#09
圭は芽榴に告白して、振られた。
芽榴は圭の気持ちを本当の意味で理解して、そして圭を拒絶する道を選んだ。
もう数日、芽榴とは話していない。
あと一週間で、芽榴はこの家からいなくなるというのに。
今の芽榴と圭をつなぐ、唯一のものは、毎朝芽榴が置いていく手作り弁当だけ。
味も重さも何も変わらない、そのお弁当だけが、かつてのまま。
もうすぐ食べられなくなるこの味を噛み締めて、そのたびに泣きそうになる。
圭の様子がおかしいことを、親友は気づいてくれた。
「……圭」
部活を終えて、後片付けをしていたら、竜司に呼ばれた。
圭はボールの入ったカゴを倉庫に直しに行く途中。竜司はゼッケンを直しに行くところらしく、一緒に行こうと誘われた。
「なぁ、圭」
「んー」
「また、母さんの店に遊びに来いよ」
竜司の母親は、喫茶店をやっている。夏に行って以来、そこには顔を出していない。
夏に、芽榴と一緒に行ったのが最後。
その喫茶店は一度潰れかけて、その窮地を芽榴が救った。
芽榴との思い出の場所。
「姉貴と一緒にさ」
その声かけに、今までの圭なら「そうだな」と楽しげな笑顔を見せていただろう。
けれど今の圭は、表情を曇らせることしかできない。
その圭の反応を見て、竜司は小さく息を吐いた。
「やっぱり、圭……姉貴と喧嘩でもしたの?」
両親にも問われ続けて、果ては親友にまで問いかけられる。
分かり易すぎる自分の態度にも、誰が見ても芽榴のことが好きすぎる自分にも、嫌気がさす。
こんなにも明らかな自分の気持ちにも気づかずに、気づいた途端に拒絶する芽榴にも。
「なんでだよ」
「圭が連日元気なくすとしたら、それくらいしか思いつかねーもん」
「俺もそこまで芽榴姉だけで、できてねーよ」
「どうだか。俺の知る限り、圭はただのシスコンだよ」
本当に、ただのシスコンならよかった。
竜司の言葉に圭は苦笑する。
そんな圭の姿を見て、竜司は「やっぱりもう見てられない」と口にした。
「圭はさ、姉貴が好きなんだろ。姉としてじゃなくて」
核心に触れる問いを、竜司は告げた。
圭は「ちげーよ」と言おうとして、その口をつぐんだ。竜司の顔はすごく真剣で、自分には話してほしいと訴えかけていた。
「……どうして、そう思うの」
「親友なめんな」
「答えになってねーし。……引かないの?」
「引かねーよ。引かねーけどさ」
竜司は眉を下げて、哀れむような視線を圭にぶつけた。
「諦めた方がいいとは思う」
それが、正解だ。
圭はその言葉に怒ることはしない。親友の言葉は正しい。
自分のための忠告だとも分かる。
「俺もそう思う」
圭は同意して、自嘲するように笑った。
そう思うくせに、諦められない。
「なあ、姉貴のことを頭から飛ばしてさ……他の女子の告白受けてみりゃいいじゃん。意地になってるだけかもしんねーし。案外簡単に好きじゃなくなるかも……」
「竜司に言われなくてもさ。俺だって、他の女子好きになろうとしたよ」
何度も試した。無心になって、誰かを好きになろうと。
よく話す女子のことを好きだって思い込ませたり。、いいところを見つけたり。
そうして、いい雰囲気になって告白されたら、分かってしまう。
「でも俺、芽榴姉以外に『好き』って言われても、全然嬉しくねーの」
「……圭」
「バカだろ? 分かってる。自分がすげーバカで、気持ち悪いって。でもさ……芽榴姉に好きって言われると、それが弟として好きってことだって分かってるのに……」
――私も、圭が好きだよ――
「今なら死んでもいいって思えるくらい……嬉しいんだ」
圭のことが好きだと言って笑う芽榴が大好きだった。
思い出して、泣きそうになるくらい。
そんな気持ちで、他の女子の告白なんて受けられなかった。
もし芽榴が自分に彼女ができたことを祝福したら、きっと圭は自分を保っていられない。
逃げ道すら、圭には残っていないのだ。
「圭……ごめん。俺が悪かった」
竜司は悪くない。けれど今にも泣き叫びそうな圭の顔を見て、竜司はそんなふうに圭に謝った。
「謝んなよ。俺の方こそ、ごめん。……心配してくれて、サンキュ」
圭の作り笑顔に、竜司は申し訳なさそうに笑顔を返した。
☆★☆
圭と芽榴の問題で、おそらく一番困っているのは両親だった。
圭と芽榴の両方に気を遣って、けれどどうして圭たちがこじれてしまっているのか、その原因も知らされない。
でもいい加減、放っておけなくなったのだろう。
