#16
空は赤く、夕暮れ時。芽榴とのデートも、終わりが近づいていた。
バッティングセンターで遊んだ後は、近くの本屋でお互いに欲しい本を買って、スポーツ店だったり楽器屋さんだったり、目についた興味のある場所には片っ端から入って行った。
芽榴とサッカーの話をしたり、芽榴に試し弾きができるピアノで一曲弾いてもらったり。
芽榴と一緒にいるだけで楽しくて、幸せで。
デートはあっという間に終わりを迎えようとしていた。
「さて、帰るとしますか……うげっ」
帰ると宣言して、圭はスマホの電源を入れた。芽榴とのデート中のため、一切の連絡を断ち切っていたのだ。
そして圭はスマホの電源を入れた瞬間、そんな声を漏らした。その圭の声を聞いて、芽榴は心配そうな顔をした。
「どーしたの?」
「いや……友達からめっちゃメッセージきててびっくりしただけ」
答えながら、圭はメッセージの内容を確認する。
どうやら部活のグループメッセージが発動しているみたいだ。
(引退したやつらが騒いでどうするんだよ)
主に騒いでいるのは、圭と同学年の人物たち。竜司や透もハイテンションな文章を送ってきている。
それに後輩たちが巻き込まれている図だ。
(受験勉強で頭ぶっ壊れたな、これは)
いまだにメッセージは届き続けているみたいで、なかなか最新のところに追いつかない。
順を追って読んでいると、どうやら圭を除く引退したメンバーが全員竜司の親の喫茶店に集まっているらしいのだ。
そして勉強するつもりが、部活の集まりのようになっていってるらしく。
最後の方は『圭も来い!』『圭先輩も来てください!』という部員の一斉攻撃になっていた。
「大丈夫?」
圭のため息が聞こえたみたいで、芽榴が圭にそんな言葉をかけてくれる。圭は笑顔で「大丈夫大丈夫ー」と答えるが、その瞬間またスマホが震え始めた。
今度は、透からの着信だ。
「電話? 早く出ないと、切れちゃうよ」
なかなか出ようとしない圭に、芽榴がそんな忠告をくれる。むしろ切れてくれ、などと圭が思っていることは、芽榴には伝わらない。
圭は肩をすくめながら、スマホを耳に当てた。
「もしもし……」
『やっと出たー! 俺、透!』
うるさすぎて、圭は耳からスマホを遠ざける。
そしてわざとらしく大きなため息を吐きながら、スマホを再び耳に当てた。
「うるせーよ。テンション高すぎ。で、なに?」
『何じゃねーって。メッセージ見た?』
「見た。楽しそうで何より」
『他人事みたいに言ってんじゃねーよ! 圭も来いって! どうせ家で勉強してるだけだろ? 暇だろ?』
透が断定的に尋ねてくる。
芽榴と出かけることは、友人たちにも言っていなかった。隠すつもりではなく、ただ伝える理由もタイミングもなかったから、言わなかっただけなのだが。
「暇じゃない。むしろ忙しい」
『はぁ!? 何してんの? 勉強なら、ここでしよーぜ! はかどらねーけどな!』
電話の向こう側はかなり盛り上がっているようだ。人の話をまったく聞く気がない。けれど断るのが面倒だからと言って、透の話に乗るわけにはいかないのだ。
「今、芽榴姉と出かけてんの。……だから、そっちには行けない」
『あ』
圭の答えを聞いて、まるで水をかけられたかのようにガラリと透の態度が変わる。
透は圭にとっての最優先事項が何かをよく知っているのだ。
『あっはは! そっか! 邪魔してごめんな!』
透は聞き分けよく、圭のことを諦めようとしてくれる。けれどそこにいるのは透だけではないのだ。
透が勧誘に失敗したと理解したらしい周囲の部員が透からスマホを奪ったようだ。そんな音が圭の耳に聞こえてくる。
『圭! つれねーこと言うなよ! 来いって!』
『今すっげー懐かしい話してんの! 写真まで出てきてさ!』
『おいバカ! スマホ返せ! 圭は忙しいんだっての!』
透が止めようとしてくれているみたいだが、誰も透の話を聞こうとしない。
