4 さいごの課題
「最後の課題は”キンダー・ファーストのタペストリー”だそうだ」
子爵の言葉を受けて、リリーに国語を教えている家庭教師が言いました。
「”キンダー・ファーストのタペストリー”は『この名にかけて』という復讐譚に出てくるものですが、デザインについて詳しい描写はありません。ですから物語の内容から推測するしかありません。古典文学と紋章学の知識が必要です。王子はお嬢様の教養を試しておいでなのでしょう」
「それに機織りの腕前も」
子爵夫人が溜め息交じりに付け加えました。
努力家のリリーですが機織りや裁縫の類は苦手でした。
「この三つ目の課題をもらったのはおまえとネイサン伯爵家のマリア嬢だけだそうだ」
「つまり私かマリアのうち、課題をクリアした方が王子と結婚するということね」
リリーはマギーを呼びました。
「使用人の中で機織りの上手な者は?」
「サラは他の者の三倍の速さで織ることができます」
「連れてきなさい」
サラがやって来るとリリーの家庭教師たちがタペストリーの説明を始めました。
「タペストリーについて唯一分かっているのはバラが描かれていることです。『この名にかけて』が書かれた時代、タペストリーは権力を誇示するものでした。バラのタペストリーはこの作品がかつて大陸の半分を支配していたジチヤン王家がモデルであることを示唆しています」
そこで歴史の教師が長々とジチヤン王家の歴史について説明しました。
昔、ジチヤン王家は東西南北と中央の五つに分かれていました。
今は中央の正ジチヤン家と東ジチヤン家の二つだけが残っています。
「ポイントとなるのはバラの色です」
紋章のバラは正ジチヤンは金、東ジチヤンは白、南ジチヤンは黄色……といった具合にそれぞれ色が違います。
「物語の終盤でタペストリーについて”赤いバラが……”と言及する部分がありますが、ジチヤン家に赤いバラはありません。専門家の間ではあえて色を変えているという意見や血で赤く染まったからだという意見があります」
「それで結局、何色なんだ?」
焦れたように子爵が聞きました。
「黄色です。物語の内容はあきらかに南ジチヤン家がメインモデルだからです。それから地色についてですが――」
「ああ、もういい、もういい。あとの詳しいことはこの使用人に言ってくれ」
歴史の講義に飽きた子爵が部屋の隅で話を聞いていたサラを指して言いました。
子爵夫妻はサラに念押ししました。
「このタペストリーに我が家の命運がかかっている。上手くできれば給金は弾む」
「はい、ご主人様」
リリーはサラを見ました。
「あなたは人の三倍の速さで織れると聞いたわ」
「はい、お嬢様」
「この課題の期限は四ヵ月。あなたなら一年かけて作ったようなタペストリーを織れるということね」
挑むような目のリリーにサラはひるむことなく答えました。
「はい、お嬢様」
それからサラは子爵に与えられた作業部屋に籠って、来る日も来る日もタペストリーを織り続けました。
年が明けて、課題の提出期限まであと半月というころ、リリーが作業部屋を覗きに来ました。
タペストリーを織り始めた当初は日に一度は確認に来ていましたが、サラの腕前が本物であるのを見ると少しずつ頻度が減りました。
年末から年初にかけて生誕祭や新年会のパーティーで忙しかったリリーがこの部屋を訪れるのは随分久しぶりでした。
そして、彼女は激怒しました。
九割方完成したタペストリーの中心には白いバラが咲いていました。
「これはどういうことなの! バラは黄色と言ったはずよ!」
首を竦めたまま黙っているサラを見てリリーは気付きました。
「……あなた分かっててやったわね。私がレナード様と結婚するのが妬ましいんでしょう。使用人の分際で浅ましい!」
しかし、罵声を浴び、小さくなっている使用人を見るとリリーの唇には自然と笑みが浮かびました。
サラは没落貴族の成れの果て。
宝石の一つも身に付けず、粗末な服を着て、手にあかぎれを作って働いている。
対してリリーは国中の娘が憧れる男と結婚して、いずれは王妃に――女にとっての最上の地位に就くのです。
「負け犬の惨めな女」
笑わずにはいられませんでした。
リリーはとにかく残りを完成させるようにサラに言いつけると家庭教師に相談へ行きました。
「直している時間なんてないわ。上から染めることはできないの?」
家庭教師は答えました。
「もしかしたらバラの色など殿下もご存じないかもしれません。それにネイサン伯爵のご息女はまだタペストリーを半分も完成させていないそうです。お嬢様のタペストリーはバラの色以外は申し分のない出来。殿下がバラの色にこだわらないのであれば、期限内にタペストリーを献上したお嬢様の勝ちです」
リリーは自分の強運を信じてサラが織ったタペストリーをそのまま王子に提出することにしました。
そして、彼女は勝ちました。
レナード王子は子爵が持ってきたタペストリーを見て満足そうに頷きました。
「やはり私の目に間違いはなかった。明日、私の花嫁を迎えに行くから待っていなさい」
レナードの言葉に子爵は困惑しました。
「明日ですか? いくらなんでも急では……。いろいろ準備もありますし……」
「大丈夫だ。こちらの準備は整っている。花嫁は身一つで来てくれればいい」
帰ってきた父親の言葉を聞いてリリーは母親と抱き合って喜びました。
それから彼女はすぐさま部屋に戻って荷造りを始めました。
王子は身一つでと言いましたが、お気に入りの調度や宝石は置いて行けません。
夜になって館の者たちが寝静まると、サラはこっそりリリーの荷物を漁りました。
母の形見の指輪だけはどうしても取り返したかったのです。
しかし、突然扉が開いて暗い部屋にランプの灯りが差し込みました。
驚いて振り返るとそこにはリリーと庭師のルースが立っていました。
「こんなコソ泥みたいな真似をして。ルース、明日……いいえ、今夜中にこの女を屋敷から叩き出しなさい」
指輪を握り締めたサラに、ルースは申し訳なさそうな顔で歩み寄りました。
サラは小さな声で彼に懇願しました。
「ルース、お願い……助けて……」
ルースの足が止まりました。
庭師なのに虫が苦手な彼に代わって害虫退治をしてくれるサラが彼は好きでした。
リリーは背後から庭師に強い声で言いました。
「お父様が私の婚礼のお祝いに屋敷の者たち全員に祝儀を出すそうよ。ルース、知ってるわよ。ご執心の娼婦がいるんでしょ? これからたくさん会いに行けるわね」
一瞬目を泳がせてルースはまたサラに近付きました。
「ああ、サラ、あなたも娼館に行ったらいいじゃない。天涯孤独で身を立てる才もない女ひとりじゃまともに生きていけないでしょう? 良いアイディアじゃなくって?」
そう言ってリリーは嘲笑いました。
おどおどとルースがサラの目の前までやってきました。
本当は乱暴なことなどしたくない、けれど主人の言葉には逆らえない。
小心者の庭師はサラを捕えようと両手を上げました。
大男の陰に隠れてリリーからはサラの様子は見えませんでした。
しかし、ルースには聞こえました。
ぽつりと呟いたサラの言葉が。
「確かに良いアイディアね」