#15
待ちに待った芽榴とのデートの日。
当然のことながら、圭は普段友人たちと遊びに行くときの数十倍は気合を入れていた。
(デートじゃなくて、お出かけだけどな)
そこを間違えて言ってしまうと、また芽榴が圭を避けかねない。このデートを提案したあとも、芽榴の態度はぎこちないまま。
けれど一緒に出かけているあいだは、どうあがいても圭を避けようがない。だから今日は存分に芽榴を独り占めさせてもらうのだ。
(本当、ポジティブになったよな……俺)
一度地獄を見た人間は強いと言うが、まさにそんな感じだ。
一回振られて、芽榴にも拒絶されて、その経験があったからこそ、今回は先手を取れている気がする。
何にせよ、今日は一日楽しもうとノリノリで圭は一階に下りた。
「芽榴姉ー。準備でき……って」
リビングに行って、芽榴の姿を目にして圭は固まる。
固まった圭を見た芽榴は、困り顔でそばにいる母に文句を言っていた。
「ほら、お母さん。こんなかわいいの、似合わないから。……圭も困ってる」
「逆逆。思わず圭も固まっちゃうくらい、かわいいのよ」
夏だから薄着になるのは当然なのだが。
芽榴の身につけている透けそうで透けない白のひらひらのワンピースが、圭の好みどんぴしゃすぎて、圭の思考がうまく回らない。
膝のあたりはレース生地のみで、完全に脚が透けている。
ちゃんと隠れているのは太もものあたりまで。
オフショルダーだから芽榴の華奢な白い肩が丸見えだ。
(……母さんの仕業だ)
芽榴がこんな服を選ぶはずがない。まして自分相手に。
「何してんの、母さん。いつも言ってるだろ、芽榴姉は母さんの着せ替え人形じゃないって!」
「なによ。圭とお出かけするって聞いたから、圭のために芽榴ちゃんをコーディネートしてあげたんじゃない。母に感謝しなさいよ」
真理子は強気だ。そしてその強気な顔に意地の悪い笑みを追加する。
「圭は好きよね、こういう服」
芽榴のワンピースの裾をひらつかせながら、真理子が問いかけてくる。
(なんで知ってるんだよ)
真理子の言動にイラっとはくるものの、言い返す言葉もない。好きすぎて、本当なら土下座で「ありがとう」と言いたいくらいなのだ。
「……目のやり場に困るから」
他にも言うべきことがあるのに、こんなときに限って下手な言葉が口から飛び出してしまう。
芽榴はこの言葉を負の意味でしかとらえられないのに。
「お母さん、着替えるよ。これじゃあ動きづらいし」
案の定、芽榴は服を着替え直そうと真理子に提案している。
化粧も髪型も服装も、何もかもバッチリすぎてむしろこちらが気後れしそうなほどに似合っているというのに。
(ああ……もうっ)
圭は一気に芽榴との距離を詰めて、真理子が手にしている薄手のカーディガンを奪い取った。
「……圭?」
芽榴は不思議そうな顔で、目の前にいる圭のことを見つめている。少し困ったような顔をして、かわいらしく上目遣いで圭を見ている。
(困ってるのはこっちだってば)
「これちゃんと羽織って。……肩、気になるから」
「う、うん。えと……着替えなくていいの?」
「いいよ。そのままで」
気の利かない言葉を告げると、真理子に膝裏を叩かれた。ガクッと膝を崩して、バランスを取り直すと思いきり真理子に睨まれてしまう。
だから圭は小さく息を吐いて、芽榴に視線を向けた。
「似合ってるよ、芽榴姉。……そういう格好してほしかった」
それだけ言うと、圭はすぐに芽榴に背を向けた。
絶対、顔が赤くなっている。
でも、それも仕方ない。好きな人が自分好みの姿でいるのに、にやけずにいられるわけがないのだ。
(こんなだらしない顔見たら、芽榴姉に避けられるだろ)
だからしっかりしろと、そう言い聞かせるように、圭は自分の頰をパチパチと叩いた。
☆★☆
「うわぁ、あの子かわいい」
さっきからその言葉をよく耳にする。聞こえる声は男女様々だ。
声のするほうに視線を向ければ、確実に芽榴のことを見つめている。
誰もが思わず口に出してしまうほど、今日の芽榴はかわいい。
(もはや、かわいさが異常なレベルだよ)
だから圭は芽榴のことを直視できない。
芽榴をじっと見つめる耐久勝負みたいなものをしたあかつきには、10秒ともたずにダウンして、理性というものが壊れはてる気しかしない。
圭はそんなことばかり考えているというのに、隣を歩く芽榴は浮かない顔で歩いている。
周りの声にも視線にも、気づいていない。
おそらく圭との距離感や、話すことを考えてくれているのだろう。
「芽榴姉」
「……ん、何?」
芽榴が顔を上げると同時に、圭はわずかに視線をそらす。
こういう態度はいけないと分かっているけれど、本当に直視したら危険なのだ。いろんな意味で。
「圭。やっぱり、私と出かけるの……」
(ほら、こうなる)
「違う、そうじゃない。そうじゃないけど」
(芽榴姉、かわいすぎるから)
などとは口が裂けても言えない。そういう言葉を口にしてはいけない。
でも今だけは、思いのままを口にして楽になりたい。その気持ちでいっぱいだ。
