#17
1時間ほど、竜司の母親の喫茶店で部員たちとはしゃぐと、圭は芽榴を連れて、家に帰ることにした。
「え、もう帰んのか? 圭」
「帰るよ。十分楽しんだし、帰ってから勉強もしたいし」
圭は友人の問いかけにそう返し、その友人の隣にいる芽榴の腕を引いた。
「……圭」
「芽榴姉も帰るよ」
芽榴の視線は、芽榴の腕を握る自分の手に向けられている。他人には気安く触らせても、圭には気安く触らせてはくれない。
その理由を分かっているから、圭は芽榴を自分の後ろに隠すと、その手を離した。
「姉ちゃん置いてけよ、圭」
「バーカ。意味わかんねーだろ、それ」
「圭先輩、もっと喋りたいですー」
「うん。学校でまた話そ」
圭の方もマネージャーに引き止められてしまうが、圭は笑顔でかわす。
なかなか帰れずにいる圭と芽榴に助け舟を出したのは、竜司と透だった。
「圭はもともと来る気なかったんだから、来てくれただけでもありがたく思おうぜ」
「そそ! 姉ちゃんと出かけてんのに、圭がここに立ち寄るとか奇跡だぜ! 圭の姉ちゃんも来てくれてありがとうございました!」
透が元気にお礼を言うと、芽榴は「こちらこそ」と気さくな笑顔を見せた。
「芽榴姉、帰ろ」
圭は芽榴をドアのほうへと誘導する。芽榴とそのまま喫茶店を出て行こうとして、圭は竜司に呼び止められた。
「どした?」
「いや、何も。ただ……」
竜司は芽榴に視線を向ける。まるで芽榴を気にして言葉を選んでいるような素振りに、芽榴のほうも気がついて「先に出てるね」と芽榴は出て行ってしまった。
「……何。芽榴姉の話?」
「その……もし様子がおかしかったら俺のせいだと思う。先に謝る、ごめん」
「は?」
竜司が申し訳なさそうな顔で、圭に謝ってくる。圭が竜司に何があったのかと問いかけると、竜司はまた「ごめん」と口にした。
「ごめんじゃ分かんねーよ」
竜司もそれは分かっているみたいで、周囲を少し気にして、部員が自分たちのことに気を回していないと分かると、小さな声を出した。
「……今日来たとき、俺には圭と圭の姉貴がマジでカップルに見えたんだ」
「は? ちげーし。何言って」
「だから、嫌だったんだよ」
そう告げる竜司は、圭よりも辛そうな顔をしていた。
「あんなに近い距離にいるのに、付き合えねぇとか。マジで圭がかわいそうだったから。……このままじゃ圭が、誰のことも好きになれねぇから」
竜司は圭の気持ちを考えて、その表情を悲痛に歪ませている。圭という友人のことを、竜司はこんなにも心配してくれていた。
だから、芽榴が自分の母親と話しに行こうと部員の輪を抜け出したのを見計らって、竜司は芽榴に余計なことを言ってしまったと圭に謝った。
何を言ったかまでは、圭も聞こうとは思わない。今竜司が教えてくれた思いだけで、言いそうなことは想像ができた。
それが圭に不利になる言葉でも、それが圭を思ってくれる友人の言葉なら、間違いはない。
「竜司が真剣に考えて言ったことなら、俺は怒らねーよ」
「……圭」
「竜司が俺のこと心配してくれてんのも、俺に幸せになってほしいって思ってくれてるのも分かってるから」
だからこのあと芽榴が何を言ってきても、何をしても、竜司のことを責めたりしない。それも全部圭が自ら招いたことだから。
「でも俺はやっぱ好きだから。……お前の目に、そういうふうに映ったことが嬉しいって思うくらいにはバカだから」
圭は竜司に「ありがとう」だけを告げて、喫茶店を出て行った。
☆★☆
喫茶店を出ると、芽榴がすぐそばで待ってくれていた。
圭が「芽榴姉」と声をかけると、芽榴は圭の方を向いてぎこちない笑顔を返した。
その笑顔は、竜司のせいではない。このデートが始まる前からすでに、芽榴の笑顔はぎこちなかったのだから。
竜司が何を言わなくても、芽榴はもうすでに、圭のことを再び避けようとしていたのだから。
「帰ろう」
今日何度言ったか分からない言葉を口にする。
本当は帰りたくない。この時間がずっと続いてほしい。
