楽な仕事には裏がある
新東京を覆う防壁は高さが三十メートルある。外から見た限りでは何の変哲もないただの壁だが、その実は強固な要塞だ。内部にはホムンクルスを壁に近づけないように、迫撃砲や六十ミリ砲が幾数と鎮座していて、常にホムンクルスを迎撃している。
しかし、完璧な迎撃システムというものはこの世にはなく、二日か三日のペースでホムンクルスが防壁を超えてくるケースがある。その場合は壁上の戦力が対処することになる。それでも抜かれて都市内に入れば大変だ。
付近の傭兵や正規兵にスクランブルがかかって、ちょっとしたレイド状態になる。そういったことはめったに起きはしないが、なったらなったで手柄の取り合いだ。
防壁にいる正規兵、傭兵団の基本的な仕事は近づいてくるホムンクルスの迎撃だ。しかし、その練度には東西南北の防壁で差がある。一番練度が高いのが北だ。なぜかは知らないが、ホムンクルスが多く出る。反して一番練度が低いのが東の防壁。
だから毎度毎度ホムンクルスが壁上に現れる度に俺らが動員されている。そのおかげで収入が入ってくるから、文句は言わないけれどね。
この監視任務というものも大抵は暇だ。近づいてくるホムンクルスはルーチンワークで正規兵が迫撃砲でドカン。近づいてきてもまた迫撃砲でズゴーン。
傭兵はタダ飯食らえるいい仕事だ。いやあ、働かずに食える飯ってむちゃくちゃ美味いなあ。夕立ちゃんもいつもこういう仕事回しくれればいいのに。
などと風吹きすさむ壁上で一人心地ていたら、後ろから小突かれた。なんかデジャブを感じるなー、と思い後ろを向けば缶コーヒーが視界を覆った。
新東京産コーヒー豆を使ったド級の不味さを誇るブラックコーヒーだ。飲めば朝まで働ける、というキャッチフレーズで、ブラック企業のブラック企業によるブラック企業のためのコーヒーと言っても過言ではない。
「で、それはどーいう意味なの?」
俺はコーヒーをよこした白河灯に問うた。夜勤前提のコーヒーの差し入れが気に食わなかった。
「あんたコーヒー好きでしょ」
えー、何それ初耳なんですけど。俺も知らないことなんですけど。
俺が一人灯に心の中で苦情を口にしているのをお構いなしに、灯は俺にコーヒーを押し付けてきた。親切のつもりとか思ってるのかしら。
ズゴーン、という音がした。
何処かで迫撃砲の音がした。少しして、着弾音がズガーンと耳に入ってきた。一応迫撃砲の秒速が二〇〇〇メートルで、着弾までの音の差が四秒くらいだから、八〇〇〇メートルくらい離れていたわけか。距離八キロとは随分と近い。
この東部防壁は本当にホムンクルスが近づかない。それこそホムンクルスがわざと近づかないレベルだ。
東北から流れてくるホムンクルスがぶつかるとすれば、まずは東部防壁だ。そのくせ、北部の防壁にホムンクルスは集中している。本当にわけがわからない。
「ねえ、千景さー」
「あぁ?」
灯に声をかけられて反応する。見ると彼女は双眼鏡を片手に持っていた。
「あれなんだろ?」
言われて自分の双眼鏡で覗く。監視任務には双眼鏡は必需品なのだよ。オーケイ?
言われるがままの場所に視線を向ければ確かに何か見える。さすがに遠すぎてよく見えないが、土煙を上げて移動していた。効果音をつけるならゴーゴーあたりが好ましい。
多分、ホムンクルスの群れか何かだろう。あまり強くないホムンクルスが群れを作って移動をすることはよくあることだ。
方角的に進んでいるのは北。この分だと四、五日中に北部防壁に襲撃することになる。群れの規模はわからないが、弱い個体なら問題にはならない。むしろ絶好の獲物だといえる。
例えるならスーパーイージーモードで超超超レアアイテムを何個もゲットできるくらいだ。楽勝すぎて笑えてくる。
「放っといてもよくね?こっちには来ないし」
「うーん、なんか気に何だけどねー」
おいおい、こっから迫撃砲射つ気か?当たるわけねーだろ。何十キロも離れてるんだぞ?双眼鏡でさえ塵にしか見えないものを迫撃砲で狙えるわけがない。
「気になるって……んな理由で迫撃砲射てるか。弾だって無限にあるわけじゃないの」
「はいはい」
「お前俺の言ってること無視すんなよ」
ちょっとだけイラッときちゃうんだからね。
「お前ら仲いいなぁ」
かなり低い声で話しかけられた。言葉使いからして傭兵かな?
