サプライズ
冷たい風がスカートの裾をめくり、寒さが脳天を直撃した。
白いボンボンのついた赤い帽子に、赤いワンピースとコートを着させられ、わたしは北風に煽られながら、残りのケーキとチキンを売り切るまでコンビニの前に立たされていた。片方のツノが折れ、二日間ですっかり草臥れたトナカイの着ぐるみを着たアルバイト仲間のエリザは、顔の一部だけ露わにして、よたよたと呼び込みをしていた。
「リリィ、店長のやつ、ナメてるな。ウチらだけに不可能なノルマを課してさ、自分はさっさとトンズラしやがって」
エリザは西洋のガラス細工のような碧眼を、夜の闇に光らせて毒づいた。トナカイの皮を被った美少女の人形は、口が悪い。
「でもさ、女としけこんでるんなら別だけど、噂によると小さな娘さんがいるんだってよ、あの人。一人で娘さんを育ててるんだって」
わたしは店長をフォローして言った。
店長はぶっきらぼうで口数の少ない人だったが、悪い人とは思えなかった。茶髪であご髭で、伏し目がちの彼は、いつもどこか寂しげだった。
「マジか、あの若さでバツイチか! イケメンだからって、きっと女を取っ替え引っ替えしてたんだろうなっ! 」
暴言にびっくりした通りすがりの勤め人が、エリザを見てはさっと視線を逸らしていった。どうやら、見ちゃいけないモノだと悟ったらしい。
店の自動ドアが開くたびに、この季節に毎年流れるあの曲が聴こえてくる。その度にわたしはいじけた気持ちになり、どうせ今年も独りっきりだもん、と頬を膨らませる。
その時、わたしのスカートの裾が誰かに引っ張られ、北風とは違う何かを感じた。
「ねえねえ、お姉ちゃん、チキンちょうだい」
つぶらな瞳の小さな女の子だった。
「うん、いいけど、お父さんかお母さんは?」
「いない。チキンちょうだい」
「お金、持ってないんでしょう?」
わたしは困惑して少女に訊ねる。
「パパがお金なくてもここに来ればタダで貰えるって」
「パパはどこにいるの?」
「あそこ」
少女の指差す駅前の方向に、ギターを抱えた男が立っていた。ケースからアコースティックギターを取り出し、なにやらチューニングらしきことを始めていた。
ド近眼のわたしにはよく見えなかったが、ツノの折れたトナカイ、いや、隣のエリザは真っ赤な顔をして叫んだ。
「て、店長っ♡」
は? とわたしは思った。さっきまでディスっていた相手に、そのハートマークはなんだ、と。
店長はどこか物憂げな顔をして、ギターの弦を爪弾く。この季節にリア充でない私たちにとって、なんとも甘く切なく哀しげな、もうなんでもありのメロディーが奏でられていた。
わたしは優しい気持ちになり、そっと売れ残りのフライドチキンを幼い少女に与えた。店長の娘は飢えた仔猫のようにチキンを貪り、唇の周りを油だらけにした。
「リリィっ、今夜は君のために唄う!」
はい? 突然の店長のクソな告白には、嬉しくなくもなかったが、その瞬間に生じたエリザの殺気とデタラメな展開に、わたしは完全に脱力していた。
店長は唄い出す。
街中の時間が止まったように、家路へと急ぐ駅前の人々の足が止まる。次の瞬間、赤ちゃんは泣き出し、その場にいた何人かの老人は卒倒した。
「ご、剛田武……」
エリザは自分の耳を両手で塞ぎながら、漫画のキャラクターの名を呟いた。狂気と吐き気を催すような歌声に耐えられず、わたしは思わず駅に向かって走り出していた。そして、店長のギターを奪い、ジャジャンとピックを上下させてから、わたしは叫んだ。
「エリザ、ごめん、わたしこの人、これから調教するわっ! 」
そしてわたしは、この街の孤独な、愛すべきすべての人々のために、救い主の生誕を讃える、この季節に誰もが耳にする歌を唄った。赤ちゃんは泣き止み、路上に倒れた人々は立ち上がる。そして、たくさんの人が私たちを取り囲み、祝福してくれた。
もうわたしは、独りじゃなかった。【了】