#05
ミーティングが長引いて、圭はため息を吐きながら帰る。
すると、門を出て少し歩いたところで、誰かがもめている声がした。
もめているというより、喧嘩している声。
圭はなんとなく、その人物たちが誰かを察しながら、近くを歩いた。
すると、喧嘩してそのまま飛び出してきたのであろう女子の先輩が圭の前に現れた。
「うっわ、楠原くん! あ……ハッピーバレンタイン!」
1つ上の学年の首席、水原伽耶が圭を見てにこやかに笑った。
この先輩とは、本当に友人として仲がいい。
おそらく先輩は幼なじみの彼氏と喧嘩して、そのまま逃げるように飛び出して今ここにいるのだ。
「あはは、お疲れ様です」
圭がそう言って笑うと、伽耶は「その笑顔最高!」などと言って素直に騒ぐ。そういう反応が彼氏を怒らせるというのに。
そう思っていると、伽耶を追いかけてきたらしい彼氏様が圭の前に現れた。
「……楠原かよ。って、おい! 伽耶、待てよ!」
「待たないわよ、バカケル、バカ! 頭打ってもっとバカになれ!」
そんな仲睦まじい喧嘩を目の前で繰り広げると、伽耶は走って帰って行った。
取り残された伽耶の彼氏こと、皆戸翔はその場に座り込んで頭を抱えていた。
この先輩も伽耶と同じく圭の1つ上の学年の人で、バスケ部エース。そしてかなりのイケメンだ。
「翔先輩。水原先輩に何したんすか」
「何かする前にブチギレたんだよ、あいつが」
「だから……何したんすか」
何かしたからブチギレたんだろう、と圭は困り顔で問いかける。すると翔は盛大にため息を吐いた。
「伽耶が……俺が他の女子からバレンタインのチョコもらってるのに嫉妬してたから、かわいくて……ちょっとからかおうと思ったら鞄で殴られた」
彼ららしい喧嘩のあり方に圭は苦笑する。
2人は幼なじみで、このあいだのドラマのようなカップルだ。
圭は何度か2人の喧嘩に居合わせて、2人の仲介役みたいになったことがある。
この先輩は、幼なじみという関係を壊して、好きな人と両想いになった。
圭は実際のところ、この先輩をとても尊敬している。それがどれほどの勇気がいることか、圭は知っているから。作り話ではないからこそ、本当に壊れる可能性があって。
そうと分かっていて、この先輩は好きな人と両想いになるために、頑張ったのだ。
「せっかく、付き合えるようになったんですから、優しくしないと」
「こっちが優しくしたら、あいつ『キモい』とか言ってくるんだぜ。本当、俺のことキモいとか言うやつ、あいつくらいだよ」
そういうところも好きなんだろうな、と思いながら圭は翔の話に耳を傾ける。
「そういえば、翔先輩って……どうやって水原先輩に告白したんですか?」
一番参考になるだろうと思い、圭は尋ねてみる。
すると翔は「ああ」と頭をかきながら、遠い目をして答えた。
「……あいつ人の告白聞こうとしないから」
まったくもって芽榴と同じ。
「押し倒して、わりと無理やりキスした。間接的にだけど」
「え」
予想を上回った答えが返ってきて、圭は頓狂な声をあげる。
翔のほうもそのときのことを少し後悔しているのか、困り顔で眉を下げていた。
「そこまでしねーと、あいつ気づかねーし話きかねーんだもん。俺は悪くない……と思う」
やはりドラマのような綺麗な展開でうまくいくことはない。
その現実を圭は突きつけられた。
両想いだったからこそ、2人は関係が壊れずに済んだ。
でもそれが本当に片想いだったなら――。
自分の不毛な恋には、隠したまま消えるか、壊れて消えるか、この二択しかないのだと。
ドラマのようなハッピーエンドが待っていないことを。
圭は本当の意味で理解した。
☆★☆
部活の会話でも気を落としていたのに、翔の話を聞いて圭の心の中はぐちゃぐちゃになっていた。
今日は帰ったら、芽榴と一緒に勉強ができる。それだけで嬉しかったはずなのに、今はそれすらも苦しい。
芽榴と会うだけで、胸がしめつけられる気がした。
圭がどんなにあがいても、その先には何もない。
圭を囲むすべてのことが、圭に芽榴を諦めろと伝えてくる。
「芽榴ちゃん」
下を向いて、歩いていたらその声が聞こえた。
とても明るく、甘ったるい声。
顔を上げなくても分かる。それなのに、圭は顔を上げていた。
「チョコありがとう」
前方から、芽榴とその友人である蓮月風雅が、仲よさそうに歩いてくる。
風雅の両手には、紙袋。まるで芸能人みたいにたくさんのチョコをもらって、芽榴の隣を歩いていた。
「そんなにもらってるのに、あげちゃってごめんね」
「芽榴ちゃんのが一番欲しかったよ!」
聞きたくない。芽榴の困り笑顔も見たくない。
それなのに目も離せなくて、足も動かない。
「あ、圭!」
そうしてその場に立ち尽くしていたら、芽榴がこちらに気づいた。
圭のことを見て、芽榴は嬉しそうに手を振ってくれる。
苦しいのに、その笑顔が自分に向けられることが嬉しい。
(そのまま……俺だけを見ててよ)
そう思わずにはいられない。芽榴の隣には、自分よりはるかにかっこいい男子がいるのに。願わずにはいられない。
「圭くん、久しぶり」
芽榴の隣を歩く風雅は、気まずそうに笑って圭に挨拶をした。
風雅はいろいろあって、圭の気持ちを知っている。
圭と芽榴が本当の姉弟じゃないことも、全部。
だから、圭の姿を見つけた瞬間、申し訳なく思ったのだろう。風雅は芽榴から一歩離れた。
その気遣いは、圭を余計に惨めにするだけなのに。
「圭も今帰りだったんだね」
芽榴は笑顔で圭の元に駆け寄ってくる。
風雅はその場から動かない。
彼が芽榴を送る口実は「1人じゃ危ないから」だ。
圭に出会ってしまえば、芽榴は圭のもの。彼氏でもない風雅にはこれより先は送れない。
今だけは、それが圭の絶対的なポジション。
「蓮月先輩、芽榴姉を送ってくれてありがとうございます」
「……うん。じゃあ芽榴ちゃん、また明日」
「また明日ねー」
芽榴は風雅に笑って手を振る。そうして芽榴は圭の隣に並んだ。
「圭」
みんなが呼ぶ名前なのに、芽榴に呼ばれると、もっと呼んでほしいと思う。
それくらい一瞬で圭の心をわし掴んで。
「みんな、チョコもらってくれたよ」
嬉しそうに笑って、圭の心を握り潰す。
友人たちが、チョコを受け取ってくれたことを芽榴は心の底から喜んでいた。彼らが芽榴のチョコを受け取らないわけないのに。
「それは、よかったね」
(俺だって、誰よりも嬉しくて……喜んだのに)
芽榴の喜び方は、圭が受け取った時とは違う。
「芽榴姉」
圭がどんな言葉をかけても、芽榴には全然伝わらない。
(もう、だめだ……俺)
圭の心の中はぐちゃぐちゃで。
黒い霧がすべてを包み込んで。
嘘が嘘を飲み込んで。
「……夜、芽榴姉の部屋に行くね」
いともたやすく、壊れてしまった。