼び掛けた。
「はいはい。なんでしょうか?」
「おまえ、前職は?」
「公安におりました、はい」
「ウチのボスに勧誘されたのか?」
「いえ。『治安会』を名乗るかたからお誘いを受けました」
「そうか」
「それが、どうかしましたか?」
「いや、もういい。大体、理解した」
「なにを理解したと?」
「じきにわかる」
「それで、今日の案件は?」
「ない。なにか発生したら、本部から速やかに連絡が入るさ」
「やはり『治安会』の『情報部』は優秀だということですか」
「ああ。餅は餅屋だということだ」
四人とも無言のまま、三十分から四十分ほど車を走らせたところで、プルルッ、プルルッという無機質な呼び出し音が鳴った。「あら、電話」と言い、伊織はスーツのサイドポケットからスマホを取り出す。そして、「ハロー、ボス、なんの用? ああ、うん。なるほどね。わかった。速やかに対処しまーす」という短い会話で通話を終えた。
俺は「後藤さんはなんだって?」と訊いた。
「『OF』が犯行予告を出したみたい。某大臣を狙撃をするって話。だからカウンターをぶち込んでやれってさ」
「ほぅ」
「私が撃つ。朔夜はまだまだだし、ライアンに至っては老眼でしょ?」
「見くびるな。俺の視力はまだまだ健在だ」
「ジョークを飛ばしてみただけだよ。近場につけてもらえる?」
駅前通りの路肩に、ハザードをつけて停車させる。伊織と朔夜は降車し、駅構内へと消えた。ミズノが「お二人はどちらに?」と尋ねてきた。「荷物を用意しにいったに決まっているだろう?」と答えてやった。
「どこにですか?」
「無論、本部にだ」
「わざわざモノレールを使う理由は?」
「そうしたほうが早いからだ」
「でも、車のほうが色々と――」
「四の五の抜かすんじゃない」
「そんな言い方をされなくても……」
「もしウチの理念が自分の思想や信条と違うと感じるようなら、早いところ消えたほうがいいぞ。退職の権利は認められているんだからな」
「そんなそんな。私だって、骨を埋める覚悟で来たんですから」
「なら、黙って待っていろ」
三十分ほどで二人は戻ってきた。やはり朔夜は荷物持ちに使われたようだ。ハマーのラゲッジスペースに細長い黒い箱を置く。改めて伊織は助手席に、朔夜は後部座席に乗り込んだ。俺はハザードを切って車を出す。
「人使いが荒いぜ。この女は。まったくよ」
「意外とMじゃん、アンタって」
「んなわけねーだろ」
「またまたぁ」
「うっせ。もうしゃべんな」
市街地から離れるようにして、車をまた三十分ほど走らせた。
「ライアン。このへんでいいんじゃない?」
「そうだな。ここのてっぺんが適当だろう」
「それじゃあ、行ってみよっか」
陣取る場所に選んだのは、人気のない廃ビルだ。伊織が先頭を行き、次にミズノ、そのあとに黒いケースを提げた朔夜が続き、俺は最後方から階段をのぼる。屋上に至ると、ミズノは顔を左右に振って、きょろきょろと周囲を見渡した。
ミズノが「それで、敵はどこに? こんなところにいるんですか? 情報は確かなんですか?」と訊いた。すると 伊織は「ミズノ君、だっけ?」と問い返した。
「そうです。名乗ったのはついさっきです。なのにもうお忘れに?」
「あんまり舐めるなって話だよ」
「舐める? なんのことです?」
「どこでどうやって連絡先を知ったのか、その点は興味があるところだけれど、どうせアンタは斡旋されただけだよね? だったらソッコーで処理しちゃおうっていうのが完全無欠の決定事項。ウチに接触してきたクソ野郎を野放しにしておくわけないでしょ」
「接触? 私が? 私から? 言ったはずですよ? スカウトをされたと」
「ボスが『実行部隊』のニンゲンを雇う時はね、彼自身がその人物を見極めるんだよ。ヒトを使ったりしなーいの」
「しかし、事実として、私は迎え入れられたではありませんか」
「はっきり言わなきゃわからない? 言わば、アンタは網にかかったんだよ」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿はアンタ」
「じゃあ、犯行声明が出されたという話は?」
「嘘に決まってるじゃない」
「……なるほど」
「ここがデッドエンド。残念だったね」
「デッドエンド、ですか……」
「あら、違う?」
「油断しすぎだ、女狐が!」
ミズノは素早く動いて伊織の後方に回り込んだ。伊織の首に左腕を巻きつけた。右手には拳銃。その口をこめかみに突きつけようとした次の瞬間、伊織はミズノの右腕を掴んで一本背負いを決めた。後ろ手に拘束し、すぐさま銃を奪う。
朔夜が前進する。そして、跪いた格好のミズノの顔に顔を寄せた。
「おらよぅ、うたえよ。知ってることは全部吐け」
「わ、私は雇われただけだ」
「だから、誰にだ?」
「『UC』だ」
「おまえ自身は何者だ? 殺し屋かなんかか?」
「あ、ああ。ああ、そうだ」
「わかった。もういいぜ」
「み、見逃してくれるのか?」
「バーカ。殺してやるっつってんだ」
「そ、そんな。待ってく――」
側頭部を裏拳で殴って、朔夜はミズノを転がした。立ち上がるなり、無慈悲な弾丸を頭部に二発、三発と浴びせる。そして、物言わぬ死体と化したミズノに向けて「馬鹿が」と吐き捨て、憎々しげにその顔面を踏みつけた。
車中。
「くだらねーこともあるもんだ。つーかあの野郎、殺し屋を名乗るには弱すぎんだろ」
「あのね朔夜、私達が強すぎるんだよ」
「奢りや過信は失策に繋がるぜぇ」
「ご心配なく。そんなファクターとは無縁の私ですから」
「しばらくは今いる面子でやってくしかねーんだろうな」
「少数精鋭がウチのモットーだよ。その裏返しとして、数の力で粉砕されちゃう可能性を否定できないのは、怖いところなんだけどね」
「一人が十人分働けばいい」
「おいオッサン、簡単に言ってくれんなよ」
「おまえの馬力には期待している」
「真に受けておくことにするぜ」
「で、お二人さん、これからどうするの?」
「今日はもうオシマイだろうが」
「じゃあ、飲みにいこう」
「伊織、おまえ、そればっかなのな」
「アンタに言われたくないな」
「いい赤ワインがある。とっておきだ」
「俺、ワインはイマイチ好きじゃねーんだけど」
「バカ朔夜。だったら来るな」
「へいへい、先輩。行くよ。行きますよ」
「ただし、店を閉めるまで待っていろよ」
「了解、ライアン。けど、ベッドは貸してね?」
「ダメだ。朔夜の精子で汚されちゃかなわん」
「オッサンよ、生々しい言い方すんな」
「あはははは」
「伊織、テメーも笑ってんじゃねーよ」




