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後編

 ***全国を目指そう!


 先輩は「家まで送るよ」と呟いた。

 しかし、私は全く素直になれない。


 再び歩き出しながら私は、制服の白いカーデの中の両手を固く握り締めたまま、一言も発さなかった。

 そうして、無言のまま国道沿いのバス道を更に二十分ほど歩いていただろうか。


「なぁ、深浦(みうら)。お前、なんで新入生(いちねんせい)なのに、ましてや、よりによってソプラノ担当で代表入りしたか、その理由(わけ)わかるか?」


 私の右隣で黙って私に歩幅を合わせていてくれた先輩が、ゆっくりと足を止め、そう私に語り掛けた。


 そして、不意に空を見上げる。

 つられて見た西の空。

 梅雨空にしては珍しく、明るい「宵の明星」が輝いていた。

 先輩は、その一番星を見つめたまま、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。


「お前はさ、音感が人並外れて抜群にいいんだよ。「絶対音感」があるだけじゃない。生まれつきなのかなあ。「相対音感」て知ってるか? 簡単に言えば音を美しいと感じる感性。それが何より優れてるんだ。断言するよ。お前が奏でる音は誰にも出せない。お前にしか出せない、お前だけの音の魅力に溢れてる」


 私は俯いたまま、きゅっと口唇(くちびる)を噛んでいる。

 そうしないと、先輩の前で大声で泣き出してしまいそうだった。そんな自分を私は必死で抑えていた。


「お前の今の立場が誰より辛いのはわかってるよ。でも、全国大会入賞を目指すには、お前のソプラノが必要なんだ」


 先輩は両手を制服のズボンの後ろポケットに突っ込んだまま、私の目線の高さまで腰を折ると、私の顔を覗き込み、瞳をまっすぐ見つめて言った。


「一緒に全国を目指そう」


「先輩……」

 私はそれ以上、言葉にならない。


「深浦、頑張れよ。お前ならやれる」


 そして、先輩は左手をポケットからすっと出した。

 その手で私のロングカーデの上から私の右手を軽く握ると、茶色いフレーム越しに柔らかく笑った。


 ああ……

 先輩のこの笑顔をもっともっと見ていたい。


 私が頑張って、先輩達の足を引っ張ることなく、もし「全国」に行けたなら。

 もしかして、まだ見たことのない先輩の特別はじける笑顔を見ることが出来るんだろうか。


 潤んだ私の瞳から堪えきれない一筋が、頬を伝って流れて、落ちた。 


 私は小さくこくんと頷いた。






 ***練習と和解とコンクール


 その日から、私は一切泣き言を言わなくなった。


 放課後の特練の時間だけじゃない。代表だけの朝練も、家での自主練も、誰より熱心に練習した。何をされても言われても、黙ったまま、ただひたすら練習に取り組んだ。

  その内、少しずつ、ソプラノパートとして必要な自覚が生まれてきた。

 唯一の一年生という立場ながら、段々、五人の先輩達とも対等に渡り合えるようになっていった。

 曲の(かなめ)を担うソプラノとしての責任も、充分果たせるようになりつつあった。


 そして気がつけば、あれほど酷かったイジメもいつの間にか、なりをひそめていた。





 それは、あっという間に訪れた七月、「県大会」本番直前の放課後のこと。

 その日も特練でヘトヘトになった帰り、靴箱まで来て私はふと足を止めた。


「侑里ちゃん……」


 絶交状態だった侑里ちゃんが、靴箱に寄り掛かりながら一人、私を待っていた。


咲来(さくら)、ごめんね」

 視線を落としたまま一言、侑里ちゃんがそう呟いた。


「侑里ちゃん……」

「咲来……」


 私達は、二人で肩を抱き合いお互い、泣いた。





 そうして、満を持して迎えた夏の「青少年リコーダー・コンクール」。


「四重奏」部門で、目標だった県大会「金賞優勝」を獲得し、私は感激の涙にむせび泣いた。


 そして。


 ()()中リコーダー部の悲願だった東京での「全国大会」では、「一位金賞」には届かなかったけど、「三位銅賞」という輝かしい成績が、私達楠城中学校リコーダー部員を待っていた。


 

 銅賞入賞が決まった瞬間────── 



 感極まり、泣くことすら忘れ、ただぼーっとしているだけの私の隣の席で、


「深浦」


 河合先輩の左手の握り拳が私の頭にこつりと触れた。


「よく頑張ったな」

「河合先輩……」


 思わず見つめた先輩の笑顔は、それまで見てきたどの表情(かお)よりも優しく、柔らかく、そして涙に濡れていた。



 そうやって、私の中学一年生の忘れられない夏は、全てが何にも代え難い(きらめ)く想い出に生まれ変わり、優しい涙のヴェールに包まれて終わった。





 秋・十月、銀杏の木の葉が色づく中。

 私達「リコーダークラブ」による「文化祭」のオープニングステージが無事終了し、クラブの三年生の先輩達は、私達下級生に涙ながらに惜しまれながら引退した。


 河合先輩も私に、


「深浦、頑張れよ。お前ならやれる」


「宵の明星」が輝いていたあの夜と同じ、その一言だけを私に残して────── 






 ***卒業


 まだ芽吹かない大きな桜の樹の下で。

 震える沈黙の中────── ・・・


 私は意を決して、私より約十五㎝も背の高い先輩の顔を改めてしっかり見据え、


「河合先輩……ずっとずっと好きでした」


 と、先輩のいつも以上に優しい瞳に吸い込まれながら、そう告げていた。


「深浦」


 次の瞬間。

 先輩はやはりズボンの後ろポケットに両手を突っ込んだまま、私の耳元で囁いた。


 私は、どくんどくんと鳴る胸を意識しながら、先輩の広い胸にゆっくりと顔を伏せた。


 後から後から涙が溢れ、ずっと止まらなかった。

 春浅いそよ風が吹く中、先輩は卒業して行った。






 ***制服の胸のボタン


 桜の花びらがひらひら(くう)を舞っている。

 音楽室前の廊下の窓から、あの桜の大木が良く見える。


「咲来ー! 何そんなとこでぼんやり外眺めてんの? ピッチ始めるよー」


 侑里ちゃんがYAMAHA(ヤマハ)の黒いメトロノームを片手に、音楽室の中から私を呼んだ。


「うん、今行く!」 


 私は、ポケットに入れている匠悟先輩からもらった制服(ガクラン)の第二ボタンを、右手でもう一度ぎゅっと握り締めると、みんなの待つ音楽室の中に走って行った。



 ”俺もずっと好きだったよ。深浦”



 一言そう囁き、告白してくれた匠悟先輩のことを、胸に大切に想いながら……



  了





久し振りに、香月オリジナル作品が書けました。

本作の冒頭フレーズは、シリーズ「碧いおもちゃ箱」の詩集「四季の恋」(春)に掲載している「桜の手紙」という詩の冒頭と同じです。この詩から本作のイメージが浮かびました。


本作は、「アンリ」さま企画「告白フェスタ」参加作品です。

また、少々強引に武頼庵さま主催「初恋」企画参加作品でもあります。


アンリさま、武頼庵さま、素敵な企画に参加させて頂き、どうもありがとうございました。

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