「どこ行こうかなって。芽榴姉、行きたいとこある?」
「圭は?」
まず圭の行きたいところがあるなら、それを優先してくれる。芽榴のそういうところも、圭は好きなのだ。
当初の予定では、一応考えていたところがあった。
「近くにさ、スポーツして遊べるとこがあるから……そういうとこにでもいこうかなって最初は思ったんだけど」
そう言って、圭は芽榴のワンピースに視線を向ける。やっぱりかわいいと、全然違う感想を頭に思い浮かべてしまう自分に、圭は頭を抱えた。
「だから着替えるって言ったのに」
「俺が着替えてほしくなかったから、その話はもうやめよう」
圭は早々とその話を切り上げて、行き場所を考える。すると芽榴が圭のジャケットの裾を引っ張った。
「じゃあ、バッティングセンターは? 圭、好きでしょ?」
「え、でも……」
「バッティングならスカートでもできるし。……どうせなら、圭が楽しいところに行きたいから」
素でそんな嬉しいことを言ってくれる。
圭はざわつく心を落ち着かせながら、芽榴の言葉に甘えた。
☆★☆
バッティングセンターには、部活仲間ともよく来る。サッカーではないから、気軽に楽しめていいのだ。
「っし!」
圭は適当な速度の球を打ちに行く。芽榴はとりあえず、圭が打つところを見ているようだ。
「芽榴姉も打ってきていいよ」
「まずは圭の打ってるところを観察するよ。久々だし」
昔、長野にいた頃に何度か芽榴を連れてバッティングセンターに行ったことがある。
あのときも、芽榴は圭が打つのを見守っていた。
「懐かしいな」
「え?」
圭はバッターボックスに立って、バットを優雅にかまえる。
球が出て来るのを待ちながら、圭は昔のことを思い出していた。
「昔、芽榴姉と来たときも、芽榴姉はそうやって俺のこと見てたね」
圭にとっては、大好きな人との大切な思い出。
そしてそれを、芽榴もちゃんと覚えてくれている。それが芽榴にとってどれほどの価値の思い出かは、分からないけれど。
「うん。ずっと見てたら、圭が『芽榴姉もやってみてよ』ってバット渡してくれたね」
芽榴はすぐにその日のことを思い起こしてくれた。
それが嬉しくて、圭の頰がほころぶ。
そこで一球目が投げられ、圭は思いきりバットを振る。キンッといい音を立てて、ボールは飛んで行った。
「おー……」
「なに感心してんの。芽榴姉のほうがうまいじゃん」
芽榴の運動神経は圭よりもいい。昔の圭はまだそれをいまいち理解していなくて、無謀にも芽榴にいいところを見せてやるのだと意気込んでいた。
でも芽榴のほうがいいところに球を飛ばして。
「それで圭を怒らせちゃったね」
「怒ったんじゃないよ。ショックだっただけ。自分がかっこ悪くて」
圭は芽榴の言葉に返しながら、投げられた球を打っていく。
懐かしい記憶が球を打つ音とともに、圭の頭の中にどんどん蘇った。
「圭も十分上手だったのにね」
「芽榴姉と比べなければね。……でもあの頃の俺は比べちゃって、愚かにも芽榴姉に勝負挑んだんだっけ」
ボールを見ながら芽榴に問いかけると、芽榴は「うん、そう」と苦笑した。
当時圭たちが行ったバッティングセンターには網に目標となる的がいくつかあった。そして圭は、その的に多くボールを当てたほうの勝ち、という勝負を挑んだ。
先行は圭で、本気で芽榴に勝ちたくて10本中4本、的に当てたのだ。圭としては好成績。でも芽榴なら10本中10本当てられるはずだから、圭は早々に負けを確信した。
にもかかわらず、圭は負けなかった。
「芽榴姉は手を抜いたんだよなぁ」
芽榴は圭に気を使って、10本中3本しか的に当てなかった。
それが余計に自分をかっこ悪くさせたのを、圭は今でもよく覚えてる。
「圭に『芽榴姉のバカ!』って怒られたよね」
「あれは芽榴姉が悪いよ」
でも芽榴が自分のためにそうしたのだと分かるから、もっと自分がうまければこんなことにはならなかったのだと理解して。
圭はすぐに芽榴に謝ったのだ。
芽榴よりも、上手になろうと心に決めて。
「あの時より、上手になっただろ?」
圭は芽榴と喋りながらもずっと、速い球を難なく打っていた。耳に心地いい音を、乱れのないタイミングで鳴らす。
「うん。……とっても」
そうして1ゲーム分の球を打ち終えると、圭はバッターボックスから出て、芽榴のもとへ歩み寄った。
「はい。次は芽榴姉の番」
バットを渡して、笑いかける。すると芽榴も「うん」と可愛らしい笑顔を返してくれた。
(かわいいな、本当)
見ているのが辛くなるほどにかわいい。
圭はその笑顔を自分から隠すみたいにして、近くに置いてあるヘルメットを芽榴の頭にかぶせた。
「え、わ……っ!」
「芽榴姉は、これちゃんとつけて」
「大丈夫だよ。軟球でしょー?」
「それでも」
(これは、言っていいよな)
「万が一にも、芽榴姉の顔に傷がつくのは嫌だから」
圭がそう告げると、芽榴は何も答えずにバットを握って、バッターボックスへ向かった。
久しぶりに見る、芽榴がバットを振る姿。
それがとても愛らしくて、圭の頰はたったそれだけで緩んでしまうのだった。