見れば大当たり。
学校の制服姿の俺らと違って、ちゃんと装備を固めている中年の傭兵さんでした。下げている銃は、正規軍にも採用されている最新式のアサルトライフル。それに対ホムンクルス用の特殊グレネードが五つほど腰にぶら下げてある。
体格的にはたくましい、と言える部類だ。しかし、多分実力はあんまないな。立ち振舞いとかでわかっちゃうの。
「どうも」
「こんちわー」
俺に追随して灯が挨拶をする。
「今時の学生ってのは挨拶の仕方知らねんだなぁ」
傭兵さんが苦笑する。
「すいません。その挨拶を教えてもらう前に両親が死にましてね」
軽く嫌味を口にする。すると相手は申し訳なさそうに、
「それはすまなかったな」
と謝辞を口にした。
人の死っていうのはこう使わないとね。
「いえ、気にしてないんで」
「そそ、この怠け者の言ってることは気にしなくていいよー」
横から灯が茶々を入れてきた。このやろう、うっせーなー。
「そういえば、ここは随分と平和ですね」
慣れていないが、俺の方から傭兵さんに話を振る。だって、僕ちゃん人見知りなんだもん、テヘペロ。
「ん?ああ、まあ、そう言えると思う」
「それっていいことじゃないんすか?」
「そう言えるが、そうでもないんだよ」
おやあ、そりゃなんで?平和なんでしょう?
「なにせ時々ここにバカみたいに強いホムンクルスが現れるからな。その度に仲間は何人も死ぬよ」
そういうことか。確かにそうだな。この前もバカでかいクマだかトラだかみたいな化物が何人も兵士を殺したらしいし。
そんな化物が俺の滞在中に出ないことを祈るばかりだ。こっちは狙撃銃だから近接戦闘はからっきしな上に、身体能力はそれほど高くはないし。戦闘になったら、灯の後ろにでも隠れていよ。
それなら最悪死ぬのは俺じゃなくて灯だし。俺天才。
「そういうのって、定期的なんすか?」
「いや、そんな親切なもんじゃない。不定期だから嫌なんだよ」
そりゃそうだ。不定期にバカみたいに強いホムンクルスが来るのが嫌なのだ。あーあ、ほんと俺がいるときに来んなよ。
「そういや、あんたはこの稼業長いの?」
年上に対する言葉使いもへったくれもない、失礼な小娘が傭兵さんに興味本位の質問をした。これはあれだね。自分の実力が相手より上だから生意気な口聞いてんだな。
うんうん、反抗的だなぁ。
「お嬢ちゃん、よく口の聞き方がなってないって、言われないかい?」
よく言われてるよー。全然治す兆候は見られないけどね。
「は?何それ、ウケるんだけど」
何がウケるんでしょうねー。俺は愛想笑いを浮かべながら心の中でつぶやく。
「まあ、いいさ。──そうだな……かれこれ五年くらいかな」
それなのに実力は中堅クラスか。哀れだねー。
「けっこう長いじゃん。なのに、まだ死ぬのが怖いとか言ってんだ」
「お嬢ちゃんは死ぬのが怖くないんかい?」
「いや、死んでもなくすもんないし」
まさにその通りだ。人間が死ぬのが怖い、と思うのは何かを失うからだ。家族、財産、自分の命。多くは自分の命を失うのが怖いのだろうな。
それに引き換え、灯には失うものがないらしい。自分の命、くらいなのだろうが、それは大して問題じゃないのだろう。羨ましい限りだ。
「そりゃ、羨ましいことで」
全く同意見だった。
ズドーン!
また迫撃砲が轟いた。
「それにしても今日は多いな」
迫撃砲の音を聞いて、傭兵さんが一人つぶやいた。
「それって、どういうことすか?」
「ん?いやな、ここってこんな短い間にそう何発も迫撃砲が火を吹くような場所じゃねーんだよ。なのに今日は多いな、て」
へーそりゃ怖い。って、そうじゃなくて。
それってやばくない?滅茶苦茶やばいでしょ。異常ってことじゃん。何それいやだいやだ。滅茶苦茶怖いって。すぐに任務降りたいんですけど。
「つっても、偶然かもしんねーけどな」
いやいやいやいやいやいおやいやいやいいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
絶対異常でしょ。偶然でアンユージュアルでアンフォーサイティットなことが起きてたまるか。
ので、俺は自己保身のため、常時ライフルを構えることにした。ホムンクルスが大挙して押し寄せてくるとか、レベル上位の個体が突然飛来してくるとか、そんなことがあってたまるか。視界に入れた途端にぶち殺してやる。
などと英雄というか蛮人みたいなことを考えながら、俺はライフルのスコープを覗き込んだ。
「なあ、灯」
「ん?」
「スポッターやってくれないか?」
「あーはいはい」
思いの外あっさりと灯は了承した。いつもなら嫌だー、とか言いそうなところだったのだが。精神の成長でもしてるのかしら。