金は戦場に落ちている
灯が口にした仕事とは、当然のことながらホムンクルスを狩ることだ。今回は都市の東の防壁にいくらかのホムンクルスが確認されたからそれを殺して小遣いにするらしい。
ついでを言えば現れたホムンクルスがそれなりに強いとかなんとか。仕事帰りで疲れているのに、なんてブラックな社内だろう。
「ほらさっさと来る」
急かす灯の目が金のことしか考えていないように思えた。というか絶対金のことしか考えいなかった。
「労働者の権利を主張したい……」
「は?あんたにそんなのあるわけなじゃん」
酷い言われようだった。一応俺にも人並みの人権はあると思うんだけど。ねえ、聞いています?
聞くわけもなく灯に連れられて俺は社外に放り出された。
余談ではあるけれどクラウドの入っているオフィスビルは東の防壁にそれなりに近い。元の東京都の東側、つまりは葛飾区とか江戸川区とか辺りだろうか。今は新東京東部のひとくくりだけれど。
とはいえ東の防壁と言われてもそれなりに距離はある。防壁全体が新東京一帯を覆っているのだから当然と言えば当然だけれど、防壁のどこにホムンクルスが現れたのかわからなければ、対処のしようがないのだ。
「そういや東のどこに現れたの?俺それ聞いてないんだけど」
「んー?旧葛飾区の辺り。それ以上知らないけど」
ていうかそれ問題あんじゃね?それって葛飾区近くの防壁延々と歩き回って探せ、てことでしょ。滅茶苦茶疲れんじゃん。
「ま、言ってみりゃわかるでしょ」
「それを人は無策っていうんだよなー」
灯に聞かれないくらいの小さな声で俺はつぶやく。
幸い聞かれなかったようだ。
とりあえず東の防壁に向かう。会社から徒歩十五分の距離だ。移動している間にホムンクルスが死んでいてくれたらいいな、と思いもしたが、多分ないのだろう。
東側にはそれほど強い傭兵会社はない。そもそもフィフス・エイトムの重役さんが東側にあまり興味がないのだ。なにせ東側にはそんなに強いホムンクルスは出ないのだから。
そのせいか、東側の防衛戦力はいつだって乏しい。正規軍は新兵しかいないし、傭兵は銃を討てば人が死ぬ、ぐらいにしか思っていないアマチュアのみだ。
だからゆっくり歩いていても俺たちが防壁につくまではホムンクルスは延命しているということだ。わーいバンザーイ。
「他に何か情報としてないの?」
道すがら唐突に質問する。灯はそれに無言で応えた。無視かよ、と悪態をつきかけた時俺の胸ポケットのスマホが鳴った。見るとメールが一つ届いていた。
メールを開く。
『しーらなーい』と短く書かれていた。
とっさに舌打ちをした。馬鹿にしているのだろうか?
防壁に近づくにつれて、だんだん爆音とか轟音とか銃声とか悲鳴とかが聞こえてきた。それなりに近いと思う。付近には緊急避難をしたからか、人の気配がない。
これなら多少の被害を気にせずに暴れられる、という心の余裕を作り出すには十分だった。
防壁が視界に入ると、なるほど随分な煙が上っていた。上からはひっきりなしに銃声が聞こえてくる。ついでを言えば悲鳴もセットで聞こえてきた。
「ほんじゃ俺はここで」
怖くなったので逃げ出そうとしたら、灯が無言のまま睨んできた。わかっていますよ。逃げずに叩けってことでしょ。嫌ですよ。
「とりまあたしが向こう撹乱するから、あとはお願い」
撹乱している間に向こうにいるホムンクルスぶっ殺せ、てことね。はいはい。俺はため息をつきつつ、ポケットから一枚の黒いコインを取り出す。
それは円の四分の一が刃物になっている変なコインだ。自分の親指を刃物の部分に当てて、少しだけこする。刺すような痛みの後にうっすらと傷口が開いた。
傷口からは赤い地がどろりとこぼれ落ちる。
刃物にも血がのっている。
血を吸ったコインは途端にその形状を変化させた。それはもう一瞬である。
コイン自体が肥大化し、記憶合金のようにもとの形へと戻っていっているのだ。
このコインの場合は大口径対物ライフル。実に総重量二十九キロ、全長1.6メートル。旧時代の鎖閂式狙撃銃。口径は三十三。有効射程距離は八〇〇メートル。ちなみに弾丸は二〇〇〇メートルは跳ぶ。
端的に言えば、大抵の金属板とかは貫通できる威力のライフルだ。個人的には流行りの連射式の方がいいのだが、社長がケチってくれない。
このライフルこそが錬金術によって作られたホムンクルスを殺せる武器だ。固有名称は特にない。ほぼ無限に等しく乱射することが可能なわけだけど、鎖閂式なのでその機会はない。他にも武器はあるけど、これが一番しっくりくる。
