戦場は常にブラック企業
ヴァイオリンの弦が弾けたような匂いがした。
若干火薬に似た匂いだ。
同時に空薬莢が一つ空を跳んだ。
少年の周囲はほとんどが無人のビル群、廃墟である。巨大な何かが通り過ぎたかのような後が道路をえぐっていたり、ビルの全階層を貫通している穴などがあった。
突如として粉塵が上った。
粉塵のまわりでは大小のビル群が倒壊していく。地響きは少年のいるビルまで届き、天井から小さな瓦礫が落ちた。
少年が構えるのは黒い大口径対物ライフル。前時代的なもので、装填できる弾数5発が限度だ。しかも一回射つごとにいちいち遊底を引かなければいけない鎖閂式だ。一発射つごとの間がリスクになる。
ライフルに付けられたスコープの先から彼が見据えているのは粉塵の先にあるもの。先程彼が仕留め損ねたものだ。
スコープ越しに見たそれは例えるなら蛇である。
神話の蛇のような巨大な蛇。その蛇が一度尾をしならせるだけで、地面が砕け、ビルがビスケットのように粉微塵になった。
少年は今度は外すまい、と心に誓いながら二射目を射つ姿勢に入る。
追い風がやや強め、距離は四〇〇メートル。ヘルプとアンヘルプは総合的にヘルプのほうがやや上だ。後は少年の技量にかかっていた。
タイミングを見計らって、少年が引き金を引く。
ドスン、という重い音が周囲の廃墟に響き渡る。射ったと同時に少年の体が少しだけ反動でのけぞった。しかしすぐに体勢を立て直してスコープを覗く。
弾丸は蛇の頭部に命中していた。蛇の頭部に、そこそこの大きさの風穴が空いていた。蛇は最後の最後まで目を開き、狙撃手を探したが、見つけられずに絶命した。
後に残ったのは巨大な蛇の死骸とボロボロに崩れた廃墟だけだった。
「終わりましたよ」
唐突に少年が口を開いた。別に独り言ではない。内ポケットの無線機に話しかけただけだ。
『りょうかーい。そんじゃ、もう戻っていいよー。あたしに金をくれてありがとー」
無線機から気の抜けた声が流れてきた。
その声の主に苦笑しつつ、少年はこうつぶやいた。
「やっぱり金を稼ぐなら戦場だな」と。
*
ハロー人類。ハロー俺。
人類というものは本当に生きることへの執着が生物の中で一番強い、と俺は思う。歴史を見れば明らかだけれど、なんでこの種族滅びないの?、と不思議に思うレベルだ。
いやあ、Gもびっくりだろう。
なんで、俺がこんな話をしているのかと言えば、まあ早く言って、この世界が終わりかけているから、かな。
今から十二年前に人類は滅亡の危機に瀕した。理由は別に人類同士が殺し合った、とかではなくとある金属の化物が突然発生したからだ。
そいつらは人類を嗜虐趣味丸出しで喰ったり、殺したりを繰り返して人類を絶滅をまたたく間に激減させた。その結果として国という国は外交途絶、中では金属の化物に殺される毎日。
最初の一年は成すがままに人類は蹂躙されていた。
でも、ある時から人類の抵抗が始まった。ほとんど同じときに別々の場所で。
それを可能にさせたのはとある技術。俗に錬金術と呼ばれるものだった。それがもたらした人類への恩恵ははっきり言って言葉を尽くせない。
金属の化物を寄せ付けないほどの巨大な壁を一瞬で作ったり、金属の化物と渡り合うための武器を作ることができた。まあ、人類にとってなくてはならない技術になったわけだ。
人類は金属の化物を「ホムンクルス」とかいうチンケな名前で呼称してホムンクルスへの反撃を初めた。それから十年以上、人類はホムンクルスと終わりのない戦い、というかくも素晴らしいものを続けている。
その介もあってか、人類は着実に復興していった。都市を防衛する正規軍もつくられた。
そして結果として今あるのが『新東京』だ。
かつての東京と同じガラスと鉄柱と鉄筋コンクリートの大都会。旧東京23区とほぼ同規模の大都市で、ホムンクルスの襲撃を防ぐために海岸以外を巨大な壁が覆っている。都市内は東京スカイツリーとかタワーとか以外は基本的には元通りだ。元の東京がどのようなものかは知らないけど。
「何一人たそがれてんの?」
唐突に俺の後頭部を小突いてきた誰かがいた。
「あ?」
突然のことだったから間の抜けた声が漏れた。
「あ?、じゃないでしょ。そんなとこに突っ立ってたら交通妨害でしょ」
生意気な口調の女が立っていた。より厳密に言えば新東京の東側にある市立高校の制服を着た黒髪の女子がいた。二重瞼をさらに眠たそうに目に覆いかぶせていて、目がものすごく小さく見えた。制服だって、けっこう着崩していて、ヤンキーですか、と聞きたくなる程だった。素材はいいのにね。
「聞いてんの、千景?」
「聞いてるよ。俺難聴じゃないし」
俺の名を口にしたこいつのことが俺は嫌いだ。高ぴしゃなところとか生意気な口調とか諸々が。あえて言おう。俺は俺の目の前にいる白河灯という同年代の女子が嫌いだ。
「はあ?なにそれ、ムカつくんだけど」
いや、それ俺のセリフだから。顔に出ていないかもしれないけど結構ムカついているんだからね。顔に出ていないけど。
「つーか。社長が報告書持ってこい、て言ってたよ」
それを早く言えよ、と思った。
社長とは言葉のとおりに俺が努めている会社の社長だ。ちなみに何の会社かと聞かれれば、端的に応えると傭兵会社である。PMCというやつだ。
謳い文句というか理念は「全年齢適応、アットホームで社員みんな優しい職場」だ。うん、まあ普通にブラック企業だ。