『圭先輩! 来てくださいよ!』
『そうっすよー! 部活引退してなかなか喋る機会ないじゃないっすか!』
とうとう後輩たちまで、圭を呼び出そうと必死だ。
『ああっ、竜司! やばいって助けて!』
スマホの持ち主はやっと救世主を見つけたらしく、スマホの向こう側で泣きそうな声を上げている。
『圭誘ってみたんだけど!』
『ああ。来るって?』
『違う! 姉ちゃんと一緒に出かけてる最中だったみたいで! 絶対怒ってる! 現在進行形で怒ってるから、あいつら止めて!』
(そんなに怒ってねーよ)
スマホの向こう側は大混乱状態だ。うるさすぎて喫茶店のほうが心配になる。今日は部員の貸切状態なのだろうか。
そんなことを考えていると、芽榴が圭の腕を小さく引っ張った。
「ん、芽榴姉。なに?」
「行ってきていいよ。もう、帰るだけだし」
芽榴は気遣うように、圭にそう言ってくれた。スマホから聞こえる声がうるさすぎて、芽榴にも状況が伝わったらしい。
「いや、いいって。面倒だし」
「せっかく誘ってくれてるんだから……」
「ない。芽榴姉をこっから1人で帰すとかマジでない」
それだけは譲れない。馬鹿みたいかもしれないけれど、家に帰り着くまでがデートだ。
それなのに、こんなところで切り上げられるわけがない。
絶対に譲らないと顔に書いて伝えると、芽榴も「でも……」と困ってしまった。
『おい、お前ら。ちょっとスマホ貸せ』
そして、圭の耳には救世主こと竜司の声が響く。彼は、その場においても冷静な声音だ。
『圭、聞いてるかー?』
「ん、ああ、竜司?」
『そ、俺。姉貴と一緒にいんの?』
「……うん」
竜司には少し答えづらい。竜司には芽榴とのことを伝えすぎているから。
竜司も気まずそうに『そっか』と相槌を返してきた。だから次の言葉は予想外。
『じゃあ、姉貴も連れてこいよ』
「うん……は?」
『圭の姉貴には、母さんが会いたがってるから』
一年前も聞いたことがあるセリフだ。
竜司の母親は、芽榴に店を守ってもらったこともあって、本当に芽榴のことを気に入っていた。
芽榴がアメリカに行っているときや、最近勉強しに行った時も、竜司の母は『お姉さん連れてきてね』と言っていた。
『姉貴も一緒なら、圭来るだろ?』
竜司はこの場も圭のことも、どちらもうまく収める方法を口にした。隣で透も『それナイスアイデア!』などとはしゃいでいる。
「でも……っ」
『俺も圭の姉貴には、お世話になったあの時以来会ってないから会いたいんだよ』
そこまで言われたら、断る言葉が思いつかなくなってしまう。
「……待って。芽榴姉に聞いてみるから」
そして、圭はまたスマホから芽榴に会話の相手を変える。
「竜司が、芽榴姉も一緒に来いって」
「え、私はいいよ。部活の人たちの集まりなら、邪魔になるし」
「邪魔とかありえない。……ていうか、竜司の母さんが芽榴姉に会いたがってるんだよ」
別に芽榴が「行かない」と言うなら、それでいい。だからこの件に関しては、芽榴の意見を尊重する。
でも芽榴は、自分より他人の意見を尊重する人だから。
「じゃあ……圭のお友達がそれでいいって言うなら」
みんなが圭に会いたがっているから、という理由だけで、芽榴は他人のワガママを聞いてしまう。
それくらい危うくて、でもそれが芽榴のいいところでもあるのだと、圭は改めて思った。
☆★☆
「えっ! 本当に圭の姉ちゃん!?」
喫茶店に着いて早々、透が失礼なことを口にした。もちろん、圭は即座に買ったばかりの本で透の頭を叩く。
「いったい!」
「圭、友達を叩いちゃダメだよ」
「今のは透が悪いから大丈夫」
「うん、透が悪いな」
圭の発言に、隣にいた竜司も頷く。竜司の反応に、透は頭を押さえながら「お前も驚いた顔してたじゃねーか!」と喚いた。
