#14
芽榴の作ってくれた美味しい夕飯を食べて、圭は自室に戻る。
勉強する前にスマホを確認すると、優奈からの返信が届いていた。
『そうなんだ。とっても綺麗な人だね。今まで楠原くんが彼女作らなかったのも納得』
そんな当たり障りない文章が書かれていた。そしてその下には『また明日ね』というやり取りの終わりの挨拶。
いつもなら、夕飯がどうだったとか、明日の授業はどうだとか、そういう話が始まって、あと少しやり取りが続くのに。
今日はもう、これだけで優奈とのやり取りは終わってしまった。
(明日から、もう勉強は一緒にしないだろうな)
告白をしようとして、その途中で打ち切られて、相手の男は自らの好きな人を追いかけた。
優奈から見た圭の行動はそんな感じ。
冷静に考えて、圭は申し訳ないことをしたなと反省する。けれど、そうしたことを後悔していなかった。
今日優奈と一緒に帰ってきたことも。途中で芽榴に出会ったことも、全部。
「昔の芽榴姉なら、違う反応だっただろうな」
きっと優奈を彼女だと思いこんだ芽榴は、驚いた後に、圭に向かって「かわいい子だね!」などと言って、まるで自分のことのようにはしゃいでいただろう。
今日の芽榴みたいに、あからさまに動揺して逃げるようなことはなかったはずだ。
(本当に、なかったことにしないでくれてるんだ)
あの日の告白をなかったことにしないで。圭の最後のワガママを芽榴は聞いてくれているのだ。
自分を好きだった男が、アメリカから帰って来たら他の女子と付き合うようになった。微かにでも圭に対して、独占欲のようなものを感じていてくれたなら、それより嬉しいことはない。
(だからどうなるってわけじゃないけど)
あの日芽榴に告白してよかったのだと。あの日出した勇気は無意味なものではなかったのだと。
そう思えるから。
「もっと、俺のこと意識してほしいよ」
壁の向こうにいる芽榴に告げる。その声は芽榴には届かない。
☆★☆
次の日の朝、圭はいつもより少し早く起きて、洗面所へと向かった。
キッチンのほうからいい匂いがするため、芽榴がそこで料理していることはすぐに分かる。
洗面所の戸を開けると、母が洗濯をしているところだった。
「あら圭、おはよう」
「ふああ……はよ」
欠伸をしながらのあいさつに、真理子は「露骨に適当ね」と困り顔だ。真理子が誰と比べているのかは言うまでもない。
圭はそんな母の声を聞きながら、顔を洗って、少し寝ぐせを整える。そうしてすっきりした顔で、キッチンに足を進めた。
そこでは、長い髪を適当にお団子にして、芽榴が朝ご飯を作っている。
愛しい後ろ姿に、緩む頬をどうしようもできないまま、圭は「おはよ」とはっきりした声で朝の挨拶をした。
圭の声を聞いた芽榴は、肩を揺らしてすぐに圭のほうを振り返る。
「おはよ……圭」
芽榴はちゃんと挨拶を返してくれた。けれど声音も顔も元気がない。
(あー……これは)
昨日ちゃんとフォローしたから大丈夫だと思っていたのだが、圭の考えが甘かった。
おそらく芽榴はまだ昨夜のことを気にしているのだ。変に動揺してしまったとか、自分はどうかしているとか、そんなふうに自己嫌悪状態に陥っているのだろうと、なんとなく予想できる。
昔と違って、今回は圭が悪いことをしたわけではない。だから圭の頭は冷静。落ち着いて、芽榴の気持ちを考えられる。
「芽榴姉、どうしたの? なんか料理失敗したとか?」
芽榴にかぎって、そんな失敗をするわけない。
理由も原因も察していながら、圭は無難な質問を口にして、芽榴の顔を覗き込もうとする。
すると、芽榴があからさまに圭と距離をとった。
(そう、きますか)
前と同じだ。けれど今回は、圭に非がない。だから芽榴のほうがすぐに謝ってきた。
「あはは」
こういう笑い方をするときは、だいたい芽榴が何かを取り繕おうとしている時だ。もう何年も一緒にいるのだから、圭には簡単にわかる。
「失敗はしてないよ。ごめんね。ちょっと昨日勉強頑張りすぎて、遅くなっちゃったから眠くて」
「……そっか。あんま無理すんなよ」
芽榴の部屋から物音がしなくなったのは、少なくとも圭が寝るより前のこと。圭より早く芽榴がベッドに入ったことを圭は知っている。
けれど芽榴の目にクマがあるから、おそらく眠れなかったのは本当だ。
問題は、どうして眠れなかったのか、という話。
「俺も何か手伝うよ。珍しく早く起きたし」
「もうできあがるし、大丈夫」
「じゃあ皿出すね」
そう言って、圭は芽榴のそばから離れない。そのせいで芽榴の表情がどんどん暗くなっていく。
でもいい加減、このまま芽榴を放置しておくわけにもいかない。
この調子だと、学校から家に帰ってきたころには、完全に避けられそうなレベルだ。
「芽榴姉」
圭が名を呼ぶと、芽榴はまだちゃんと圭のことを見てくれる。思いつめたような顔をして。
「一つ目の俺のワガママ、忘れてないよね」
変に避けないで。まさかこのお願いが、ここへきて効力を発揮するとは圭も思っていなかった。
芽榴がこの約束を忘れるわけがない。
圭に問われた芽榴はゆっくり頷いて、小さなため息を吐いた。
「ごめん。……変な態度とってるよね、私」
「うん」
「……でも、圭は悪くないから」
だから避けてもいいというわけではないだろう。
芽榴も同じことを思ったのか、「私、ダメだね」と自分に呆れてまたため息を吐いた。
「理由聞いてもいい?」
「……自己嫌悪に陥ってるだけだから、気にしないで」
「気にしないでいてあげたいけど。このまま避けるつもりなら、気にするよ」
一枚上手の返事をして、圭は芽榴に優しく笑いかける。その笑顔にも、芽榴は複雑そうな顔をした。
(ほんとに、俺は芽榴姉が好きすぎる)
勝手な芽榴も、ずるい芽榴も、嘘吐きな芽榴も、どんな芽榴だって、好きで好きでたまらない。
「じゃあ、芽榴姉の元気が出る提案」
「へ?」
暗い表情を浮かべる芽榴の代わりに、圭は最大限明るい声色で芽榴に話しかける。
正しくは、芽榴というよりも、圭の元気が出る提案だ。
「今度の休日、出かけよう。詰め込みすぎて疲れてるんだよ。息抜き、息抜き」
ニッと笑って強引に話を進める。けれどその提案に芽榴はいい返事をくれない。
「でも、圭だって忙しいし」
「何言ってんの。むしろ俺が息抜きしたいんだって。ここ最近、本当に勉強しかしてねーんだから」
勉強ばかりしていることも、息抜きがしたいのも本当。ただそれ以上に、頑張っている自分へのご褒美として芽榴とデートがしたいというのが一番の理由なだけ。
そしてその一番の理由を、芽榴のために、言わないだけだ。
「ね、久しぶりに姉弟水入らずでさ」
この際だから、いいように「姉弟」の関係を利用しよう。そう口にすれば、芽榴は圭の誘いを断ることができなくなるのだから。