「高校生働かせるなよ。まだ未成年だぞ」
「いや、一応軍籍持ってんでしょ」
「まあな」
この都市にはそれまでこの国にはなかった条例が二つほどある。
一つは銃器と刃渡り三十センチ以上の刃物の携帯の合法化。それまではこの国でそれらを持っていたら間違いなく警察に捕まっていた。それが廃止されたのだ。
もう一つは十六歳以上の未成年の軍籍獲得だ。強制ではないけれど、十六歳以上の未成年者で都市を防衛する正規軍に志願すれば兵士としての訓練を受けられる。訓練過程をクリアすれば一応予備兵としての資格と仮の軍籍が得られる。
俺も訓練過程を一応クリアして軍籍は持っている。室井千景三等陸尉というそれはそれは素晴らしいチンケな軍籍を。
「とりあえず来る」
言われて俺は灯に連れられて会社が入っているオフィスビルに連れていかれた。
*
俺が所属している傭兵会社は、新東京のほとんどの傭兵会社を統括している「フィフス・エイトム」という傭兵会社の傘下で、「クラウド」という。
一応フィフス・エイトムの幹部席についてはいるが、どちらかと言えば風当たりが強い外様である。そのせいか規模も小さいし、金はいつだってギリギリだ。
「それであたしが呼び出すまであんたは、なあにをしていたのかな?」
声変わりがまだ済んでいないかのような声で喋っているのは、クラウド傭兵会社の社長である三紬夕立である。若干赤みがかった茶髪を短く散らしたような髪型をしており、見た目と合っているのだから笑えない。言ってしまえば幼女のような大人である。ちなみに年齢は今年で二十四だった気がする。
女性用の軍服を着崩した格好をしていて、黒い軍服を背中に羽織っている。飴ちゃんをたばこ代わりに加えているから、なんだろう、すごくかわいい。
一応この人も軍籍を持っていて、仮ではあるけれど二等陸佐の階級だったはずだ。その証拠に背中に羽織っている軍服に二等陸佐の階級章がセロハンテープでくっつけてあった。こんな階級章いーらなーい、っていうことだ。
「あー、忘れていました」
嘘をついても面倒なので本当のことを口にする。
「ふーんそっか……!」
すぐさまグーで殴られた。体格幼女の夕立ちゃんのパンチは痛くも痒くもないけれど。それでも痛いふりをしてごまかす必要がある。でないとこの人機関銃とか射ってきそうだし。
「それで街で何をしていたかと思えば、何をしてたんだっけー?」
妙に気が抜けた感じで聞かれてる分緊張感がないから、あれ怒ってないんじゃね、と勘違いしてしまう。実際は無茶苦茶怒ってるんだろうけど。
「街でダラダラとしながら今日の晩飯考えていました」
「いけしゃあしゃあと口にしないでくんないかなー。あたしは割りと本気で怒ってんだけど」
「理解してまーす」
ふざけた返事をしたら、今度は書類の束を投げ付けられた。散らかっちゃうからだめでしょ。
「あのさー千景さー、社長のあたしに対する敬意とかあんたにはないわけ?」
「敬意なんて金になるんですか?」
つい本音がこぼれる。まずいと思って身構える。しかし我らの夕立ちゃんは何も言ってこなかった。
「ほんと、敬意なんて一文の足しにもならないよねー。そのくせ上はこっちに無理難題を押し付けてくる。そのくせ金はくれない。今月あといくら残ってたっけ?」
いつの間にか話が今月の予算残高の話に変わっていた。これはラッキーとか思ったけれど、そうは問屋が降ろさなかった。
「あのさー夕立ちゃん。つーか今そんな話ししてなかったよね」
スマートフォンを弄くりながら、流れ弾を射ってきたのは灯だった。性根の悪いやつだと思った。
「あ、そういえばそうだったねー」
あ、やべ、と思ったときにはもう遅くそれから二時間ぐらい説教された。
「そういえば今日あんたが放置区画で殺したのって、レベル2のホムンクルスだったんだよね?」
「ん?ああ」
説教された後にまともなことを言われた。
ホムンクルスは相対的にその破壊規模でレベルが付けられる。レベルの段階は1から6まであり、当然レベル6が一番破壊規模が大きい。
レベル2のホムンクルスはレベル6に比べれば赤ん坊のようなものだ。
「ふーん、じゃあ報奨金は二十万くらいかな」
命をかけておいて二十万は安いんだよなー。いや、別に危険とかはなかったんだけどさ。
「あ、分け前は九:一でいいよね?」
「は?」
「だからあたしが九で、あんたが一でいいよね、て言ってんの」
純真無垢な顔でブラックなことを口にする夕立ちゃんだった。本当にブラック企業だよな、この会社。
「別にいいですよ。二万あれば一週間は生きていけるんで」
事実なのでそう応える。まあ、このブラック社長なら二万くらい十分くらいで使っちゃうんだろうけど。
「あっそ。ほんじゃこの話はもう終わり。帰っていーよー」
もう出て行け、と言うように夕立ちゃんは俺を手で払った。人使いが荒いなー。
肩を落とす俺を見て部屋の隅にいる灯が笑いをこらえるように笑った。なんだよ、と睨みつけると、逆に睨み返してきた。根が小心ものの俺からすればそれだけで尻尾まいて逃げ帰っちゃいたくなった。
「あ、そーだ」
唐突に灯が発声した。
まるで今思いついたような口ぶりだった。
「あんたどーせもう暇でしょ?ちょっとこっちに付き合ってもらえる?」
「荷物持ちならやらんぞ」
「違うし、なに勘違いしてんの?」
はい?
「これからあたしの仕事を手伝って、て言ってんの」
知らねーよ。