#04
声がする。夢の中、圭の頭の中には、芽榴の声が木霊していた。
「……い、圭。起きて、ね、圭ってば」
肩を揺さぶられ、圭はゆっくりと目を開ける。
目の前には、困り顔の芽榴がいた。
「んー……める、ねえ……まだねむ……っ! 芽榴姉!?」
言葉にして理解して、圭はベッドから起き上がる。その勢いで芽榴にぶつかりそうになるが、そこはさすが圭の姉。見事な反射神経で圭から離れた。
「おはよー。朝だよ」
「ああ……はよ。起こしてくれて、ありがとう。……いつも、こういうとき起こしにくるの母さんだから、びっくりした」
「あはは。今日はお母さんがチョコに夢中だから私が起こしに来たよ」
もう制服に着替えた芽榴がそんなふうに言って笑う。
チョコ。そう、今日はバレンタイン。
圭は寝ぼけた頭で理解して、自分より先に芽榴のチョコを食べている母に嫉妬した。
「はぁー。芽榴姉、俺の分は分けてくれてる? 一緒にしてたら母さんに全部食われてそう」
「うん、ちゃんととってあるよ。だからまずは起きようか」
「……起きる。起きるから、芽榴姉は先に下に行ってて」
圭はベッドから出ない。
そんな圭を芽榴は不思議そうに見つめている。二度寝でもする気ではないか、と心配そうな顔で。
「二度寝はしねーよ。軽く着替えてから下りようと思って」
「あー、なるほど。じゃあ私は下りるね」
芽榴は「気が利かなくてごめんね」と笑って、圭の部屋を出て行った。
パタンと扉の閉まる音がして、圭は盛大にため息を吐く。
「寝起きに芽榴姉って……心臓に悪すぎ」
その事実に、喜んで元気になってる自分の体にも、圭は呆れてため息を吐いた。
☆★☆
バレンタインだからか、芽榴が早めに家を出る。圭もそれに合わせて、急いで学校へ向かう支度をした。
一緒に家を出たところで、芽榴と圭の行き先は別。家からそう遠くない分かれ道で、芽榴と圭は別の道を行く。
それでも、ほんの少しだけでも一緒にいたくて、圭は時間が合う日は必ず芽榴と登校するようにしていた。
「芽榴姉、チョコありがとう」
圭は今朝芽榴からもらったチョコを思い出しながら、お礼を告げる。今年も自分がもらう初チョコは芽榴。それが嬉しくて、心からの笑顔を携えることができた。
「いえいえ。喜んでもらえてよかったよ」
「喜ぶっていうかもう、幸せだな」
「何言ってるの」
芽榴は肩をすくめながらも、圭の言葉を喜んでくれる。
その芽榴の姿が嬉しいから、圭は芽榴が持っている男友達へのチョコの入った手提げ袋から目をそらした。
「でも私があげなくても、圭は毎年たくさんもらうでしょー」
「芽榴姉のご友人ほどもらいませーん」
「比べる相手を間違えてるよー」
普通の人と比べれば、確かに量はもらっている。義理もあるけど、中には本命もある。けれど圭はそれを分かっていて、「全部義理だよ」と芽榴に伝えていた。
「ていうか、数もらっても芽榴姉のチョコは特別だから」
「特別じゃないよ。毎年美味しそうなの食べてるじゃん」
「芽榴姉のが一番おいしいに決まってんじゃん」
「……少なくともブランド物のチョコのほうがおいしいよ」
「俺は芽榴姉のチョコが好き」
朝から仲睦まじい押し問答が始まる。他人から見たらただのバカップルの会話だ。
圭と芽榴は義姉弟。血の繋がりもないから、もちろん顔も似ていない。
(本当に、ただのバカップルになれたら……死ぬほど嬉しいけど)
現実はその関係から程遠い。むしろ対極にいる。
だからせめて他人の目には、そう映ってほしいと思ってしまう。
肩が微かに触れ合う距離にいて、圭はいつだってこんなにもドキドキしているのに。
芽榴は平然と楽しそうに、隣を歩く。
少し手を動かせば容易く握れる距離にいても、芽榴が圭の手を気にすることはない。
もし仮に手を繋いだとしても、芽榴は困り顔をするだけなのではないかとさえ思う。
そんなことを考えていたら、すぐに分かれ道にはたどり着いた。
圭はそれが寂しくて、もっと芽榴と一緒にいたいと思うのに、隣の芽榴は向かう先を楽しみに、笑顔を向けてくるだけ。
「じゃあね、圭」
「うん、また家で。ちゃんと役員さんに渡せるといいね」
そんな言葉を付け加えて、時間稼ぎをしてみる。
「あはは、渡せなかったら圭が食べてくれるー?」
「当たり前。むしろ渡せないといいなって思うくらいには食べたい」
「もう。でも、ありがとー」
芽榴はそう言って、圭に手を振りながら背を向ける。
圭のことを振り返ることのないまま、芽榴は自分の高校へ行く道をすたすたと歩いて行った。
(本当に、渡せなかったら……俺は嬉しいんだけどね)
芽榴の姿が見えなくなるまで圭はその場から動かない。
芽榴がもしかしたら振り返ってくれるかもしれないから。そのときにもし自分がこの場にいなかったら、芽榴はもう二度と振り向いてくれない気がするから。
だから圭は、いつも芽榴の姿がちゃんと見えなくなるまではその場に立ったまま。
そして今日も、芽榴は圭のことを振り返らずに行ってしまった。
☆★☆
「はい、楠原くん。これあげる」