ライフルを担いで俺はとりあえず近くの一番高いビルの屋上に向かう。現状位置から防壁までは六〇〇メートルもないので、見えていれば基本当たる。あと風とか角度とかいろいろ。
俺がライフルを出したのを確認して灯は一気に防壁まで走っていった。さすが戦闘狂。まぁた派手に暴れんだろうなぁ。
目算二十メートルちょいのアパートを見つけた。下から見た限りでは一応屋上もあるように見える。ので、足早に階段を登る。エレーベーターがあればいいんだけど、止まってたんだよね。なんでだろ。
屋上に出てみればこれはなかなかの絶景だった。
四方を遮るものは防壁といくつかの高層ビルのみ、しかも遠い。正しく周囲が一望できる空間。狙撃手にはこの上ない場所だ。
早速東の防壁に視線を向ける。
うげ、なんだよあれ。
視線の先で蜘蛛と蠍を合体させたような気色悪いホムンクルスが壁上で正規軍+傭兵団と殺し合いを演じていた。ホムンクルスの大きさは三メートルを少し超えたくらい。蠍のような巨大なハサミで容赦なく、正規軍、傭兵団に襲いかかっている。加えて蜘蛛のようにすばしっこい。多分アシナガグモとかがモデルなんだろうな。
正規軍や傭兵団が使っている武器は最新型のアサルトライフル。なんかかっこいい名前があったと思うけど忘れた。全員が全員防弾チョッキに防塵ゴーグルという装備で、かなり心許ない。見ている間にも何人かがハサミで上半身と下半身を分けられた。遠くからでもわかるくらいに勢い良く血が吹き出す。
ばらまいている銃弾は一応対ホムンクルス用の特殊加工弾だけど、避けられているから効果がない。蜘蛛ってすごいねー。
などと感想を述べているわけもなく、ホムンクルスに銃口を向ける。多分向こうは気づいていないし、風は北風が少し。あまり影響はない。ちょっと弾道が右に逸れる程度だ。あんなでかい的を外すわけがない。
とりあえず、厄介な足を一本弾き飛ばすことにした。スコープをズームさせて右前足に狙いをつける。引き金を絞る。
弾丸の速度は平均的に秒速一〇〇〇メートル。音速を超える。避けられはしない、と思う。向こうが超チート的な感知能力でもない限りは。
結果として弾丸は足を吹き飛ばした。ビチャリという擬音がふさわしいほどに、派手にホムンクルスの体から銀色の液体を吹き出させて。
仮にあれを血と定義するなら、ヘモグロビンとか入ってないのかな?
とりあえず、だ。
突然の狙撃にホムンクルスが動揺したのは事実だろう。さっきまでは華麗に避けていた弾丸が急に当たるように鳴った。というか蜂の巣になっていた。
体中のいたる箇所に穴がボコボコ空いていき、空気が抜けていく風船のように気力をなくしていた。もう屍のようだった。
調子に乗った正規軍の兵士の一人が動かなくなったホムンクルスの死体に蹴りを入れた。あー馬鹿だな。あんなことしたら、
突然兵士が体勢を崩した。彼の足がホムンクルスの体に張り付いていたからだ。兵士は最初こそ怯えたが、すぐに手に持ったアサルトライフルでホムンクルスに無茶苦茶に射ち始めた。まわりの連中も同じだ。
しかし、その甲斐もなく、兵士はホムンクルスの体にみるみるうちに飲み込まれていった。
自分にはない何かと同化することで、相手の長所のみを得ることができるホムンクルスの特性だ。あれをされたら逃げるすべがない。だって、すぐに飲み込まれちゃうし。
兵士の最後の断末魔が叫ばれる間もなく、ホムンクルスは兵士を取り込んだ。同時に変化が起こった。ホムンクルスに開けられた穴はすべてふさがり、吹き飛ばされた足も元通りになってしまった。
こっからまた射っても多分当たらないだろう。
なにせ向こうは今人間の脳みそを持っている。単純な構造の虫の脳みそとはわけが違う。あーめんどくせ。
そうは言ってもこのままこちらに来られても困るので、一応の援護射撃を行う。あのまま正規軍のや傭兵団の連中がマガジンの中身がなくなるまで射ちまくってたら多分死んでたんだろうけどな。過ぎた話だから仕方ないけれど。
ホムンクルスの動きは急に変わり、弾丸が当たらなくなった。常に全方位に警戒をしているせいだ。弾丸が来る方向がわかっているのなら、常に移動し続ければいいという荒業だ。そんなことをしても普通ならすぐに疲れて終わりなのだが、何分体力自体あるのかわからないホムンクルスだ。俺の弾丸も兵士たちの弾丸も軽業師のように避けていく。
時間稼ぎ、のようなものだけれど、意味はある。そんでもってその意味は間もなくわかる。
スコープ越しにだが、ホムンクルスの足が切断された。