2人が驚くのも当然のことではある。以前2人と会った時の芽榴は今みたいにメイクをしたり可愛らしい服を着たりはしなかったから。ごく普通の容姿だった。
それても圭にとっては、かわいくてしかたがなかったのだけれど。
「圭くんのお姉ちゃん、いらっしゃい」
そして竜司の母が、芽榴のことを迎えた。
本当に嬉しそうに芽榴のことを見つめ、竜司の母は今にも抱きつきそうな勢いで芽榴の手を握った。
そんな微笑ましい光景を見ていると、奥の席で宴会状態になっている部員たちが圭のことを呼んだ。
「圭ーーっ! やっと来たかーー……って、その美人誰だ!」
そして当然のように、圭の隣にいる芽榴に食いつく。
芽榴が圭の姉だと分かると、その場にいる男たちの雰囲気がパアッと明るくなった。まるで餌を与えられた魚だ。
「圭の姉ちゃん、俺と喋りましょう!」
「どうぞどうぞ、席こっちっすー!」
大歓迎で芽榴のことを迎えようとしている。
「えっと……」
「お前らやめとけって。圭が怒るぞ」
困惑している芽榴を、透がかばおうとしている。圭も野獣どもから芽榴を遠ざけようとするのだが、圭の方も別の手に捕まってしまう。
「圭先輩、お久しぶりですっ」
ハートマークでも飛んで来そうなはしゃぎ声。後輩のマネージャーたちが嬉しそうに圭のもとに駆け寄った。
(うわ……マネも来てたのか)
これで合点がいく。おそらく男子たちだけでも圭のことをしつこく呼んだだろうが、マネージャーまで来ていたなら話は別だ。
圭の自惚れでも自意識過剰でもなく、サッカー部のマネージャーは圭のことが好きな女子がほとんどだ。
それは別に恋愛としての意味だけではなく、先輩としてだったり、選手としてだったり、様々。
いずれにせよ、圭も呼べとマネージャーたちに頼まれたのだろうと一瞬で察しがついた。
(俺は芽榴姉といたいんだけど)
けれど芽榴のほうも、デレデレした圭の友人と後輩に捕まっている。
「めっちゃかわいいですね!」
「圭のやつ、なんで紹介しねーんだ!」
(紹介するかよ、バカ)
チームメートたちのはしゃぎ声にイラついてしまう。けれど圭も女子に連行されて、そちらばかりは見ていられない。
「圭先輩、たまには部活に顔だしてくださいよー」
「まさ彼女ができちゃったり?」
「できてないよ。最近、勉強が忙しくて」
「よかったぁ! クラスメートの女子といい感じだって噂聞いてたから焦ってたんですよー?」
(芽榴姉に聞こえるから、やめて)
心の中ではそう思っていても、下手なことを口には出せない。圭は苦笑しながら「その話はシーッ」と遠回しに話を切り上げようとするのだが。
どうやら逆効果みたいで、彼女たちのテンションがあがってしまった。
「それってどういう意味ですか!?」
「圭先輩は彼女作らないって暗黙の了解じゃないですか! そのスタンス崩しちゃダメですよー」
「あはは。うん、作らないよ」
とりあえず女子を落ち着かせるために、そう告げる。
そして圭は芽榴の反応を気にするみたいに視線を動かした。
チームメートたちのそばに座って、質問責めにあっている芽榴に視線を移す。
芽榴はそちらの話に集中していて、こちらの話など聞いていないみたいだ。
それが分かった途端、圭の心には安心感ではなく、モヤモヤが募っていく。
聞いてほしくなかったくせに、実際に聞かれていないのは嫌だ。なんとも面倒くさい感情が自分の中に渦巻いている。
「ええっ、お姉さん。めちゃくちゃかわいいのに彼氏いないんですか!」
(かわいいとか、気安く言うなよ)
圭が言えないセリフを、友人たちが言うのは許されて。それが気に食わない。
圭は触れることを許されないのに、友人たちが芽榴に触ることにもムカついてしまう。
(ああ……やっぱ連れてこなきゃよかった)
そんな嫉妬と後悔を心に抱きながら、圭はマネージャーたちに愛想のいい笑顔を返す。
どうせ芽榴は気にしてくれないのだからと、半ばやけくそになりながら。