ヘイ、アーユースレットゥンドゥ?
夕立ちゃんがその月の予算表(改竄したバージョン)を提出した一週間後に監査員が本社より派遣されることになった。サイクルとしては少し遅いくらいだった。
偶然と言うべきかその日はうちの会社の抱える全傭兵が集合していた。ていうかそんな偶然あるわけがない。基本うちの社員は社長に金の話をされたくないから、会社にはこない。どうせ、夕立ちゃんが抑止力として呼んだんだろう。お陰でただでさえ狭い社内が余計に狭く感じられた。
夕立ちゃんの傭兵会社が抱えている傭兵は俺や灯を含めて十人いる。とはいえ、その多くは中堅レベルの実力しかない。俺も含めてね。
そのうちの一人、小田仙斗が俺にぼやいた。
「なあ、千景よ、なんで俺らここにいなきゃいけないんだよ」
仙斗は俺よりも二歳年上の大学生だ。人生の先輩面をしてはいるが、俺の方が入社は先だ。身体能力、身長になどは高いが、現場判断と言う面においては素人だ。
一度こいつとタッグを組んでホムンクルスの討伐に当たった時、ひどい目に合わされた。具体的に言えば、死にかけた。
「それはこっちが聞きたいことなんですよねぇ」
俺は何食わぬ顔でシラを切る。だって、仙斗とかがここに集められた原因の一端は俺にあるし。
「そうか」
大して期待もしていなかったのか、仙斗はそのまま黙った。
俺の素知らぬ顔を見て、灯が大層不機嫌そうにこっちを睨んだ。理由は明白だ。
「そろそろかなー」
自分の腕時計を見ながら夕立ちゃんがぼやいた。ああ、そろそろ監査員様が来るのね。
そう思うと、少しだけ緊張してきた。準備は万全だ。問題は向こうの出方次第だ。
コンコン、と入り口のドアが鳴った。男の社員がドアを開ける。清水という俺と同い年のやつだ。
ドアを開けられ、入ってきたのは高級そうなスーツに身を包んだエリートサラリーマン風の男だった。髪の毛をオイルでオールバックにし、表情がない静観な顔つきをしていた。目は鋭く、レーザーでも出そうな勢いだった。年齢は三十過ぎ辺りだろうか
「フィフス・エイトムより派遣されました、監査員の菅野です。貴女が三紬夕立社長ですか?」
菅野と名乗った男の口調は事務的だった。感情自体を削ぎ落としたようなイメージをさせるようなほどに。フランケンシュタインだって、もう少し感情のこもった口調で話すに違いない。
「そうだよー」
夕立ちゃんも夕立ちゃんで、相も変わらずマイペースな口調だった。いつものが子供っぽい話し方だ。
「三紬社長、貴女が一週間前弊社に提出していただいた今月分の予算使用についての報告書ですが……」
「うんうん」
「あれはデータを改竄したものではないのですか?」
菅野さんは余計なお膳立てを一切挟み込まず、淡々と口にした。今二人は社長机を挟んで対峙している。まるで悪徳社長に迫る正義の社員のように見えてしまっていた。実際にそうなのだろうけど。
「あはははは。菅野君は面白いことを言うなー。そんなことしてあたしになんのメリットがあるの?」
「御社に対しては弊社でも前々から黒い噂を聞いていました。時間外労働の強要、給料の未払い、社長である貴女の横領疑惑、ヤミ金からの借金、社内データの改竄、社員への脅迫行為、ホムンクルス討伐の際の報奨金着服などなど。
今上げましたこれらは貴女に対する弊社の感知している疑惑の一部分に過ぎません。ですので、今回のこn報告書の内容を素直に信じるわけにはいかないのです」
物怖じせず、菅野さんは夕立ちゃんの隠していることについて言及した。これに関しては社員一同周知の事実だから何も驚かない。だから何の反応も示さなかった。
おそらくはさっきのセリフで社員の反応を菅野さんはしようと思ったのだろうが、全く反応がないので少しだけ目が驚いていた。
「菅野くんさー、うちはそんなことしてないって。それに長年連れ添っていた親会社からそんな風に疑惑を持たれていたなんてあたしは悲しいよ」
夕立ちゃんはわざと困ったような顔をする。そんなものが嘘であることは当然菅野さんも見抜いていたから、別段反応を示さない。
「三紬社長、ふざけないでいただきたい。御社は不正はない、私が口にしたようなことは起きていない、そうおっしゃられるのですね?」
「そうだよ。だってーそんなことないからねー」
証拠を出せよ、と夕立ちゃんは言外に口にしていた。すると、菅野さんが自分のカバンの中から数枚のA4紙を取り出した。
「これを見られても、ですか?」
