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麗龍学園生徒会~extra story~  作者: 穂兎ここあ
Route:楠原圭 そばにあった恋物語
6/20

#06

 夕飯を食べて、お風呂にも入った。

 でも圭には、それらの記憶がいまいちない。

 家に帰ってから今に至るまで、圭は思考をどこか遠くへと飛ばしていた。

 重治と真理子と、そして芽榴と、楽しくいつも通りの会話をしていたはずなのに、それすらも自分が何を言っていたのか、いまいち思い出せない。


 ただひたすら、今日このあと自分がどうすればいいのか。それだけを考えていた。


「芽榴姉、入るよ」


 そうして、その答えの出ないまま、圭は芽榴の部屋をノックした。


 部屋の中には、寝間着姿の芽榴がいる。

 ローテーブルに自分の分の勉強道具を広げて、芽榴は圭が来るのを待ってくれていた。


「一応、あったかいお茶持ってきてるけど……炭酸がいい?」

「ううん。お茶でいいよ。ありがとう、芽榴姉」


 芽榴は圭の返事を聞くと「よかったー」とのんきに笑って、圭の座る場所にお茶を置いてくれた。


「で、今日は何を教えたらいいのかなー?」

「数学、かな。もう暗号だらけ」

「暗号って……」


 圭の返答に、芽榴はクスクスと笑う。

 かわいらしく笑って、芽榴は「どれどれー」と圭の教科書を覗き込んだ。


 圭との距離など気にせずに、芽榴は真剣な顔で問題を見ている。圭の方は、触れ合う肩に意識が集中しているというのに。


「うん。この範囲なら教えられるよ。前にクラスの男子が分からないって言ってた問題に似てる」

「……芽榴姉が、教えたんだ?」

「クラスでは一番仲良い男子なんだー。あ、その人も圭と同じサッカー部だよ」


 芽榴はそんなふうに圭と結びつけて。

 そしてその話をさっさと切り上げて、「どこが分からないのー?」と話を戻す。圭は静かに、芽榴に分からない問題を伝えていった。


「で、ここはこの公式を使うの。……で、答えが出るんだけど」

「あー、なるほど。うん、分かった」


 芽榴の教え方は本当に分かりやすい。分からない問題がどんどん解けていく。今まで分からなかったことが嘘みたいに。


「じゃあ、次の問題は自力で解いてみてね」

「うん」


 芽榴は自分の勉強に戻る。

 英語の問題をすらすら解きながら、芽榴は圭がちゃんと解けているか、様子をうかがってくれていた。


 圭がちゃんと問題を解いているのを見て、芽榴は安堵したように自らの参考書に視線を戻す。

 それを確認して、圭は視線を芽榴へと向けた。


(……部屋に2人きりなのに、全然意識しねーんだもんな)


 芽榴は真剣な顔で参考書の問題を解いている。

 圭に意識などするはずがない。圭は芽榴にとって、義弟以外の何者でもないのだから。


 でも少しくらい、意識してほしい。ほんの少しでいいから。


「圭? 分からないところでもあった?」


 圭が自分を見つめていることに気づいて、芽榴はそんなふうに問いかけてくる。

 今のところ、分からない問題はない。芽榴が教えてくれたおかげで、今開いているページの問題は全部解けそうだった。


「ううん、大丈夫」

「そっか。でも圭はすごいね」

「なんでだよ。芽榴姉のほうがすごいだろ。すらすら解けて」


 圭が困り顔で告げると、芽榴はまた、無邪気に笑った。


「だって、蓮月くんなんか教えても教えても解けなかったりするんだよ? でも圭は一回教えたら全部解けちゃうから」


 また、別の男子と自分を比べて、持ち上げるくせに。


「自慢の弟だね」


 簡単に突き落とす。


(ああ……これは、ダメだ)


「……ごめん、やっぱ分かんない」


 芽榴が真剣に勉強を教えてくれるから、想いを殺してどうにか今日もやり過ごそうと思っていたのに。

 ただでさえ壊れた心の中を、芽榴のために隠してあげようと思っていたのに。


「芽榴姉は頭いいのに……なんで気づかねーのかな」


 本当に、どうして芽榴はこんなにも鈍感で、ずるいのだろう。

 こんなにも無邪気に、圭の心を弄んで。

 