「圭。ちょっと父さんと話そうか」
夜、重治が圭の部屋にやってきた。
芽榴と真理子は隣の部屋で荷造りをしている。芽榴がアメリカへ行くための準備は、着々と進んでいた。
「なんで俺がここに来たかは、分かるだろ?」
適当なところに座って、重治は真面目な声で圭に問いかけた。
(そりゃあね)
圭は重治に向かい合うように座って、小さく頷いた。
「ごめん。父さんたちに気遣わせてるのは、すごく分かってる」
「分かってるのに、仲直りできないのか」
重治は「それほどのことをやらかしたのか」と視線で訴えてくる。
けれど圭には言えない。芽榴のことが好きなのだと、重治たちに自分の口から言うことはできない。
おそらく両親は、圭の気持ちに気づいている。長年一緒にいて、気づかないわけがない。
だから、優しい父は、圭に告白するチャンスをくれた。
「……お前たちは、血が繋がってない」
圭と芽榴は義姉弟。芽榴に至っては、重治とも真理子とも血の繋がりはない。
芽榴は重治の幼馴染と親友の子ども。
複雑な理由があって、重治は芽榴のことを預かったのだ。
「お前たちは、本来なら赤の他人。……俺たち大人の都合で、『姉弟』になってしまっただけだ」
芽榴と圭は、名目だけの、姉弟。
「だからもし、お前が芽榴を好きになっても……誰にもお前を咎める権利はない」
圭の心を、重治は拾い上げてくれた。
息子の砕け散った気持ちの欠片を、全部拾って認めてくれた。
芽榴は認めてくれなかった気持ちを。
「……俺が、芽榴姉を困らせたんだ」
圭は膝の上に乗せた拳を握り締めた。芽榴に振られた日のことを思い出すたび、涙がこみあげてくる。
「俺、芽榴姉が好き。……父さんが、俺と芽榴姉を姉弟にしたこと……俺はずっと恨んでる」
「……ああ」
「でも姉弟じゃなかったら、俺が芽榴姉と出会えるわけなくて……どうしたって俺は芽榴姉に好きになってはもらえないんだって、それも分かってるんだ」
全部、全部ちゃんと分かっている。
「父さんのおかげで、意味は違っても、少しでも、俺が芽榴姉の一番になれたことも。……でも、俺はそれだけじゃ、嫌だったんだ」
だから壊してしまったのだと、そう告げて、圭の涙が膝にこぼれ落ちた。
心の拠り所はどこにも見つからない。
大好きで大切だった気持ちが、今はただ、苦しくて苦しくて、捨てたくてたまらない。
今にも壊れてしまいそうな圭の頭を、重治は優しい大きな手で撫でてくれた。
「お前はたぶん、自分の気持ちは誰にも分からないって思うかもしれないが。……俺にはお前の気持ちが分かるつもりだぞ。圭」
重治は静かな声で告げて、圭には話してくれたことのない、悲恋で終わった彼の初恋を口にした。
「俺は真理子のことを好きになるまで……ずっと、芽榴の母親のことが好きだった」
その話は何度か聞いたことがあった。芽榴の母親はとても美人で優しくて、父の幼馴染で初恋の人。
そして、父ではなく、父の親友を選んだ人。
「ずっと好きで、俺の想いも知ってて、思わせぶりなこともして、そうしてあいつは俺の親友を選んだ。……そのときは、俺も死にそうなくらいショックで苦しかった」
今の圭と同じくらいに、重治も悩んで苦しんだ。
けれど重治は、その初恋の相手とは別の人と、最高の幸せを掴んだ。
「だから……相手が芽榴じゃなくても、お前は幸せになれる。そう割り切るまでに、時間はかかっても、いつかは別の人と幸せになれるんだ」
それが重治の優しい言葉だと分かるのに、圭の心が「嫌だ」ともがいている。
芽榴のことを好きでいるのをやめたいのに、芽榴ではない人を好きになる自分がまったく想像できなくて。
顔の見えない芽榴ではない女の人に、永遠に嘘の「愛してる」を告げる自分しか見えなくて。
「芽榴とこのまま、不穏な関係でいるくらいなら……芽榴のことは諦めろ」
もう嫌というほど分かっているのに。
圭を取り巻くすべてが、圭に芽榴を諦めろと伝えているのに。
そうすることが、圭の幸せだと分かるのに。
芽榴を諦めることすら、苦しくて息もできなくなる。
「芽榴姉のこと、諦めたって……もう元に戻れないよ。俺たち。……芽榴姉は、もう俺に笑ってくれない」
なら、戻る意味もない。
そう告げる圭に、重治は本当に本当の最後のチャンスをくれた。
「もし、お前が芽榴と仲直りするって約束ができるなら……父さんが一度だけ圭の力になってやる」
初恋の終わり方を教えるみたいに、重治は圭にその機会を与えようとしていた。