学校に着くと、バレンタインらしく、クラスの女子やマネージャー、いろんな女子からチョコをもらえた。
こういうふうに渡してくる子はだいたい義理だ。
「義理でももらえるだけいーじゃん。俺らには目もくれねーぞ、卑劣な女子たちは」
教室で昼食をとっていると、親友の竜司と透がブーブーと騒ぎ始めた。
圭に義理チョコをくれた女子も、クラスの男子全員に配っているわけではないらしい。
「まあ、俺は結構よく喋るから。あげないとなーって思ったんじゃない?」
そんなことを告げると、2人は「出ましたー。圭の鈍感発言」などと言ってまたもギャーギャー騒ぎ始めた。
「で、姉貴からはもらったのか? チョコ」
騒いでいたと思ったら、ふと竜司が圭にその話を振った。
竜司と透は、夏に芽榴と会っている。特に竜司は芽榴に助けてもらった身。
だからなのか、別の理由があるからなのか、2人は夏以降、よく圭に芽榴の話を振ってきた。
「もらったよ。それが?」
あまり顔には出したくないのに、芽榴の話になると自然と頰が緩んでしまう。それが2人にも分かるのだろう。やれやれといった様子で2人は笑った。
「あからさまに嬉しそうだなぁ、圭。こんなに女子にチョコもらってんのに」
「そんなにうまいの? 姉貴のチョコ」
「うん。あれよりうまいチョコ食べたことねーし」
圭がそう答えると、2人はまた大きなため息を吐いた。
「嘘じゃねーよ」
「はいはい。でも圭、どんなに頼んでも姉貴のチョコも弁当も食べさせてくれねーじゃん。実際今だって」
透が焼きそばパンをかじりながらうらやましそうに、圭の弁当を見つめている。
色とりどりの美味しそうなお弁当。
一口味見させてと言われても、圭は絶対にあげない。
「だって透は、一口食わせたら絶対もう一口ってうるせーし。それに次も言ってきそうだし」
「あー、そりゃ間違ってねーな。透は言いそう」
そんなふうに会話を弾ませる。
2人の目には、圭と芽榴がどう映っているのか、正直圭には分からない。おそらく関係上、ただのシスコンと解釈してくれているとは思うのだが。
「まあ、頑張れよ。圭」
最近は、なぜか芽榴の話の後にこの言葉が付け加えられるようになった。
だから、なんとなくこの2人が圭の気持ちを察しているように思えてならない。けれど、圭はそれを確かめることはしない。
自分から墓穴を掘って、自白することにならないように。
☆★☆
放課後、圭は部室にいた。
今日はミーティングだけ。テスト後の予定を立てて、終わり。だけどバレンタインというだけあって、雑談が途中途中に挟み込まれた。
「んで、圭。お前、何個もらったんだよ」
先輩にそう聞かれて、圭は少しだけ視線を上に向ける。考えるようなそぶりを見せて、圭は笑った。
「結構もらえて、5個くらいっすね」
「先輩、圭は嘘ついてまーす」
「俺が知ってるだけで8個は確実っすー」
圭がわざと嘘をついたのに、竜司と透がご丁寧に訂正してくれる。
先輩たちは「わざわざ数えることでもないってかー!?」などと言って圭の頭に拳をグリグリとぶつけてくる。
「痛いっすよ、先輩。数あるだけで義理っすから」
「義理で何が悪い! 俺は義理を誇り高く数に入れるぜ!」
ノリのいい先輩たちがそんなふうに言って笑う。
それにあわせて圭も笑った。
「にしても圭。お前、本当に彼女いないんだな」
先輩の1人が、感心したような声で言ってくる。今まで一度だって「彼女がいる」と言ったことはない。むしろ「いない」としか言ったことがないのだが。
「いつも言ってるじゃないっすか」
「嘘だと思ってて。でもいろんな女子からチョコもらってるし。圭は彼女がいたら、そういうの断りそうだから」
「つーか、彼女がいたら、嬉しそうに彼女のチョコの話しそう」
先輩たちが勝手に圭の話で盛り上がり始める。この流れはまずいと思い、圭はミーティングの内容に話を戻そうとするのだが。
「てか、女子から聞いたけど。お前好きなやつがいるから彼女作らないんだろ? ……誰だよ、教えろよ」
キャプテンまで話に参加してきてしまった。
おかげで部室が「圭の好きな人」を聞き出すモードに変換。
(やっぱ、めんどくさいことになった)
なんとなくこうなる気がして、話を逸らそうとしたのに。面倒なことになってしまった。
「告白を断る口実っすよ」
「じゃあなんで断るんだよー。お前、陸上部の梓にも告られたんだろー? あれ振るとかありえねーわ!」
「……先輩たちの知らない人っすよ」
「他校か! 写真、写真!」
収まることを知らない先輩たちのはしゃぎ声。それにうんざりし始めていると、どういうわけか竜司と透が止めに入ってくれた。
「つーか先輩、圭の話なんてもういいじゃないっすか! 悲しくなるだけっすよ!」
「そそ! ていうか俺、早く帰って勉強しねーと、今回赤点とったらマジでやばいっす!」
竜司と透がそう告げると、話題はまた嵐のように変わって、テストの話へ。
全然ミーティングが終わる気配はないのだが、圭の好きな人の話題は忘れてくれたみたいだ。
圭は心の中で2人にお礼を言いつつ、テストの話題に参加した。