世界に満ちた『歌』
ある日、一つの歌が動画サイトで発表された。大した意味を持たないが声に出したくなる歌詞と、独特の耳に残るリズムを持つ、一度聞いたら忘れられない歌。
周知されるまでに多少の時間はかかったものの、一定の知名度を得てからは文字通りに爆発的な人気を博すようになる。他サイトへの転載、テレビやラジオでの使用など、聞いた事の無い者はいないと言える程あちこちでその歌は流された。
また、この歌は多くの人に歌われもした。一人で口ずさむ、あるいは大勢で合唱。難しくない事に加えて、声に出したくなる歌詞を持つため、様々な形で多くの人に歌われる事になる。
歌は、世界に広がり始めた。
歌の流行が落ち着いてしばらくたった頃、突然この歌を歌い出す人々が現れ始めた。少ない練習量でもそれなりに歌えるため、フラッシュモブにこれを使う集団も存在したが、彼らもそうだと考えるには発生件数があまりに多い。
あちこちで散発的に始まる合唱に、何かがおかしいと考える人が出てきたが、彼らがその原因を調べる前に事件は起こった。
その日も現れた突然歌いだす人々。居合わせた人は「また何かのパフォーマンスだろう」と考えたが、少しずつ違和感を感じ始める。
一つ目のおかしな点は参加者の人数が多すぎる事。道行く人、見ていた人が次々に加わって、あっという間に三桁の人数になった。二つ目のおかしな点は、歌う時間が長い事。人数を増やしながら数十分は歌い続けている。
異常な事態に気がついた人々が、彼らを止めようとした。ある者は呼びかけて、ある者は力ずくで。どちらの手段も効果は無く、彼らも歌う人々に加わってしまう。
止めに来た人々を吸収し、増加し続ける歌い手の集団。彼らは最終的に、ガスや放水など暴動鎮圧のような手段で制圧された。
そうして一時は騒ぎが沈静化したが、さして間を置かずより大きな事件が起こる。報道によって異常な歌が拡散し、大小様々な規模の集団が世界中で形成され始めたのだ。また最初の騒動を収拾した際、歌に暴露していた者が少し遅れて歌い出し、警察等の事態に対処できる組織に混乱が発生する。
事件の規模は拡大し、それに対応する人手は減少した。当然対処は不可能になり、社会の機能は麻痺してしまう。
歌い始めることなく混乱を切り抜けた僅かな人々は、おおよそ何が起こったのかを自身の経験から理解していた。
「あの歌を聞き続けた奴は、おかしくなって歌い始める。その歌を聞いた奴もいずれ歌い出す」
このような彼らの理解は、おおむね正しいが正確ではない。歌い出した者たちからでなくとも、一度でもこの歌を聞いた者は、僅かとはいえ歌の影響を受けている。そして一度影響を受けてしまえば、歌からは逃れられない。全ての人間が、遅かれ早かれ歌に意識を奪われる事になるのだ。
歌には意思、あるいは本能のようなものがあった。他の歌を押しのけ、より多くの人間に歌われ、聴かれる事。ただそれだけを志向して、歌は人に影響を与える。
人間にとっては致命的な「歌う事しか出来なくなる」という影響も、歌には人を独占するための手段でしかない。
ある者は歌で狂う前に自害しようとした。またある者は、歌に侵食されつつある同行者を殺害しようとした。聴き手と歌い手を減らす彼らの行動は、歌にとって好ましくない。
死の恐怖、殺人への嫌悪や罪悪感。これらの感情を可能な限り増幅する事で、歌は人に「殺すな」、「死ぬな」と訴えた。
歌の干渉よりも歌への恐怖や嫌悪が勝った人間は、自由と引き換えに命を失うか、手を血に染める事になった。一方、多くの人間はそうならず、生き続ける事や生かす事を選択した。
人間として正しい選択はどちらだったのか。問う事ができる者も回答できる者も徐々に数を減らしていく。
歌は世界に満ち始め、歌たちの時代が訪れた。
全ての人間が『歌い手』となり、歌はその有り様を大きく変化させる。
かつての歌は、植物のような存在だった。種子が情報に乗って広がり、人の意識に根を張って、歌われる事で花が咲き種子が撒かれる。
今の『歌』は、『歌い手』という構成要素からなる群体だ。個々の『歌い手』が歌いながら、他の歌い手の歌を聴く事で神経のようなネットワークを形成する。人間のそれとは異なるものだが、これにより意識のような物が芽生えた。
合唱しながら移動し、時には休み、多くの『歌い手』を獲得して自身をより大きくしようとする。
二つの集団、もとい二体の『歌』が出会った時に起こるのは、歌と歌のぶつかり合いだ。互いに自身を構成する情報や『歌い手』を交換し、より強いただひとつの『歌』を目指して変異を続ける。
片方があまりに弱い『歌』なら、強い側が弱い集団を飲み込んでしまう事もあった。この接触は、捕食に近い行為でもあるのだ。
逆に、一つの大きな集団が異なる二つの集団へと分裂することもあった。一個体として最低限必要な同一性を維持できなければ、一体の『歌』でいることは出来ない。
一時繁栄を謳歌した『歌』達だったが、彼らの時代は長く続かない。生物の細胞のように、自身の構成要素である『歌い手』を増やす術を持たないからだ。
人に与える影響が強すぎた事が仇になった。人の意識を支配することで、外から『歌い手』を補充する事はできる。取り込んだ人間に、生存に必要な行動をさせる事も出来る。
だが、取り込んだ人間を殖やす事は、どれほど変異を続けても出来るようにならなかった。
ゼロサムゲームを続け、生き残った一体の『歌』と一人の『歌い手』。一秒でも長く肉体を持たせるために様々な処置が施されたが、限界が近づいてきている。移動に使うエネルギーすら惜しい。
『歌』は全てのリソースを歌唱に集中させた。人間や他の個体にそれが届けば、命を永らえる可能性がある。自身が最後の一体である事を知らない歌は、そう判断した。
二種類の生命が最後の力を振り絞った歌は、残された時間が僅かとは思えない力強さで、聞くもののないまま響き続ける。
ねじの切れたオルゴールのように歌が止んだとき、人と『歌』も終わりを迎えた。
その後の世界に残ったのは、歌とは呼べない原始的な、しかし生命力に溢れたリズム。そこから再び音楽が生じるまでには、長い時間が必要だ。
歌は再び、世界に満ちるだろう。