前編
***卒業式の告白
「制服の胸のボタンをください」
卒業式の日。
校庭の隅のまだ蕾も芽吹かない桜の大木の下で私は、卒業する三年の河合匠悟先輩に俯いたままそう告げた。
先輩は、暫し無言で、じっと私を見下ろしている。
沈黙に震えながら、私の胸の中を一瞬にして、様々な想い出が駆け巡っていった。
あれは今から約一年前のこと────── ・・・
***初恋
桜吹雪が舞い散る春・四月。
私は中学入学後すぐ、「リコーダー・アンサンブルクラブ」に、同じ小学校出身で大親友の前原侑里ちゃんと二人仲良く入部した。
私が進んだ「楠城中学」は新設校で、音楽系文化部は「リコーダー部」と「合唱部」しかなかった。「吹奏楽部」があれば絶対そちらに入部していたけれど、仕方がない。何でもいいから楽器を演奏したかった私には、リコーダークラブ以外の選択肢はなかった。
河合先輩は三年生で、クラブの部長。
背がすごく高くて、線が細く、知的なフェイスの眼鏡男子。
けれど笑顔がひときわ明るく、何よりどの部員にも分け隔てなく優しい先輩だった。
そんな先輩に私は一目惚れした。
それは、私の「初恋」だった……
***リコーダー部の地味で辛い練習
リコーダー部の活動と言えば、優雅で呑気な室内楽のように思っていたけれど、実は全く違っていた。
広い音域で豊かな音色を出すのに必要な腹筋を鍛える為に、ジョキング、腹筋運動など陸トレが必須。
それら運動部と見まごうばかりのトレーニングに取り組んだ後、ようやく楽器の練習に入る。
しかし、やっとリコーダーに触れても、まず最初は「ピッチ」という音合わせの練習から始まる。
この音合わせがまず、新入生にはさっぱりわからない。
私は、比較的すぐ慣れて苦にならなかったけど、部員全員の音程が完全に合うまでは譜読みもさせてもらえない。
それは地味で辛い練習だった。
そんな練習内容に耐えられない部員は多く、最初の一カ月で新入部員は、入部当時の三分の一以下の約十数名に絞られた。
けれど、私と侑里ちゃんは、アンサンブルでも花形の同じ「ソプラノ」パートに振り分けられ、「絶対、続けようね!」と、二人で固く誓い合った。
***コンクール代表選抜と始まったイジメ
しかし、そう。
それは忘れもしない、ゴールデンウィークも終わって、新緑が日ごと鮮やかになっていく五月中旬の頃のことだった。
私は、ソプラノ・アルト・テナー・バスの「四声」の中でも曲をリードする「ソプラノ」パートとして、「青少年リコーダーコンクール・四重奏部門」出場代表部員六人の内の一人に、一年生にして異例の大抜擢を受けた。
河合先輩は、重厚な低音域を担う「バス」パート担当で、代表六人のまとめ役でもあった。
その日から、「全国大会出場」を賭ける「県大会」に向けての厳しい「特別練習」が始まった。
それは私の想像を遥かに超える練習だった。
部員による自主練が終わった後に、代表六人はリコーダー部顧問の金谷先生が指導する集中練習を受ける。
金谷先生は、アラフォーの見た目はもっと若い綺麗な女性の音楽教師。物当たりが柔らかく、一見穏やかな先生だけど、演奏指導となると雰囲気がガラリと変わる。コンクール代表部員に対しては決して妥協せず、先生が要求することが出来るまで何度でもNGを出す。
それが「特別練習」だ。
私以外の五人の代表は皆、三年生の先輩達という中で、私はソプラノ担当として曲を引っ張るどころか、足手まといでしかなく、ついていくだけでそれはもう精一杯だった。
そして、それと同時に「イジメ」が始まった。
専用リコーダーを隠されたり、酷い落書きがされた上、ズタズタに引き裂いた楽譜が靴箱に入っていたり。
私に対する他部員の嫉妬、やっかみ。特に二、三年生で代表漏れをした先輩達からの攻撃は凄まじかった。
あれだけ仲の良かったあの侑里ちゃんでさえ、まるで別人のように私を無視するようになった。
私はクラブの中でたちまちすっかり孤立した。
そうやって日々を戸惑いで過ごす中、季節はいつの間にか、梅雨に入っていた。
もはや針の莚でしかないクラブで心身共に疲弊し、とうとう臨界点を越えた私は、特練中、
「私、もうクラブ辞めます!」
と皆の前で叫び、音楽室を飛び出していた。
とぼとぼと夕闇の中を、唯歩く。
学校に戻る気には到底なれず、だけどお金も定期券も持たない私は、歩いて家に帰るしかない。
他に行く宛てなどない。
家までの距離は遠く、私は心細さに段々と歩みが鈍る。
そして、いつしか歩みが完全に止まり、私はただひたすら肩を落とした。
その時だった。
誰かが後ろから私のその肩を掴んだ。
驚いて振り返るとそこには、
「……先輩……?!」
河合先輩が私の目の前に静かに立っていた。