「圭? え……ちょっ、圭!」


 カタッと机に足がぶつかる音が響く。

 けれどそんな些細な音が、たとえ下にいる両親に聞こえていたとしても、気にとめないだろう。


「なに?」

「なにって……それはこっちの台詞だよ」


 芽榴が眉を寄せて、圭に抗議している。


 圭は芽榴を押し倒していた。

 ここまでしてもやはり、芽榴は優しい声で抗議するだけ。

 芽榴の力は強いから、本気で押さえ込まないと、簡単に突き飛ばされてしまう。


 だから圭は、掴んだ芽榴の腕に力を入れた。


「痛いよ、圭。本当にどうしたの?」

「……芽榴姉。ごめんね」


 圭の謝罪に、芽榴の瞳は困惑の色を濃くした。

 言葉とは裏腹に、さらに力強く芽榴を押さえ込む圭のことを、芽榴は理解できない顔で見つめている。


「ごめん。でも……俺もさ、限界なんだよ」


 自分でもびっくりするくらい情けない声が出て行った。

 尚も芽榴は理解できていない様子で。

 けれど圭の歪んだ顔を、芽榴は心配そうに見つめてくる。


(俺なんか、芽榴姉に心配される資格ないのに)


 こんな状況なのに、芽榴は暴れることをしない。

 圭は何もしない、という信頼からくる行動なのか。それとも、こういうことが頻繁にあるからなのか。


 それは、圭には分からない。


「俺がどんなに芽榴姉のチョコを喜んだって、芽榴姉にはその半分も伝わらない」

「圭、何言って……」

「俺がたくさんチョコをもらっても、芽榴姉は何も思わないし」


 圭がたくさんチョコをもらって帰ってきても、芽榴は「すごいね」と笑って褒めるだけ。

 嫉妬なんて、絶対にしてくれない。


「どんなに俺が好きだって言っても、全部かわして……」


 芽榴のせいではない。芽榴は悪くない。何も悪くない。取り巻く環境に恵まれなかっただけ。

 そう思うのに、大好きな芽榴を憎まずにはいられない。


 好きの感情が、憎悪に変わる。それすらも苦しくて、嫌なのに。


「俺だって、男なんだって……分かってる?」


 部屋の中に2人きり。押し倒されている状況。

 それなのにまだ、圭が弟だからと余裕な態度を見せて。

 圭の心が壊れるくらいに、圭を男として見ていないと、言葉以上に態度で伝えてくる。


「……やめてよ、圭。だって、圭は……っ」


 続きの言葉が聞きたくなくて、圭は芽榴との距離を詰める。

 そうすると、芽榴の抵抗がいよいよ激しくなった。


「やだっ、圭、やめ……っ」

「そんなに騒いだら、父さんたちに聞こえるよ」


 芽榴の抵抗を弱くする、一番の言葉を圭は無感情の声で告げる。


「聞こえて困るのは、圭だって一緒でしょ。こんなところ見られたら……」

「俺が怒られるね。でもかまわないよ。……俺はね」


 芽榴の手が震えている。

 自分のせいで、芽榴が怖がっている。

 それが、圭を男と意識した芽榴の態度なのだと知って、心がどんどん虚しさで埋まっていく。


「……芽榴姉」


 鼻の先が当たるほどに顔は近づいて、それ以上は近づかない。

 臆病な圭は、ここまで壊しておいて、それでも最後の一歩には踏み切れなかった。


 キスをしたら、本当に芽榴を傷つける。

 芽榴の大切なものを奪うみたいで、それはどうしてもできない。


「……なーんて、冗談」


 圭は芽榴の手を離して、起き上がる。

 明るい声音で言ってみても、自分の声はひどく震えていた。


「芽榴姉があんまり無防備だから……そんなんじゃ危ないよって教えたかっただけ」


 中途半端に壊して、また嘘で塗り潰そうとして。

 ヒビの入ったガラスは、もう元には戻らないのに。


 その場に起き上がった芽榴を見て、圭の心がえぐられた。


「バカ……圭のバカ」


 目に涙を溜めた芽榴にそう言われた。

 芽榴を泣かせたくなどなかったのに。


「……ごめん。今日はもう、部屋に戻るね」


 圭は勉強道具をまとめて、芽榴の部屋を出て行った。


(……最悪)


 圭は自分のベッドに倒れこんで、盛大なため息を吐く。


「ほんと、俺はバカすぎ」


 涙が出るくらい、自分は最低な弟。男にすらなりきれない、中途半端な自分に嫌気がさして、圭は枕に顔を埋めた。

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