けれど、その願いは叶わない。叶ってはいけない。
「……竜司くん、何か言ってた?」
帰り道をゆっくり歩きながら、芽榴が問いかけた。喫茶店を出る前のことを芽榴は気にしていた。
竜司が圭だけを呼び止めて、しばらく喫茶店から出てこなかったのだから、芽榴が気にするのも仕方ないこと。
「明日、どこで勉強するか決めておこうって言われて、ちょっと話してた」
当然のように嘘をついて、圭は芽榴を安心させようとする。
でも圭の気休めの言葉に、芽榴は安心したりしない。
余計に表情を曇らせるだけ。
だから少しでも芽榴の表情を明るくしたくて、圭は話題を変えた。
「でも芽榴姉、大人気だったなー。部員みんな芽榴姉にばっか話しかけて、俺は放置だよ。マジありえねーわ」
「そんなことないよ。みんな、私に気遣ってくれて……」
「いやいや、そんな気遣いができるほど頭回るやつらじゃねぇから」
「みんな優しかったよ」
「それは芽榴姉が相手だから」
圭がそう伝えても、芽榴はいまいちピンと来ていないみたいで困り顔だ。
「でも圭だって、大人気だったじゃん」
「大人気? ああ……マネージャーな」
すぐに察しがついて、圭は頰をかく。それと同時に、圭が誰と一緒にいたかをちゃんと把握してくれていたことを嬉しいと思ってしまう。
「圭は、やっぱりモテるね」
芽榴は圭から視線を逸らして、伏し目がちに呟いた。
どこか元気のない声。昔の芽榴ならそれも自分のことのように嬉しそうに、自慢の弟だと笑って言っていたはずだ。
(なんでそんな顔すんの)
聞きたいけど、聞けない。
聞いたところで、答えは圭の都合のいいものにはならない。
でもそれなら、やっぱり芽榴はずるい。
竜司が言うように、圭はかわいそうだ。
どんなに芽榴を諦めようとしても、芽榴がそうさせてくれないから。
「圭、このあいだ言ったよね。『俺にはまだ彼女ができない』って」
芽榴の声は静かだ。静かだから、その声が震えていることも圭には分かる。
「でも聞いたの。私がアメリカに行ってるあいだも、圭は何度も告白されてたって。……さっきのマネージャーの子たちも、圭のこと、みんな大好きだった」
芽榴が聞いたことに、間違いはない。誰から聞いたのかはこの際もうどうでもいい。竜司から聞いたのかもしれないし、他の部員から雑談の中で聞いたのかもしれない。
それを誰が芽榴に伝えても、たいして変わりはない。
芽榴がいないあいだも、女の子から告白されていた。
ついこのあいだも優奈から告白されそうになっていた。
(でも、それがなに?)
その事実を知ったところで、芽榴には何も変えられない。
芽榴にはそんな圭の行動を責めることができないはずだ。
「圭は、今でも……彼女ができないんじゃなくて作らないんだって」
何も知らない頃の芽榴なら「どうして?」とか「もったいない」とか無邪気な言葉を圭にぶつけてきたかもしれないけれど。
今の芽榴にはそれすらも言えない。だって芽榴は、その理由を知っているはずだから。
芽榴に振られたからって、簡単に思いを捨てることも、誰かに視線を向けることもできない、かわいそうな圭のことを。
「圭は、今でもまだ……」
その続きの言葉は紡がれない。
(好きだよ。今でもずっと)
圭の想いも口にはできない。
圭はもう二度とこの言葉を口にしない約束だから。
圭には言えない。だから芽榴が、自分で気づくしかない。
「……なんでもない。ごめんね、変な話しちゃって」
そうして芽榴は逃げる。
圭の心から、芽榴は簡単に逃げてしまう。
何も変わらない。
芽榴がどんなにかわいいことをしても、口にしても、それは全部、ただの思わせぶりな行動。
圭に気持ちなど、1つも寄せてはいない。
芽榴の気持ちは、あの頃と何も変わらない。
圭の気持ちは、芽榴には届かない。
それなのに、どうして芽榴はそんな辛そうな顔をするのだろう。
(俺のこと、好きじゃないくせに)
芽榴のことを責めたくも、憎みたくもないのに。
芽榴は卑怯で、ずるい。