そこには夕立ちゃんのここ一ヶ月の生活についての細かな情報が記されていた。おそらくは探偵を使ったのだろう。何枚かの写真も混ざっていた。
「なにこれ?」
「貴女のことを快く思われいない方より、預かってきました。これはどういうことですか?資料によりますと、貴女がここ一ヶ月で使った金額は一千万以上です。にも関わらず、どのようにしてこれらの金を?」
「あたしの貯金からね」
夕立ちゃんは焦ることなく平然と嘘をついた。それくらいの嘘をつかれることは先方も予期していたのだろう。さらに紙をカバンから引き出した。
「ならこれはどうですか?貴女に金を貸した、という金融からです。その額六百万円。計算したところ、今月の予算などと合算すると、貴女が使用した金額と同じになるのですが、これについては?」
「ただの偶然じゃない?何ならあたしの銀行口座でも調べればいい。なあんも出てこないとは思うけどね」
こうまで言われると、菅野さんの気持ちがぐらりと揺れるだろう。向こうが強硬姿勢を取っている以上、何も隠していないのではないか、と思ってしまうのが人間だ。
そんなタマならどれだけ楽だろうか。
「しかし、貴女が金を借りたことは事実です。納得のいく説明をしていただきたい」
「それってプライベートなことだよね。それにそれはもう解決してる。今更ほじくり返すのは止めてほしいんだけど」
「貴女に対して疑惑がある以上無理です。こちらとしてもなるべく穏便に済ませたい」
どうやって、と夕立ちゃんが聞く。
「とりあえずは予算の減額、そして社内環境の改善でしょうか」
「ちょっとちょっとー。うちは社内環境悪くないんだいけど」
「そうですか?こちらのデータでは月時間外労働が八十時間以上あるそうですが」
「傭兵だからねー。ホムンクルスが出たら、狩りにいく必要があるんじゃないの?」
菅野さんの責めを夕立ちゃんはほいほいかわしていく。あー言えばこう言う状態だ。今のところ夕立ちゃんが優勢だが、どう転ぶかはわからなかった。
「とりあえず、今回の監査においての結果として私は御社に改善を求めます。そもそも、社長である貴女が何故ヤミ金などから金を借りたのですか?」
「だからそこは問題じゃないでしょ。多かれ少なかれ傭兵会社はそういうところから金借りてるんだよ」
「それが問題なのです。そういった企業は予算が減額される処置がされています。御社に置きましてもその措置を……」
もう完全に口喧嘩になっていた。
いつになったら電車が来るかと思いながら、待つのは至極つまらないものだった。口論で夕立ちゃんが負ける姿は想像できないから、その辺は大丈夫だろうけど、問題はそこじゃない。
何度も言うように菅野さんがどう本社に報告するかが問題なのだ。
「じゃあ、菅野くんはあくまであたしが私的に金を使い込んだ、と言うんだね?」
「その通りです」
「そうかそうか」
これまでにないくらい上機嫌の夕立ちゃんがそこにいた。満面の笑みを浮かべ、この世のすべての不浄を浄化するようななんとも神々しいオーラがにじみ出ていた。なんというか、ラー、とかいう効果音が聞こえてくるレベルだった。
「わかったよ、認めてあげる。確かにあたしは不正を働きました」
思いの外あっさりと夕立ちゃんは認めた。
「それでは……」
「うん、それを踏まえてね、菅野くんにはこのことを黙っていてほしいんだ」
「は?」
予想外のセリフに菅野さんは間の抜けた声が漏れた。それは俺以外のうちの社員たちも一緒だ。ようやくブラック社長が折れたと思った矢先のこのセリフだからだ。誰だって驚くし、頭の整理がつかなくなる。
社員一同目を見開いてこっちを凝視していた。
「何を……言っているんですか?」
「理解できない?あたしの言っていることが」
「何故そのようなことを?」
「そりゃねー、あたしが好き勝手したいからだよ」
なんという自分勝手な理由だろう。言っていることが自分勝手すぎて逆尊敬したくなる。それにしたって、独善的だ。
「認めてくれたら……何してもらいたい?」
「ふざけないで下さい。そんなことできるわけ無いでしょう!」
菅野さんが言っていることは至極まともなことだった。逆にここで、はい喜んで、などと発言されてはこの人の人格構造を疑わざるを得ない。
とはいえ、菅野さんのその時の剣幕は凄まじいものだった。自分をバカにしないでいただきたい、と言外に言っていた。
「そうかー、じゃあ残念だよ」
変わらずの口調で夕立ちゃんは机の中からタブレット端末を一つ出した。